ニッポン国デザイン村:4

飲み屋に教わる建築のリアリティ

もう3年間近くも「来夢来人」と名のつくスナックの取材に、日本各地を回っている。アサヒカメラという月刊写真誌の連載企画だが、北は北海道の漁村から南は与那国島の飲み屋街まで、30軒あまりの<スナック来夢来人>を訪ね歩くのは、ほんとに楽しい経験ばかりだった。

全国におそらく15~16万軒あるといわれるスナックの中で、なぜ来夢来人を選んだのかというと、一説によれば来夢来人が日本のスナックでいちばん多い名前だから。全国スナック協会なんて組織があるわけではないので、正確なところはだれにもわからないのだが、電話帳やネットで調べただけでも、70軒以上の<スナック来夢来人>が全国各地に散らばっている。ほかに中華料理屋から風俗店、珍しいところではクリーニング店にまで来夢来人があって、ちょっと驚いたが。「来る夢、来る人」と書いて「ライムライト」と読ませる。「夜露死苦」にも通じる見事な、詠み人知らずの四文字超短詩は、それだけ日本人のこころにぴったり寄り添っているのだろう。
毎月異なった県の来夢来人にお邪魔して、インタビューと写真撮影をさせてもらう。ママさんやマスターにいろいろお話をうかがうのだが、かならず聞くことにしているのが「どうして来夢来人という名前を選んだんですか?」という質問。「チャップリンの映画が好きだったから」という答えあり、「小柳ルミ子の『来夢来人』から」(1980年発表の中ヒット)というのもあったが、いちばん多かったのが「よく聞く名前だから」「お客さんがどっかで見てきて、すすめてくれたから」だったのには、かなりびっくりした。

ひとの一生で自分の店を持つという経験は、そう何度もあるもんじゃない。編集者という僕の職業でいえば、編集長として新雑誌を創刊するぐらい? いや、もっとまれな人生の一大事だろう。自分が雑誌を創刊するとなれば、ほかにないものを、ユニークなものを、とネーミングはずいぶん考えるはずだ。たとえばこの「アート・イット」だって。店を持つのもまったく同じことだと思うのだが、そこで「だれも考えつかなかった名前」ではなく、「いちばんよく見る名前」を採用してしまう、そういう人生への向き合い方(おおげさ?)が、スナックというユル~い快楽空間の本質を見事に象徴している。
一生のうちですごく大事なことを、すごく簡単に決めてしまう、過去形でも未来形でもなく、現在進行形だけのシンプルで、だからこそ豊かな生きざま。僕がスナックという場所に、ママさんやマスターの人生に魅了されつづけてきたのも、けっきょくはそういうことなのかもしれない。

数ヶ月にいちど、うちに分厚い封筒が届く。中味は日本各地のスナック街のスナップ写真で、送り主は平田順一くんという1970年生まれの男性だ。
川崎市に生まれて、地元の高校を卒業したあと、機械工として就職。同時にカセットテープで多重録音する、ひとりきりの音楽活動を開始しながら、週末には青春18切符を利用した国内旅行を、平田くんはくり返すようになった。
1993年には『ゴッド・セイヴ・ザ・ラジカセロック』という初CDを発表。いまも高円寺のライブハウスなどで、小さなラジカセに録音したバックトラックに乗せて、ブリキの菓子缶を叩きながら自作の詞を絶唱する、ユニークなパフォーマンスを継続中である。

平田くんがスナックを撮影しはじめたのは、2000年のこと。富山県新湊市(現在は射水市)に旅行したおり、ローカル電車と歓楽街の風景が印象的で、そのときはカメラを持っていなかったのでレンズ付きフィルムで撮影、以後国内の地方都市をくまなく歩くようになったという。
平田くんが写すのは昼間のスナック街だ。地方都市特有の、ひと気のまったくない飲み屋街。ものすごくてきとうなネーミングのスナック看板や、毒々しいファサード、あるいは廃墟とまちがいそうな陋屋の居酒屋。夜になれば暗闇が隠してくれる、でも昼のひかりのもとでは隠しようのない、疲れた素顔。その、あまりに突拍子もない店名や、恐るべきデザイン・センスに爆笑しながらも、いつのまにかこころを満たす場末の詩情。2010年の日本のリアリティが、ここにある。そしてそのリアリティは、たしかにかっこよくもオシャレでもないが、見方によってはかわいらしくて、そう居心地悪くもない。

日本の建築メディアは東京にしかないけれど、日本の建築家たちの主要な活動の場は、いま地方にしかない。シャッター通りに囲まれてそびえたつ駅ビル、ハコだけ素晴らしく豪華な役所や美術館・・・。建築雑誌をめくれば、そんな「作品」がうじゃうじゃ掲載されているが、いまこの瞬間に日本人であること、東京以外の9割である地方に住み暮らすことのリアリティは、そんな「作品建築」にはぜったいに見つからない。ローカルでありたい人々のためのものなのに、ローカルを捨ててグローバルを目指そうとすることの滑稽さが、最先端の建築家たちにはまったく見えていないからだ。
平田くんが送ってくれたサービス判のプリントは、もう数百枚になった。いつの日か僕はこれを一冊の本にしたいのだが、本人は「そんなこと・・」と照れながら、言葉少なに微笑むばかり。そうして派遣の仕事に汗を流しながら、あいかわらず休みの日にはたったひとり炎天下の飲み屋街を歩き回って、記録を続けている。

もう御大になってしまった建築家たちに期待するものはなにもないけれど、これから建築を目指そうとする若い人たちの、そのうち百人にひとりでもいいから、コルビジェやミースを見にヨーロッパに飛ぶよりも、来夢来人や、「夜りたい」や「客多数」(カクタス)や「惑女」(マドンナ)なんて看板を掲げて平気な顔をしている、場末のスナック街を汗みどろで歩き回ってくれたらと思う。
けっきょく、どんなにドレスアップしてみても、背伸びしてみても、リアリティのない建築には愛もないのだから。










 
写真: 平田順一

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