62:再説・「爆心地」の芸術(29)種差デコンタ2016(3)

2016年11月29日
連載目次


八戸市美術館「赤城修司+黒田喜夫——種差デコンタ2016」展示風景(会場3階) © ICANOFカリ 写真提供:ICANOF

(承前)では、放射性物質のカリオキバとはいったいどこにあるのか。カリオキバは、<仮置き場>であることで、原理的に「仮」の存在である。しかし同時に、「仮」であることによって積極的に動的な存在でもある。赤城の自宅から出た放射性の汚染土は、一時的に庭の中に埋められ、あるいはほかの選択をした家では塚のように敷地の一角に置かれているが、福島での核災害への行政的な手続きが円滑に進むならば、順次、次の場所へと移動していくはずのものである。事実、赤城の自宅の地中に埋められていた汚染土は、すでに掘り起こされて別の場所へと移動している。

別の場所というのは、福島市内に散らばって存在する、集合的なカリオキバのことで、私は赤城に案内され、なかなか目の届かない場所にある、もしくは届いたとしてもいつしか日常の「風景」として目を留められなくなっていく集合的なカリオキバを何箇所か見て回った。別の人たちにとっては特に問題視するには至らない、あるいは、なかば無意識的に見ないようにしているのかもしれないこれらの集合的なカリオキバを、なぜ、赤城は「ツチボウ」を手に、これほどまでに執拗に追い続けるのか。はたしてそれは、赤城が福島市内から身を引き剥がし、カリオキバが日常の風景と化した家やその周辺から周期的に距離を取ることができた「避難生活」——赤城は原発事故後、家族とともに会津へと出て、そこでアパートを借りて「仮(カリ)」住まいをしながら、毎朝自家用車で福島市内の勤務先へと通い、週末だけ自宅にひとりで戻って写真撮影に集中する生活を続けていた——の効果であったのか。それとも、これは赤城の精神により深く刻み込まれた別のなにかに起因するのだろうか。それは、赤城が長きに渡った避難生活を終え、家族とともに福島市の自宅に戻ったいま、次第にはっきりしてくるものと思われる。はたしてそれは、前回書いたような赤城の黒田喜夫化を、さらに促すことになるのだろうか。それはまだわからない。少なくとも言えるのは、赤城が家に戻ったにせよ、それとはまったく無関係に、カリオキバの問題はなにも解決していないということだけだ。




上:赤城修司「2013年6月8日」 下:同「2014年11月9日」 © Shuji Akagi 写真提供: ICANOF


戸別のカリオキバから集合的なカリオキバに移動した放射性物質は、本来であれば、今度は中間貯蔵施設と名付けられた、より広域にわたる汚染土などを保管する超・集合的なカリオキバに順次、集められていくことになっている。この施設は国の管轄となるが、原発事故の起きた福島県浜通りに位置する双葉郡の帰還困難区域に広がる一帯に建造されることになっている。ただし、その作業が順当に進んでいるとは言いがたい。中間貯蔵施設を建造するためには、帰還困難区域に指定され、強制的に家から出された戸主の持つ土地を、国が買い上げるなり、借り上げるなりして建造の許可を個別に取る必要があるのだが、それが遅々として進んでいないのだ。私は東京でその建造計画説明会(主に首都圏へ避難した人々を対象とする)に出席したことがあるが、そこには、いったん手放してしまえば、中間貯蔵施設が「中間貯蔵」という仮置き場ではなく、最終処分場=移動なき着地点になってしまうのではないかという深い疑いが多数表明されていた。

そう、いかに大きな施設とはいえ、中間貯蔵施設もまた、30年という年限を区切った放射性物質のカリオキバであることに変わりはないのだ。つまり、この問題のこじれの原因もまた「仮」という点では、赤城の庭に埋められていたカリオキバと本質的に変わりがないという点にある。最終処分場が定まらない限り、カリオキバが持っている仮ゆえの動的な様態は、円滑には働き出さない。しかも、福島県や中間貯蔵施設が立地する予定の自治体がその受け入れを決めたのは、最終処分場は福島県内には作らないという前提があってのことなのだ。そして、肝心の最終処分場の建設予定地をこの日本列島のどこに絞り込むかについては、まだ候補地の公表さえされていない。つまり、中間貯蔵施設も、地域ごとの超・集合的なカリオキバも、一時的なカリオキバも、その一時性さえ確保できないことでやむなく作られたカリ・カリオキバも、結局は次のカリオキバに身を移すことができないまま、いまはまだその場に留め置かれたままなのだ。

