ニッポン国デザイン村:1

”お水スーツ”の吸引力

地方出張に行った夜、ひとりビジネスホテルの狭い部屋で飲む気にもなれず、地元のスナックのドアを、おそるおそる空けてみる。それなりに歳をとって、どんな高級料理店だろうが怖じ気づいたりはしないが、知らない町の、知らないスナックのドアを開ける瞬間は、いまだに緊張してしまう。

スナックに欠かせないものはまず第一にママさん、お酒、カラオケマシン、それに”お水スーツ”だ。グンと張り出した肩パッド、ダブルのボタンをきゅっと絞ったウェストライン、胸から覗くレースのビスチェ、そしてもちろんミニスカートにハイヒール・・・バブル全盛期のゴルチェやティエリー・ミュグレー、あるいはボディコンの元祖といわれるアズディン・アライヤを思わせる、それは大胆なシェイプであり、大胆な色づかいであり、大胆な女らしさのアピールだ。

ファッション雑誌で見かけるのはコムデギャルソンみたいなハイ・ブランドばかりだし、昼間の街で見かけるのはユニクロや無印良品ばかりだけれど、夜の酒場で見かけるのは全国共通、いまだにお水スーツが圧倒的だ(キャバクラ的な店になればドレスが主流だが)。

それなのに、お水スーツを取り上げるファッション・メディアはいまも昔も、ひとつとして存在しない。グルメ雑誌に出てくる夜の酒場は、白髪の渋いバーテンダーがシェイカーを振る老舗バーとか、ヨーロッパ風のワインバーとか、何十年も続く立ち飲み居酒屋とか、そんなのばかりだけれど、いまだに日本のオトナの9割は「今夜飲みに行く」といったら、それは「スナックに行く」というのと同義語なはず。それなのにスナックのガイドブックや雑誌の特集がひとつとしてないのと、その不思議な状況はよく似ている。

岐阜市に本社を置き、ソブレ(Sobre)というブランド名でお水スーツとドレスを全国展開するアパレル・メーカーを率いる西谷岳さんのリサーチによれば、昔は日本全国で約30万軒のバー、飲み屋、風俗店があった。それが10年前には25万軒、現在は15万軒に減り、このままいくと3年後には10万軒ほどに減っているはずだという。

店は確実に減っているのだが、「それでも働いてる女の子は、全国で75万~100万人はいるんじゃないですかねえ」。だから、お水商売従事者のための衣料ビジネスは、たいして減っていない。「だいたい3000億規模のマーケットですから、ひとりが年に30~40万円、月にして2着ぐらいは買ってる計算になります」。

僕らがふだん雑誌で見るような”ファッション”は、実はアパレル=衣料全体のマーケットからすると、3割ほどらしい。あとの7割がデパート、ブティック、セレクトショップなどでは売っていない”衣料”で、お水スーツも「ファッションじゃなくて衣料の一部。最初出てきたころはハイファッションでしたが、いまでは看護婦の白衣みたいに制服になりました」。そう考えると、マイナーな3割のシェアを奪いあって、広告獲得に目の色変えるファッション雑誌が哀れに見えてくる。メジャーな7割を扱うメディアは見事に一誌も存在しないのに。

ソブレのお水スーツは上下にインナーの3点セットで1万円前後。「クローゼットにひととおり揃ってる子でも、月に2着ぐらいは買わないと、同僚の目がありますから」というわけで、買いやすい価格と、しわになりにくく手入れの簡単な化繊の生地を使い、コールセンターは24時間、四カ国語対応(日・英・韓・中)! マーケットのメジャー感が、ひしひしと伝わってくるではありませんか。

服には元来、3つの目的がある。まず第一に寒さや怪我を防いだり、裸体をさらさないための、サバイバルとしての用途。それから自己表現、つまり自分はこういうヒトです!とアピールするために身につける服。そしてもうひとつ、相手に見てもらうために――気分よくなってもらうにしても、脅すにしても――自分ではなく相手のことを考えて着用する衣装。服にはその3種類があるはずだが、いま僕らがメディアを通して”ファッション”として意識するのは、自己表現の手段としての服しかない。

まったくその人となりがわからない、無個性なファッション・モデルが着てみせるハイ・ファッションのイメージが宿命的に内包する退屈さは、そこに原因があるのだし、「お客さまあっての商売」である夜のサービス業にとって、どんなハイ・ファッションよりもお水スーツが好まれる理由も、そこにある。スナックで働く子にしても、自分がいちばん好きだからお水スーツを着てる、というのは少ないだろう。お水スーツは自分のためにではなく、お客さん、自分を見てくれる人のために着る制服であって、戦闘服だ。「こういう服を着てほしいなー、こういう服の女の子といっしょに飲みたいなー」というお客さんたちの、願望の具現化なのだ。

1980年代末、日本中がバブル景気に沸いた当時から、ヤクザ映画のスタイリストとして“お水スーツ”のスタイルをつくりあげてきたひとりであるを市原みちよさんによれば、お水スーツとは当時の夜の店を実際に歩いてリサーチしたのではなく、「想像で作った夜の世界の服」だったという。

