N・S・ハルシャ インタビュー

2017年4月19日
反復の果てに、描きだされた世界へ
インタビュー / アンドリュー・マークル




Punarapi Jananam Punarapi Maranam (again birth - again death) (2013), detail, acrylic on canvas, tarpaulin, 365.8 x 2407.9 cm. All images: Unless otherwise noted, © Mori Art Museum, Tokyo.


ART iT 展覧会を拝見して、あなたの作品における、ある種の緊張関係が印象に残りました。つまり、一方では、人物ひとりひとりが複雑かつ細密に描かれていますが、もう一方では、それらの人物の配置が機械的複製によるパターンの反復すら連想させるような無機質な格子状になっているという点です。それはまるで、意図的に労働集約度の高い制作方法を用いることで、複製技術などテクノロジー主導の経済に疑問を呈するようなものに感じました。


N・S・ハルシャ(以下、NSH) 視覚的な側面について言えば、90年代中頃から現在のようなアプローチがはじまったのではないかと思います。(マハラジャ・サヤジラオ大学の)学生時代は、ジェスチュラル・ペインティングや抽象表現主義、トランスアヴァンギャルディアの視覚言語に強い影響を受けていました。しかし、故郷のマイソールに戻ってから、何かほかのものを見つけたいという衝動に駆られました。反復というアイディアを思いついたのはその頃ですね。偶然性を大事にする「絵画的であること(painterliness)」とは真逆です。私の基礎となるものは反復というアイディアによって築き上げられたと言えるでしょう。

しかし、アンチ・テクノロジーというわけではありません。実際、私は90年代にソフトウェア会社で初期のFlashやPhotoshopを使いながら、グラフィックデザイナーやアートディレクターとして働いていました。終日働いてから、自分のスタジオに向かい、鉛筆を手にとって反復という形式で描いていました。とはいえ、私にとって作品制作は労働ではありません。1枚の絵画に1000人もの人物が描かれているのを見て、多くの人々は「苦心して描きあげた」と思うかもしれませんが、そうでもありません。描くことはとても楽しいですから。


ART iT あなたの作品は実のところ、デジタルテクノロジーとのつながりの上にあるのではないかと考えていました。あなたの絵画における同一性と差異性の反復は、ある種のコード化されたスクリプトとして読めるだろうし、ひとりひとりの人物をピクトグラムや表意文字(イデオグラム)として読むこともできるでしょう。たとえば、「ここに演説をしに来て(Come Give Us a Speech)」(2008)などはそれ自体、描かれた個々の登場人物で構成された長編のテクストや物語として考えられるのではないでしょうか。


NSH 2000年代に入った頃、バンガロールやマイソールのIT業界に勤める友人たちが、私の絵画を見て、「コーディングみたいだな」と似たようなことを口にしていました。彼らは仕事で順列やら組み合わせやらをくまなく見ているので、私の絵画が総合的に社会性をもつコードのように見えたのでしょう。私も同感でした。おそらく、当時、インドではみんなそういったIT的な思考を持っていたのかもしれません。だから、コーディングとデコーディングという感覚は常にありますね。
2009年に制作した絵画「無題(Untitled)」には、散らばった抽象的な筆跡が画面左側に、画面右側にはいくつかにまとめられた線、画面中央には人々の姿が描かれています。この絵を描いているとき、数人の子どもが周りにいたので、どちら側がコーディングでどちらがデコーディングか、そして、どちらが秩序でどちらが無秩序を表していると思うかを訊いていました。大半は自然の秩序から人間が無秩序をつくりだすと考えていたので、左側を秩序、右側を無秩序だと答えましたが、自然の混沌(カオス)から人間が秩序を生み出すと、正反対のことを答える子もいました。興味深い解釈ですよね。配列されたイメージが次から次へとやってくるので、どんな絵画にもコードの要素が内包されています。それも自動的に。もはや、そんなことすら考えなくなりましたが。




Come Give Us a Speech (2008), detail, acrylic on canvas, six panels, each 182.9 x 182.9 cm.


