ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー インタビュー(2)

土星の環
インタビュー / アンドリュー・マークル
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Janet Cardiff & George Bures Miller Forest (for a thousand years) (2012), audio installation in forest, 28 min audio loop. Installation view at dOCUMENTA (13), Kassel. All images: © Janet Cardiff & George Bures Miller, courtesy Gallery Koyanagi, Tokyo.

ART iT ハリウッドの手法を用いた制作の話がでましたが、映画と比べ、いや、従来のアート作品と比べても、ウォーク作品は特別な場所でしか体験できず、巡回することもできず、非常に贅沢ですよね。

JC そうですね。制作中の新しいウォーク作品はダウンロードできるものにしようかと話し合っていますが、ただし、午後5時から10時、特定の場所でのみにしようかと考えています。

GBM 幸運にも僕らは自分たちの作品のあらゆる側面をコントロールできる。映画作家は完成後の作品は上映館へと送られます。もしかしたら、スピーカーがひとつ故障しているかもしれないし、音響システムがうまく動かないかもしれない。僕たちは常にそうしたものをコントロールしています。「カラスの殺害[Murder of Crows]」(2008)は贅沢にも広大なスピーカーの配置を組めました。そこには映画のような規模の観客はいませんが、僕らは必要としていません。膨大な数の観客に売り込まねばならないような莫大な予算の作品はつくっていませんので。それに、アートを観に来る人々は奇妙なものや普通じゃないもの、ストーリーラインのないものを受け入れたり、面白がったりしてくれます。僕らはハリウッドの手法も取り入れているのですが、観客はそれが何を物語っているのかを自分で判断しなければなりません。それこそ観客に望んでいることです。昨今の映画は、観客にすべてを与え、すべてを伝えたいとしているところに問題があります。

JC 「Alter Bahnhof Video Walk」(2012)では、最後の最後にふたりのダンサーの5分程のシークエンスがあります。私たちは関係性のメタファーが欲しくて、ふたりが振り付けをしてくれました。あの作品には場の歴史や私の声と観客との関係性についてのなにかがあって、最後に少しだけ、もうひとつの言語であるダンスによって表現された関係性があるのです。心の中で調和する詩のようなものを考えていました。観客はそれらを繋ぎあわせて、最終的になにかを掴むのです。そうした詩的な組み合わせに興味があるのです。

GBM 毎回作品の説明を求められるので、最後にダンスを持ってきて、すべてが常に言葉で説明できるわけではないことを示したのです。このシークエンス以降、この作品には言葉を一切使っていません。説明しようとはしていません。このシークエンスが全くダメな人もいれば、ここに感動する人もいる。

JC それは常に起こることです。 「40声のモテット[The 40-Part Motet]」(2001)はとても上手くいった作品ですが、この作品を発表したときも、「次はモーツァルトのレクイエムでやってみたらどうか」と薦めてくる人もいました。たしかにクラシックを永遠に使い続けることもできるでしょう。しかし、あの作品に使用した曲は40声から成る声楽曲で、その構成の複雑さを示すために40台のスピーカーに分割する意味があるのです。それからしばらく後に、オーディオ・ウォークの音響と「40声のモテット」の手法を混ぜ、観客の周囲を取り巻くサラウンド音響を通じて旅するというアイディアはどうだろうと考えて、「カラスの殺害」にその手法を採用することにしました。


Top: Janet Cardiff & George Bures Miller Alter Bahnhof Video Walk (2012), video walk, 26 min. Produced for dOCUMENTA (13), Kassel. Still frame from representational video of the walk. Bottom: Janet Cardiff The Forty Part Motet (2001), a re-working of “Spem in Alium Nunquam Habui 1573,” by Thomas Tallis; 40 loud speakers mounted on stands, placed in an oval, amplifiers, playback computer, 14 min loop with 11 min music and 3 min intermission. Installation view at Johanniterkirche, Feldkirch, Austria. Photo Markus Tretter.

