ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー インタビュー

2013年10月30日
土星の環
インタビュー / アンドリュー・マークル




Janet Cardiff & George Bures Miller Experiment in F# Minor (2013), mixed-media interactive sound installation including 72 loudspeakers on two wooden worktables, 2.44 m x 1.83 m. Installation view, Art Gallery of Ontario, Toronto, 2013. All images: © Janet Cardiff & George Bures Miller, courtesy Gallery Koyanagi, Tokyo.


ART iT それではまず、「スペクタクル」という言葉から始めたいと思います。この言葉は以前あなたが自分の作品、とりわけ「パラダイス・インスティテュート[The Paradise Institute]」(2001)と映画との関係性を語る上で使っていましたが、大衆を対称とした衝撃と畏怖を利用したスペクタクルと比較して、あなた自身はこの言葉をどのように捉えていますか。

ジャネット・カーディフ(以下、JC) そうですね。私たちの作品がどういったものか一般化しなければならないとすれば、おそらくそれは、映画を体験するようなものになるでしょう。人々は変化を求めたり、なにかを得たり、旅をする為に映画を観に行きます。それに、映画館に入って、外のことを忘れます。私たちの多くの作品はそういう体験を創出しますし、映画を数多く引用しています。

ジョージ・ビュレス・ミラー(以下、GBM) 僕には「スペクタクル」という言葉で君が言おうとしていることがわからないけれど。

JC 例えば、カッセルのドクメンタ13で発表した「森、千年のあいだ[Forest (for a thousand years)]」(2012)は、25台のスピーカーを森の中に配置した巨大な音響作品で、観客は馬が駆けていく音や兵士が走り去っていく音、そこら中に爆弾が落ちる音を耳にします。これはまさにスペクタクルだと思うけど。人々の思考を止めて、体験させる。これこそスペクタクルなのではないかと。スペクタクルにもアメリカのレスリングから遊園地まで、さまざまなものがあって、実際、過去には遊園地の乗り物に関連する作品もつくっています。

GBM すべての作品はそれぞれ異なるけれど、ジャネットも言っているけど、僕たちが取り組んでいる共通の内容は、没頭することなんじゃないかな。それがスペクタクルと関係しているのかわからない。関係しているかもしれないし、関係していないかもしれない。「森、千年のあいだ」に関して言えば、周辺の環境音も含めたシステムなので、どれが録音された音で、どれが自然の音なのかがわからないようになっています。

JC 私たちの文化におけるスペクタクルという概念によく似た言語を扱っているのだと思います。巨大花火だとか移動式遊園地の乗り物だとか、ハロウィンの催し物だとか。それに、WALKMANやスピーター、音響システムといった同時代のテクノロジーを取り入れたポップカルチャーの方法を使っていますが、私たちは人々が理解できる言語から始め、それから、身体性や音、空間、リアルとフィクション、リアリティとはなにか、現象を通してどのようにリアリティを知ることができるのかといったコンセプチュアルなアイディアへとずらしていこうと考えているのです。いったいどうしたらリアリティをつかめるのだろうかと考えると、それは感覚を通してではないかと感じています。だからこそ、ここで挙げたようなものを取り入れているのですが、一方、ポップカルチャーの世界では、畏怖させるためだけにスペクタクルが使われています。






Top: Janet Cardiff & George Bures Miller The Paradise Institute (2001), mixed-media/multimedia installation, 5.1 m x 11 m x 3 m, 13 min. Interior view. Photo Markus Tretter. Bottom: Janet Cardiff & George Bures Miller The Murder of Crows (2008), mixed-media sound installation, dimensions variable, 30 min. Installation view at Nationalgalerie im Hamburger Bahnhof, Berlin, 2009. Photo Roman März.