ART iT 「私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る(We Come, We Eat, We Sleep)」(1999-2001)では、まるで食べることや眠るこという具体的な行為のあらゆる配列を調べ上げようとしているかのようですね。

NSH それは初期作品「1,000の手と空(1000 Hands Void Space)」(1995)にも共通しています。ここでは、無数の手がそれぞれいろんなものを異なる方法で握っている。あらゆる配列を描き出せたとは思いませんが、少なくともそういう可能性はあるでしょう。自分の手で石を握ってそれを描き続けました。これらあらゆる可能性の中にリズムを見出そうとするのを、自然が助けてくれるということがなかなか面白い。何頭もの牛を並べて描いたときでさえ、人間の身体がどのように牛と調和していくのかを考え続けていました。人間の身体は牛との関係においてある種の動きを有しているわけですからね。というわけで、私は乳しぼりや牛を連れて歩くときの人間の身体の動きを観察しに出かけるのです。また一方で、私は地べたに座りながら望遠鏡を覗く人々といった、実際には見たことのない身体の状態を描くことにも挑戦しています。普通は誰もこんなことをしませんが、私の「宇宙情報処理センターでの名優(Showstoppers at Cosmic Data Processing Center)」(2015)では、女性たちが皆、地べたに座ったり、しゃがみこんだりしながら望遠鏡を覗いている。ナンセンスですよね。しかし、このようにテクノロジーを扱う人々もいるのです。人間とテクノロジーとの関係で言えば、私にとってこれが既に重要な対比や並列になっていますね。


ART iT ある意味、アンチ−コンセプチュアルみたいですね。たとえば、眠りという概念(コンセプト)を表現するためなら、眠っている人物をひとりだけ描くということもありうるわけですが、逆にあなたが眠る人々のさまざまな姿を並べて描き続けることで、眠りという行為の定義を拡張していくわけです。ほかにも、歩く象のあらゆる配列を描いていけば、象という概念が複雑化するかもしれません。


NSH コンセプチュアル・アートに対する敬意はありますが、私にとって、絵画こそがすべての核にあります。アルテ・ポーヴェラがとても好きで、調べたり、展覧会に足を運んだりしますが、その後には絵筆を準備して、絵画に取り組む。それが私のやり方で、ほかの方法ではできません。おそらく、自分の絵画を通じてコンセプチュアル・アートやアルテ・ポーヴェラのアーティストについて思考し、そこから何が学べるのかを考えているのだと思います。もし仔細に見るならば、「ここに演説をしに来て」も、最終的には自己解体するのだから、コンセプチュアルな絵画になりうるでしょう。この作品はあらゆる細部を提示する一方で、全体的には何も提示していない。私のほとんどの絵画はそのような性質を帯びています。集中して描きあげて、放っておく。すると、その絵画は崩壊していきます。「溶けていくウィット(Melting Wit)」(2006)や近作の多くも同様ですね。観客をどこにも連れて行かないという傾向。あるいは、どこかへと連れて行き、そして、放っておく。






Above: 1000 Hands Void Space (1995), watercolor, gold paint on hand-made paper, 125 x 123 cm. Below: Running Around the Nectar of Time (1999), acrylic, gold leaf, varnish on silk 189.2 x 345.4 cm. Collection Dinesh and Minal Vizirani.


ART iT その点において、「時間の蜜のまわりを走って(Running Around the Nectar of Time)」(1999)はどうでしょうか。世界の歴史の偉大な思想家のネットワークか集合体といったものが描かれていますが、この絵画は表現方法がどのように発達してきたのかという考古学そのもののようにも見えます。たとえば、アレクサンドロス大王は大理石の胸像、カール・マルクスはエッチング、ほかの人物も細密画や写真のように描かれていますね。


