56:再説・「爆心地」の芸術(23)園子温と『ひそひそ星』(1)

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映画『ひそひそ星』より © Sion Production 5月14日〜新宿シネマカリテほかロードショー
監督・脚本・プロデュース:園子温 プロデューサー:鈴木剛、園いづみ 企画・制作:シオン プロダクション 出演:神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森康子、福島県双葉郡浪江町の皆様、福島県双葉郡富岡町の皆様、福島県南相馬市の皆様

「ひそひそ」は、園子温のなかで「ガガガ」と対をなす音だ。1990年代初頭、もともと詩人であった園は、単に活字で詩を発表したり、密室で朗読したりすることに飽き足りず、神出鬼没に路上で人を呼び寄せ、群れをなして街頭で「ガガガ」と叫ぶ実力行使(パフォーマンスとは呼ぶまい)に打って出た。これが「東京ガガガ」だ。当時はまだ地下鉄サリン事件の前で、テロという語自体が聞き慣れぬ響きだった時代である。今のような監視社会にはほど遠く、路上を発表の場所に据えるアーティストは今よりかなり多かった。実際、少しくらい不審な行動をとっても、煙たがられこそすれども、警察に通報されるなど余程のことがなければなかった。美術館の展示もまだまだ絵画や彫刻が中心で、それ以外に発表の場所などろくになかった。そんな時代に、既成の枠をはみ出そうとする美術家たちによって、多くの画期的な試みがなされたのが路上でのことだったのも、実はそうした恵まれた背景があった。ただ、それらはたいていひとりか、せいぜい数人で行われただけだった。そのほうが準備するのにもたやすいし、いざというとき撤収するのも楽だったからだ。


「東京ガガガ」は1992~1993年、渋谷や新宿で行われた。
横断幕には「ここから先は右左なし上下なし東京ガガガ」とある。
写真提供:Sion production

けれども、かれらと園が違っていたのは、それを集団でいっせいに行ったことにある。もっとも、集団で路上に出るということだけで言えば、1960年代の大阪万博前夜に加藤好弘らが新宿の大通りなどで行った「ゼロ次元」による「儀式」のような前例はもちろんある。それに先立って、すでに50年代には美術家たちが「九州派」を名乗って街頭に出てもいる。さらに遡れば、関東大震災の直後から盛んになったバラック芸術の活動なども、同様の流れから参照できるだろう。だから、それ自体としてはとりたてて前例がないというわけではない。また、比較の尺度を少し変えれば、「東京ガガガ」は、見かけ上は日本でもイラク戦争の頃から盛んになった若い世代による反戦デモ(パレード)にもよく似ている。ただし、園による「ガガガ」がこれらと比べてもひときわ鮮やかだったのは、そこになんの主張もなかったことだ。ゼロ次元にせよ九州派にせよ、明確なものではないにせよ、時代へのなにがしかの異議申し立てはあったし、具体的な抵抗への表明でもあった。それは2003年以降のサウンド・デモでも同様だろう。ところが、園による試みは、なによりもまず「ガガガ」という端的な響きの表明なのだ。
 

「東京ガガガ」 写真提供:Sion production

その意味では、それからやや遅れて銀座の歩行者天国を使って美術家の中村政人らが集団で決行した「ザ・ギンプラート」とも違っている。ギンブラートでは、銀座の歩行者天国を利用して発表するという申し合わせこそあったものの、総体としては個々人ごとの表現の多様性のほうが重んじられていた。これに対し「東京ガガガ」では、横断幕を用いるなどして集団行動であることがはっきりと打ち出されており、「ガガガ」という強烈な音の響きとダダイスティックな文字面の背後に、一人ひとりの参加者の顔はむしろ後退している。としたら、先に「デモに似てはいるが具体的な主張がない」としたけれども、「ガガガ以外なんの主張もないデモ(示威行為)」としたほうが正確なのかもしれない。

他方、「ひそひそ」もまた同じ頃に園の頭に浮かんだ音であることに変わりはない。「ガガガ」が響き渡る場所がわかりやすく目の前の東京に設定されていたのに対して、「ひそひそ」のささやかれる場所は「今ではないよそ」、すなわち「星」へと結び付けられている(「ひそひそ星」)。どこか遠くの星での出来事なのだから、いうまでもなく「ガガガ」のように目前のこの場所で即、決行することはできない。園は「ガガガ」だけを武器に街に出る一方、「ひそひそ」のためにはアパートの部屋へ閉じこもって、いつ実現するともしれない未来のための絵コンテを555枚描き、それを時が満ちるまで封印した。そして、それから25年の時が経ち、ようやく「ひそひそ」は『ひそひそ星』という映画になったのだ。