ART iT 「The Murder of Crows」(2008)ではロシア行進曲が使われていますが、これもまたスペクタクルなものですね。しかし、あなたたちはそれを批評的もしくは内相的な方法として使ってもいるのではないかという気がしています。

GBM そうかもしれない。さもなければ、行進曲を歌う声が部屋に流れ込んできたら、全身が総毛立つだろうという理由で使っただけのかもしれない。

JC 作品内に別のものとあの曲を並置することで、両者がいかに戦争崇拝の思想に合致するかという感覚を掴めるのではないでしょうか。そうして、イラク戦争を参照にして、「足はどこ?爆弾で吹き飛んでしまったんだ!」とオペラ歌手が歌うことが批評性を帯びるのです。

GBM だけど、面白い響きだから並置することが多いよね。僕らが「バッド・フット・マーチ[Bad Foot March]」って呼んでいる部分が終わるところ、そこでそのまま音を終わらせたくなかったんだ。そこで思い出したのが、ネパールでの結婚行進の体験。行進の列の前方では伝統的なヒンドゥーの楽隊が伝統的なヒンドゥーの楽器で演奏していて、その一方で、約50メートル後方ではマーチングバンドが演奏していたんだ。ちょうど真ん中辺りだと、ふたつの曲が混ざりあって、伝統的なヒンドゥー音楽と西洋音楽とが狂ったようなカコフォニーを成していて、そこに新郎新婦がいるんだ。
僕たちも「バッド・フット・マーチ」からロシア行進曲へと移行させることで、そんな感覚を生み出したいと考えたんだ。ロシアの曲は「聖なる戦い[The Sacred War]」と呼ばれる、実際、なかなか感動的なもの。第二次世界大戦中にファシスト達と戦う自軍を奮い立たせる為につくられたプロパガンダ作品なんだけど、僕らはただ音として機能するものを探していたんだ。

JC その通りだけど、音は常に意味も運んでくるわ。

GBM もちろんだよ。ただ、僕らは常にある要素と別の要素がテーマ的に合うかどうかで考えているわけではなくて、音響的にどうなのかということをいつも考えていて、時々、すべてがカチッと幸福な偶然の一致を起こすことがあるということを言いたかったんだ。

JC 一方、オペラの歌詞は私たち自身で書いています。あれは爆撃を受けた自分の家とシャンデリアにぶら下がる娘たちの腕を探しにくる父親について書かれた新聞記事にヒントを得たものです。これが作品全体の基礎を成しています。あるセクションではそれをオペラ歌手たちに「爆弾で吹き飛んでしまったんだ」と歌わせることでブラックコメディへと変質させています。その歌詞は笑いを誘うものであると同時に、爆弾や戦争が個人的な影響を及ぼすのだというメッセージも伝えます。作曲家には「ボヘミアン・ラプソディ」のような感じにしてほしいと伝えました。
私たちは間違いなく自分たちの作品で感情的な反応を引き出したいと考えていましたが、あらゆる感情的な要素を一度に詰め込んでしまうと人々は耳を塞いでしまいます。そこで、異なるジャンル、例えば、コメディのようなものに取り込んだり、鑑賞者をどこか別の場所へと誘うような幻想的な要素を持ち込んだりするのです。さまざまな部分に耳を傾けながら、鑑賞者はあらゆるコンセプチュアルな空間へと入っていくのです。この作品は最初にベルリンのロシア系の人口が多い地域で発表しました。そこでのロシア聖歌隊が持つ意味は、その後にこの作品を発表したニューヨークとは全然違います。






Top: Janet Cardiff In Real Time (1999), video walk, 18 min. Curated by Madeleine Grynsztejn for the 53rd Carnegie International at Carnegie Library. Carnegie Museum of Art, Pittsburgh. Bottom: Janet Cardiff The Telephone Call (2001), video walk, 15 min, 20 sec. Curated by John S Weber with Aaron Betsky, Janet Bishop, Kathleen Forde, Adrienne Gagnon, and Benjamin Weil for the group exhibition, "010101: Art in Technological Times," San Francisco Museum of Modern Art, San Francisco.


