アンリ・サラ インタビュー (1)


Still from Intervista (1998), color video with sound. © Anri Sala, courtesy the artist and Galerie Chantal Crousel, Paris.

 

アーティキュレーションの妙
インタビュー/アンドリュー・マークル

 

I.

 

ART iT あなたのインタビューの多くは「Intervista (Finding the Words)」(1998)の話で始まっていると思いますが、私にとってこの作品はエンヴェル・ホッジャ政権の影響下のアルバニア(1943年〜85年頃)という特定の歴史的な瞬間を再考しつつ、同時に言語やコミュニケーション方式への殆ど抽象的な関心を露呈させているところが特に印象的でした。つまり、その歴史が映像内の言語を構成し、その言語が歴史を捉えるための映像的構造を成しています。その後に続いた作品は、程度の差こそ様々ですが、特定性と形式の実験を、交互に両極端に振れながら取り扱っているように思えます。このバランスは意識的なものでしょうか?

アンリ・サラ(以下AS)「Intervista」はふたつの方向性があるという点で話を始めるのには格好な作品ではないかと思います。具体的に、私にとって重要なふたつの関心事が交差しています。ひとつは内容で、もうひとつは統語論[syntax]。統語論は一見透明なものなので、私たちは大抵それが当たり前に存在するものと考えていたり、完全に忘れていたりします。意識的に考えてみたときに初めてその透明性の中に強固な構造もあることに気が付くのです。「Intervista」はアルバニアにおいて、イデオロギーの側面のために言語が柔軟性を失い、政治や社会の変化に適応することができなくなってしまった瞬間にまつわる作品です。言語が新たな精神状態に適応せずに単純に崩壊し、崩壊する過程でその構造を明らかにしました。
多くの人は「Intervista」の物語の側面に関心を持ったり感動したりしますが、これは映像の中での統語論の役割を不明瞭にする可能性があります。例えば、作中に私の母が登場するのですが、ファウンドフッテージ[既存の映像]を繋ぎ合わせた映像の中で再現される発言は本当に全て彼女が実際に言ったことかどうかを問う場面があります[訳注:若かりし日の母親のインタビューなどの政治活動の映像を使用。音声はなかったため、調査と読唇術で当てた言葉が字幕として表示される]。当時は言えることと言えないこととの違いは誰もがよく分かっていましたし、その発言を今でもある意味では支持しているので、政治的な内容を否定しようとしているわけではありません。そうではなくて、母はその当時の言語の統語論、話し方そのものが思い出せないのです。その統語論は今はもう当たり前のこととして受け入れることはできないのです。
言語の構造に権力関係が反映される現象は私の作品の中では今でも重要なテーマのひとつです。統語論は、美術における伝統的な表現方法の透明な統語論の中に閉じ込められたくないという願いもあって重要なテーマになりました。「Intervista」の後に続く作品では、内容より統語論の扱いに集中しました。これは他の人の固定的な予測から逃れるひとつの方法でもありました。それ以来、内容と統語論とを様々な割合で組み合わせてきました。
私の作品のうち、具体的に言語を扱っているものは4つあると思います。まず「Intervista」、そして「Nocturnes」(1999)[編注:魚愛好家と元兵士という2人の不眠症の世捨人とのインタビューを並置した作品]、「Dammi i colori」(2003)、「Overthinking」(2007)です。「Dammi i colori」では未来が、あるいは政治的な信念を基とした未来のあるべき姿が描写されているのですが、「Intervista」と同様に映像の中で言われていることの現実性は証明できず、言語が超現実的な役割を果たしています。「Overthinking」では霊媒を通してメキシコ人の壁画家ダビッド・シケイロスの霊にインタビューをしていて、単純に会話を撮影しただけで他の作品のような複雑な構造はないという点で非常に率直だと言えますが、ここでもまた言語が本来は手の届かない世界への扉を開く可能性も、騙す可能性も併せ持っています。

 


Still from Lakkat (2004), color video with sound, duration 9 min 44 sec. © Anri Sala, courtesy the artist and Galerie Chantal Crousel, Paris.

 

ART iT 今、例に出されている作品はあくまでも談話というかたちで言語を扱っていますが、意味論の限界というテーマを更に深く掘り下げる作品もあります。例えば「Lakkat」(2004)では明暗に関するウォロフ語[訳注:主にセネガル、ガンビア、モーリタニアに住むウォロフ族の言語]の言葉を子供に教えていますし、「Promises」(2001)では4人のアルバニア人の男性がそれぞれシカゴの伝説的なギャングスター、アル・カポネ(1899–1947)の名言とされる台詞を言います:「Nobody puts a price on my head and lives[俺の首に賞金を懸けて生き延びられた奴はいない]」。