NSH この作品は知識の地図のようなものです。ある知識体系をマッピングするにあたり、それがどのように広がっているのかについて考えますよね。以前、私は世界各地のあらゆる種類の書物を所蔵しているマイソールの中央図書館で多くの時間を費やしていました。何時間でも過ごせましたね。おっしゃる通り、私はそれぞれの肖像にエッチングや水彩画、写真、細密画といったさまざまな手法を反映させました。人々がどのように個人というものを構築しているのか、ということに強く興味を惹かれます。肖像を形成するための道具は高度に形式化されているので、それぞれの人物を描いているのは私自身ですが、もともとどのように描かれていたのかに倣っているところがあります。

また、私は知識の地理的位置とその知識体系にも関心がありました。これはインターネットが広がりはじめたばかりの、未だ根強い書物文化が残っていた98年か99年のことですが、マイソールに現代美術関連の新しい書籍が届くたびに50人ほどが貸し出しを待っていました。とても素敵で、これが作品制作の背景にあります。まるで知識の象徴としての書物に対する告別のようだったので、私は子どもたちに作品の中央に描かれた書物の周りを走りまわるように頼んだのです。足跡でできた赤い部分や白い花がそれですね。中央に描いた書物の部分を小さな板で覆っていたので、子どもたちは自分が何のまわりを走っているのか知らないままでした。3周ごとにチョコレートをひとつもらえると、子どもたちは皆ぐるぐるとまわって楽しんでいました。それ後に、私は小さな板の覆いをはずして、書物の部分を子どもたちに見せたのですが、無垢な存在が時間の蜜のまわりを走りまわるというアイディアを通じて絵画を制作するという面白い体験でした。作品タイトルもここから来ています。

このように、各作品にはそれぞれコンセプチュアルなアプローチがあります。ですが、この展覧会で最も大きな作品「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ(Punarapi Jananam Punarapi Maranam [again birth - again death])」(2013)も突き詰めて言ってしまえば、ただのいたずら書きです。いたずら書きがこの作品全体の趣旨。あの絵画において大きさは何ら重要ではありません。巨大な絵画ですが、偶然あの大きさになっただけです。とはいえ、そうでなければただのいたずら書きでしょうね。私自身にとって、あれは宇宙のいたずら書きのようなもの。なんとなくコンセプチュアルなアプローチがありそうに感じるかもしれませんが、そんなことはまったくありません。


ART iT 「時間の蜜のまわりを走って」と「1,000の手と空」の両作品の制作過程について、まず各要素を断片的に紙に描いて、それから全体を組み立てていったように見えますね。


NSH それが実質的な解決策で、詩的な意義はありません。当時、私にはスタジオがありませんでした。仕事中にずっと絵筆をポケットに入れておくのが恥ずかしくて、絵筆を半分に折って、自分で用意した数枚の紙切れといっしょにシャツのポケットに忍ばせていました。折を見てドローイングをそこに描き、ポケットに戻し、描いたドローイングを友人の家で繋ぎあわせる。そうやって仕上げていました。

「1,000の手と空」は、ヒンドゥー教の神を祝うガネーシュ・フェスティバルのためにつくられる、ガネーシュの粘土製の人形に着想を得ました。それぞれの人形の手には4つか5つほどの具体的なしぐさがあります。ある陶芸工房のそばを通りかかると、ちょうど人形を天日干ししているところで、大量の手のパーツが干してある間を歩きながら、未だ空間に現れるに至っていない力や、その配列のモデルに刺激を受けました。当時はそうした形式的な要素にかなり関心を持っていましたね。


ART iT 現在の制作においても、そのように持ち運び可能なパーツを組み合わせたり、再構成したりする感覚はありますか。


NSH 正直なところ、実制作において私はそれほど実験的なタイプではありません。絵具やイメージに関して賭けに出ることもありますが、その程度です。初期にはコラージュもやりましたし、大学ではキャンバスに絵の具を飛ばしたり、その上に別のキャンバスをくっつけたり、ちぎったものを再度貼り付けるなど、いろいろとやっていましたが、それは自分が目指しているものとはまったく違う領域だと感じました。作品にもう一本の線を加えるだけで、それでもう私は十分でした。


