64:再説・「爆心地」の芸術(30)終わらない国際展 ー Don’t Follow the Wind近況(1)

2017年2月24日
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福島県の帰還困難区域で開催中の“見に行くことができない展覧会”=「Don’t Follow the Wind」 が始まって、もうじき2年が経過しようとしている(2015年3月11日から開始)。会場は全域にわたって依然、東京電力福島第一原発から放出された放射性物質による汚染で被曝線量が高く、帰還困難区域はバリケードによって封鎖され、厳重に立ち入りを管理されたままだ。その間、トリエンナーレ形式を始めとするいくつもの華やかな国際美術展、国際芸術祭が国内で開催され、閉幕していった。しかし、この展覧会はまだ始まったばかりだ。そして、昼夜を問わずたった今も展示は継続されている。この状態がいつまで続くのかについては、実のところ誰にもわからない。与党(自公)の復興加速化本部は東京五輪後の2021年をめどに帰還困難区域の一部で避難指示を解除する提言をしているから、もしかしたら会場の一部がまだら状に公開へと至る可能性もなくはない。けれども、展覧会の全容がすべて明らかになるのがいったいいつのことになるのかは、まさに神のみぞ知るだ。

もっとも、実行委員会を運営する私たちは、作品を会場に放置して封鎖が解けるのをただ待っているだけではない。展示のメンテナンスや記録のため、該当する自治体から公益一時立ち入りの許諾を得て会場を訪ねることは、いまでも個別に行なっているし、会場を提供してくださっている協力者の方々とのやり取りも続いている。またこの間、展覧会を見に行くことができない外の人たちへ間接的にその様子を伝えるため、非公開の展示を“見に行くことができる展覧会”に翻案し、国の内外で積極的に出版に関わってきた。後者のうちもっともまとまった成果が『Don’t Follow the Wind 公式カタログ 2015』(河出書房新社)で、展示では2015年の秋に東京・外苑前のワタリウム美術館で開催された「Don’t Follow the Wind Non-Visitor Center」展があるが、ほかにも「第20回シドニー・ビエンナーレ」(オーストラリア、2016年)を始めとする国際美術展にも複数、加わっており、今年も同様にロンドンやアテネでの発表が計画されている。


「Don't Follow The Wind Non Visitor Center」展会場風景(2015年、ワタリウム美術館、東京) 参加作家に関連する作品や資料が、主にガラス越しに展示された。


Don't Follow The Wind「A Walk in Fukushima」 2016年 360度ビデオ、ヘッドセット、福島の帰還困難区域内に残されていた家具、オーストラリアのウラン、地図 第20回シドニー・ビエンナーレでの展示風景(会場:Carriageworks) Courtesy of Don't Follow the Wind


Don't Follow the Wind「Material Witness」2016年- 福島の帰還困難区域で発見された日常品、それらのあった現場写真、およびそれらが取り除かれた現場写真 「Perpetual Uncertainty / Contemporary Art in the Nuclear Anthropocene」展(2016年、Bildmuseet、ウメオ、スウェーデン)での展示風景

私自身は本展に2013年の秋、企画立案者であるChim↑Pomの卯城竜太に声を掛けられて実行委員となり、以後はじかに関わるようになった。だが、それに留まらず、出品作家のひとりとして2014年に結成した「グランギニョル未来」(赤城修司、飴屋法水、椹木野衣、山川冬樹)の一員として会場に入り、とある場所に作品を設置してもいる。このような前例のない試みに対処するためには、実行委員、キュレーター、アーティストといった従来の枠組みに沿って活動しているだけでは、真の意味での創発性など望めないと考えたからだ。

ちなみに、「グランギニョル未来」が帰還困難区域に設置しているのは、「デミオ福島501」と題した「かつて車だったもの」である。デミオはマツダ社製の自家用車なのだから車の作品と言えばよいものを、わざわざ「かつて車だった」と言い直しているのには、実は理由がある。私たちはこのデミオに車両としての一時的な抹消手続きを施し、陸運局にナンバー・ プレートを返却することで事実上、鉄の塊に戻しているからだ。ただし、本来の廃車ではなく一時的な廃車であるため、一定の時間が過ぎたあとでも、正式な手続きを得て会場からレッカーなどで外に持ち出し、除染を施し、いま一度車検を通してナンバーを取得し直せば、自動車として「復活」する可能性が残されている。

2015年2月にはまだ当時、現役の車であったデミオにメンバー4人で乗り込み、バリケードで封鎖された帰還困難区域の検問を、外国でもないのにパスポートを提示して入域し、ガソリンを使い切る直前に会場へとそのまま乗り付け、所定の場所に停車してドアから降りた時には、なにか得体のしれない時の迷子になってしまったような気がしたものだ。しかし、入域できる時間は制限されている。うろたえている余裕はない。私たちはすぐ、車に満載してきた各人にとって大きな意味を持つ物品を取り出し、車内やその周囲に設置した。その中には、本連載(第52回)でも取り上げた故・三上晴子の「かつて作品だった」ものも含まれている。そしてオイルを抜き、バッテリーを外し、ナンバープレートも取って、最後にドアに鍵をかけて会場にも施錠し、かつて車だったものを帰還困難区域を塞ぐバリケードごと封印した。これが故・赤瀬川原平の「宇宙の缶詰」(1964)や、彼もそのメンバーであったハイレッド・センターによる画廊封鎖=「大パノラマ展」(同)、さらにはマルセル・デュシャンの「遺作」(1946-66)を意識するものであることについては、いまはまだこれ以上語るまい。

