椹木野衣 美術と時評 69:再説・「爆心地」の芸術(35):國府理『水中エンジン』とその分身

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「國府理 水中エンジン redux」(後期展)、2017年、アートスペース虹の展示風景
撮影:Tomas Svab

インディペンデント・キュレーターの遠藤水城から「國府理(こくふ・おさむ)『水中エンジン』再制作プロジェクト」なる企画について聞かされたのは、昨年の秋口のことだった。美術作品の過去作の再制作については、私自身もちょうど同じ頃、キュレーションを任された釜山ビエンナーレ2016での展示で菊畑茂久馬の「奴隷系図(3本の丸太による)」(1961-2016年)を実現したばかりだったので、身に覚えがないわけではなかった。そうでなくても過去、歴史上の重要作が少なからず再制作されてきた。身近なところでは、私たちが美術館で目にすることができる岡本太郎の初期の代表作「痛ましき腕」(1936年)は、実際には戦後(1949年)になってからの再制作である。だから決して珍しいことではないのだが、今回の再制作プロジェクトでいちばんの問題となるのは、作者が不在のまま行われる点だろう。そっくりに再現するにしても、何をして「再制作」が成り立っているか否かを決定する作者自身が、すでに他界しているからである。

2014年、国際芸術センター青森での個展「相対温室」が開いてまもなく、まだ不具合が残っていた新作「エンドレス・レイン」の閉館後の時間を使っての調整中、國府は作品の間近で意識不明となり、青森市内の救急病院に搬送されたが、そのまま帰らぬ人となった。密封された空間の中では軽自動車のエンジンがかけられたままになっており、死因は排気ガスの吸入による急性の一酸化炭素中毒とされた。展覧会は急遽中止となり、「相対温室」展も事実上、幻の展示となった。


國府理展「オマージュ 相対温室」、2016年、Gallery A4(ギャラリーエークワッド)での展示風景

その後、國府の三回忌にあたる2016年春、有志の手で國府理展「オマージュ 相対温室」(ギャラリーエークワッド、竹中工務店東京本社内)が開催され、青森展でのタイトルにもなっていた「相対温室」が再制作されている。ただしこの時も、同作がもともと、国際芸術センター青森の建物の形状や敷地環境、周囲に広がる緑の植生との往還や循環、さらには展示施設をめぐる内部(展示)/外部(自然)の反転(ゆえに「相対」なのだ)を含みこんで成り立つ作品であったことから、青森展とはまったく対照的と言ってよい都心での再現が、果たして故人の意に沿うかたちになっているのかどうかについての議論があった。もっとも、だからこそ國府の展覧会ではなく、國府への「オマージュ」展に留まるしかなかったわけだが。

同様の困難は今回のプロジェクトでも解決されたわけではない。と言うよりも倍増されている。まず、制作にあたる國府の姿勢そのものが一貫してそうであったように、オリジナルの作品を構成する部品がほとんど残っておらず、しかも「再制作」はおろか、「再現」そのものがひどく困難だ。それは、國府が作品と向き合う重要なコンセプトであったはずの自然の生態系やその内部での要素の移行や循環を、本来そういうことがないはずの完結した機械工作や作品制作にも持ち込んだ結果なのだ。なかでも「水中エンジン」は、アクリルの水槽の内部に貯めた水の中で自動車用のエンジン(スバル、サンバー)を強制的に稼働させるという仕組みを持っているため、一回の展示ごとにエンジンそのものが耐用限界を超えてしまい、オリジナルのエンジンは現存していない。なおかつ水中でエンジンを稼働させる作業を、國府は専門家に外注することなく、ほとんどすべて一人で行っていたが、そのためのマニュアルも一切残っていない。

このように本作では、作品を構成するパーツだけでなく、純粋にエンジニアリングをめぐる難題が山積みとなっている。実際、國府自身も過去に二度行われた展示(アートスペース虹=2012年、西宮市大谷記念美術館=2013年)では、会期中も作品のメンテナンス(水槽の水の入れ替え、セルモーターの劣化と漏電や浸水への対処、エンジンの稼働)を施し続けていた。また國府の命を奪った「エンドレス・レイン」で彼は、主催者から出された排気管設置のアイデアを、おそらくは造形的な判断から拒んでいる。しかし今回の「水中エンジン」では万全を期するため、エア・コンプレッサーによる浸水の排出など、最低限必要となる設備が随所で追加されている。