ART iT 過去のインタビューで、あなたは自分の実践(描くこと)と書くことを比べていましたね。


NSH ええ。おそらくそれは先のコーディングとデコーディングに関する質問と似たような状況から生じてきました。私が通っていたマイソールの美大からほど近いところにひとつの村があったのですが、村人たちはそこを訪れた私たち美術学生のことを「書く」人と呼んでいました。彼らは決して「描く」という言葉を使いません。これは面白い表現で、私たちはこのことについて真剣に議論しました。彼らにとって私たちがすることの手がかりは紙とペンだけ。そして、紙とペンを使うことといえば、それはすべて「書く」ということ。しかし、私も日常的な行為の感覚で「書く」とも言っていました。絵画制作に没頭しているときは、ほとんど何も考えずに前の日に中断したところからはじめるという形で、15日間連続で描き続けたりしますが、これはもうほとんど「書く」ことと変わりません。反復的にずっと続ける。そうして、私は一旦腰掛けて絵画を眺めてから、もう一度描きはじめるわけです。






Above: Installation view of “NS Harsha: Charming Journey” at the Mori Art Museum, Tokyo, 2017. Photo Shiigi Shizune, courtesy Mori Art Museum, Tokyo. Below: They Will Manage My Hunger (from the “Charming Nation” series) (2006), acrylic on canvas, 97 x 97 cm. Collection Bodhi Art Limited, New Delhi.


ART iT あなたの作品における空間と時間についてはどう考えていますか。遠近法を使っているわけではありませんが、人物やそのほか具象的な要素を反復することで、そこに空間的な関係性が生まれますよね。また、それはあらゆるものが同じ場所を占有する同時性と、描かれたそれぞれの要素がアニメーションのコマのようになっているという連続性との間に、興味深い曖昧さを生み出しています。


NSH 時間は相対的な要素だと考えています。たとえば、東京バージョンの「返される眼差し(Reversed Gaze)」(2008/2017)で、ここの壁画に記された「「今」とはいつだろう」という言葉。ここで「今」とは今日1日を指すのか、それとも数世紀を指すのか。時間それ自体は存在を持たない。私にとって、時間は決して終わることなくループしているものです。より興味深いことに、以前、人物を大きく描くことから小さく描くことへと移行したとき、私は身体と絵画の間に深い結びつきがあることを確信しました。私の絵画の前では、誰もが動きながら作品を鑑賞し、一箇所に留まるということはありません。近づいたり離れたり、見上げたり見下ろしたり。さもなくば何かを見逃してしまうのではないかと感じているのではないでしょうか。私は画家として、この動きが好きなのです。鑑賞が共有された活動となるよう、キャンバスのあらゆるところまで隈なく描きたいと考えていました。空間はそうした関係のもとにあるものだと考えています。


ART iT 今回の展示で唯一遠近法の要素を組み入れている「チャーミングな国家(Charming Nation)」(2006)というシリーズでは、その寓意的な「部屋」という空間の奥行きを使って、前景で起きていることと後景に「投影」されたものの間に並行世界のような感覚を導き出していますね。


NSH 「チャーミングな国家」シリーズは、私にとって、「思考の宮殿」のようなもので、各作品がそれぞれ宮殿の中にある部屋になっています。どんな場面を描くか決める前に、まず13の部屋すべてを描きました。まずはふたつの壁とその奥行きからなる舞台のような空っぽの部屋。論争的な部屋とか、道徳の部屋、どんな名前でもいいのですが、そして、その部屋に入っていくと挑まれるという感じです。ときには後景を描いてからそのまま二ヶ月ほど、前景に描くものを決めないまま放っておいたり、前景を描いてから後景に何を描くか待ったりするようなこともありました。それぞれ違う時期に異なる方法で描きましたが、前景と後景の関係で遊んでみることに関しては極めて意図的にやっていました。ある絵画ではドアのないバルコニーに閉じ込められた女王が楽しそうに手を振っているのですが、この作品は気に入っていますね。そこにあらゆる可能性が残された空間が描かれている。

