アブラハム・クルズヴィエイガス インタビュー(3)

2017年9月11日
滝のそばで−すべては必然として
インタビュー / アンドリュー・マークル
I. II.



This image and below: Installation view, "The Water Trilogy 2: Autodefensión Microtonal Obrera Campesina Estudiantil Metabolista Descalza" at Ginza Maison Hermès Le Forum, Tokyo, 2017. Photo © Nacása & Partners Inc., courtesy Fondation d'entreprise Hermès.


III.



ART iT どんな展覧会でも地域の人々と関係を築こうとしているとおっしゃっていましたが、アーティストや作品が国際的に巡回する中で、地域との関係性は込み入ったものになってきます。その地域本来の文脈の外から何かを持ち込んだとき、たとえば今回の「ウアステコ」の音楽、これは必然的に元の文脈に対する言及になり、また、新しい文脈の中でエキゾチックなものとして受け取られる可能性がありますよね。

アブラハム・クルズヴィエイガス(以下、AC) それはリスクですが、リスクを負うことは大切です。安全なことを行なうなんて信じられない。それは学ぶことに対する私の考え方にも戻ってきます。私は19世紀後半の微分音音楽の先駆者のひとり、フリアン・カリーリョについて、ウアステコのミュージシャンたちと話し合いました。彼はバイオリンが通常の演奏で私たちが聴いているものよりも多くの音を生み出せると認識していました。そして、実験としてナイフでバイオリンを弾き、自分の耳だけで実証的に、ひとつの音符に対する16のサブトーンを聴き分け、そこから認識できない無数の音があるはずだという理論に至りました。もちろんその理論は正しい。当時はコンピュータもありませんが、彼はナイフを使って平気でやってのけました。そこで、私はミュージシャンにナイフを使って、実験を再現してもらいましたが、これはメキシコについてというわけでも、民族性についてというわけでもありません。クリシェから逃れる方法であると同時に、ありのままの伝統音楽にアプローチする方法でした。それはメキシコやメキシコ人を別の文脈に持ってくるというより、実験のようなものに言及したものでした。もちろん私たちはメキシコ的なものを持ってくることもしています。でも、何ができるでしょうか。私はメキシコ人なのですから。とはいえ、なすがままにしていたら、風刺として受け取られてしまいます。観客が彼らをメキシコのインディオとだけ考えたとしても気にしません。それはある部分では事実ですから。とはいえ、私はそれだけではないと言うでしょうね。日本についてのみ扱っているわけではないし、中銀タワーだけということでも、あれかこれかというようなたったひとつのものを扱っているわけでもありません。それらすべてがいっしょになっている。すべてが重なり合う。これはちょうど彫刻家としての私の制作方法と同じです。ものを別のものの上に置き、それが崩れ落ちるまで積み重ねていく。コンセプチュアルな崩壊。それを楽しんでいます。子どものゲームのようなもの、コンセプチュアル・ジェンガですね。


ART iT 当然、私たちが地域について考えることそのものは、真偽に関わる問題含みの考えに根ざしてもいますね。「日本らしさ」というロマンチックな考え方が強い日本のような場所では特にそうだと思いますが。

AC ええ。しかし、それはどこにでもあります。たとえ小さなものでも、あらゆるナショナリズムは歴史を見ればわかるように危険なものです。とはいえ、私は日本社会を批評するために来たわけではないので。私自身の状況やアイデンティティ・クライシスについて話した方がよければそうしますが。もちろん私は最初から「メキシコ人アーティスト」ではなく、「アーティスト」である、と書き続けてきました。ただ私はメキシコ人だというだけで、それは偶然にすぎず、選択したものではありません。


ART iT メタボリズムや微分音音楽について話してきましたが、展覧会のタイトルにおける言葉の重要性について教えてもらえますか。たとえば、「obrera, campesina, estudiantil(労働者、農民、学生)」の場合はどうでしょうか。

AC このタイトルはメキシコシティで起きたデモに使われた古いスローガンから来ています。それは包括的な社会運動で、労働者階級と学生とがいっしょになって、すべての人々に影響するもののために戦いました。

