ジャン=ユベール・マルタン インタビュー

変化の測定器
インタビュー / アンドリュー・マークル


Ilya and Emilia Kabakov, Study for La Porte, sketch for Monumenta 2014, “L’étrange cité.” All images: © Ilya and Emilia Kabakov / ADAGP, Paris 2014.

ART iT 『大地の魔術師たち[Magiciens de la Terre]』*1が開催された1989年から約25年が経ち、この世界はずいぶんと変わりました。四半世紀後の現在からあの展覧会を振り返ってみて、なにか思うところはありますか。

JHM たしかにこの世界は変わりました。あの展覧会もその変化に一役買ったのではないでしょうか。あの年、展覧会のオープニングとちょうど同じ日に天安門事件が起こり、招待していた中国人アーティストたちにとって、極めて重大な分岐点になりました。そのうちのひとりは難民としてパリに留まることを選択しています。また、同年11月にはベルリンの壁が崩壊しました。
とはいえ、あの展覧会について誤解されている側面を指摘したいと思います。あの展覧会の参加アーティストは非常に公平かつ広範囲にわたる領域から選ばれています。実際、いわゆる民族工芸家も数多く含まれていますが、これこそ誤解されてきたことなのです。なにがアートで、なにが工芸かを決めるのは誰か。これは当然、西洋の専門家になります。アートとアートではないもの、主流とされるものとそうではないもの、マーケットに入るものと入らないもの、これらを決めるのは誰なのか。『大地の魔術師たち』の背後にあった狙いは、まさにこのような問いを提起することにありました。そして、通常、私たちが人類学や民俗学といった専門分野に分類しているものの中には、未だに理解すべきもの、見出すべきものがたくさん残されているのではないでしょうか。
私にはそれらの違いなどなく、そこには人間の営みがあり、それが視覚表現を生み出し、あらゆる視覚表現には見るべき価値が備わっている。例えば、現代美術の世界から完璧に無視されている創造性に富んだ表現の広大な領域、つまり、宗教的な視覚表現。なぜ、私たちは不可知論的なもののみを現代美術に認めるのだろうか。なぜ、あらゆる宗教的なものを過去のものとして、完全に除外してしまうのか。文化の接触に触発された革新的な物事に目を向けるべきです。宗教的な表現は常に全面的に伝統的で、古い規範やシステムを維持しているという固定観念がありますが、宗教的な視覚表現にはとてつもない変化が起こりつつあり、その展開は魅力的なものです。これは、今日、人間がいかにグローバリゼーションに対処するかということにも大いに関係があることです。この議論の非常に重要であるこうした部分は未だにきちんと理解されていません。いわゆる国際的な現代美術の領域、それを問い続けなければいけません。

ART iT おそらく、まず、第43回ヴェネツィア・ビエンナーレのアペルト88や『大地の魔術師たち』がひとつの指標を示し、それから、ふたつのドクメンタ、カトリーヌ・ダヴィッドがディレクターを務めた1997年とオクウィ・エンヴェゾーの2002年のドクメンタが、さらなる国際的な視野へと現代美術を開くもうひとつの指標を示したと言えるでしょう。しかし、この展開が現代美術におけるヘゲモニーを強化したのではないかと思うのですが。

JHM あなたが挙げたふたつのドクメンタは、先程私の提起した観点には触れておらず、いわゆる主流の国際現代美術展ではないかと思います。私が試みたのは、それ以前にキュレーターが存在しなかった国々を訪れ、優れた作品が約束できるだけの強烈な個性を備えたアーティストがいるかどうかを調べるという、いわば、同僚であるキュレーター達が取り組んでこなかったある意味で本物のリサーチです。
私たちが地理的に拡張したことで、最近では、キュレーターが展覧会の企画書を完成させる前に、その中に何人のアジア、アフリカ、オセアニアのアーティストが入っているのかを数えなければならなくなりました。しかし、こうした状況によって、西洋が作り出したシステムの中で活動する新しい世代のアーティストが生まれています。当然、この状況は中国などにも当てはまり、誰もがそれを歓迎していますが、これもまた西洋が作り上げたシステムの内側で起こっていることです。このシステムは現代美術の定義を問うことはありません。これこそ、私が批判し、少なくとも、疑問を呈したものなのです。


Ilya and Emilia Kabakov, Study for Le Musée vide, aquarelle for Monumenta 2014.

