ニッポン国デザイン村:5

失われたラジカセを求めて


HITACHI TRK-W4U, (ca.1984), 50×15 cm

「パキスタン人が盗難車を集めてこっそり輸出」とか「大量の自転車が万景峰号に積まれて北朝鮮に」なんて事件が話題になるたびに、出てくるのが「ヤード」という存在である。山奥や休耕地の一角を高い塀で囲んで、廃棄された自動車、自転車、家電製品などを集めて海外に送る一時的な集積地だ。

中東から東南アジアまで、各国からバイヤーが出入りするヤードで、発展途上国向けの家電製品としてもっとも人気が高いのは、テレビでも冷蔵庫でもなく、ラジカセなのだという。まだ電気の来ていないような地域でも、ラジカセなら電池で作動するから、それでラジオを聴くというのだ。ラジオで音楽やニュース番組を聴くだけなら1ヶ月ぐらいは電池が持つラジカセは、そういう地域に暮らす人々にとって、外界との貴重なコミュニケーション・ツールである。

タイやベトナムの街角で、CDと並んでカセットがドンと積まれているのを見たことがあるひとも多いだろう。アメリカやヨーロッパのミュージック・ショップでも、まだまだCDと同時にカセット版を発売する新譜がたくさんある。このウェブサイトを見ているような方は、いまやCDすら買うことなく、ダウンロードばっかりというタイプかもしれないが、日本だって演歌業界、カラオケ業界においては、いまだにカセットテープが重要な位置を占めている。演歌専門のレコード店に行けば、いまでもCDと並んでカセットのミュージック・テープが売られているし、店頭には録音用の空テープが山積みされている。

レコード店主によれば、カラオケの練習をするのに「1小節巻き戻す」といった細かい操作にCDプレイヤーを使うのはとても無理で、特に年配のお客さんにはカセットが好まれているのだという。たしかにそのとおりで、操作性のインターフェイスという観点からすれば、現在のCDプレイヤーやMP3プレイヤーよりも、アナログなカセットのほうが、はるかに優れている。しかもCDやMP3データは、1ヶ所でも破損すればデータ全体が読み取れなくなってしまうが、テープだったら傷んだ個所をつなげば、残りのデータは無傷のままで再生可能。記憶装置としても、ハードディスクやCDより、はるかに安定したメディアなのだ。


PIONEER SK-400 (RUNAWAY MIDI), (1980), 50×20 cm

そういうカセットを聴くのに必要なのが、ラジカセである。1960年代末に日本で生まれた偉大な発明であるラジカセ。ちなみに「ラジカセ」という名称を最初に使ったのは、カーステレオやカーナビ、レーザーディスクも世界に先駆けて商品化したパイオニアだと言われている。

ラジオが聴けて、カセットがかけられて、録音もできて、AC電源でも乾電池でも駆動するラジカセは、音楽が室内に縛りつけられることから一歩先に進んだ、画期的な技術だった。もしかしたらウォークマンよりもノートパソコンよりも、ましてやiPodなんかよりも、はるかに。

1980年代のアメリカにおいて、創生期のヒップホップ・シーンを支える存在として「ブームボックス」、「ゲットー・ブラスター」などと呼ばれ愛されたのを、覚えている方もいらっしゃるだろう。音楽をストリートに持ち出すこと。自分だけのサウンドシステムを持ち歩けること。ヒップホップ・カルチャーの誕生は、ラジカセなくしてはありえなかったかもしれない。

そして1970年代から80年代にかけて、世界を席巻したラジカセはほとんどすべて日本製だった。サウスブロンクスでは日本製のラジカセを黒人たちが肩に担ぎ、北京では特権階級のアパートでラジカセから流れるムード・ミュージックに合わせて社交ダンスに興じるひとたちがいた。

そんなラジカセが、いまでは「CDやMP3プレイヤーを買えない、使いこなせない」、テクノロジー弱者のための“貧者のオーディオ”に成り下がり、あまりに子供っぽく見にくいデザインの商品だけが、かろうじて電器屋の片隅に置かれているのは、こころ痛む光景である。


