シュッタブラタ・セングプタ インタビュー


Still from The Capital of Accumulation (2010), two synchronized video projections with sound, 50 min; two books in vitrines. All images: Courtesy Raqs Media Collective.

 

私のうちにあって緯度は拡がり
インタビュー / アンドリュー・マークル

 

I.

 

ART iT 以前、あなたも参加して2003年にウォーカー・アートセンターで開かれた展覧会『How Latitudes Become Forms: Art in a Global Age』[1]について話しましたね。直接見ることはできなかったのですが、調べていくなかで、この展覧会は2002年のドクメンタ11と並び、文化のメインストリームでグローバルな文化について考察するための飛躍的な進歩をもたらしたのではないかと感じました。当時のアートの実践を特徴づけていたグローバル化や経済状況といったものに対するキュレーターによる現実的なアプローチもありましたが、ハラルド・ゼーマンの『When Attitudes Become Form』 [2]を意識したタイトルや、あなたがアトリエ・ワンと共同で制作した「Temporary Autonomous Sarai」(2003)に漸進的な展望を見ました。アトリエ・ワンとの作品は、知が一箇所に留まるものではなく、至るところへ運ばれて人々を解放するという考え方を提示するものでした。

あれから約15年の月日が経ち、ドナルド・トランプ政権の最初の年にこうして再び話ができるのも面白いですね。世界のグローバル化は確実に進んできましたが、必ずしも『Latitudes』で想定していたような進歩的なもの、あるいはユートピア的なものではありません。あの頃に実現間近だと思えた可能性とたどり着いた結果の違いについてどう考えていますか。

シュッタブラタ・セングプタ(以下、SS) あの頃のことを引き合い出して考えるのは興味深いですね。私たちが惑星的と呼んでいたものが抱える問題への取り組み方という点で、『Latitudes』とドクメンタ11はどちらも画期的な展覧会でした。惑星的とは、さまざまな地域や国の経験の集積がインターナショナルという形態をなすというだけでなく、この惑星のどこにいようと、誰もが自分自身をその中心に据える権利を手にしているということでもあります。21世紀に入って、ある歴史や文化的経験がほかのものよりも偉大でグローバルな存在であるというよりも、むしろ、異なる人々、社会、生態系が等しくこの世界全体について語るのだという前提へと移行してきました。この惑星を維持する方法を考えようとするのなら、パプワニューギニアの人々の経験も、そこから遥か遠くの北極地方の人々やアメリカ合衆国のラストベルトの人々の経験も等しく重要である。

より大きな惑星的意識があるのなら、当然より大きな不安もあります。コンテンポラリー・アートという船を先導する人々は、グローバルな惑星という仮説は時期尚早だという懸念を表してきました。「われわれが自分たちの足元を省みてこなかったために、排外主義的なナショナリズムの隆盛も放置されたのだ」などという革新系の仲間でさえも、同じようなことを口にしていました。私はこうした意見が偏狭的な感性への回帰だとは思わないし、地域のリアリティに向き合う方法になるとも思いません。これは路上の人々との繋がりを持たないときに知識人が抱く思い込みにすぎない。路上との繋がりを持てば、知識人も世界中の市民が新しいコスモポリタニズム、民主的あるいはプロレタリアのコスモポリタニズムとさえ言えるような、非常に優れたアイディアを持っていることに気づくのではないでしょうか。地域主義に対する不安は、新聞の文芸欄やテレビ局の政治討論や話し合いの雑音のなかにしかありません。

バランスのとれた世界の見方を身につけなければいけません。私が住むのはまさしくドナルド・トランプのような政治権力が統治する国です。日本も同じですね。トルコ、ロシア、アメリカ合衆国、インド、日本、私たちはみな、自分が地域の不安を代弁しているのだと考えている権力者に統治されています。ですが、私はこれをナショナリズムの最後のともし火だと考えていて、それはいつか必ず消えます。こうした点で、『Latitudes』とドクメンタ11は来るべき時代の文化的感性における草分け的な存在でした。どちらも適切なタイミングで現れたにもかかわらず早すぎた。つまり、早すぎるというのは、それがまさに適切なタイミングだったのです。

 


Installation view of TAS (Temporary Autonomous Sarai), with Atelier Bow-Wow, in the exhibition “How Latitudes Become Forms: Art in a Global Age” at the Walker Art Center, Minneapolis, 2003. Portable, multiuse structure made with packing crates for computers, projectors, paper, sound and people.