おそらくタイトルを見た人はかなり困惑すると思いますが、そういう風にタイトルをつけるのが好きです。タイトルは私個人の経験の記述にすぎません。日本で制作した「Blind Self-Portrait」シリーズの作品タイトル、「ブラインド・セルフポートレート『ラ・ジョセフィニタ』の曲を聴きながらセルジオ・ゴンザレス・ロドリゲスが自分の涙以外は恐れるなといったことや自分が失ったものや過去には戻れないことを嘆いていたことを思い出し、小洒落たレストランでいい感じの素焼きのグリルで焼いたイカの乾きものを食べた後に、冷酒をちびちびと飲みながら、タイプする前にまるまる覚えたつもりのことを書いているふりをしているけど、実はある建築家たちが壊したいと思っている建物について何度も読んでいる」(2017)のように。それはただ、音楽を聴いたり、何かを食べたり、本を読んだり、誰かと話したりしている瞬間に起きていることの記述でしかないのです。作品の中に実際にあるというわけではありません。見ることはできない。私がタイトルで言っていることを作品から読み取れた人がいたら、それはとても奇妙なことです。展覧会のタイトルも同じです。それは人々がほかのものについて考えるための変化をつくりだす可能性があるもので、必ずしも展覧会の中にあるというわけではありません。


ART iT 歌詞を書くときも似たようなアプローチでしょうか。

AC いえ。より詩作的なアプローチですね。この場合、歌うためのものなので韻に注意を払い、ミュージシャンが使えるように歌詞の拍子や構造を厳密にしました。彼らは昨日新しい歌詞を手にしたばかりで、それから、その歌詞を読みながら演奏し、即興していました。ですから、歌詞の拍子ははっきりとしたものでなければいけません。そのために私は「ウアステコ」が伝統的にどのように書かれていたのかを勉強しなければいけないと、ウアステコの歌の構造や韻律に関する書籍をいくつか読みました。

パリでは「El Sacamandú」という曲を使いました。この曲は本来、去勢された牛について語っているもので、私はこの曲のための新しい歌詞を書きました。しかし、ミュージシャンは演奏するたびに即興で歌詞を歌いました。東京では「El Llorar」、叫びと呼ばれる曲の歌詞を書きました。私が気に入ったのは、ミュージシャンが各節の終わりに「オジェ!(Oye!)」と声をあげるところでしたね。「オジェ」とはスペイン語で「聞く」という意味です。ミュージシャンたちは「オジェ!オジェ!」と歌い続ける。この歌は絶えず自分に言及し続けているような構造になっています。このことは私にとって、アニミズムとも繋がっています。


ART iT 呪文みたいですね。

AC まさしく。生意気なやつらですね。演奏を聴いているときに初めて気づいたのですが、彼らは私の歌詞を使ってダジャレをつくったりしています。それが楽しいですね。




Empty Lot (2015), mixed media, dimensions variable. Photo Andrew Dunkley, © TATE 2015, courtesy Abraham Cruzvillegas and Kurimanzutto, Mexico City.


ART iT あなたの作品はさまざまなエージェンシーが一時的に集まったり、分かれたりするためのプラットフォームを提供していると考えられないでしょうか。

AC はい。とはいえ、もう一度言いますが、計画しているわけではありません。混沌とか、予期せぬものが生まれるような衝突を企画しているというか。もちろん、事前に準備しなければいけませんし、どんな感じになるか予想できる箇所もありますが、それでも、まったく予期しなかったものを発見したり、つくりだしたりすることに強い関心を持っています。そうしたことは、私自身を含むさまざまなものや物質の重なり合いにおける不調和や衝突を通じてのみ生まれてくるのです。


ART iT アミタヴ・ゴーシュの長編エッセイ『大いなる錯乱』を読んだことはありますか。ゴーシュは現在の環境危機は、個人を強調する一方、自然の存在を排除した日常を強調してきた近代の芸術における推移によって推し進められた想像力の失敗によるものだと考えています。

AC 読んだことはありませんが、面白そうな本ですね。友人に、歴史家でメキシコの大学で研究者をしているウンベルト・ウルキサという人がいますが、彼は人類が滝をエネルギー源として活用してきた歴史に関心を持っていて、それは人々が思うより遥か昔から行なわれているそうです。過去について学ぶ中で、未来のエネルギー生産に関する洞察力を得るわけです。これはあなたがおっしゃったように、想像力の問題です。私は彼に多くのことを学んでいます。この展覧会にも出ているサンショウウオ、ウーパールーパー(メキシコサンショウウオ)からもたくさんのことを学んでいるところです。展覧会において最も重要なところではありませんが、このサンショウウオは環境破壊の目撃者なのです。サンショウウオを研究していている生物学者に、ルイス・ザンブラーノがいます。サンショウウオはネオテニック(幼形成熟)なので、完全に成熟することはないのですが、彼らには再生能力があり、がんの治療の研究の鍵になるかもしれないと考えられているそうです。ですから、サンショウウオが絶滅に向かってしまうと、数多くの希望が粉々になってしまうかもしれません。ただ単に変なペットというだけではありません。メキシコではペットとして飼うことが禁じられていますが、ここ東京では東急ハンズに売っていて、かなり安い値段で1匹飼うことができました。


