51:追悼・三上晴子 ― 彼女はメディア・アーティストだったか(5)

※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。

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© studio parabolica  Photo: Naoya Hatakeyama

今年の初め、あまりにも唐突にその訃報が伝えられて以降、断続的に書き継いできた三上晴子をめぐるこの文章も、今回をもって、いったんの区切りとしたい。といっても、むろん終わりではない。私たちはまだ、亡くなった三上との思索の旅に出たばかりだ。その終着点は誰にも決められない。

本論を始めたときに私が最初に立てた問いは、「彼女はメディア・アーティストだったか?」というものだった。それは、三上がメディア・アートとはほとんど無縁なところから作家活動を開始し、そのような「括り」に縛られない可能性を持ちながら、ある時期から過去の履歴を「封印」したため、よくも悪くもメディア・アートの創始者のひとりとして「葬られる」ことに、消しがたい齟齬を感じたからにほかならない。この違和の念は、作家としての三上の起源が、メディア・アートを特徴づけるテクノロジーの発達などにはなく、まったく別のところに創作の動機を持っていたのではないかという疑いの念に端を発している。それをあぶり出すことで、メディア・アートともジャンク・アートとも違い、ばかりか両者を橋渡しすることができる、三上晴子という美術家をめぐる新たな鍵が見つかるのではないかと期待したからだ。


「New Formation of Decline 滅ビノ新造型」告知用ダイレクトメール
(1985年、恵比寿ビール工場研究所廃墟〔現ガーデンプレイス〕、東京) 
画像提供:株式会社レントゲンヴェルケ 協力:木村重樹

この鍵とはなにか。数回の考察を経て私たちが達したのは、どうやら「皮膚(スキン)」という概念であったように思う。限りなく薄いけれども、それを界面として表と裏をはっきりと分ける境界となり、同時に両者をゆっくりと媒介し、いつのまにか内と外とを逆転してしまうような相対的な働きのことを、三上は「被膜世界」と呼んだ。それが広義の「皮膚」を示すことについては前回、時系列を追いながら細かく追ったとおりである。

ところで、そのなかで私は、この語をめぐって三上が「皮膜」と「被膜」とのあいだを、微妙に揺らいでいたことについて触れた。最終的にこれは「被膜」のほうに落ちつくわけだが、両者のあいだには、実はたんなるニュアンスに留まらない大きな違いがある。

皮膜と被膜との違いとはなにか。かんたんに言えば、前者が名詞的な「対象」を指すのに対し、後者が受動的な「状態」を示していることにある。言い換えれば、後者は「被(こうむ)る」というかたちで「受動態」をなしているのだ。それは、なんらかの膜(=皮)によって、なにがしかが充填された内部が、まんべんなく被覆されている様子をあらわす。おそらく三上にとっては、それこそが人体の定義であった。

だが、そもそも人体はなぜ、皮膚によって被覆されなければならないのか。三上の作品を見るかぎり、そこにはふたつの答えがあった。ひとつは、被膜された人体の外界にある、様々な汚染や異質な環境から身(内)を守るためである。もうひとつは、それがちょうど逆転された状態——すなわち、被膜された人体の内部に染み付いた汚染が、外界へと放出されるのを防ぐためである。

被膜世界をめぐるこの二つの好対照な性質を、作品を通じて可視化するために三上が使ったのが、1990年にトーヨコ地球環境研究所(横浜)で開かれた個展「インフォメーション・ウェポンⅠ」で、観客が身につけることを義務づけられた防護服であった。


防護服に着替えてスーパークリーンルームに入る観客。「Information Weapons:スーパークリーンルーム」展(1990年、トーヨコ地球環境研究所、横浜)より 画像提供:株式会社レントゲンヴェルケ 協力:木村重樹

まさしく防護服とは、人体を薄い人工の皮膚(スキン)で覆うことで「被膜世界」を作り出すための道具である。フクシマ核災害以降、私たちは不幸にもそれを頻繁に報道やネットを通じて目にするようになった。それは一時的なものではあるけれども、拡散されてしまった放射性物質から人体を守るために必要な、今では不可欠な道具となっている。けれども三上によれば、実際には人体そのものがもとより被膜世界なのであるから、それは人体を二重に守っているだけに留まらず、人体そのものの比喩をなしているといったほうがよい。実際、90年の個展では、これとは逆に、防護服の外にある無塵室ならではの純度の高い環境を、あらかじめ汚染された人体から守るためにこそ防護服が採用されたのである。だが、このようなまったく対照的な使途があるにもかかわらず、そこで着用される防護服は、実は同じものでよい。外の汚染が内側にもたらされるのを防ぐのも、内側の汚染が外に漏れだすのを防ぐのも、けっきょくは相対的な差にしかならないからだ。両者は、実は同じ状態の交換可能な表裏にすぎない。

