58:再説・「爆心地」の芸術(25)第五福竜丸から今へ (1)

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第五福竜丸展示館 開館40周年レセプションより(安部公房作品を元にした小劇)
写真提供:公益財団法人第五福竜丸平和協会

去る5月29日、神田の学士会館で開かれた東京都立第五福竜丸展示館、開館40周年レセプションに足を運んだ(*1)。会場はたいへんな盛況で、円卓の随所に、長く数奇な運命を辿ってきたこの船をめぐる歴史的な証言者と呼びうる顔ぶれが見かけられた。その中には、事件から約2ヶ月後の5月、事故と被曝の実態解明のため、有志の各分野科学者たちによる急ごしらえの調査船、俊鶻丸(しゅんこつまる)に乗り組み、ビキニ海域現地で「死の灰」の採取と分析に当たった岡野眞治(*2)の顔も見えた。そう、今年は1976年6月10日にこの施設が江東区夢の島に開いてから40年という、大きな節目を迎える年にあたっているのだ。


上:第五福竜丸展示館 下:館内の第五福竜丸船体 写真提供:公益財団法人第五福竜丸平和協会

焼津船籍のマグロ釣り漁船、第五福竜丸は1954年3月1日、海域を守って漁をしていたにもかかわらず、太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁で行われたアメリカによる水爆「ブラボー」の核実験によってばらまかれた死の灰を浴び、乗り組んでいた23人全員が急性被曝症状を発症、帰港後、焼津協立病院に搬送された。そして同年の9月23日、重篤な症状を呈していた無線長の久保山愛吉さんが、東京都新宿区の国立東京第一病院(現国立国際医療研究センター)で亡くなる。日本でヒロシマ・ナガサキに次ぐ、核の犠牲者が出たのだ。それだけではない。日本人の食生活を支える水産物の漁場である太平洋が、放射性物質の降下によって全域にわたり汚染されたことが発覚。「放射能マグロ」「原子マグロ」をはじめとする膨大な魚が各地で穴に埋められるなどして廃棄された。また実際に被爆した船舶は多数におよぶことが今日ではわかっており、マグロのみならず、黒潮の影響を強く受けるカツオの汚染などをはじめ、実験後に日本列島全土にわたって降った雨に含まれる放射性物質の人体への影響など、その被害の実態は、いまだに詳しいことがわかっていない。

その直後から、魚商らが区議会に訴えたのをきっかけに、家庭の食卓を預かる主婦層が杉並で声をあげて火がつき、日本各地で大規模な水爆実験中止の署名運動に発展。その延長線上に、翌年の8月6日には第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催され、9月には原水爆禁止日本協議会が発足、さらに翌56年には日本原水爆被害者団体協議会が結成されるのである。実のところ、第五福竜丸の被曝事件によって、日本人は放射能禍の真の恐怖をヒロシマ・ナガサキへとさかのぼるかたちで初めて意識し、具体的に意見表明、行動し始めたのである。この意味で第五福竜丸の存在意義は、日本におけるヒロシマ・ナガサキに次ぐ被曝事例という年譜的な事実に留まらない。ましてや、東日本大震災での東京電力福島第一原子力発電所の原子炉3基メルトダウン=大規模放射能漏れ事故の渦中にあっては、ますます大きい。おりしも、第五福竜丸展示館の記念レセプションが催されたのは、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問した5月27日の翌々日のことだった。意外だったのは、そのような貴重な機会であるにもかかわらず、受付で配られた式次第のなかに、東京都からのメッセージが寄せられていなかったことである。冒頭を飾る広島市長、長崎市長、焼津市長、さらには第五福竜丸が建造された和歌山・串本町長らの言葉が並ぶなか、船体とエンジンを所管する東京都が沈黙というのは、あまりと言えばあまりば所作ではあるまいか。


館の敷地内で屋外展示される第五福竜丸エンジン 写真提供:公益財団法人第五福竜丸平和協会

もっとも、このような態度に至る背景はあるにはある。実は、この展示館の展示物のうち、都に帰属するのは第五福竜丸の船体とエンジンの2点だけなのだ。しかし実際の展示館に足を踏み入れると、この歴史的な被曝事件の実相を伝えるために、それ以外にも3300点もの資料が管理され、随時展示されている。すなわち、都は展示物を所有こそすれども、展示館で行われている啓蒙的・平和教育的な方針には関わっていない——言い換えれば、展示館は都に帰属する船体のいわば「格納庫」(エンジンは屋外に展示)にすぎず、そもそも博物館として登録されていない。運営の主体となるのは、あくまで公益財団法人第五福竜丸平和協会なのである。