ART iT サラウンド音響に優れたアンビソニック[Ambisonic]によって録音されていますよね。

GBM そう、その通り。アンビソニックは70年代に生まれた古いけど優れているクールな技術。僕はこういう商業的には成功しなかった古い技術を見つけるのが好きなんだ。「カラスの殺害」には700以上のトラックもしくはチャンネルが使われている。狂ってるでしょ。サラウンド音響では、例えば、あなたの周りを一羽のカラスが飛んでいくのをモノラルサウンドで再現するときでさえ、24トラックすべてをたったひとつのモノラルサウンドのために使用するんだ。そして、かなりの数のカラスが飛び回り、その内の二羽のカラスが48台のスピーカーを横切るために、そのふたつの音のために96トラック使うんです。つまり、「カラスの殺害」には莫大なトラック数が使われているんだ。録音技師と僕はできるかどうか定かではなかったけれど、再生装置のためにすべてのトラックをミックスして、そうして実際には98チャンネルを使いました。再生用のコンピューターは大丈夫だったけど、すべてを98チャンネルに落とし込んだ最終的なミックスは本当に挑戦的だったよ。普通、ミュージシャンは100チャンネルから始めて再生装置用にふたつのチャンネルに落とし込むんだけれど、僕らは700から98に落とし込まねばならなかったんだ。悪夢だったよ。

ART iT ウォーク作品で興味深く感じる点として、複数の録音された命令や見解、ナラティブといった声や会話を、足音や息づかい、鳥などの周囲の音、録音を通してフィルタリングされる現実世界の音といったアンビエントな音といかに組み立てているかということがあります。ここに「カラスの殺害」のサウンドトラックのミキシング過程にある種の繋がりを見ているのですが。

JC さまざまなレベルでの理解があります。私たちはその声のさまざまなレベルに常に注意を払い、どういうやり方をすれば、より命令調になり、どういうやり方をすれば、より見解調になるのかと意識しています。

GBM 僕らはさまざまな音が重なり、もうひとつの現実がつくり出されるのも好きなんだ。物理的な音と仮想のトラックというふたつの現実が混ざりあい、第三の現実をつくり出す。ビデオ・ウォーク作品では本当にいろんなことが進行していて、「パラダイス・インスティテュート」でも、身の回りの人々とただ劇場にいることから少しでも遠くへ行けるようにと試みたんだ。だから、ある地点でその箱を外側から実際に叩いている人がいるかのように感じるところもある。視覚的なものはあまりにも強力なので、イメージを消して、音だけを使ったりもしました。視覚的なものを完全に取り除かないと、人々は自分が聞いている音がただの作り物だと気がつかないんだ。

JC 私たちが関心を持っているのは映画を見ているときの人々の意識の在処です。映画になにかを思い出させるシーンがあると、意識がどこかに行ってしまうのです。それは車の運転みたいなもので、ほかのことを考えていると、自分が運転していることも忘れてしまいます。映画を観ているそうした状態の3Dバージョンをやりたいのです。それを“キュビスト・シネマ”なんて言う人もいましたが、言い得て妙ですよね。身体的にはここにいるけれど、同時に映画の中にもいて、映画と「ストーブ、消したかなあ」なんて思考と混ざり合うのです。


Janet Cardiff & George Bures Miller Berlin Files (2003), wooden panels, video loop with 12-channel surround sound audio, 9 m x 7.5 m x 3.5 m; 13 min. Film still.

ART iT ウォーク作品の録音の際にあなたたちがやっていることが、映画のフォーリー・レコーディング[Foley Recording]にかなり似ているという漠然とした印象があるのですが。

GBM ただし、フォーリー・レコーディングでは自分たちで音をつくっているけれどね。僕らは実際の音が本当に好きなんだ。たしかにフォーリー・レコーディングもちょっとしているけど。映画だと、そこで聞こえる足音が本物の足音なんてことはなくて、ハイヒールの音ならサウンドステージをハイヒールを履いた男性が歩いた音で、キスの音ならヒゲのおじさんが彼自身にキスしていて、骨折の音ならレタスやセロリを使っている。映画に使われるすべての音はフィクション。映像とともに記録される唯一の音は、声だけなんだ。

