アジア太平洋酒造協会基金芸術賞2014

アジア太平洋酒造協会基金芸術賞2014
文 / 良知暁


ホー・ツーニェン「PYTHAGORAS」2013年

2015年1月22日、アジア太平洋地域出身のアーティストを対象とするアジア太平洋酒造協会基金芸術賞(APBファウンデーション・シグニチャー芸術賞)の授賞式が、同賞展覧会の会場であるシンガポール美術館で開かれ、シンガポール出身のホー・ツーニェンの4つの映像を中心としたシアトリカルなインスタレーション「PYTHAGORAS」が大賞を受賞した。ホー・ツーニェンには、副賞として60,000シンガポールドル(約528万円)が与えられた。また、審査員賞に選出された中国出身のリュウ・ジャンフォア[刘建华]とインドネシア出身のムラティ・スルヨダルモにはそれぞれ15,000シンガポールドル(約132万円)、観客やオンラインでの投票をもとに選出されるピープルズチョイス賞に選出された台湾出身のヤオ・レイヅォン[姚瑞中]+Lost Society Document(LSD)には10,000シンガポールドル(約88万円)が授与された。

アジア太平洋酒造協会基金とシンガポール美術館が主催する同賞は、同地域における現代美術の発展を促進することを目的に、2008年以来3年に一度開催されている。主催者に任命された各国/地域の現代美術の専門家(アーティスト、キュレーター、批評家など)によって推薦された作品を審査してファイナリストを選出する。その後、ファイナリストの作品はシンガポール美術館に展示され更なる審査を経た上で、大賞を含む各賞が決定される。3度目の開催となる今回は、24の国・地域の36名の推薦者が選出した合計105人/組のアーティストの中から、日本から参加の渡辺豪を含む15名のファイナリストが昨夏に発表されていた。(日本からは松井みどりがChim↑Pom、イケムラレイコ、近藤亜樹を、天野太郎が諏訪敦、和田昌宏、渡辺豪を推薦。)審査員は、スージー・リンガム(シンガポール美術館館長)をはじめ、フェン・ボーイ[冯博一](インディペンデント・キュレーター)、ルッカーナ・クナーウィチャヤーノン(バンコク芸術文化センター館長)、クリス・セインズ(クイーンズランド州立美術館)、プージャ・スード(KHOJ、ニューデリー)の5名。

以下、受賞作品を中心に展覧会を振り返る。

 


ムラティ・スルヨダルモ「I’m a Ghost in My own House」2012年 Photo: ART iT

『アジア太平洋酒造協会基金芸術賞』展は、ノミネート形式という選考過程の性質上、なんらかの統一的なテーマではなく、広大な地理的範囲における異なる政治、経済、文化背景を持つ国/地域から、それぞれ固有の文脈のもとに過去3年以内に制作された作品によって構成されている。審査員を務めたシンガポール美術館館長のスージー・リンガムは、同地域における今日の現代美術の複雑かつ多義性を反映するひとつの風景として概観するものとして、本展を位置づけた。

担当キュレーターのサム・イーシャンは、上述した条件のみならず、メディアも異なる各作品の配置に苦心したと述べたが、カトリックの名門男子校として19世紀中頃に建てられた建築を転用した美術館の中で、ムラティ・スルヨダルモのパフォーマンス「I’m a Ghost in My own House」(2012)は、適切な場所を見つけていた。床一面に敷き詰められた木炭を拾い集めては、鉄製の作業台の上でそれを粉末状になるまで挽くという作業を12時間繰り返す不条理なパフォーマンスは、同館2階ポーチに立つラ・サール像の背後で、エネルギー革命や植民地主義、男性中心主義に対する批評的効果を高めていた。とはいえ、観念的ともとれる素材の選択は、パフォーマンスをはじめる契機となった舞踏家の古川あんずとの出会いを含む個人的な生活体験に基づいたもので、12時間というパフォーマンス時間、なによりパフォーマンス中の彼女を目の前にして、彼女が観念的なものとは異なる地点を目指しているのは明らかだった。ムラティのみならず、オーストラリア出身のオーウェン・ルオンやベトナム出身のグエン・チン・ティの出品作品においても「身体」は重要な位置を占める。心臓の形をした牛乳の氷塊が溶け出すシーン、開口具(口を開けたままに固定する器具)を付けたルオン自身の口や顔にこぼれていくシーンを中心に編集した映像作品「Infinite Love」(2011)は、アジア系オーストラリア人であるルオンによるオーストラリアに根深く残る白豪主義/民族差別への抵抗を示す。また、グエン・チン・ティの映像インスタレーション「Unsubtitled」(2013)は半世紀以上前から現在まで続く表現、言論規制への抵抗をシンプルな行為の連帯によって示唆する。