しかし、たとえそうだとしても、この展示館が、ヒロシマ・ナガサキを顕在化し、広く世界に伝える歴史的な媒介となった船体をめぐって、40年にわたって貴重な資料を収集・保存し、私たちに第五福竜丸被曝事件について知る機会を提供してきた事実は揺るがない。そればかりか、この事件が広く世に伝えられず、それに次いで生まれた原水爆禁止世界大会や原水爆禁止日本協議会、そして日本原水爆被害者団体協議会がなかったら、私たちにとってのヒロシマ・ナガサキは、今とはまったく違うものになっていたかもしれない。実際、こうした積み重ねがなければ、先のオバマ大統領による広島訪問でさえ、実現はなかったかもしれないのだ。それが風化と忘却に抗い、今日にまで伝承され続けているのは、やはり船体が「もの」として保存され続け、一度思い立てば見に行ける場所に「ある」という事実がことのほか大きい。それだけではない。都はこの展示施設の設立趣旨(「展示館設立と展示の趣旨」)のなかで、「東京都は、遠洋漁業に出ていた木造船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨禍がふたたび起こらないようにという願いを込めて、この展示館を建設しました」(昭和51年6月10日)と、はっきり表明しているのである。この日付は、展示館が今から40年前に開館した日にあたっている。

そのような理念と未来への希望を根幹から支えてきた船体とエンジンを所有する都は、このような歴史的機会に、なぜ明確なメッセージを再発信することができないのか。そもそも、第五福竜丸の船体らしき「ゴミ」が夢の島に捨てられていたのが発見されたのは、都の港湾局下の職員をはじめとする関係者の報告であり、1968年に都議会で船体の保存への協力を表明したのも、当時の美濃部亮吉都知事ではなかったか。

いずれにせよ、こうした歴史的経緯に支えられながら、第五福竜丸はこれまで、多くの芸術家にインスピレーションを与え、数々の作品を生み出してきた。岡本太郎「燃える人」(1955年、東京国立近代美術館)や「明日の神話」(1969年、現在は渋谷駅に設置)、そしてベン・シャーンの連作「ラッキー・ドラゴン」(1960年、福島県立美術館蔵)はつとに有名だが、被曝事件のあったのと同じ1954年の11月には早くも劇場公開された東宝映画『ゴジラ』(監督=本多猪四郎、特殊技術=円谷英二、音楽=伊福部昭ほか)が持つ意義は今日、ことのほか大きい。ハリウッドで製作されるなど度重なるリメイクを経て、この夏に公開を控える『シン・ゴジラ』(監督・特技監督=樋口真嗣、脚本・編集・総監督=庵野秀明)に至るまで、その余波は現在まで世界的に波及し、途絶えることがない。それどころか、むしろアクチュアリティ(「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」。〜『シン・ゴジラ』のキャッチコピー)はいや増している。


岡本太郎「明日の神話」1969年、幅30m×高さ5.5m 作品右下部に、第五福竜丸を思わせる魚船のモチーフが見られる。2011年には、Chim↑Pomが同作に添えるように福島第一原発の爆発の絵を設置した「LEVEL 7 feat.明日の神話」でも話題となった。


ベン・シャーンの連作「ラッキー・ドラゴン」は、物理学者ラルフ・ラップが1957〜58年に『ハーパーズ』誌で発表した第五福竜丸に関するルポの挿絵から発展。2006年にはアーサー・ビナードの構成・文により、絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)にもなった。同書巻末のビナードによるエッセイと共に掲載された「ラッキー・ドラゴン」(1960年、綿布・テンペラ 福島県立美術館)は、久保山愛吉を描いたものと考えられる。

78YbGktcHe0映画『ゴジラ』(1954年、東宝)予告映像

けれども、少なくとも『ゴジラ』のオリジナル公開当時、観客は当時の世相からして、『ゴジラ』と水爆実験「ブラボー」、第五福竜丸の被曝に端を発する「放射能マグロ」の恐怖、そして口から放射性の火焔を吐く海洋水爆大怪獣の東京上陸を切り離してみることはできなかったはずだ。この意味で、岡本太郎からベン・シャーン、ゴジラに至る、今ここで暫定的に挙げた第五福竜丸の余波から生まれた芸術作品群は、いま一度今日見えてくる新しい背景から捉え直される必要がある。その背景を象徴する出来事と言葉とは、第五福竜丸被曝事件の直後にこの世を去った「犠牲者」久保山愛吉の死そのものと、彼の記念碑に刻まれた「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」にほかならない。(次回に続く)


1. レセプションでは開館40周年記念誌『都立第五福竜丸展示館 40年の歩み』(公益財団法人 第五福竜丸平和協会)が配布されており、本稿執筆にあたっても参照している。市販品ではないので入手希望者は館に問い合わせを。

2. おかの・まさはる(1926-) 第五福竜丸事件以後も、チェルノブイリ原子力発電所事故をはじめ、放射能過酷事故の推移を自作の放射線測定器で一貫して観測し続けている。3・11の際にはNHK・ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を通じ、鎌倉市の自宅でシンチレーション・スペクトロメーターを使って環境放射線量を観測、また装置をいち早く被災地に運び込み、放射線衛生学者の木村真三と車で移動しながら汚染の度合いを測定し続ける姿が広く伝えられた。

都立 第五福竜丸展示館 Official Site
http://d5f.org

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