 

ART iT ドクメンタ11では参加作家の80パーセントが男性で、その多くがアメリカ合衆国やヨーロッパを拠点に活動していました。また、『Latitudes』も包括的な展覧会に見えて、実際は7カ国しか取り上げていません。[3] 私たちが「グローバル」に投影するものには明らかな誤解があります。グローバル化とともに、経済や文化におけるエリートと非エリートの分断があり、それが現在の国粋主義的運動に具現化された反知性主義に特徴づけられている。もちろん、それだけが原因ということではありませんが。

SS もちろんそれだけではありません。しかし、かえって「エリート」における反知性主義という現象にこそ、世界について考えさせないようにしたいという意欲について言及すべき、考察すべきものがあるのではないかと考えています。13世紀以来、グローバルなエリートは常に程度の差こそあれ流動的な存在でした。アーティストの思想や芸術作品は日本からヨーロッパまで、宮廷とアトリエの間を流通していました。私たちの時代になって新しく、大衆も広く惑星的意識を主張するようになりました。これは新しい現象です。これが意味することを考えるための知的装置や言葉を、私たちはまだ持ち合わせていません。

たとえば、第一インターナショナル(国際労働者協会)が発足したときにある宣言がなされました。[4] 第一インターナショナルの参加者は全員男性で世界のごくわずかな地域にすぎないヨーロッパ出身の人々しかおらず、ドクメンタ11と大して変わらない。彼らは人類を代表するものではないと指摘することもできますし、それはその通りです。いかなる人々が集まろうとも、人間の計り知れない複雑さと多様さを代表することなどありえない。しかし、彼らの抱いた志や世界全体を受け入れようという熱意の強さについて少し考えてみてください。私にとって、これは重要なことです。たとえば、パリ・コミューンから出てきた偉大なる思想家、地理学者のエリゼ・ルクリュは、地球規模の都市計画を実際に検討していました。そして、そのような志が必ずしも全体主義的な大きな物語に向かうとは限らない。私たちはそれを拡張の瞬間(とき)、想像力の寛大さや寛容さとして捉えることもできるのではないでしょうか。

 

ART iT ヨーロッパにおけるテロリズムやイラク、シリアのISISへの勧誘を伴う現在の状況は、惑星的意識に対するまた別の反応ではないでしょうか。イングランド、フランス、ベルギー、ドイツで暮らし、西洋社会のなかで徹底的に権利を剥奪されたと感じる若者は、いまなお、より広い国際的な運動に繋がりたいという欲望を抱いている。

SS 日本には既にそうしたものがたくさん表れていたのではないでしょうか。たとえば、オウム真理教。彼らもまたグローバルな関心に対する主張を持っていました。日本が極右によるテロリズムも極左によるテロリズムも経験済みだということを私たちは忘れていますね。どちらもグローバルな想像力に対する主張を唱えていました。日本帝国主義的想像力を再び想像する極右と同様、日本赤軍は自分たちのために想像、構想したグローバルな闘争に関与していきました。必ずしも、権利を剥奪された人々が社会を拒否したり、拒絶するとは限らない。そうした人々が自爆して路上のトラックを爆破することもあるけど、そうした想像力は極左だろうが極右だろうが、大抵、自分たちの権利が奪われたと考えるエリートから生じることが多い。そしてまた、ヨーロッパのテロリズムも新しい現象ではありません。19世紀や20世紀には現在とは異なる人々により数々の襲撃が引き起こされたし、アメリカ合衆国やヨーロッパ大陸でもさまざまなパラノイアが流行しました。グローバルなテロリズムに対する不安は、ジョセフ・コンラッドが19世紀後半の実際の出来事を基にした『秘密の共有者』(1907)に遡ることもできます。この小説の中でテロリストが企んでいたもの。それは、グリニッジ標準時の破壊、つまり、グローバルな時間の規格を破壊すること。実際にグローバルな時間の爆破を試みているのです。

 


Co-ordinates 28.8N 77.15E (2002), installation using video screens, sound, print and stickers. Installation view at Documenta 11, Kassel, Germany, 2002.