ART iT そのような現代美術の規範とされる大きな物語の外に位置する複数のオルタナティブなモダニズムを取り戻そうという試みについて、どのように考えていますか。これらは効果的に大きな物語を揺るがしうるのでしょうか。それとも、大きな物語を補完するものになってしまうのでしょうか。

JHM 効果的に機能すると思いますね。現在、ポンピドゥー・センターでは、歴史的研究を通じて、西洋社会を覆うモダニズムのヘゲモニー、そして、それがいかに非西洋社会へと適用されてきたのかを批評する『Modernités Plurielles de 1905 à 1970』*2という展覧会を開催しています。これはポストモダニズムの正常なプロセスの一部だと言えるでしょうね。私たちには20世紀に起きた出来事や、モダニズムという概念が世界中へと拡散したことについて歴史的に理解する必要があります。モダニズムという概念の拡散は興味深い結果を引き起こしています。ここでも再び、通常は民俗学に分類されるであろう興味深いローカルな状況が見受けられます。例えば、アーティストが自国へとこの概念を持ち帰った日本や中国などでは、その地域の大衆芸術や工芸などが展示、紹介され、それらが西洋へと流通していく。そうした三角形が作り上げられています。

ART iT 『大地の魔術師たち』が現代美術という概念や、現代美術における大きな物語の相対化を試みたのは明らかですが、近年、そのようなヴィジョンを引き継ぐ展覧会にはどのようなものがありましたか。例えば、マッシミリアーノ・ジオーニの今年のヴェネツィア・ビエンナーレの企画展*3はどうですか。この展覧会にはかなりの数のアウトサイダーやアール・ブリュットと思われるアーティストが含まれていましたね。

JHM 興味深いですね。彼の企画展は多かれ少なかれ西洋の領域に納まっていますが、少なくとも、現代美術の主流から完全に外れた独学のアーティストがいました。私にとって、この企画展は切断、それ以前から続いていたものとの切断に当たります。『大地の魔術師たち』を企画したときに懸念していたのは、いわゆる「アール・ブリュット」と呼ばれるアーティストのことで、それは当時、この単語が精神病棟や矯正施設にいる人々や、周縁に追いやられ、疎外された人々と強く結びついていました。鑑賞者が誤解して、そうした人々と、社会に同化し、コミュニティからも尊敬されているけれども、現代美術の主流からは外れているアーティストを関係付けてしまうのではないかと心配していました。
今日ではこの専門用語の意味も変わってきており、英語の「アウトサイダー・アート」の概念はより開放的です。個人的には独学のアーティストについて語るのが好きなのですが。とはいえ、ジオーニは正しい方向へと進んでいると思いますし、それは至極全うなことでしょう。

ART iT 西洋を拠点とする人々がより広い表現の範囲を包含するためにアートを開いていき、西洋以外の多くの状況では、まず第一にアーティスト、キュレーター、批評家は現代美術への幅広い受容や支持の確立に苦心しているという見方があり得るのではないでしょうか。西洋を拠点とする人々は、モダニズムにおける中心/周縁という関係性によって維持される特権的な立場を楽しんでいるとは言えませんか。

JHM おっしゃった通りですし、それこそが抗うべきものなのです。西洋以外の数多くの文化が、西洋からのアートという概念を受け継いでいますが、これを止めなければなりません。日本の状況は興味深いです。昨日、清水敏男さんがおっしゃっていましたが、日本には今挙げたような問題が多かれ少なかれ、過去から話題にされており、現在、それが世界レベルで再生されるのなら面白いと思います。私が初めて日本を訪れたのは『大地の魔術師たち』を準備のときで、日本のアートの定義を友人や同僚に訊ねると、全く予期していなかった返事で困惑してしまいました。重ねて質問することで、日本では数多くのイデオロギー上の問題がアートの定義に強く影響しているのだと理解しました。

