アン・ミー・レー インタビュー

風景が語り出す歴史に耳をすませば
インタビュー / アンドリュー・マークル


US Naval Hospital Ship Comfort, Haiti (2010), from the series “Events Ashore.”

I.

ART iT ご存知かと思いますが、日本では現在、安倍政権が「積極的平和主義」の旗の下に、自衛隊の集団的自衛権行使容認を強引に推し進めていることが重大な問題になっており、たくさんの人々が日本の民主主義の危機を感じています。日本国憲法では、国際紛争を解決する手段としての軍事力の行使を明確に放棄しているにもかかわらず、それはアメリカの押しつけであるという批評家らの正統性に対する非難や、自覚済みのアメリカへの継続的依存に対する憤りに基づいた「集団的自衛権」をめぐる議論が存在しています。意地になることで、日本の再軍備化は現在のアメリカの地政学的戦略に都合よく働いてしまっています。このような背景によって、ここ日本で「陸上の出来事」シリーズを見るとき、そこには非常に緊張した雰囲気が生まれていると思います。それではまず、あなたが自分自身の作品をアメリカにおける軍隊の表象という文脈の中で、どのように考えているのか教えてもらえますか。

アン・ミー・レー(以下、AML) そうですね。この作品がここ東京で緊張感を持って見られるかもしれないのと同様に、アメリカのどの地域で見せるかによって反応は異なります。写真家として、私は少し離れたところから現実の世界を見て、表現することや、そこから自分が学び、理解しようとしている問題を明らかにするというやり方で世界を解釈することに興味を持っています。私は写真にシンプルなタイトルや説明文を使うことに違和感がないし、また、同じ写真に対して異なる解釈があることにも違和感はありません。写真のフレームへの情報の収め方、写真の構築の仕方ゆえに、私の写真は視覚的に複雑になり、複合的なメッセージを伝えています。観客はあらゆる情報をひとつにまとめるために、時間をかけて作品を見る必要があります。とはいえ、もちろん解釈は主観的なものですし、私もそう思っています。矛盾していたり、驚きに満ちていたり、理解しづらくてもいいと思います。私はそこに客観的なものと主観的なものの不安定な構図を見ています。
この作品は、極端にいえば、私自身が米軍をどのように感じているのかを明確に述べるというよりも、誰かを危機に瀕した問題について考えるように駆り立てるためにあります。私の作品には米軍を支持していると理解され得るものもあります。作品を見て、「ここに写っているアメリカ人たちはなんて勇敢なんだ」などと考えることもできるし、同じイメージにアメリカ帝国主義の兆候を見ることもできるかもしれません。「あそこに写っているアメリカ人、地元の人にアメリカ式を教えようとしている」なんて。そこには多様な解釈の可能性が存在しています。ときに米軍は人々を助けに来ることもあるのです。例えば、ハイチの大地震*1 の後に、米軍が成し遂げたことは他の誰にもできません。数時間の内に援助物資を届けたのです。しかし、救助と侵略は紙一重で、物資的かつ経済的な存在やアメリカの土地の占領の仕方とも関係があります。このように、この作品ではそういった緊張関係が扱われています。
また、それは米軍と彼らがベトナムにしたことに対する私自身の葛藤にまで遡ります。ベトナム戦争の終わりに、共産党の追っ手から逃れるのを手伝ってくれたのはアメリカ人でした。誰もがフランス大使館ではなく、アメリカ大使館の壁を乗り越えようとしました。この作品にはこうした矛盾も含まれています。

ART iT あなたは東松照明や田村彰英など、在日米軍基地やその周辺を撮影した日本人写真家を知っていますか。*2*3彼らの写真は、表面上、占領軍である米軍に対してとても批評的ですが、そこにはあからさまな憧れとは言えないまでも、アメリカの文化や生活様式にどこかで魅了されているのが表れています。

AML 彼らは素晴らしい写真家です。彼らの作品には闇、つまり、すべてを飲み込むような雰囲気があります。米軍の存在に対する複雑な反応が作品を難解かつ挑戦的なものにしており、結果として非常に満足のいく作品になっていますよね。

ART iT あなたはしばしば自分のことを風景写真家だと言っていますが、実践を重ねる中で、そこにポートレイトも加わってきましたね。「陸上の出来事」に対するひとつの解釈として、この作品が、とりわけ、若い女性兵のポートレイトが、軍隊に人間味を与えていると考えることができます。しかし、シリーズ全体にはスケールを利用したり、風景に人々を並置するというやり方を通して、人間の存在を小さくするという別の効果も生まれています。