JC とはいえ、今、あなたが言ったことは現実世界のサウンドトラックにも考えられる。映画のサウンドトラックのように構成されたもの。

GBM 僕らは現実の音を使おうとしているんだよ。たとえ、それがフィルム撮影であっても。「ベルリン・ファイルズ[Berlin Files]」(2003)というフィルム作品もアンビソニック・レコーディング。結果的には音と映像を同時に記録できなかったけど、撮影している場所で録音しようとがんばりました。視覚的な面では、クールなベルリンの風景やバーを撮影したトラッキング・ショットがたくさんあり、その場の音も加えて再現したんだ。映画を観ているとき、あなたの周りで音が動いている空間を感じてほしいんだ。
「カラスの殺害」もドクメンタで発表した「森、千年のあいだ」も本当に膨大な時間を費やしていて、実は「森、千年のあいだ」は「カラスの殺害」から生まれた作品です。「40声のモテット」も含めて、これら3つの作品はすべて関連していて、ウォーク作品に上手く結びついている。森の中で録音された鳥の囀りを聞きながら、同時に本物の鳥の囀りも耳にする。また、聞こえている飛行機の音が、本物かどうかもわからない。実際、僕らは屋外に立ち、そこで何時間もずっと録音するんだ。

ART iT ここからは「嬰ヘ短調の実験[Experiment in #F Minor]」(2013)でのアプローチについて聞かせてください。この作品では、自動センサーが反応し、断片的な音楽がスピーカーから再生されるという仕組みになっていますよね。

JC 4月に開幕したオンタリオ州立アートギャラリー(トロント)の回顧展の直前に完成した作品で、あと何週間か手を入れ続けられたかもしれませんが、ときには放っておくのもいいと思っています。誰かが立っていることにセンサーが反応して6秒間の音楽を聞くことができる。立ち位置によって、あるひとつの楽曲が持つ無限の可能性を受け取れるというコンセプトが気に入っています。
全体の構成は二分半の曲がループするというもので、テーブルの周りを移動すると、別のパートを聞くことができるのですが、それまでのパートの残りの部分は聞くことができません。ですので、あなたは自分の動きを通して、音楽を構成していくのです。これが基本的なコンセプトとしてあったのですが、実はそこであなたができることは無限にあるんですね。足音とかそういったものでサウンドトラックをつくれるし、オーケストラも可能です。

GBM これはもうひとつつくろうと思っています。

JC ベース音をより効かせるためにテーブルの下にもっと大きなスピーカーを設置することもできたし、今回の作品のような音同士の混合が起こらないようにそれぞれのセンサーを離すこともできました。今回のものはかなり密度が濃いですから。ギャラリー小柳のオープニングでは、常に大音量が流れていましたね。人々がテーブルの上に手をかざしたり、手を振ったり、テーブルに近づいたり、離れたり、そうやって動いている「パフォーマー」、つまり、パフォーマーになった観客を眺めたり、そういった様子も良かったですね。

ART iT センサーの位置がわからないので、動くことで作品をさらに体験し、手を振ってみることで音量をコントロールできるかどうかと自然に試してしまいますね。あの作品では、観客がパフォーマティブな振舞いをするように巻き込まれていきます。ウォーク作品と同じく、そこには無意識に異なる振舞いの領域へと入り込んでしまうメカニズムがありますね。

JC そこに制限はありません。楽器のようなものですね。

GBM それこそ、僕らが取り組んでいる問題で、いつもこうした制限しないものを探しているんです。

JC 「Pandemonium」(2005)でも、イースタン・ステイト・ペニテンシャリー美術館(フィラデルフィア)の小部屋に機械仕掛けのパーカッション装置を設置し、それもまたひとつの楽器のようなものだということを発見したのです。どんな曲もつくれます。パーカッション奏者を連れてきて、「これが楽器です。これでどんな演奏をしたい?」と聞いてみるのもいいですよね。これらはそこから派生的に続けたいと思う事柄で、問題はアイディアがたくさんありすぎて、時間が足りないことなんですよね。


Janet Cardiff Münster Walk (1997), audio walk with mixed-‐‑media props, 17 min. Curated by Kasper König (with assistant curator Ulrike Groos) for Skulptur. Projekte in Münster, 1997.