 

ART iT ポスト9.11の監視装置や最新のセキュリティの状況は、ドクメンタ11や『Latitudes』に見られたユートピア的、漸進的な精神を頓挫させるものだと思いますか。

SS 最新の監視装置やセキュリティも、あらゆる人々があらゆる場所へ行けるという現実に対する怖しい不安から生まれてきました。ヨーロッパからアメリカ合衆国や日本まで、至るところに現れている「壁で囲う」という方針は、基本的に世界各地の貧しい人々が移動し続けるという考え方に対するバックラッシュです。高齢化が進み、より多くの人がなにより必要とされる日本のような国が、なぜ、シリア難民の存在をそこまで心配しなければならないのでしょうか。社会に貢献できる人材として難民を迎え入れるべきです。何百万ものシリア人が日本のドアを叩いているわけではありません。冷戦の終わりを思い出すと、そのレトリックは壁を壊すことがすべてでしたが、トランプ政権の約束は壁を建てるというもの。かつて西側の自由民主主義の典型として考えられていた、人の移動の自由という考え方に何が起きたのでしょうか。壁を建てるというレトリックそれ自体、人々が移動しているという事実を示すものです。監視装置の増加は変わらないものに対する不安の兆候です。人々の移動を止めることはできません。

 


 

[1] 『How Latitudes Become Forms: Art in a Global Age』ウォーカー・アートセンター、2003/2/9-2005/3/18、参考URL:http://latitudes.walkerart.org/

[2] 『When Attitudes Become Form: Works-Concepts-Processes-Situations-Information(態度が形になるとき)』(企画:ハラルド・ゼーマン)クンストハレ・ベルン、1969年

[3] アメリカ合衆国、インド、中国、トルコ、日本、ブラジル、南アフリカ共和国

[4] 1864年9月28日、ロンドンで世界初の国際政治結社「第一インターナショナル(国際労働者協会)」が発足。当時、ドイツ担当書記であったカール・マルクスが起草した「第一インターナショナル創立宣言」が満場一致で採択された。

 

シュッタブラタ・セングプタ インタビュー(2)

 


 

シュッタブラタ・セングプタ|Shuddhabrata Sengupta

1968年ニューデリー生まれ。92年にジャミア・ミリア・イスラミア大学マスコミュニケーション研究所を卒業。同年、モニカ・ナルーラ、ジベーシュ・バグチとともにRaqs Media Collective(ラックス・メディア・コレクティブ)を結成し、作品制作のみならず、書籍の編集や展覧会企画など、さまざまな活動を展開している。また、2001年には、理論家、研究者、アーティストなどとともに、南アジアの同時代の都市空間や文化を考察するためのプラットフォーム「Sarai」をデリーに共同設立した。Raqs Media Collectiveとして、マニフェスタ7(2008)や上海ビエンナーレ2016などのキュレーションを手がけ、ドクメンタ11(2002)をはじめ、3度のヴェネツィア・ビエンナーレ(2003、2005、2015)、マニフェスタ9(2012)、台北、リバプール、シドニー、イスタンブール、上海、サンパウロ、ベルリン、ミラノ、シンガポール、コチ・ムジリスなどの都市の国際展に参加。2014年にはデリーの国立近代美術ギャラリーで大規模個展『Untimely Calendar』を開催した。日本国内では、岐阜おおがきビエンナーレ2006や『チャロー!インディア:インド美術の新時代』に出品。2017年には、奥能登国際芸術祭に参加したほか、セングプタは東京藝術大学大学院 美術研究科グローバルアートプラクティス専攻の招聘で、公開講義「三角法:Raqs Media Collectiveの活動と思想」を行なった。
http://www.raqsmediacollective.net/

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