ART iT 「没頭」とともに背景のノイズなど、気を散らすようなものを加えることで、「パラダイス・インスティテュート」では没頭という体験から引き離すことにも取り組んでいますね。

GBM そうした複数のレイヤーを扱うのが好きで、たくさんのジャンルに取り組んでいます。オーディオ・ウォークもビデオ・ウォークの作品も、リアリティを分解して、それらを使っていく。ふたつは全く別のものなんだけど。どちらも人々を陶酔させるんです。

JC 鑑賞者はビデオ・ウォークの作品に没頭して、スクリーンが自分の現実なのだと信じはじめて、周りの人々にもその現実を順応させたくなるのです。彼らとスクリーン内の人々が一致しないことを気にしながら、別の空間へと向かっていくのです。
ビデオ・ウォークの作品に、まず取り組んでみて、そこから多様な問いが浮かび上がってきました。物事や音に反応し、それから進めていく。それが非常に興味深いのです。やってみると、面白いことに、それがメディアと私たちの関係性や、いかに世界が今、iPodやiPhoneに熱中しているのかを示唆してくれるのです。
そうして、さまざまなレベルを含んだ作品を制作することができるのです。ドクメンタ13のために制作した「Alter Bahnhof Video Walk」(2012)はiPodを使う作品で、ある地点で再生スピードを落としたり、上げたり、巻き戻したり、ある場所では「電源が切れた」と呟くのだけれど、そうして、自分自身で自分がどの現実に属しているのかを自問するのです。

GBM たくさんの人々が渡されたiPodを取り替えにきました。「バッテリー残量が少なくなっています」という文字がスクリーンに表示され、「ああ、バッテリーが切れる…バッテリーを取り替えないと」というジャネットの声が聞こえる。その後、スクリーンは真っ黒になりますが、それでもジャネットの声は聞こえ続けるのです。そう、明らかにバッテリーは切れていないのです。それでも電源を切って、iPodを持って帰ってきて、バッテリーが切れているのだと告げてくる人もいたのです。それもまた作品の一部なのだと認識できなかったのでしょう。ある特定の方法で鑑賞者を突き放したり、作品それ自体を突き放すというアイディアが好きなんですよ。

JC ウォークの作品は編集を済ませてから、数人にテストしてもらって、問題なく歩くことができて、すべてが上手くいっているかどうか確認します。とはいえ、最初のビデオ・ウォーク作品「In Real Time」(1999)をカーネギー・インターナショナルで発表したとき、特にライターやキュレーターといった人々が映像に従って歩くことができないということがわかりました。映像では階段の左側をカメラが上がっていくのに、彼らの中には階段の右側を上がっていってしまう人がいました。だから、「階段の左側を上がれ」という声を付け加えなければならなかったのです。今では、皆が携帯電話で映像を記録することに慣れているので、あのようなことは過去のことだと思っています。誰もが現実を記録することに慣れていて、カメラを持ちながらどうやって動いたらいいのかを知っています。

ART iT 手持ちのビデオカメラからiPodに切り替えて、今度はGoogle Glassを使うかもしれませんよね。

GBM それは最高だね。Googleが譲ってくれないかな。

JC あれを使いたいアーティストはたくさんいるでしょうね。適切な時に適切な作品を作らねばならず、さもなければ、鑑賞者がそこへ入っていけないのは興味深いことですよね。最初にオーディオ・ウォークの作品を制作したのは1991年ですが、それを体験している人にとって、それがアートなのかどうか、定かではなかったと思うのです。

GBM そこまで上手くいっていなかったということもあるよね。

JC あの作品では私がエンジニアリングのところもやっていて、4トラックのTASCAMのカセットデッキで制作しました。

GBM TASCAMのあれは原始的だったね。コンピュータを使った音楽の流行がきたのは僕らにとって運が良かったよね。自分の荷物として運べるコンピュータで編集できるようになったのが、ルイジアナ美術館で1996年に最初のオーディオ・ウォークの作品をふたりで発表した頃だよね。30分毎にクラッシュしてたけど。
15年前に制作したビデオ・ウォーク作品は、ある意味、完璧なタイミングで、今では、そのアイディアを盗んで、似たような作品をつくっている人もいるよね。どこにでも運べる機材が出てきたから。ビデオはそれぐらいすごいものなんだ。それでも僕らはハリウッドが使っているようなあらゆる潜在力を引き出しているわけじゃないし。実際、サンフランシスコ近代美術館で「The Telephone Call」(2001)を発表したときは、ハリウッドのやつが来て、ビデオ・ウォークのゾンビ映画版をやりたいって言っていたよね。でも、ビデオ・ウォーク作品を続けて制作していくことで、それらを巨大な作品予算に組み込むことにはいくつかの問題があることに気がついたんだ。それに、屋外だと明る過ぎるし、スクリーンをきちんと見ることが出来る場所には制限があるんだ。
実は、次のプロジェクトで夜中に歩く作品を計画していて、ゾンビが歩くっていうのも悪くないよね。怖いしね。両耳用のオーディオを使っているから、すぐ後ろの方から誰かがやってくるような音が聞こえるんだ。