ART iT この作品は私があなたたちの作品に霊的なものを感じたきっかけのひとつです。囚人の魂を蘇らせているかのような。紛争や抵抗があった場はどこよりも幽霊が出やすいと言われます。まあ、ひょっとしたらそうかもしれません。大抵の場所はどこでも、なんらかの形で取り憑かれているのでしょう。

GBM いや、君が言う通り、共鳴しやすい場っていうのがあるんだよね。僕らはそうした場を歩くのが好きなんだ。あらゆる場所でウォーク作品の制作を求められるし、それはそれで構わないけど、本当にぐっとくるのは本当にわずかなんだ。ドイツのその歴史故、カッセルの駅は非常に反応しやすい場だったのです。かつてユダヤ人を強制収容所行きの列車に詰め込んでいたプラットフォームに観客を連れていき、まさにその場に観客を立たせる。観客はそこで現在の新しい電車が遠くへ向かっていくのを目にする。

JC 幽霊性という考え方の背後には、私たちは皆、どこかを歩いているときに、かつてそこを誰かが歩いていたことに惹かれてしまうということがあります。歴史的な場所の場合は特にそうです。これをきちんと把握することなどできません。オーディオ・ウォークの作品はまさにこのことを扱ったりします。「ミュンスター・ウォーク[Münster Walk]」(1997)は、かつての教え子、自動車事故で息子を亡くした女性に影響されたものです。彼女の息子はアーティストで自動車の後部にはカメラ機材を積み込んでいました。彼女は息子が撮った写真やカメラ機材を手にして、同じ場所へと赴き、息子が返ってこないかとファインダーを覗きました。少なくとも、息子とシンクロできないだろうかと。ミュンスターの作品では既に亡くなってしまった誰かの足跡にシンクロすることを扱いました。故人と同じところから眺め、それがどのように自分に繋がっているのかを考える。とてもすてきで詩的な出来事だと思いませんか。

ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー
|Janet Cardiff & George Bures Miller

ジャネット・カーディフは1957年オンタリオ州ブリュッセル(カナダ)生まれ。ジョージ・ビュレス・ミラーはアルバータ州ヴェグレヴィル(カナダ)生まれ。ふたりはアルバータ大学で出会うと、1995年頃から共同制作を始め、現在はベルリンとブリティッシュコロンビア州グリンドロッド(カナダ)を拠点に活動している。ヘッドフォンから流れるカーディフの語りを聞きながら、公園や美術館、街中などを巡り、目前の光景と聞こえてくる音から創り出される情景と物語によって、鑑賞者のあらゆる知覚を活性化する「ウォーク」シリーズや、高度な音響技術を駆使したサウンド・インスタレーションを90年代より継続的に発表している。2012年のドクメンタ13では、カッセルの森の中に30個を超えるスピーカーを設置し、森が刻んできた千年の時の流れを体感させる壮大なサウンドスケープを現出された「森、千年のあいだ」(2012年)、鑑賞者がiPodとイヤフォンを手にジャネットの声に導かれてカッセルの駅を歩く「Alter Bahnhof Video Walk」(2012年)を発表している。
日本国内では岡山市芸術祭事業『LOVE PLANET—愛の惑星』(2003年)、横浜トリエンナーレ(2005年)、2009年にはメゾンエルメスにて個展『ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー』を開催、第1回恵比寿映像祭への参加、越後妻有大地の芸術祭では「ストーム・ルーム」を制作している。また、翌年には瀬戸内国際芸術祭の豊島会場に「ストーム・ハウス」を展示し、サントリーミュージアムで行われた『レゾナンス 共鳴』に参加している。2013年もあいちトリエンナーレ2013に参加、ギャラリー小柳では個展『Experiment in F# Minor(嬰ヘ短調の実験)』を開催している。

http://www.cardiffmiller.com/

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