このシリーズは同時に、私にとって大地の部屋、つまり、大地の物語でもありました。すべてが土色。あの頃は農民運動が続く激動の時代でした。しかし、それから作品は徐々により絵画に関するもの、絵画の旅へと向かっていきました。


ART iT あなたの作品にはよくデュシャンに関するものが描かれていますが、あなたとデュシャンにはどのようなつながりがあるのでしょうか。


NSH デュシャンはいつもポケットに忍ばせています。彼は本当に素晴らしいアーティストです。画家は皆、彼のための場所をポケットに空けておくべきでしょう。絵画の中に何らかの形で彼を留めておくことは重要だし、さもなければ何の意味もない。なぜなら彼は世界に偉大な問いを投げかけたのですから。そこから自らアイディアを出していっているのか、または美が何なのかということを探求しているにすぎないのかわかるようになってくる。そうすれば、絵画は意味のあるものになるし、絵画の死とかそういうすべてを騒ぎ立てるものに打ち勝つことができるでしょう。もちろん、私たちはいかなる新しいテクノロジーでも手にすることができますが、そこにはある種のリズムや人間らしさがあるべきです。真のアートはそこから生まれてくるのだから。

東京バージョンの「返される眼差し」で、のこぎりのところに「R.Mutt」とサインできたのは私にとってすばらしいことでした。ロンドンバージョンでは、キャンバスのところに「R.Mutt」とサインしていますが、日本ではそこには「Jakuchu(伊藤若冲)」とサインすべきだと感じて、「R. Mutt」とサインすべき別の場所を探したあげく、のこぎりのところがぴったりだと思ったのです。今はそののこぎりの彫刻をつくりたいと考えていますね。17世紀のアーティストだろうが15世紀のアーティストだろうが、私は常にあらゆる側面からアートについて考えています。バサヴァというインドの12世紀の思想家は、「神は石に宿る」がその石が神を創造するわけではないと、まるでデュシャンのような言い回しで社会全体を挑発しました。デュシャンと似たようなアイディアですが、バサヴァの場合は宗教的な文脈であるがゆえに異なる意味が含まれます。私にとって、このふたりは同種の存在ですね。まるで、バサヴァがあの時代に生まれたデュシャンの従兄弟であるかのように。言ってしまえば、ただの提案に過ぎませんが、何百年も続く提案なのです。


ART iT あなたは作品にさまざまな絵画や芸術の様式を等しく取り入れています。まさに若冲の名前も出ましたが、初期作品を見てウィリアム・ブレイクを思い出しましたし、たくさんの人物がひとつの平面に描かれる様は、チベット絵画のタンカ(曼荼羅)と比べることもできますよね。こうしたさまざまな様式との関係性をどのように考えていますか。


NSH すべて、ごく自然に作品の中に入ってきました。私はどんな絵画も本当に好きで、未だにジョットを参照したりしますし、若冲は私にとって重大な発見になりました。若冲については今も勉強中です。東洋と西洋という観点では何の戦略もありません。私の作品はインドの細密画の文脈で語られることがよくありますが、実のところ直接的な関係ありません。私が唯一関心を持っているのはパノラマです。人生というパノラマの景色。(森美術館の)この窓からビル群を眺めて、そこに住むあらゆる家族やその営みを想像しはじめる。そこへの興味、つまり、人間への興味ですね。絵画は私に思考の自由をもたらしてくれます。実はこれまでで最も好きな画家がモランディで、彼のものを視る能力、そう、ただ、ものを見ること。ただそれだけ。しかし、それが画家にとって本当に難しい。若冲の集中力の強度にも似たようなところがあります。彼は何事にも気を煩わされていない。あらゆる時代のあらゆる絵画に見出すことのできる、ある種の無時間的な質、それが私を最も惹きつけるものです。私はあらゆる画家の親友になりたいと思っています。質の高い絵画の展覧会を観ることができるなら、どこへでも出かけていくでしょう。






Above: Come Give Us a Speech (2008), detail. Below: Installation view of Punarapi Jananam Punarapi Maranam (again birth - again death) (2013) at the Mori Art Museum, Tokyo, 2017. Photo Shiigi Shizune, courtesy Mori Art Museum, Tokyo.