Above: リュウ・ジャンフォア「Trace」2011年. Below: アリン・ルンジャン「Golden Teardrop」2013年 Photo: ART iT

建築との文脈上の効果的な関係性を結んだムラティのパフォーマンスに対して、空間上の効果的な関係性を結んでいたのが、リュウ・ジャンフォアの「Trace」(2011)である。同作品は中国の伝統美術である書道における屋漏痕(おくろうこん)という技法を参照し、中国のもうひとつの伝統美術である陶芸でその筆跡を象っている。幾つもの陶器の雫が美術館の螺旋状の階段の壁面に降り注ぎ、あたかも観客が作者の遡った時間軸を垂直に移動するような空間を創り上げる。興味深いことに、リュウと同じく中国出身のペン・ウェイ[彭薇]の「Letters From A Distance」(2012-2014)も山水画という自国の伝統美術を参照し、自国の美術の歴史を遡る。一方、より一般的な歴史および歴史の記述法を再考するために、ニュージーランドから参加したマオリのリサ・レイハナの映像作品「in Pursuit of Venus」(2012)は、19世紀初頭の西欧による眼差しを私有化することで投げ返し、バングラデシュとイギリスのふたつの国籍を持つナイーム・モハイエメンは、インドとパキスタンが分離する6年前に撮影された父親のネガを中心としたインスタレーション「Rankin Street, 1953」(2013)を通じて、大文字の歴史のもとで潜在化された個人的かつ小さな物語を浮かび上がらせる。また、パキスタン出身のファリダ・バトゥールの「Kahani Eik Shehr Ki (Story of a City)」(2012)の21メートルを超える長さは、リュウの「Trace」の垂直性と異なり、観客にイメージに沿った平行移動を促し、レンチキュラー加工により現れては消えるバトゥールの姿とともに、11世紀からの歴史を刻むラホールの都市空間を体験させる。そして、タイ出身のアリン・ルンジャンの「Golden Teardrop」(2013)は、トーンヨートという砂糖菓子を起点とする複数の物語のダイナミックな交差によって、自国の歴史とそれに基づく単一文化的な思考を脱構築していく。作中で語られる物語の一部には広島の原爆も含まれるが、日泰同盟と抗日運動のふたつの異なる歴史観が共存する位置から、その出来事はどのように見えたのだろうか。


Both: ホー・ツーニェン「PYTHAGORAS」2013年

こうして見ていく中で、難航したと言われる審査において、ムラティとリュウの各作品がそれぞれ展示会場と結んだ具体的な関係性は、審査員賞を得るに至る要因のひとつとして働いたのかもしれない。一方で、大賞を受賞したホー・ツーニェンの「PYTHAGORAS」(2013)は、観客を囲むように4面を使用するとともに作品の構造上、ほかの作品とは少し離れた空間に単独で展示されていた。同作品は、タイトルから想像されるように、古代ギリシャの哲学者・数学者であるピタゴラスが創始したとされる「ピタゴラス教団」において、弟子たちはヴェールの後ろから師の声を聞いたというエピソードに着想を得ている。4つのスクリーンに投影される映像や音楽、舞台装置によって上演されるスペクタクルな鑑賞体験は、リアルとヴァーチャルが混在する現代社会における認識や経験の矛盾の中に観客を置き去りにする。カーテンや目隠しをした男というモチーフ、『オズの魔法使』や『ドクトル・マブゼ』、『2001年宇宙の旅』、『アルファヴィル』といった映画のシーンやホー自身の過去作品からの引用など、整合性のとり難い過剰ともいえる情報を処理するのは不可能に近いだろうが、その総合的なスペクタクルによって、観客を引き込む手口は、「(観客に)本能的な反応を喚起し、先が予測できない不安感を与える様が、生きることに不安を抱えた現代的な瞬間を深く捉えている」との審査員の評価へと繋がった。


