11:瀬戸内国際芸術祭を観る(前編)

9月の頭、早朝の便で空路、高松に入り、その日のうちに女木島、男木島と廻る。翌日は前に見逃していた直島の家プロジェクト、午後は小豆島。翌々日は朝から豊島、夕方から大島。最終日は直島のベネッセハウスでのシンポジウム参加を控え、軽い昼食後に李禹煥美術館。日程上、前に訪れたことのある犬島は見送らざるをえなかったが、それにしても連日の猛暑のなか、ハードな行程だった。
 

小豆島
撮影:中村脩

しかし、それに見合うだけの収穫はあった。 オープン当初(斜面に立ち並ぶ今はなきパオや共同浴場がなつかしい! )から訪ねていた直島を除けば、どの島もまったく初めての体験だ。もっとも、その直島にしてもべネッセハウスがなければ一生涯で行くことがあったかどうか。越後妻有アートトリエンナーレもそうだが、これらの国際芸術祭は、訪れる人にとって美術体験である以前に旅であり、場合によっては巡礼に近い体験を提供する。90年代以降、世界各地で盛んになったいわゆる「国際展」との最大の違いはそこにあると言ってよい。たとえば「横浜トリエンナーレ」(2001〜)では、作品の多くは美術館に准ずる箱会場で「展示」され、その体験は「旅」と呼ばれるには遠く、むしろ従来の鑑賞行為の緩やかな拡大解釈に留まっている。

もっとも、広大な野外や遺棄された場所を用いた現代美術展ということなら、過去にも随分多くの例がある。1980年代に同じ瀬戸内を臨む岡山県牛窓町の海岸や広場を舞台に始まり、今回の芸術祭の原型といった感がある「牛窓国際芸術祭」(1984〜1992)や、90年に始まり、埼玉県飯能市の名栗湖畔の森林各所を使って催され、「大地の芸術祭」の趣もある「名栗湖国際野外美術展」(1990〜)などは、その一例にすぎない。もっとも、これらの芸術祭・野外展では、選ばれた場所がアーティストの手によって異化されることはあっても、質的に変容(たとえばその地を訪れる人が一変してしまうような)するには至っていない。他方、今回の芸術祭での試みでは、すでにそこにあったにもかかわらずーー事実、高松で会った多くの関係者が、これらの島の大半に行ったことがないと答えていたーー実質的には見えていなかった「瀬戸内海」そのものが、歴史的事象や「負の遺産」と相まって再発見される過程があり、またその未知の過程そのものが各人の美術体験をかたちづくる基盤となっている。

海外に目を向ければ、ヤン・フートが仕掛け、ゲント市内54箇所に及ぶ一般住宅に送り込まれたアーティストが一斉に“家の変容”を引き起こす「シャンブル・ダミ」(1986年)や、ドイツの地方都市ミュンスターで10年に一度、街の全域を舞台に繰り広げられ、彫刻という概念を限界まで拡張して行われる「彫刻プロジェクト」(1977年〜)などが先例として挙げられようが、七つの離島と二つの港をフェリーや高速艇で結び、延べ4ヶ月にわたって開かれる国際芸術祭は、そのスケールにおいて桁違いだといえるだろう。
 

豊島

むろん、争点がないわけではない。アートやアーティストは、そこで瀬戸内を見直すためのきっかけに留まっていないか、本来の芸術体験よりも、旅や観光としての体験の方がアートを上回ってしまっていないか、という点である。これに関しては、個人的にはアートの体験が必ずしも旅や観光の体験を上回らなくてはならないと云う事はない、という立場を取る。元来、芸術体験は生の渦中で起こる非日常性を孕んでいる。その意味では、どのようなすぐれた芸術体験も、端的に人が生きる日常を基礎にしてはいるのだ。逆に言えば、どのような日常の渦中でも芸術体験は起こりうる。非日常性を喚起する旅や観光の最中であればなおさらだし、そもそも旅や観光は人の生と地続きである。同様に、アートも人の生や旅と地続きであってよい。究極的には、どちらがどちらを包摂するような関係ではないのだ。
 
こうしたなかでは、旧来の美術館もまた大きくその役割を変えざるをえない。美術の体験を非時間的な一瞬に留めて永遠に凝固させようというのであれば、美術館という均質空間は理想的だろうが、そういう純粋視覚の場としての「館」はすでに制度疲労により運営の限界に来ている。これは先に触れたシンポジウム(「未来の美術館のかたち」中原佑介、北川フラム、日比野克彦、建畠晢=司会、9月5日、ベネッセハウスミュージアム)でも私自身、話したことだが、今回の芸術祭で地中美術館や犬島アートプロジェクト「製錬所」が果たしているように、「未来の美術館」は、美的体験を集約する制度上の中心=本丸というよりも、生と地続きの旅を結節する「みちの駅」のような存在であってよい。つまり、美術館と芸術祭は対立するのではなく、ひとつの経験のなかで共同して働く複数のレイヤーの一部と考えた方がよい。そこでは、美術館とその外部を媒介する複数の経験の総和が、比喩で言えばたがいを「呼吸」するように働いている。それは純粋な視線による対象の「凝視」や、世界のどこにも属さない抽象的な空間の提示とはあきらかに異なるものだ。
 
話は変わるようだが、先日、渋谷HMVの閉店がCD時代の終焉を物語る出来事として報道されたのは記憶に新しい。が、CDを買うということは最初から、あの味気ないディスクを手に入れているにすぎなかった。であれば、人が対価を払うのがコミュニケーションである以上、CDが売れなくなるのは当然なのだ。他方、特定の場所に根ざしたロック・フェスティヴァルとしてのいわゆる「夏フェス」は、風物として定着し、多くの動員を集めている。実は、同じことが美術の世界でも起こっているのではないか。瀬戸内国際芸術祭は9月頭で当初目標となる30万人を早々に記録したというが、それはアートにおける「夏フェス」的な要素を多分に持っているからだろう。また、こうした規模の芸術祭が実質的に機能している背景に、携帯電話や電子メール、ツイッターといった電子メディアの恩恵があることはあらためて考えてよい。こうしたメディアが存在しない20年前であれば、離島を結ぶような芸術祭は、たとえ開催にこぎ着けても、ここまでうまく機能することはなかっただろう。啓蒙の対象(展示)ではなくコミュニケーションの媒介(祝祭)としてのアートはーーそれを良しとするか拒むかはさておきーー電子メディアの更なる発達とともに、今後ますます加速されていくことだろう。(後編へ続く)

写真提供=瀬戸内国際芸術祭

 
瀬戸内国際芸術祭2010

会期:7月19日〜10月31日
会場:瀬戸内海の7つの島+高松

目次
連載 椹木野衣 美術と時評

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