JC でも、それはシドニーやロンドンなどの幽霊を訊ね歩くゴースト・ウォークにも通じるところがあって、そうしたすべてのジャンルに関係している。




Janet Cardiff Villa Medici Walk (1998), audio walk, 16 min, 22 sec. Curated by Carolyn Christov-Bakargiev, Hans Ulrich Obrist and Laurence Bossé for the group exhibition "La Ville, le Jardin, la Mémoire," Académie de France. Villa Medici, Rome, Italy.


ART iT たしかにあなたたちのウォークの作品には幽霊が現れそうななにかを感じますね。「The Münster Walk」(1997)や「Villa Medici Walk」(1998)にはある意味、文字通り幽霊が現れます。とはいえ、広い意味では、現実と時間の複数の音域を一度に体験しているわけですよね。

GBM 「Villa Medici Walk」はあまり知られてないけど、すごくいい作品なんだ。

JC 地下通路に入っていくもので、本当に幽霊が出てきそうな作品です。

GBM 最後は大きな彫像のある地下室で、カセットテープとウォークマンを使っているのですが、当然ウォークマンはバッテリーが減ってくると再生スピードも落ちてくるから、意図的に再生スピードを落としていって、鑑賞者はバッテリーが無くなっていくと思いながら、ジャネットの「ロァァァァァ、ロァァァァ」という声を聞く。

JC 今では上手くいかないだろうね。デジタルの場合、バッテリーが切れたら、ただそこで終わってしまうから。

GBM 巻き戻し機能を使って、カセットレコーダーで記録するというアイディアにも取り組んでいたよね。

JC 人々は今でもそうした「言語」を理解することができるだろうけど、それらはもう、レトロなものとして理解されてしまいますね。





ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー インタビュー(2)





ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー
|Janet Cardiff & George Bures Miller

ジャネット・カーディフは1957年オンタリオ州ブリュッセル(カナダ)生まれ。ジョージ・ビュレス・ミラーはアルバータ州ヴェグレヴィル(カナダ)生まれ。ふたりはアルバータ大学で出会うと、1995年頃から共同制作を始め、現在はベルリンとブリティッシュコロンビア州グリンドロッド(カナダ)を拠点に活動している。ヘッドフォンから流れるカーディフの語りを聞きながら、公園や美術館、街中などを巡り、目前の光景と聞こえてくる音から創り出される情景と物語によって、鑑賞者のあらゆる知覚を活性化する「ウォーク」シリーズや、高度な音響技術を駆使したサウンド・インスタレーションを90年代より継続的に発表している。2012年のドクメンタ13では、カッセルの森の中に30個を超えるスピーカーを設置し、森が刻んできた千年の時の流れを体感させる壮大なサウンドスケープを現出される「森、千年のあいだ」(2012年)、鑑賞者がiPodとイヤフォンを手にジャネットの声に導かれてカッセルの駅を歩く「Alter Bahnhof Video Walk」(2012年)を発表している。
日本国内では岡山市芸術祭事業『LOVE PLANET—愛の惑星』(2003年)、横浜トリエンナーレ(2005年)、2009年にはメゾンエルメスにて個展『ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー』を開催、第1回恵比寿映像祭への参加、越後妻有大地の芸術祭では「ストーム・ルーム」を制作している。また、翌年には瀬戸内国際芸術祭の豊島会場に「ストーム・ハウス」を展示し、サントリーミュージアムで行われた『レゾナンス 共鳴』に参加している。2013年もあいちトリエンナーレ2013に参加、ギャラリー小柳では個展『Experiment in F# Minor(嬰ヘ短調の実験)』を開催している。

http://www.cardiffmiller.com/