AML そうですね。カラーの作品ではポートレイトも入れはじめましたが、それ以前のモノクロの作品ではスケールをひとつの主題として扱っていました。つまり、軍事活動の背後にある文脈を見せるとき、それがいかに強大にあるかに限らず、そこには常にもっと巨大で、コントロール不能なものがあり、自分にとってそれは天気だったり、自然環境としての風景だったりと、そういったものがあるわけです。私は信心深いわけではないけど、巨大な力かなにかが作用しているのだと信じています。それは単に軍隊やなんらかの人間の試みを語るだけでなく、文脈の中でそれらを語るという方法です。「29 Palms」でもそのような方法で、イラク派遣に備えて訓練する海軍を撮影しました。私は海軍兵との会話を通じて、軍隊での生活について多くを理解するようになりました。当時、私はなぜ人が軍隊に入るのかまったく理解できず、戦いたいからとか、銃を撃ちたいとか、悪と戦いたいから入隊するのだと考えていました。しかし、私は経済的理由から入隊する人がいることを知りました。ただ職を得るためだけに。旅行したいという人もいましたし、困難な状況から抜け出すための方法だと考えている人もいました。例えば、酷い里親のもとで育ち、軍隊はそこから逃げ出す機会を与えてくれたのだと。そうして私はここにどんな人々がいるのか、また、この複雑な方程式の贖罪的な側面を徐々に理解していくことになりました。
私は情にもろいヒューマニストではありませんが、カラーで撮影するプロジェクトをはじめたとき、何人かの個人的な物語を示していくべきだと感じていました。作品全体を偏らせるわけにはいかないけど、今回のものもプロジェクトの一側面にしたいと思いました。男性も女性も撮影しましたが、女性兵はまさに男性的世界で働き、男性のように働く能力を持たねばならず、それでもなお個人を保とうとする姿に興味があったので、女性のポートレイトの方がより強い意思を感じました。
実際のところ、私はポートレイトもある種の風景だと考えています。まず、ポートレイトはスケールに関係しています。つまり、個人に関係していたり、国家の軍事力や国際的な同盟といったシステムの中の彼や彼女の生活に関係しています。このように、私はスケールについて語るために広い意味で風景という言葉を使っています。また、風景とは、権力、ジェンダー、人種、経済といった問題を探求すべく、自由に使えるシステムだと考えています。
私が写真を知りはじめた頃、風景との関係からアンセル・アダムス*4 を考える議論がありました。彼は自然の完璧なる美や威厳を示すことで自然保護に取り組んでいましたが、私がより関心を持ったのは、ロバート・アダムスやルイス・ボルツ、スティーブン・ショアなど、人間によって変えられた風景に焦点を当てた実践を行なう写真家たちでした。*5 そこには建築、自然、文化、そして、荒れ地(彼らの作品を結びつけていると私が思っているもの)の間の複雑な力学が存在していました。突き詰めていくと、風景とは歴史であり、文明の歴史なのです。

ART iT これまでのプロジェクトを見たとき、「Viet Nam」から「Small Wars」、そこから「29 Palms」、そして「陸上の出来事」と、自然な流れがあるように見えますが、自分としてはどう考えていますか。

AML 私もそう思います。ただ、決して計画していたわけではありません。最も苦戦したのはカラーの作品(「陸上の出来事」)でしたね。「陸上の出来事」では、リアルタイムで起きている出来事を撮影していたためにカラーを選びました。それによりモノクロでは表現できなかったものが、表現できるようになりました。あるとき、海を眺めていたら、青い海に灰色の船が浮かんでいて、モノクロのプリントだとそれはただの灰色のグラデーションになってしまうんですね。このプロジェクトにおいて、それでは不十分だと感じてカラーに切り替えることにしました。既に題材が現在の出来事に強く結びついていて、さらに、カラーを使用することで写真はより日常の生活に近づくので、この作品がフォトジャーナリズムでもドキュメンタリー作品でもなく、表現という観点から、事実、美術作品であることを理解し難い人もいるでしょう。「Small Wars」は再演だから、現実ではないものについて語っているだとか、「29 Palms」は訓練を撮影しているから、よりハリウッドっぽいだとか、さまざまです。こうしたことが新作には明確な形では存在しないコンセプト上の基礎となるものを簡単に引き出していきます。

ART iT さて、アメリカでは軍隊について語るのが難しいのではないでしょうか。米軍がイラクやアフガニスタンに侵攻したとき、かなりの自己検閲が引き起こされ、軍隊の士気を損なわないよう、侵攻を非難しないようメディアや人々から警告が発せられていました。