ART iT 誰が権利を手にしているのかという最初の問いに戻ってきましたね。動物には権利があるのか。そして、水には権利があるのでしょうか。

AC もちろんです。実は歴史研究によって、アステカ人がテスココ湖の周辺に運河システムを構築した後に、ウーパールーパーの個体数が急増したことがわかっています。アステカ人は「チナンパ」と呼ばれる人工島をつくり、とうもろこしやチリ・ペッパー、豆などを輪作システムで育てていました。ウーパールーパーはもともとテスココ湖に生息していて、アステカ人がこれらの島をつくった後で繁栄していきました。ここには人間とウーパールーパーの間に美しい関係性がありました。しかし、近年、農民はとうもろこしの代わりにレタスを生産するようになり、それによって環境が崩れていき、都市の南部に残る運河にも鯉を放流したことで大惨事になってしまいました。現在、ルイス・ザンブラーノ教授はアステカ時代の生産システムを再生しようとしています。完全に有機栽培で、時間もかかるし費用もかかる農法で、最高級とまでいかない質の生産物に対して、追加のお金を払う人はそんなにたくさんいません。しかし、ザンブラーノはウーパールーパーのためにやっているわけで、有機栽培や健康に良い食べ物を育てるためにやっているわけではありません。彼のような人にしかできない戦略ですね。遺伝医学研究の実験室で、ウーパールーパーを生殖させることは可能ですが、しかし、そのような個体は運河に放流することができません。それによって種の遺伝的多様性を減少させてしまうかもしれないので。ここにも数多くの矛盾が存在しています。さらに言うと、これはメキシコだけの問題ではありません。それをはるかに超えた問題です。ウーパールーパーを見ても、あんまり素敵な動物ではないし、非常に退屈です。ただじっとしているだけで、笑わないし、何にもしない。興味深いのは、アジアで一般的に売られているのはアルビノのウーパールーパーで、メキシコではかなり珍しい。誰かがマーケットのために繁殖しているに違いありません。


(協力:銀座メゾンエルメス フォーラム)








アブラハム・クルズヴィエイガス|Abraham Cruzvillegas
1968年メキシコシティ生まれ。メキシコ国立自治大学で教育学を学ぶとともに、ガブリエル・オロスコの主宰する「Taller de los Viernes(金曜のワークショップ)」(1987-1992)に参加。幼少期を過ごしたメキシコシティ郊外のアフスコに暮らす人々のセルフビルドの手法に影響を受け、「Autoconstrucción(自己構築)」という概念に基づいた、場を解釈し、即興的に制作する手法を展開。80年代後半から90年代にかけて、メキシコシティで起こったコンセプチュアル・アートの潮流の中心的な作家のひとりとして知られる。主な個展に『Empty Lot』(テート・モダン、2015)、『Abraham Cruzvillegas: The Autoconstrucción Suites』(ウォーカー・アート・センター、2013;ハウス・デア・クンスト、2014)など。また、ドクメンタ13(2012)や第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2003)など数多くの国際展にも参加。2012年には韓国の第5回ヤンヒョン賞を受賞している。日本国内では、2014年に東京のラットホールギャラリーで個展を開催している。
2017年4月から銀座エルメス フォーラムの個展は、クルズヴィエイガスが2017年にパリ、東京、ロッテルダムの三箇所で開催する一連の個展『水の三部作』の第2章にあたり、建築運動「メタボリズム」を代表する中銀カプセルタワービルや、イサム・ノグチのランプやテーブルなどにインスピレーションを得て、紙や木材といった水との深い関わりの中で生まれる資材を用いたインスタレーションなどを発表した。

「水の三部作2」アブラハム・クルズヴィエイガス展
2017年4月21日(金)- 7月2日(日)
銀座メゾンエルメス フォーラム
http://www.hermes.com
展覧会URL:http://www.maisonhermes.jp/ginza/le-forum/archives/405257/