もっとも、私たちは多い時で一年に数度、そのたびごとに公式の許諾を得て防護服を着用のうえ会場に入り、展示の現状確認と記録、それに加えて観客が不在のままいくつかのパフォーマンスを行っている。そのうちのひとつで2015年の夏、「ガマの中の帰還困難区域」と題して行われたパフォーマンスについては『新潮』(2015年10月号)にエッセイを寄せたことがある。戦時中に熾烈な激戦地となった沖縄のガマの闇に身を収めた飴屋と、数百キロを隔て、福島で帰還困難区域となった場に防護服を着て滞在する私と山川とを電話回線で繋ぎ、1985年のやはり夏に御巣鷹の尾根に激突して炎上した日航機123便を主題に書いた私の戯曲「グランギニョル未来」のうちの一幕を再演した。それは、「オキナワ」と「フクシマ」を、「ヒロシマ」で生産されたマツダ社製——Mazdaの綴りの由来はゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダーで、この神は「火」(=内燃機関から原子炉まで)を司る存在ともいわれる——の自家用車で、なかば廃車となったデミオを媒介に、時空を超えて接続するためであった。その時の様子は、先のワタリウム美術館での展覧会の会期中に「ラジオ・ドラマ」のかたちをとって関連企画の中で披露している。また少し前に八戸市立美術館で「ラジオ=ラジオ・アクティヴ・ドラマ」(豊島重之)として公開した時のことについては、本連載でもすでに触れている(第60回)。


八戸市美術館におけるグランギニョル未来の”ラジオ=ラジオ・アクティヴ・ドラマ”、「ガマのなかの帰還困難区域」公演(「赤城修司+黒田喜夫——種差デコンタ2016」展関連イベント「デコンタ・フォーラム3」より) © ICANOF 写真提供: ICANOF

今年の1月、Chim↑Pomのメンバーのうち4人と連れ立って、私たちは「デミオ福島501」が設置された展示場に何度目かの入場を行った。そして「かつて車だったもの」のドアの鍵を解いてもう一度中を開け、新たに加えるためのいくつかの品を乗せ、それに続いて前回同様やはり観客不在のまま、今度は別のパフォーマンスを行った。パフォーマンスとは、私自身が「デミオ福島501」の前に立ち、「かつて三上晴子の作品だったもの」に囲まれて行った詩の朗読である。「空想のゲリラ」と題されたその詩は、先に記した八戸市立美術館で開催され、メンバーのひとりでもある赤城修司の個展「種差デコンタ2016」で、同展のキュレーターを務めた豊島重之によって見えない主題として示された詩人、黒田喜夫によるものである。以下に全文を引用するが、まさしくこれは帰還困難区域の詩ではないか。

空想のゲリラ

もう何日もあるきつづけた
背中に銃を背負い
道は曲がりくねって
見知らぬ村から村へとつづいている
だがその村の向うになじみふかいひとつの村がある
そこに帰る
帰らなければならぬ
目を閉じると一瞬のうちに想い出す
森の形
畑を通る抜路
屋根飾り
漬物の漬け方
親族一統
削り合う田地
ちっぽけな格式と永劫変わらぬ白壁
柄のとれた鍬と他人の土
野垂れ死にした父祖たちよ
追いたてられた母たちよ
そこに帰る
見覚えある抜道を通り
銃をかまえて曲り角から躍りだす
いま始源の遺恨をはらす
復讐の季だ
その村は向うにある
道は見知らぬ村から村へつづいている
だが夢のなかでのようにあるいてもあるいても
なじみない景色ばかりだ
誰も通らぬ
なにものにも会わぬ
一軒の家に近づき道を訊く
すると窓も戸口もない
壁だけの啞の家がある
別の家に行く
やはり窓もない戸口もない
みると声をたてる何の姿もなく
異様な色にかがやく村に道は消えようとする
ここは何処で
この道は何処へ行くのだ
教えてくれ
応えろ
背中の銃をおろし無音の群衆につめよるとだが武器は軽く
おお間違いだ
おれは手に三尺ばかりの棒片を摑んでいるにすぎぬ?(*1)

それにしても、なぜ黒田だったのか。「グランギニョル未来」が扱う日航機123便の墜落事故から、東電福島第一原発事故までを繋ぐ軸線に「事故」という共通項があるからだ。メンバーの赤城による膨大な量の写真に収められた放射性廃棄物の「カリオキバ」から着想され、豊島によって八戸へと召喚された黒田の詩を、今度はさらに巨大な現実の「カリオキバ」である帰還困難区域に身を置き、あらためて朗読し直すという「解釈の事故」が、私にはどうしても必要であると感じられたからだ。その詩を私は、八戸での展覧会の時に関連企画で配布された黒田の詩をめぐる資料から朱字の万年筆で便箋にあらかじめ書き写し、それを手に防護マスク越しに朗読を行い、終了後、その原稿を車内に収め、ふたたび封印をした。

この原稿とは別に私は、映画作家の大林宣彦監督から託されたメッセージも車内に収めたのだが、それについては次回に譲ることにしたい。(続く)


1. 黒田喜夫「空想のゲリラ」、1955年 出典:黒田喜夫『除名』(『燃えるキリン 黒田喜夫詩文撰』附録、発行=共和国、2016年1月1日、非売品)。本連載の第60回に引用したものとの細部の異同は、初出と現在流布しているテクストとの違いによる。こちらは後者にあたる。

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