「國府理 水中エンジン redux」(後期展)、2017年、アートスペース虹の展示風景
撮影:Tomas Svab

このように本プロジェクトでは、遠藤が企画当初から問題点としてあげたように、オリジナル作品との同一性を担保する要素が物質的なパーツや造形美学的な判断だけでなく、展示期間中も試行錯誤が繰り返されるエンジニアリングから絶え間ないメンテナンスにまで及んでいる。もしもそのこと自体を作者自身によるパフォーマティヴな身体的介入と捉えるならば、仮に可能な限り國府が使った部品がそのまま活かされ、水中で同型のエンジンを稼働させることに成功したとしても、それは「水中で稼働されたエンジン」ではあっても、國府の「水中エンジン」と呼びうるかどうかは極めて怪しい。さらに別の角度からの問題もある。國府がみずからの命を失うことになった「エンドレス・レイン」は、同様に密閉された空間の中でエンジンを稼働させることで成り立っていた。その不具合への「絶え間ないメンテナンス」の最中に事故は起こった。そのような不測の事故の余地は、危険の質こそ違えども、水中にガソリンを供給し、内燃機関の稼働を無理矢理行おうとする本作においても同様につきまとっている。もし今回も不幸な事故が起きるようなことがあれば、残された者は國府の死からなにも学んでいないことになる。

だが、むしろ遠藤は、これらの問題ゆえに本プロジェクトを立ち上げたとも言える。そのことについてはあとで触れよう。第一に、「水中エンジン」における事故の余地は、ほかでもない國府自体が誰よりも強く意識していた。というのも、環境との調和や身体との親和性を重んじてきたそれまでの國府の作風と比べた時、著しく傾向の異なる「水中エンジン」を作ったことの背景自体に、2011年の東日本大震災の勃発による東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故があったからだ。そのため國府はしばらく作品が作れなくなるほどだったという。言い換えれば「水中エンジン」は國府にとって、作品がこれまでのようには作れなくなってしまったことについての—言い換えれば震災以降も作品を作り続けることができるための—ひとつの回答でもあった。

火力発電と比較した時、原発は地球環境への二酸化炭素の排出量が少ないことから、長く環境に優しいクリーンな発電技術として意図的にアピールされてきた。しかし、濃縮ウランを燃料とし、核分裂反応による継続的な熱の発生を応用した原発は、水を沸騰させた蒸気でタービンを回して発電する巨大な「湯沸かし器」であり、その意味では最新の技術を謳いながら、実は19世紀以来の旧態依然とした産業革命の産物である。他方、自動車のエンジンは密閉されたシリンダーの内部でガソリンを酸素と混合し、爆発的に燃焼させることでピストンを動かす内燃機関で、この過程で発生する排気ガスは地球環境をひどく汚す。その点では対照的なものの、同じ 19世紀由来のエネルギー源である点では一致している。國府はこれらの 19世紀的な技術とは原理的に異なる、その意味では 20世紀的と言えるソーラーパネルを早い時期から制作に積極的に取り入れていたから、もしもそちらに自分の作家的なアイデンティティを見出すなら、福島原発事故にそこまで大きな衝撃を受ける必要はなかったはずだ。その國府がなぜ、実際の事故の危険を冒してまで、福島原発事故以後に「水中エンジン」や「エンドレス・レイン」をわざわざ作り、内燃機関が抱える負の要素にむしろいっそう強くこだわり続けたのか。