AS  確かに、そうですね。「Promises」では4人目の男性はその文章を口にすることさえままならないという状況で、何かを言うことの不可能性というものに焦点を当てています。また、4人とも英語は母国語ではないので、統語論もまた関わってきます。別の男性が「lives[リヴズ=生きる、生き延びる]」と「leaves[リーヴズ=去る]」とのふたつの似た発音の言葉を掛けてみせるのですが、これは当時、アルバニアを去って他の国で豊かな生活を送ることを望む人が多くいたという社会的な文脈を反映しています。
「Lakkat」は連想によって内容が構成されているという点で統語論に関わっています。作品の中の言葉はひとつずつ紹介されるので直接的ではなく間接的と言えますし、また、それらの言葉は文脈を無視するのではなく、詳細な文脈と共に紹介されます。でも、映像を見ていると、子供たちが教わっている言葉が持つ意味を完全には理解できていないことが段々分かってきます。例えば、映像の最初の方では男の子が言葉を正しく発音することに苦戦していて、ひとつの子音を間違えただけで言葉の意味が完全に変わってしまいます。
映像の撮影自体はプロジェクトのほんの一部でしかなくて、字幕をつけるために音声をあらゆる言語に翻訳する作業が数年間続きました。最終的にはフランス語版のほかに、イギリス英語版とアメリカ英語版を作りました。このときには敢えて、イギリスの文化理論家スチュアート・ホール、アメリカのポストコロニアル理論家ホミ・バーバ、そしてチャド系フランス人の詩人ニムロッドという、プロの翻訳家ではない人たちに協力してもらいました。翻訳における言語間のぎこちなさを強調したかったのです。例えば、ウォロフ語の「toubab」という言葉は、フランス語ではあまりにも人種差別的のな意味合いがあるため殆ど翻訳不可能です[訳注:フランス語の「toubab」にはヨーロッパ人、白人という意味の他にヨーロッパ人の生活スタイルを取り入れたアフリカ人というような意味がある]。イギリス版では「whitey[訳注:白人の侮辱的な俗称]」、アメリカ版では「Great White Hope」と訳しました。そのようなわけで「Lakkat」は、ただ単に言語を翻訳するに止まらず、植民地化への様々な関係性の翻訳のプロジェクトになりました。
面白いことに、アメリカの「Great White Hope」とは、1908年にジャック・ジョンソンがボクシング界初のヘビー級世界チャンピオンになったときに、白人エスタブリッシュメントの、新たな白人のチャンピオンを生み出そうという動きの中から出てきた表現です。そのときに既に引退していたジェームス・ジェフリーズという元チャンピオンがジョンソンに挑むために活動を再開しますが、結局負けました。そうして、最初は人種差別的な企てに結びつけられていた表現が白人の恥という意味を持つようになります。このアンビバレンスがセネガルで「toubab」という言葉の意味が時と共に移り変わっていった様と共通しているので、この翻訳が非常に困難な言葉に対応する表現だとして選びました。私にとっては、この作品に字幕をつける過程は映像を国際的な観客に見せるための通常のプロセスを超えていました。字幕をつけるということが大抵は映像の外面化とすると、「Lakkat」では一種の内面化になったと言えるでしょう。

 


Still from Promises (2001), color video with sound and English subtitles. © Anri Sala, courtesy the artist and Galerie Chantal Crousel, Paris.

 

ART iT 統語論が持つ見せ掛けの透明性の話をされているわけですが、作品の中ではいろんな度合いの不透明性も取り入れている印象を受けます。例えば「Lakkat」では、翻訳家ではなくて詩人や批評家と協力して字幕をつけたということは一般の鑑賞者にとって明らかではありません。「Promises」の場合でも、4人の男性が同一の、これといった特徴のない室内で撮影されているので、「live」と「leave」がポスト共産主義のアルバニアという文脈で決定的な違いを持つことをはっきりと示しているとは言えません。

AS ごもっともです。ひとつ補足すると、当時のアルバニアでは法と秩序が欠落していて非常に治安が悪く、誰もが暴力的であることが許されていたと言えます。脅迫的な存在が常にはっきりと実在していたことを除くと、まるで西部劇のようでした。4人目の男性に一体何が起こったのかというと、彼はその台詞に見られるシネマ風の言語のバーチャル性に屈することを拒んだのです。本当に真剣に取り組んでいました。発音の良し悪しや、本当に危険な男に聞こえるかどうかといった演技力どころの問題ではなくて、彼にとってはその一文を発することが殆ど哲学的な問題となっていました。私は暴力を支持しているのだろうか? 毎日命が危険にさらされているというほどの極端な状況ではありませんでしたが、若い男性として、飲みに行ったり通学したりしていると、暴力との関わり方を決めなければなりませんでした。そしてまだ哲学的な統語論が完全に発達していない段階では、どちらかの方向に傾倒していく可能性があります。ワイルドでタフでより脅迫的になることを夢見ることはありましたが、それと同時に本を読んだり新たな考え方を探ってみたりしていたので、別の選択肢があることも私たちは知っていました。4人目の男性は町に出て暴力のゲームに参加しないことをひとつの哲学的声明と捉えていて、それが映像のバーチャルな世界に持ち越されたのです。つまりこの作品は、こういったアイデンティティと言語との様々な関係性を横断しているのです。

 

ART iT 私は中高生時代を1990年代の当時はアメリカで一番殺人の多い都市と呼ばれていたワシントンD.C.で過ごしていて、似たような経験をしています。男らしくないとされる可能性を気にしつつも知的好奇心を追求したい気持ちと、実際に暴力に関わることは全くなかったわりには人並みにタフであると認識されたいという気持ちとが混在していました。

AS まさにそれですね。アルバニアでは、周りにどのような人がいるかによって決まりました。もちろん、好奇心とタフさとを両立できる人もいましたが。——むしろ、私たちはみんなそれらを両立できるようにならなければなりませんでした。

 

アンリ・サラ インタビュー (2)

 

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アンリ・サラ インタビュー
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