AML ええ。「軍隊を支持する」というイエローリボン*6 のように、あらゆるものが非常に単純化されます。そうしたものはすべてこのような飲み込みやすい形で現れるのです。ベトナムのときに起きたことを考慮すれば、私たちは軍隊を支持しなければならないのです。つまり、退役軍人が帰還したときに私たちは彼らに酷い仕打ちをしてしまいました。しかし、それはなぜ私たちがベトナムに行ったのか、そして、それは何の意味を持っていたのか、その上で軍隊やその家族、コミュニティにどんな意味を与えたのかを批評的に考えてはいけないというわけではありません。そう、私は物事がその見掛けとどれほど違っているのかに興味があり、表面の向こう側にあるものを見たいと考えていました。軍隊は極端な反応を駆り立てるものです。ニューヨークや東海岸という、よりリベラルな人々が住むところでは、観客は私の作品に対してある特有の見方をするだろうし、一方、アメリカの他の地域のより保守的な観客はそれとは異なる解釈を持つことでしょう。

(協力:東京都現代美術館)


*1 2010年1月12日、ハイチ共和国の首都ポルトープランスの南西25km、深さ10kmを震源地とするマグニチュード7.0と推定される地震が発生、その後もマグニチュード5以上の余震が続いた。大統領府や国会議事堂をはじめとする数多くの建物が倒壊し、水道や電力供給網などのライフラインにも壊滅的な被害が及び、20万人以上が死亡、150万人以上が住居を失うこととなった。その後も経済の低迷や政治の混乱、ハリケーン災害や伝染病など、復興はなかなか進んでいない。

*2 東松照明(1930-2012):60年代に新しいドキュメンタリー写真の理念を提示した日本写真史を代表する写真家。日本の戦後史の特徴をアメリカニゼーションと捉え、沖縄を含め全国展開する米軍基地とその周辺を撮影した。長崎の被爆者を取材した作品も代表作のひとつとして知られる。制作者としてのみならず、教育者、先導者として日本写真史に多大な影響を残している。

*3 田村彰英(1947-):60年代後半から70年代前半にかけて、横浜、横須賀、三沢、厚木、横田といった米軍基地を撮影したシリーズ「BASE」で頭角を現す。定点観測撮影のシリーズ「家」は、「BASE」と並ぶ代表作のひとつとして挙げられる。2012年に東京都写真美術館で行なわれた『田村彰英 夢の光』では再び、米軍基地を対象とした「BASE2005-2012」を発表している。

*4 アンセル・アダムス(1902-1984):ヨセミテ国立公園をはじめ、アメリカ西部を撮影した風景写真の大家として知られる。写真家としての活動のみならず、自然保護団体に所属し、環境保護を提唱し続けた。なお、第二次世界大戦中には、日系アメリカ人が収容されていたカリフォルニア州のマンザナール強制収容所を訪問して、その生活を記録している。

*5 ロバート・アダムス、ルイス・ボルツ、スティーブン・ショアを含む9組10名の写真家は、1975年にジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で開催された『ニュー・トポグラフィックス:人間が変えた風景の写真』に参加。アンセル・アダムスをはじめとする先行する世代とは異なる風景へのアプローチが多角的に検討された。

*6 前線で戦う兵士の無事を祈り、家の周囲や車、洋服などに黄色いリボンを飾るアメリカの習慣。由来は諸説あり、湾岸戦争やイラク戦争時に派遣された兵士への連帯を示すものとして用いられた。

アン・ミー・レー インタビュー(2)

アン・ミー・レー|An-My Lê
1960年サイゴン生まれ。ニューヨーク在住。ベトナムやアメリカ合衆国のみならず世界展開する米軍の活動や、戦争を再演する人々、戦争が変えた風景を大判カメラで撮影した写真作品で知られる。ベトナム戦争が終結した75年に家族とともに政治難民として渡米。生物学を専攻していたスタンフォード大学時代に写真に出会い、85年に修士号を取得した後、美術や写真を学ぶためにイェール大学に進み、93年に修士号を取得する。98年以降はバード・カレッジの教育にも携わり、現在は同校の教授を務めている。
これまでに、ボルチモア美術館(2013)やディア・ビーコン(2006-07)、シカゴ現代写真美術館(2006)で個展を開催。ニューヨーク近代美術館やメトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、サンフランシスコ近代美術館などの企画展に参加。老舗写真集出版社アパチャーから、写真集『Events Ashore』(2014)、『Small Wars』(2005)を出版している。
http://www.anmyle.com/

他人の時間
2015年7月25日(土)-9月23日(水、祝)
国立国際美術館
http://www.nmao.go.jp/

他人の時間
2015年4月11日(土)-6月28日(日)
東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/

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