ニッポン国デザイン村:2

暴走のデフォルメ

週末の深夜、静まりかえった住宅街に、突如として爆裂するエキゾースト・ノイズ。空吹かしのエンジン音がブンブブンブンとリズムを刻み、絶え間ないクラクションがパラランパラランとメロディを奏でる。コンクリートとガラスの森に響く、ジャングル・ドラムのごときコール&レスポンス。そして間抜けなほどあとから追いかけてくる、頼りないパトカーのサイレン。現代日本の風物詩、暴走族のお通りだ。

売春が人類の歴史と同時に誕生したように、暴走族もまた自動車やバイクの歴史とともに歩んできた。自動車レース、バイク・レースが特権階級のスポーツ=ルールを定めた喧嘩であったとすれば、暴走とはルールを定める人間たちへの挑戦であり挑発行為でもあった。

1960年代初期に日本全国を席巻したカミナリ族のネーミングが如実に物語るように、暴走族とはすなわち交通法規を破り「暴走する人々」のことであり、それはなによりもまず「スピード」を意味した。マシンの最大性能を引き出すべく改造を施し、速度制限、信号、ヘルメットなどの安全基準のすべてをことごとく無視し、ときにはみずからの命の大切ささえ無視して、ひたすらカッ飛ぶ。これこそが暴走行為の根元的な美学であり、だからこそいまもニュージャージーで、リバプールで、バンコクで、夜毎の死に向かってカッ飛ぶ若者があとを絶たないのである。

ところが1970年代後半から80年代初期にかけて、世界最速のバイクを作る国、日本において革命的な転回が発現した。暴走族が速くではなく、ゆっくり走るようになったのである。極端なエンジンの空吹かしによって、音だけ聞いていればサーキットにいるようだが、実はひとが歩く速度とかわらないほどのスローさで、彼らは道路をいっぱいに使って走るようになった。それはスピード違反で駆け抜けるよりも、「走らない」ことで道路の機能を麻痺されることのほうが、体制側にとっては驚異となりうると、暴走族たちが本能的に察知した瞬間だった。

エンジン音やクラクションは、もはやマシンが発するノイズではなく、出撃のマーチとなった。その攻撃的なメタル・ミュージックは彼らが向かうべきステージ=車道の邪魔者たちを蹴散らし、客席=沿道に観客たちを集める、先触れのファンファーレとして夜の街に響きわたるようになった。

走り抜けるのではなく、パレードすること。暴走族のマシンが、走るための武器から、目立つための御輿に変貌していったのは、その当然の帰結である。1980年代後半から千葉、茨城などの首都圏近郊都市、関西、福岡などで同時多発的に発生し、92年ごろにピークを迎えた四輪、二輪の極端にデコラティブな改造ブームは、そのような「パレードとしての暴走」のための、まさに最終的な解答であった。

高価で大出力・高性能のマシンは、彼らにとってほとんどなんの意味も持たない。それに窮屈な教育システムから早々とドロップ・アウトした彼らにとって、費やせる予算はごく限られたものでしかない。通常、ベースとなるマシンは中排気量の格安中古バイク、先輩からのお下がり、あるいは盗難車である。

クルマやバイクの改造となれば、専門のショップやファクトリーでの作業が常識だが、暴走族の場合は圧倒的にセルフ・ビルド。どのチームにもたいていひとりかふたり、メカや塗装の上手いメンバーがいて、彼を中心にほとんどの改造が自宅の庭先や、夜の道端で行われている。

実際の改造作業においてはロケット・カウル、三段シート、延長テール、拡声器、回転灯、ラッパなど、あくまでも目立つ部分がポイントとなる。逆にエンジンのチューンなど性能をアップする改造については、ほとんど考慮されない。また、ロケット・カウルの角度や高さを競う千葉、茨城、群馬などの「チバラキ仕様」、爆発カラーと呼ばれる独特の塗装で知られる「福岡仕様」、ヒョウ柄や金華山など派手なマテリアルでシートを張る「関西仕様」など、スタイリングの面でローカルな特徴が鮮明なのが、とりわけ興味深い。

すべてのマスメディアが一極集中し、東京都心から地方に拡散していくだけの極端な一方通行の情報システムが支配する現代日本の情況の中で、暴走族の改造美学は不敵にも地方で生まれ、育ち、さらにあちこちの地方に広まっていった。そして深夜のファミレスや、コンビニ前で缶コーヒー片手にしゃがみこみながら、さまざまに無謀なアイデアが生まれ、試され、消えていった。

高級外車に、高価な付属品を山ほど搭載してご満悦のクルマ・ファン、バイク・ファンに、彼らのスタイルは決して理解できないだろう。安物のマシンに、自らの手で徹底的なデフォルメを施すことで生まれるその圧倒的な存在感には、パンキッシュにしてほとんどバロック的な美学がある。そしてその挑戦的な美学は、無駄な高性能競争とモデル・チェンジに明け暮れる自動車・バイク業界に対する、もっとも向こう見ずな反乱でもあるのだ。

いまから20年近く前に、日本各地の公道上を舞台に異形の舞を繰り広げ、そして見事に姿を消してしまった、あのウルトラデコラティヴなバイク。その勇姿をどうしても甦らせたくて、いま広島市現代美術館で開催中の展覧会『HEAVEN 都築響一とめぐる、社会の窓から見たニッポン』(~7月19日まで)で、当時の名車を特別にカスタマイズした一台を展示中である。

実車の制作にあたってくれたのは、世田谷区用賀MISTYの古橋祐二さん、JAPAN Z FAMILYのリーダー渡辺和幸さんのおふたり。どちらも全盛期の巨大暴走軍団を率いてきた、ツワモノ戦士だ。現代美術館のクールな空間に舞い降りた、”お祭り仕様カスタムバイク・魅寿帝”と名づけられた一台のバイク。その猛々しい存在感と、世界中のどこにもなかったオリジナリティを、できれば実際に自分の眼で確かめていただきたい。こんなものが実際に走れるわけがないだろう、と疑うひとたちには、いまから15年前の元旦に、とある田舎で撮影された短い映像を教えておく。

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グローバルではなく、ローカルなチカラ。ほんとうに、かっこわるいものは、なんてかっこいいんだろう。

All photos Kyoichi Tsuzuki. © Kyoichi Tsuzuki.

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