ART iT あなたが1992年にワタリウム美術館で企画した『RESISTANCE レジスタンス』*4のカタログにホァン・ヨン・ピン[黄永砯]とのインタビューが収録されていますが、そこでは、アート・マーケットによる価値付けのシステムを断ち切る可能性が話し合われています。しかし、あなたは過去には、アートが国際的に流通するためにコレクターは不可欠だと述べてもいます。それでは、今日のマーケットの役割はどのように見ているのでしょうか。

JHM 過去と比較して、現在のマーケットの影響力が特別に強いとは思いません。1950年代の新聞を読んだのなら、そこにまったく同じようなことが書かれた記事があるはずです。仮に当時の作品価格更新の記事を選んで、名前と価格を入れ替えると、そのまま現在の記事になるのではないでしょうか。ジェフ・クーンズやデミアン・ハーストのような大物アーティストに対する不満を口にする人々がいますが、19世紀後半にもメッソニエのように高額な作品価格を誇るアーティストがいました。なにも変わっていませんよ。
事実としてマーケットは存在し、逃れられません。興味深いことに、モダニズムの枠組みにいる限り、美術館とマーケットが密接に結びつくという難しい状況は避けられません。美術館はマーケットや流行りなどから独立した価値付けのシステムを構築する役割を常に主張しており、過去にも利害対立は生まれ、現在もそれは続いています。
2004年から07年にかけて、デヴィッド・エリオットと共同で企画した『アフリカ・リミックス[Africa Remix]』*5では、マーケットの主流に登録されていない大陸についての展覧会を実施することに決めました。そこでは、マーケットの支持を得ないまま、人々の高い関心を集める展覧会を企画できました。また、巡回先の各都市ではたくさんの観客が来場しました。このように、マーケットが直接的に関与していない場所でも、美術館がたくさんの人々の興味をそそる展覧会を企画することは可能だと考えています。


Ilya and Emilia Kabakov, Study for La Cupole, sketch for Monumenta 2014.

ART iT その一方で、日本の公立美術館は民営化にさらされて、各館で収益をあげねばならず、私的パトロネージシステムがありません。ヨーロッパでも公的資金が削られていますよね。

JHM その通りです。ますます民間資金でどうにかしなければならなくなっています。公的資金と民間資金の割合が半々というのが理想的な状況ですね。そういう状況をデュッセルドルフのクンストパラスト美術館でも目指しましたし、パレ・ド・トーキョーでも目指しています。ですが、それは非常に困難です。より自由が与えられるので、私たちは公的なシステムの方がよいと考えていますし、公的なシステムは批判されるのに慣れていますが、民間のシステムはそうではありません。産業や環境、社会に関わる微妙な部分に触れると、民間スポンサーは直ちに支援を取りやめてしまう。こうした状況が変わるかもしれませんが、それは知る由もありません。

ART iT 『RESISTANCE レジスタンス』の話に戻りますが、ホァン・ヨン・ピンは、アーティストに干渉や交渉されることなく、コレクターが作品価格を決めるというアイディアについて書いています。しかし、この計画がなんらかの重要性を得るためには、制作を中止しなければならないと結論づけています。展覧会タイトルは「レジスタンス」でしたが、これは単純にマーケットのみならず、循環する経済において、主流に対するレジスタンスが起こるべきだと考えていたのでしょうか。