Left: SONY CFM-11 (Musican), (1981), 16.5×24 cm. Right: SHARP CT-6001 (Color TV THE SEARCHER), (1980), 59×35.5 cm

1970年代から80年代にかけてラジカセが世界を席巻した時代の、重厚かつ硬質なデザインを懐かしむ声は少なくない。実は欧米にもアジア諸国にも、熱狂的なラジカセ・コレクターがたくさんいて、修理用のパーツも海外のほうがずっと入手しやすかったりする。

自動車などと同じく、現在の家電はブラックボックスと化し、どこかが壊れたら「修理」ではなく「交換」するだけ。でもラジカセはテープが回っているのも、駆動部分も内部の配線もぜんぶが目に見えて、そして手を加えることが可能な「メカ」であることに、まず魅力がある。いま使っているiPodを30年後まで修理して使いつづけることは考えられないが、ラジカセならそれが充分可能なのだ。

現在の音楽ディバイスに較べ、ラジカセは異常なまでに大きくて、重い。それが音の良さにもつながっているし、インテリアとしても成立しうる。そしてカセットテープはどんなハードディスクやCDRよりも安定して長持ちする記憶媒体だし、自分で録音することも容易だ。世界中のどこを旅しても、店頭で買えるCDは商品としてパッケージされた音楽だろうが、フリーマーケットなどではわけがわからないカセットテープが投げ売りされていて、そういうのを聴いてみると、ただのおしゃべりや声のメッセージ、自然音などがそのまま録音されていることがある。あるいは自分なりのコンピレーションに、手書きの曲目リストを小さな字で書き込んであるテープだったり。そういう、生活の匂い、テープを作った人間の息づかいが感じ取れるのは、カセットテープというメディアならではの特性だ。

いま、古物店やフリーマーケットでかっこいいラジカセを見つけても、たぶんそのほとんどはまともに動かないし、メーカーのサービスセンターに持ち込んで修理してもらえるわけでもない。ほしいけど、飾っておくだけじゃなあ・・と購入を躊躇した経験を持つ方もいると思う。でも、最近では70年代、80年代の黄金期のラジカセに魅せられたひとたちが、独自の修理・再販ショップを立ち上げるようにもなってきた。ここで紹介する東京・足立区のデザイン・アンダーグラウンドは、そういう「ラジカセ再評価ムーブメント」の先頭に立つ個人工房だ。

自分たちが生み出しておいて、その真の価値を認識しないまま捨て去ることが、もしかしたら世界中でいちばん得意な日本という国。失われたラジカセ文化もまた、その不幸な犠牲者なのだった。


足立区花畑の団地に工房を置く<デザイン・アンダーグラウンド>は、いにしえのラジカセの美に魅せられた、ひとりのインテリア・デザイナーが職を辞し、40代からの後半生を賭けて開いた、希有な「ラジカセ再生ファクトリー」である。
もうすぐ先は埼玉県という足立区北部の花畑から保木間にかけて並ぶ、築数十年の古びた団地群。花畑という地名があまりに不似合いな、その一角の1階が商店街になっている棟にデザイン・アンダーグラウンドがある。
平日の昼間なのに、ほとんどが営業していない雰囲気のミニ商店街のなか、1軒だけ目立つ乳白色のガラスドアを開けると、いきなりそこはラジカセやポータブルテレビや、部品類が山と積まれたカオス空間。棚で見通せない奥のほうに声をかけると、出てきてくれたのがみずから「工場長」と名乗るデザイン・アンダーグラウンドの主、松崎順一さんだった。
1960年生まれ、最近は『ラジカセのデザイン!』という、ご本人のコレクションを披露しつつ、ラジカセへの熱い思いをぶちまけた写真集も出版されている。ここに紹介するのは、松崎さんが甦らせてきた逸品の、ほんのいくつかだ。

DESIGN UNDERGROUND
東京都足立区南花畑5-15保木間第5団地14-105
http://www.designunderground.net/

画像協力:青幻舎, 『ラジカセのデザイン』(松崎順一, 2009)

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