遠藤は、本プロジェクトの最初のお披露目にあたる、みずからキュレーションを手がけたグループ展「裏声で歌へ」(小山市立車屋美術館、2017年4月〜6月、栃木)に続いて企画した第二弾に当たる「水中エンジン redux(リダックス)」展(2017年7月、アートスペース虹、京都。遠藤呼ぶところの「日本シリーズ」としては第3戦、なお「裏声」展は第2戦)で、そのことについて考えるきっかけを新たに提示している。ちなみに、「水中エンジン」が初めて発表された場所でもある(繰り返された原点としての)アートスペース虹での同展は、会期中の前期と後期で展示内容が大幅に違っており、本レビューの執筆時点は前期にあたり後期は未見である。後期では新たに準備されたエンジン(=4号機、ちなみに裏声展が3号機、國府自身によるものは1号機、2号機と事後的にキュレーション的判断で遠藤により命名されたが、これはあからさまに福島事故原発を連想させる)が改めて投入され、水中で稼働されるということだが、では前期ではなにが展示されているかというと、裏声展で役割を終えた3号機エンジンが水中から引き出され、無残、かつ、いささか暴力的に吊るされている。


「國府理 水中エンジン redux」(前期展)、2017年、アートスペース虹の展示風景
撮影:Tomas Svab

これは、「水中エンジン」に先立って2007年に発表された國府による「地中時間」(1993-2007年)と題する過去作の展示を参照したものだ。それにしてもなぜ「地中時間」なのか。國府は1993年、家の庭の地面にエンジンを埋めることを思い立った。その時点では作品として考えられていたかどうかも定かではないこのエンジンを、國府はそれから14年が経過した2007年になって掘り出し、内燃機関としての機能を終えた金属塊=ジャンクとして吊り(というよりも晒し)、「地中時間」と題して発表した。仮に「水中エンジン」が福島原発事故に触発されて作られたのだとしても、「地中時間」はそれより4年前に世に出ており、國府自身の判断で「水中エンジン」の発表時にも広報資料の中で触れられていた。二つの作品のあいだには、エンジンを「地中」と「水中」に収める点でも、一回ごとに耐用限界を超えてジャンクとなる点でも重なる部分がある。つまり「水中エンジン」の原型となるような構想は、福島原発事故を待つまでもなく、國府の中に潜在していたことになる。


國府理 「地中時間」、1993-2007年

このことを念頭に遠藤は、「redux」前期展で、裏声展で役割を終えた同型のエンジンを、ただし地中からではなく水中から引き出し、「地中時間」と同じ形式で吊って見せた。これはもはや「水中エンジン」の再制作でも再現でもない。むろん「地中時間」の再制作や再現とも違っている。ではいったいなんなのか。遠藤はこの展示を「作品資料『3号機エンジン』」と記しており、ここでは國府の名や「水中エンジン」の語さえ用いられていない。「redux」前期展での主要な展示は、実は2012年にアートスペース虹で開催された1号機展、2013年に西宮市大谷美術館で開催された2号機展、そして今年の春に小山市立車屋美術館で開催された3号機展の展示記録映像(ちなみにこれらの映像は本展のために記録を保持している者から提供を募られ、会場で使われているモニターもオリジナルの機材が探され、可能な限りそのまま使用されている)のほうなのだ。そして後期展以降ではおそらく、これに4号機展の展示記録映像が加わることになるのだろう。

このように「『水中エンジン』再制作プロジェクト」とは、その進捗の途上で、プロジェクト自体が絶え間なく再編成し、軌道修正し、その意味を問い直す中でしか成立しない。一連の経緯を踏まえれば、このプロジェクトの名称自体が、もはや根本的に変更の必要を迫られていると言っても過言ではないだろう。しかし、これを本プロジェクトの瑕疵とすることはできない。それどころか、こうした問いかけと語り直しからなる「語りの誘発」と連鎖自体が、それ自体「未完」であった余地を残す「水中エンジン」を再制作=「再帰」(リダックス)しようとするこのプロジェクトの実体なき実体のはずなのだ。この点で本プロジェクトは、これまで過去に行われてきた通例としての「再制作」とは完全に一線を画している。