JHM ホァン・ヨン・ピンとはそのことについて何度か話し合ったのですが、それは極めて興味深いものとなりました。彼にはそのアイディアが実現するとは思えないと告げました。当然、コレクターは彼のアイディアに付き合い、象徴的な意味としての1円、もしくは1フラン、1ユーロを支払うでしょう。ところが、その後、私は人生で初めてこのアイディアに対する解決策を見つけたアーティスト、ハリール・エル・ガリブにモロッコで出会いました。モロッコでは昔から知られた、非常に面白いアーティストで、ハラルド・ゼーマンやその他のキュレーター達にも知られていますが、彼は作品を売りません。彼の場合、ホァンが提案した問題を反転させ、コレクターにオファーさせるのではなく、彼自身が作品を理解できる人物を判断し、その人に作品を無料であげてしまうのです。もちろんそこには一銭も関与していないので、彼は別の方法で生活費を稼がねばなりませんが。彼は教師として働き、現在は年金をもらっています。非常に謙虚な人ですね。そして、これは非常に興味深い解決策でした。
とはいえ、アーティストはそれぞれ自分自身の方法を見つけなければいけません。デュシャンを見てください。彼はマーケットに反対でしたが、作品を売っていますね。彼は常に自分の作品の行方を追っていて、ある作品が売却されるときには友人にその作品を購入させています。これにはウォルター・アレンズバーグが関わっていますね。そう、単純にマーケットに対してのみならず、検閲や社会的タブーに対して、アーティストがどのような方法を展開していくのかに興味があるのです。例えば、性的なもの。性的なテーマを扱う最も興味深いアーティスト達は、事実上、ポルノでしかない巨大な作品をつくる人々とは異なります。性的なものを直接見せるのではなく、それを扱うためのエロティックな戦略を持つアーティストは興味深く、結果的に素晴らしい作品を作り上げます。

ART iT 流通におけるひとつの形がマーケットであり、展覧会はまた別の形である。だとすれば、何がオルタナティブなのでしょうか。

JHM かなりの数のアーティストが、レジデンスや助成金、大学の講義によって、大金を掴むわけではありませんが、なんとか生き残っていけるようになり、これは現在の重要なオルタナティブのひとつです。あらゆる可能性を提供するアカデミックの体制が世界中に存在し、このネットワーク内でアーティストとして名声を得ることができれば、知的な制作に取り組むことができ、マーケットのための作品を制作する必要はなく、エフェメラルな作品やパフォーマンスを制作していくことができます。これは新しいことです。60年代、私たちはマーケットから逃れなければならないと、ある種、マルクス主義的に考えていましたが、実際、このオルタナティブな方法は資本主義によってつくられたのです。今では、美術館以外にも、アートセンターや大学などの、アーティストの可能性を創り出してくれる本当にたくさんの美術機関が存在しています。
だからこそ、現在ポンピドゥーとパレ・ド・トーキョーでそれぞれ個展を行なうピエール・ユイグやフィリップ・パレーノのようなフランス人アーティストが、あのような強度で制作できるのです。何年もの間、彼らは研究所、それも非常に実験的な研究所で活動していたようなもので、彼が向かう先を正確に理解していた人などいませんでした。彼ら自身のやり方でアートのための新しい方法をつくりだすには時間が必要だったのです。


Ilya and Emilia Kabakov Left: Study for Manas, sketch for Monumenta 2014. Right: Comment rencontrer un ange?, sketch for Monumenta 2014

ART iT 来年のパリのモニュメンタ2014では、グラン・パレのイリヤ&エミリア・カバコフのプロジェクト*6を企画しているところだと思いますが、どんなことを期待していますか。

JHM 個人的にカバコフのようなアーティストと再び仕事ができるのは最高に幸せです。80年代に彼の西洋では初となる個展を企画していますが、当時は彼の現在の成功など想像できませんでした。モニュメンタのプロジェクトは非常に期待していて、89年の鉄のカーテンの終焉を含むさまざまな異なる状況下を生き延び、現在もまた、アートにおけるモダニズムのイデオロギーから距離をとる80歳のアーティストからのステイトメントとなる予定です。彼は最初からモダニズムに対する辛辣な批評家でしたが、ある方法によって、アイロニーと曖昧さでモダニズムを扱います。これは進化と年齢的なことに関係していると思いますが、彼は以前のアプローチから少し距離をとり、生と死、運命に関する形而上学的な問題に向かっているところです。最近、彼が語ってくれたのは、もはやモダニズムの絵画やドグマへの関心はなく、模範として17,18世紀の絵画、バロック絵画のみを見ているということです。そこで、彼はモニュメンタのために巨大な絵画を制作しており、それらは通常のモダニズムやポストモダニズムに頼ることのない距離で世界を見る新しい方法です。非常に自由なものです。