ロバート・ジャオ・レンフイ「Eskimo Wolf Trap often quoted in Sermons」2013年 Photo: ART iT

前述したように社会的問題や近代化や歴史の再考を検討する作品が半数以上を占める中で、建国50周年という節目を迎えたシンガポールから、哲学的な問いを扱ったホーの「PYTHAGORAS」のみならず、同じくシンガポール出身のロバート・ジャオ・レンフイから、徹底的なリサーチに基づいて構想したフィクションを非常にコンセプチュアルな形でインスタレーションとして具現化した「Eskimo Wolf Trap often quoted in Sermons」(2013)が現れてくるのは、とりわけ東南アジアにおけるこの国の特異な立ち位置を映し出しているのかもしれない。そのほか、抽象度の高いテーマを扱った作品としては、韓国出身のチェ・ウラムが新しい種を想像させる精巧な機械仕掛けの彫刻「Custos Cavum (Guardian of the hole)」(2011)と日本から参加した渡辺豪の「one places / on “the room”」(2013)が挙げるられるだろう。しかしながら、渡辺の「one places / on “the room”」が初めて発表されたあいちトリエンナーレ2013を思い出せば、五十嵐太郎の掲げたテーマ「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」、そして、宮本佳明「福島第一原発神社」やソ・ミンジョンの「ある時点の総体Ⅲ」という流れの中で、無人の風景や重力を無視するかのように分解していく家具を見たとき、そこには否が応でも先の震災を想起させるものがあった。渡辺自身、もともと震災を念頭に同作品を制作したわけではなかったので、本展では具体的な文脈を意識することなく、その抽象度の高さ故に渡辺の一貫した関心事のひとつである「自分が見ているものはいったい何なのか」という問いをそれぞれの観客に喚起するのかもしれない。


Above: 渡辺豪「one places / on “the room”」2013年. Below: ヤオ・レイヅォン[姚瑞中]+ Lost Society Document (LSD)「Mirage – Disused Public Property in Taiwan」2010年-2013年 Photo: ART iT

最後に、異なる形でドキュメンタリーの要素を取り入れたインド出身のランビール・カレカと台湾出身のヤオ・レイヅォン[姚瑞中]+ Lost Society Document (LSD)を挙げる。カレカの3面スクリーンの映像インスタレーション「House of Opaque Water」(2012)は、環境問題を専門とするプラディップ・サハによるガンジス川河口デルタのサンダーバーンズの島々を扱ったドキュメンタリーに着想を得て、幽霊の存在を交えた物語を展開する。一方で、ヤオ・レイヅォンが学生とともに手がけた「Mirage – Disused Public Property in Taiwan」(2010-2014)は、政治家が選挙対策として公約に掲げた施設の建築が、数年後や建設途中で放置されている現状を記録し、写真、映像、書籍に纏めたプロジェクト。同プロジェクトは、結果として地元メディアを動かし、さらには政府までをも動かすこととなる。ホー・ツーニェンの「PYTHAGORAS」のスペクタクルからほど遠い、この地味なプロジェクトがピープルズチョイス賞を受賞したのは、審査員にとっても驚きの出来事だったようだが、アートを通じたリサーチとアクティビズムが社会を動かすという事実/物語を帯びたことによるのだろうか。

『アジア太平洋酒造協会基金芸術賞』展は、展覧会としてひとつのテーマを導き出すことはないが、そこには綿密な準備のもとに各作品の関係性や共有可能な基層を生み出そうとするビエンナーレや企画展とは異なる「現在」の風景が立ち上がる可能性もある。ただし、それは政治的、経済的背景をなぞった風景とは異なるものとして現れなければならないだろう。

アジア太平洋酒造協会基金芸術賞2014
2014年11月14日(金)-2015年3月15日(日)
シンガポール美術館
https://singaporeartmuseum.sg/

特設ウェブサイト:https://singaporeartmuseum.sg/signatureartprize/

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