この出口のない仮性の留め置きは、おのずと、すべてのカリオキバに一種の〈糞づまり状態〉を生み出さずにはおかない。カリオキバの動的な性質は原則、前進を前提に担保されている。ところが、最終処分場が存在しないことでその特性が逆転し、今度は延々と後退せざるをえなくなるのだ。カリオキバはカリ・カリオキバを生み、カリ・カリオキバは次にカリ・カリカリオキバを生み出すほかない。この〈カリカリ性〉が無限後退すれば、やがて最後には、私たちのからだそのものが、放射性物質の貯蔵施設の最末端を担わなければならなくなるだろう。前進がない以上、カリオキバはますます、身近な場所へと後退せざるをえなくなるからだ。そして、私たちにとってもっとも〈身近〉なのは、もって字の通り「身」そのもののほかにない。ここは、最終処分場という遠大な国家的プロジェクトに比して驚くほど日常的で、卑近でさえあり、いつでもどこでも手を伸ばせばすぐそこにある。それどころか、伸ばされる腕そのものが「施設」の一部であるような、カリオキバの遍在化と分有そのものだ。極端なことを言えば、そのとき、私たちの一人一人が動くカリオキバになるのである。

私は八戸市美術館での赤城展で流されていた、彼の活動を記録した映像で、自転車に乗り、カリオキバからカリオキバへと終始無言で移動し続ける赤城が、一度だけ携帯電話で家族に一報を入れたとき、「いまチャリチャリしているところ」と答えたその「チャリチャリ」という声の響きに、あの「カリカリ」とよく似た仮性と動態の共存を感じた。もしかしたら、たえまなく移動して放射線量を計測し、カリオキバの仮性を追うように記録し続ける赤城の活動そのものが、カリオキバの〈カリカリ性〉と化しているのではあるまいか。

カリオキバの細分化をめぐる、こうした奇怪な運動性は、同様の甚大な核災害で比せられるにせよ、チェルノブイリではまったく見られなかった性質のものではないだろうか。爆発炎上した原子力発電所から大規模拡散した放射性物質で広大な土地を汚染したチェルノブイリの事故は、地平線の彼方まで広がる無人の大地を生み出したが、福島での事故は、軽微な汚染が残り、それでも人がデコンタ=除染をしながら日常を維持し続けるという、狭い国土と列島ゆえの異例な汚染地帯を生み出した。その中に散らばるカリオキバに特有の仮の仮性は、実は「日本的除染」とでも呼ばれるべき異例の事態を生みだしているのである。


赤城修司「20140213福島県立美術館」 © Shuji Akagi

いま私は、その赤城に誘われ、2013年に福島県立美術館の日本庭園での除染作業を見学させてもらったときのことを思い出している。作業に当たっていたのは、通常の除染作業員とはやや異なる人たちだった。対象が日本庭園だったからなのかもしれない。それを請け負っていたのは、地元の庭園業者たちだったのである。私たちが目撃したのは、庭に置かれた石や植木といった入り組んだ表面を持ち、あらゆるところに窪や溝を刻んだ多孔質の複雑な曲面から、コケや土をひたすら無言でこそげ落とす人たちの姿だった。植木や庭石を手入れする小さな手道具で、カリカリ、カリカリと音を立てながら——。


ハイレッド・センター「首都圏清掃整理促進運動」1964年 撮影:平田実 © Hirata Minoru

そこには、なにか禅的と表現するしかないような奇怪な境地さえ感じられた。そして、行為の意味そのものが真空のようになった場に、かつてハイレッド・センターが銀座の並木通りを徹底して掃除し、今では歴史的に評価されているハプニングを連想すると同時に、実はそこがまぎれもない汚染地帯であることとのギャップに唖然とさせられた。それは、もはや日本的除染としか言いようのないなにものかだった。どこまでも〈身近〉まで無限に後退せざるをえない停滞の中で、カリオキバの仮性が物理的にカリカリカリと音を立てながら、そこでは、まったくなにも生み出すことのない「掃除」へとひたすら特化され、放射性物質という主(あるじ)なき「無主物」への対処のための「無主為」を生み出していたのである。(この項・了)

「赤城修司+黒田喜夫——種差デコンタ2016」展は、八戸市美術館にて2016年8月26日~9月11日の会期で開催された。


著者近況:『「釜山ビエンナーレ2016」 報告 ——アジアの中の日本・前衛・美術 菊畑茂久馬×山口洋三×椹木野衣』に登壇予定。12月17日(土)、福岡市・Rethink Booksにて開催。
詳細:http://rethinkbooks.jp/event/1782

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