これにならえば、ジャンク・アートと呼ばれた時代の三上は、立ち入り禁止記号や厳重管理マーク、そして防護服などによって作られる汚染された被膜世界をモチーフにしていたことになり、他方、メディア・アートの旗手とみなされるようになってからは、外界の環境変化(たとえば重力の増減や無響室への隔離)が、エレクトロニック/デジタルな装置へと変換された新たな被膜世界を通じて、人体の内部知覚をいかにして守りうるかを重要視していたことになる。率直に言ってそこには、記号や衣服と技術との差しかない。そして、このような相対化を経れば、彼女がジャンク・アーティストであったかメディア・アーティストであったかという問いは、もはやまったく意味をなさなくなる。端的に言って三上晴子とは、目もくらむその彗星のようなデビューから、隕石の落下のような幕引きに至るまで、生涯にわたり、一貫して被膜世界を扱うアーティストだったのである。


「Eye-Tracking Informatics~視線のモルフォロジー」 2011年、山口情報芸術センター[YCAM]


三上晴子+市川創太「gravicells─重力と抵抗」(改訂新バージョン) 2010年、山口情報芸術センター[YCAM]
(上記2点とも)撮影:丸尾隆一(YCAM) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

前回の末尾で触れた写真集『BEIRUT』が、そのことをはっきりと示している。全編にわたり、容赦のない爆撃によって荒廃の限りを尽くした建物の残骸ばかりが並ぶこの一冊は、三上の創作の原点にあるものだが、印象的なのは、腕がもげ、全身に弾痕が残る一体の彫像が表紙になっていることだ。これはいわば、被膜に失敗した人体である。それが生命を持たないマネキンなのは、もとより命のない人形だからではなく、被膜世界をかたちづくることに失敗したからにほかならない。それは、言葉の真の意味において亡骸である。


ソフィ・リステルユベール『BEIRUT』、テームズ&ハドソン、1984年(三上の保有していた私物)

逆に言えば、三上にとっての被膜世界とは、つねに変化する生命現象そのものにほかならなかった。いや、その後の彼女の歩みを振り返れば、被膜世界に着目することこそが、外界に晒される人体という「暇(いとま)のない危機」をあらわにすることであったにちがいない。としたら、この写真集で延々と続く紙細工のようにひしゃげた建築物の数々は、被膜世界から見放されたという意味で、三上にとっては、どれも翻案された人体であったにちがいない。だからこそ三上は、これらの「ジャンク」をいまいちど被膜することで、人体(骨、神経、脳髄)として蘇生し、再生させなければならなかったのではあるまいか。この廃墟のような世界のなかで、みずからが生きるためにである。

この再生のための通過儀式のことを、三上は、ベンヤミンの『破壊的性格』からヒントを得て、「瓦礫の山の中に様々な道を見つけることができる」、「歴史の新しいルートの開拓者であり、同時に革命者である」ための「積極的行為」と呼び、実際にこの写真集の余白にそう書き付けていた。被膜世界をめぐる、この積極的行為としての大胆な冒険と歴史への介入、そして、人体という概念をめぐる革命者への道は、三上晴子という被膜世界そのものが生命体としての活動を終えることで、ふたたび瓦礫へと戻ってしまったかに見える。しかし、ほんとうにそうだろうか?

それを、ひとりの美術家をめぐる潜在的な可能性の回顧だけに終わらせないため、私は、批評家としての「危機」を賭けて、ある境界的な(=クリティカルな)試みをこの世界に仕掛けた。そのような「破壊的性格」(ベンヤミン)にもとづく「積極的行為」こそが、中断された三上の創作をかろうじて持続させ、この持続のなかから、いつか彼女の「本望」が実現されると考えたからだ。しかし、それについて語るには、すでにスペースの余裕がない。また、ここはそれについて語る機会でもない。折りを見てまた別の機会に、三上への贈与の一撃として明らかにすることにしよう。(了)

著者近況:「Seiko Mikami Project v.1 三上晴子と80 年代」展(10月2日~10月26日、パラボリカ・ビス)の関連イベントとして、10月10日(土)に山川冬樹と対談予定(詳細はこちらで公開予定)。ほか、責任編集を務めた『日本美術全集 第19巻 拡張する戦後美術(戦後〜1995)』(小学館)が発売中。また、自身も「グランギニョル未来」の一員として参加する、福島第一原子力発電所付近の帰還困難区域を舞台とした国際展「Don’t Follow the Wind」について、サテライト展「Don’t Follow the Wind Non-Visitor Center 展」がワタリウム美術館で開催される(9月19日〜10月18日)。9月末には編集に携わった公式カタログも河出書房新社より刊行予定。

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