國府理(1970-2014) 撮影:Tomas Svab

しかし、だからこそと言うべきか、本プロジェクトの核心は、國府が未完のまま残した(正しくは未完であったかどうかさえ定かではない)作品を、作者の死後、どう捉えるかという問題だけに限定されない。ことはむしろ今後、現在のアートを作者の死後、どう扱い、どう伝え、どう評価するのかという問題にまで及んでいる。というのも、今日、アートはますます絵画や彫刻といった実体的な単体から、プロジェクト形式の関係性の再編へと向けられており、こうした作品を今度どう残していけばよいかについては、遠からず深刻な問題に突き当たることが明らかだからだ。すぐに思い付くもっとも真っ当な解決方法は、作者による指示書やそれらをめぐる記録、すなわち映像から写真に至る資料を作品と同等に扱い、美術館に収蔵するというものだろう。しかしそれは、本来なら関係性の束の中で単体的な美術作品を批判するために取られた方法が、結局は実体として収蔵庫に収められるという本末転倒のうえにしか成り立たない。それはそれで行われてよいと考えるが、関係性を実体とみなすそのような保存が、元来が単体として魅力を持つ絵画や彫刻の耐用限界に及ぶことがないのは火を見るよりも明らかなことだ。おそらく、それらは死蔵こそされども、積極的に後世まで「語りを誘発」することはできないだろう。こうした問題についてのより詳細な検討は、「水中エンジン」をめぐって、今年の11月に「過去の現在の未来2(仮)」と題したシンポジウム(*1)の開催が美術館で準備されているというから、それを待つとして、遠藤による「國府理『水中エンジン』再制作プロジェクト」の本当の意味での核心は、未来へと伸びるこうした長い射程へと向けられていると考えるべきだろう。

奇しくも私が会場を訪れた日、京都は突然のゲリラ豪雨に襲われていた。私は先んじて立ち寄っていたアートスペース虹近くの京都国立近代美術館で長時間にわたって足止めを余儀なくされたが、ちょうどコレクション・ルームでは「キュレトリアル・スタディズ」展と銘打って「泉/Fountain 1917〜2017」が開催されていた。これは、マルセル・デュシャンの「泉」が歴史に刻まれた1917年から数えて、今年がちょうど100年にあたることから企画された全5回にわたる連続展で、それぞれに独立したキュレーターが立てられ(私が立ち寄ったのはそのうち第二回にあたる「He CHOSE it.」、キュレーション=藤本由紀夫)、各人ごとにまったく異なる展示コンセプトでデュシャンの「泉」が再検討されている。

突然の降り止まぬ雨(エンドレス・レイン?)で、「水中エンジン redux」展へと向かう直前、偶然にもデュシャンの「泉」展に足止めされたのは、ある意味、理にかなっていた。というのも、いずれも作者は故人でオリジナルは存在せず、残されたのは写真やレプリカで(遠藤水城の名も含め、どれもが水にまつわるというのは言い過ぎかもしれないが)、にもかかわらずデュシャンの「泉」は汲めども尽きぬまさしく泉のように優に100年を生き延び、それどころかますます旺盛に残された者たちの語りを誘発し続けている。現代美術そのものが、この作品から生まれたとする見解も少なくない。しかし、ではいったいその「秘訣」はなんだろう。美術館に収蔵されたからでないことだけは確かだ。オリジナルが存在しないのだから。ではなんなのか。「水中エンジン」を通じて、実は私たちはそのことについてこそ考えなければならない。


1. 同プロジェクトは、2017年11月23日開催予定のシンポジウム「過去の現在の未来2(仮)」(会場:兵庫県立美術館)に参加予定。シンポジウム全体は、現代美術の再制作や保存修復をめぐり、美術館というシステムやアーカイブの可能性を考えるものだという。

「國府理 水中エンジン redux」展は、アートスペース虹(京都)にて前期(7月4日〜7月16日)、後期(7月18日〜7月30日)の日程で開催。

著者近況:
2017年9月17日、青森県立美術館での「アグロス・アートプロジェクト 明日の収穫」関連イベントである「農業とアート」をテーマにしたシンポジウムに登壇予定。他に石倉敏明(芸術人類学/秋田公立美術大学准教授)、豊島重之(モレキュラーシアター主宰/ICANOFキュレーター)、山内明美(歴史社会学/大正大学准教授)が参加する。
詳細:http://www.aomori-museum.jp/ja/event/66/

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