ART iT 先ほど、「時間の蜜のまわりを走って」における子どもの存在について触れてもらいましたが、ほかにも表面に足跡が残された作品がありますよね。あなたにとって、キャンバスの上を歩くという行為にはどのような意味があるのでしょうか。


NSH 絵画の制作中に、絵画もまた私を制作しているという感覚が私には常にあります。相互的な身体性という感覚。初めて足跡を残したときに「これは素晴らしい!」としっくりきたのです。通常、私たちは紙の上を歩くべきではないとされています。紙は知識であり、知識は敬われるべきものです。しかし、学生時代にどうしても紙に乗らねばならないという状況がありました。自分が絵画への敬虔な態度を裏切るなんて気が狂っていましたね。そこで、自分の足跡を別の文脈に凍結してしまおうと考えたのがきっかけでした。

現在では、絵画の上を歩くのは大好きですね。制作の最初の方で歩くこともあるし、最後の方で歩くこともあります。そういった身体を使う絵画は何千年もの長い歴史を持つ美しい方法です。人間は常に手や足の痕跡を残さずにはいられない、それは一貫しています。それが今日どのように解釈されているのかは興味深いことです。問題は絵画の上をただ歩くことはできないということ。素材を準備したり、次に踏み出す場所について戦略を練ったりしなければなりません。私はこうしたあらゆる準備が本当に好きです。たった2歩のために半日費やすこともあるでしょう。ギャラリーでパフォーマンスとしてやれば、非常にコンセプチュアルなものになるかもしれませんが、それに抗うこと、そして、スタジオで制作する画家でいることが私には大切なのです。もしも人類を1、2歩進歩するのに1世紀かかるとしたら、私が絵画の上を1、2歩進むのに半日かかってもおかしくないと自分自身に言い聞かせ続けています。それは絵画というものに携わるための美しいやり方なのだと。


(協力:森美術館)




N・S・ハルシャ|N.S. Harsha
1969年カルナータカ州マイスール生まれ。現在も同地を拠点に活動している。マイスールの美術学校を経て、インド西部のヴァドーダラーのマハラジャ・サヤジラオ(MS)大学にて修士号を取得。南インドの伝統文化や自然環境、人間と動植物との関係など自らを取り巻く生を反映した作品を、絵画を中心とした多様な形式で発表している。これまでに、コーチ=ムジリス・ビエンナーレ(2014)やモスクワ・ビエンナーレ(2013)、サンパウロ・ビエンナーレ(2010)などに参加。日本国内では、メゾン・エルメスで個展『レフトオーバーズ』(2008)や『チャロー!インディア:インド美術の新時代』(森美術館、2008)、ヨコハマトリエンナーレ2011、堂島リバービエンナーレ(2013)で作品を発表している。そのほか、2008年には社会の現実や人間の条件に向き合う制作活動に取り組む優れたアーティストを表彰するアルテス・ムンディ賞を受賞。
2017年、森美術館で20年以上にわたる実践を振り返る大規模な個展『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』を開催。ひとつの作品に人物や動物などのモチーフを多数並列して描くスタイルを確立する契機となった作品「私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る」(1999-2001)や、自身の故郷であり現在の活動拠点でもあるマイスールを舞台に、90年代初頭の市場開放による社会的な変化や世界経済が与える影響を示唆するさまざまな物語が展開する初期の代表作「チャーミングな国家」シリーズなど、95年以降の主要作品約70点(新作を含む)を発表した。

『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』
2017年2月4日(土)-6月11日(日)
森美術館
http://www.mori.art.museum/