ART iT 最初の頃の話に戻りますが、『大地の魔術師たち』や「アルテンポ[Artempo]」(2007)*7といった展覧会を通じて、あなたは芸術生産の根本的に異なるジャンル間の等価だけでなく、人工物と自然のものとの間の等価について、説得力のある主張を述べましたが、それと同じような批評のための新しい原理はどうやったらつくれるのでしょうか。私たちは常にアート/非アートという問いに戻ってしまうのでしょうか。

JHM それは考えないようにしています。アート作品であろうと、自然のものだろうと、私たちにはそうした物体とのなにかしらの関係があり、物体は私たちになにかを伝え、私たちはそれを解釈する。それが私たちの世界を理解する方法です。つまり、対象を見るこの方法は、アート/非アートという問いの向こう側にあるのです。何がアートなのかを定義づけても、次の日には、アーティストがやってきて、それとは異なることをやり、「これはアートです」と言ってしまえば、私はこの問い全体の出発点に再び立ち戻らねばならないので、この質問には興味が持てないのです。仮に私がアーティストで、そこにアートの定義があれば、その定義とは異なることをやるでしょうし、人々がアートだと呼ぼうとするものに反論していくでしょう。生きることとはそういうことで、そうやってすべては進んでいくのです。



*1 『大地の魔術師たち』ポンピドゥー・センター及びラ・ヴィレット,1989年5月18日-8月14日
*2 『Modernités Plurielles de 1905 à 1970』ポンピドゥー・センター,2013年10月23日-2015年1月26日
*3 『第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ「エンサイクロペディック・パレス」』2013年6月1日-11月24日
*4 『RESISTANCE レジスタンス』ワタリウム美術館,1992年8月21日-12月13日
*5 『アフリカ・リミックス:多様化するアフリカの現代美術』クンストパラスト美術館,ヘイワード・ギャラリー,ポンピドゥー・センター,森美術館,2004年7月24日-11月7日(クンストパラスト美術館),2006年5月27日-8月30日(森美術館)
*6 『モニュメンタ2014:イリヤ&エミリア・カバコフ』グラン・パレ(パリ),2014年5月10日-6月22日
*7 『アルテンポ』ポンピドゥー・センター,2007年6月9日-10月7日

ジャン=ユベール・マルタン|Jean-Hubert Martin
1944年ストラスブール生まれ。ソルボンヌ美術史学を卒業後、パリ市近代美術館のキュレーターに就任。近代美術と現代美術の両方を担当し、1977年にはポンピドゥー・センターの設立にも携わる。その後、クンストハレ・ベルンのディレクターに就任すると、イリヤ・カバコフの初個展をはじめ数多くの現代美術の展覧会を企画する。1987年、ポンピドゥー・センターのディレクターに就任し、1989年には美術史、とりわけ、展覧会の歴史の重要な参照点のひとつとして知られる『大地の魔術師たち』を企画する。その後も、ワロン城アートセンター(ポワトー)やアフリカ・オセアニア国立美術館(パリ)、クンスト・パラスト美術館(デュッセルドルフ)のディレクターを歴任、そのほか、リヨン・ビエンナーレ(2000)、モスクワ・ビエンナーレ(2009)などの国際展のキュレーターも務め、既存のアートの枠組みを拡張するような企画を手掛けている。近年は、ポンピドゥー・センターでのサルバドール・ダリの回顧展(2012)や、タスマニアとパリを巡回した『Theatre of the World』(2012-13)を企画。現在はモニュメンタ2014のイリヤ&エミリア・カバコフの展覧会『The Strange City』を準備中。

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