映画『ひそひそ星』より

『ひそひそ星』の舞台となるのは、たがいにひどく遠い距離で隔てられた寂しい星々である。これらの星々のあいだを、主人公のアンドロイドの女は、屋形船を思わせる時代錯誤的な宇宙船にひとり乗り込み、ずっと旅し続けている。彼女の旅の友は、レトロなラジオを思わせるデザインを施された発話する人工知能だけだが、それでも別に寂しそうではない。与えられた使命を実行するよう前もってプログラムされた人造人間だからだ。どんな使命なのか。映画ではっきりと説明されているわけではないが、どうやら星々で隔てられた人々は、もとはひとつの星=地球の住民であったらしい。ところが、何度となく大きな災害が彼らを襲い、加えて取り返しのつかない愚策が続くと、そのたびに人類の数は減っていき、ついにはバラバラに離散し、別々の星へと移り住まざるをえなくなった。アンドロイドの彼女は、その星ごとに身を寄せた住民=避難民たちに、かつて彼らが住んでいた故郷の懐かしい記憶の断片を宿すもの(関わりのない者にしてみたら、取るに足りないゴミやガラクタが大半だ)を直接、手受け渡す役割を与えられている。言ってみれば宇宙の宅急便だろうか。

ひとつひとつの星に降り立つと、彼女は星の住区ごとに仕分けされた黄色い箱を持って、届け先の住民が住んでいる家までそれらの品々を届けて歩く。そして受け渡しがすべて終了すると、もらった判子をまとめて、また別の星へと向かうのだ。ただし、彼らが住んでいる場所はもう、かつてのように賑やかに「ガガガ」とけたたましい音を放つ都市ではない。それどころか、30デシベル以上の音を立てると人々が死んでしまう恐れがあるため、大きな音を立てることは犯罪に指定されている。だから彼らは「ひそひそ」と声を潜めてしか話をしない。ゆえに街はひっそりと静まり返っており、通りにもかつての賑わいはいっさいない。

そう、「ガガガ」の時代から四半世紀が経った今、「ひそひそ」はかなたの星ではなく、私たちの現実となりつつあるのだ。だからこそ園は、これらの555枚からなる、かつての「今」ではありえなかった絵コンテを、3・11と原発事故を経て「死の街」になってしまった放射能汚染による避難区域という現実(撮影は地元の人々の協力を得て、福島県富岡町、南相馬市、浪江町で行なわれている)へと移し替え、目の前の現実を反映した『ひそひそ星』として可視化してみせたのだろう。


映画『ひそひそ星』より

ここには、驚くべき時の転倒と一致がある。すでに触れたとおり、園は90年代の初頭、街に出て「ガガガ」と叫ぶ一方で、いつかこの星に「ひそひそ」がやってくることを、宇宙船のような狭く孤独なアパートの一室のなかで、はっきりと透視していたかのようだ。なぜなら、震災と原発事故を経て、私たちは本当に「ひそひそ星」の住民になってしまったからだ。すでに私たちは「帰還困難区域」や「居住制限区域」そして「避難指示解除準備区域」といった「ガガガ」の頃には想像だにしなかったであろう新奇な語の響きを現実のものとしている。また実際、これらはそうそう大きな声で発せられるような誇らしい言葉ではない。だから、これらの語を口にするとき、その者はどこか「ひそひそ」と声を潜めざるをえない。声だけではない。それらの話がささやかれる場所は、昼からまるで異星のように静まり返っていて、存在しているのは口をマスクで覆い、無言でもくもくと仕事をこなす除染作業員という特殊な任務を負った男たちばかりだ。

避難区域のなかだけではない。外見的な賑やかさこそ変わらないかに見えるが、現在の東京もまた、かつてから大きく変貌している。人々は、いつなんどき、なにがきっかけで全方位から攻撃を受けるかわからない「炎上」を怖れ、日々言葉を慎み、デシベルよりもシーベルトのほうがポピュラーになった世界で、音を発することのないSNSを手に、精神的には「ひそひそ」、「ひそひそ」と息を潜めて暮らしている。(続く)

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