実際、かつてクラブやバーと呼ばれる場所でママさんや女の子が着ていたのはまず和服、それかクラシックなスーツやワンピースだった。映画でもお水スーツが登場するのは80年代半ば以降だが、市原さんの記憶でも「ああいうスタイルの服が出てきたのは、ヴィヴィアン・ウェストウッドやゴルチェが受けてきた、80年代あたまごろからでしょうねえ」という。ウェストを絞ることで肩を目立たせる(映画ではボタンの位置をつけかえたり、肩パッドを足したりして肩とウェストの対比を強調したという)、スカート丈は短すぎないが、スリットは長く入れ、タイトでヒップラインを強調させ、ハイヒールを履かせる・・・市原さんが目指したお水スーツは、既製の服に細かく手を加えながら、「夜の世界の服」としてのニュアンスを獲得していったのだった。

「ワンピースやドレスじゃ、ダメなんです」と市原さんは言う。社長、会長、親分さんが来る場所で着る服だから、色気だけでなく失礼のない服装でなくてはならないし、上着をつければ同伴に連れて行っても恥ずかしくない。「そういう高級クラブをイメージした服装として、始まったんじゃないでしょうか」。色気・知性・礼儀を兼ね備えた、カッチリした中にセクシーさを漂わせる、「よろいの下にドキッ」みたいなのが、お水スーツのコンセプトというわけだ。

「当時はファッション・デザインといえばコムデギャルソンみたいな黒一色が全盛だった時代で、世の中がいまみたいにカラフルじゃなかったんです」と市原さん。「いまでは一般人とお水の人との境界がなくなっちゃいましたけど、お水スーツというのは、一般とお水の人の着るものがはっきりちがった、最後の時代の産物なのかもしれませんねえ」。僕らがお水スーツに感じる非日常感は、そんなところから生まれるのだろうか。

東京銀座から”クラブホステスガイド”をウェブ発信している黒川真琴さんによれば、「ウェストがくびれていると男性は”妊娠適齢期”と判断して、求愛の対象となると脳科学研究にあった」のだそう。なのでウェストのラインで、くびれ具合を表現するのにこだわりました、とも教えていただいた。

現在主流のキャバクラ・ドレスが、もともとあったアメリカのパーティ・ドレスのスタイルを、さらに過激に、セクシーに改造することで独特のデザインになっていったように、もとはヨーロッパのハイファッションだったレディース・スーツが、夜のネオンと水割りの香りのなかで変容を重ね、日本独自のお水スーツに育っていったプロセス。それはヨーロッパの優美なスーパーカーとも、アメリカの古き良きマッスルカーともちがう、ドリフト系のハイパワー・スポーツカーが日本で育っていったプロセスと、どこか似ている。

クルマのほうはいまや世界中で「ポルシェよりフェラーリよりS13とか180SX(いずれも日産シルビア)がほしい!なんてキッズが増えているのに、日本のお水ファッション・シーンが世界のファッション・メディアに注目される兆候は、いまのところない。このまま放っておいたら、近い将来絶滅してしまいそうな気もするお水スーツ・デザイン。どこかのファッション研究機関が、手遅れにならないうちに収集してくれはしないものだろうか。

不況の波が押し寄せ、商店街のシャッターもずいぶん閉まったままになってしまった現在でも、あいかわらず夜毎に絶唱がドアの隙間から漏れてくる、そんなスナックのひとつに愛媛県宇和島市の<タイガー&ラビット>がある。

ここの山本かすみママには、昔からずいぶんお世話になっていて、宇和島に行くたびに泥酔させてもらっている。今年60才というお歳が信じられない若々しさとスカート丈を誇示するかすみママは、いつも「これぞ!」と唸りたくなる正調お水スーツを着用していて、今回はそのコレクションの一端を公開してもらうようお願いした。

「あらー、ちょうど冬物をクリーニングに出そうと思ってたとこなんよ、そしたら半年返ってこないけんね」と言われたのを無理やり待ってもらい、「ほんとはあたし、黒が好きやけん」というのを聞き流し、なるべく派手なものをお願いしますと頼んで、持ってきてもらったのがこんな感じ。往年のミュグレーやゴルチェを思わせる先鋭的な肩パッド、絞ったウェストライン、微妙な丈のミニスカート・・・いまではなかなかお目にかかれない、オーセンティックなお水スーツの世界が、こんな場所にしぶとく生き残っていたわけだ。ママ、どこでこういうの買ってるの?と聞いたら、「宇和島の商店街よ!」と、あっさり。

これだけスナックがあるわけだから、働く夜の女性用にスーツやドレスを揃えた洋品店が宇和島にもいくつかあったのだが、「こんなのを売ってたとこは、もうなくなっちゃって、困ってるんよ」とのこと。流行にそれほど左右されない世界とはいえ、補充していくのは大変みたいです。ボタンひとつにしたって、なくなったらもう、取り替えがきかないし。

All photos Kyoichi Tsuzuki. © Kyoichi Tsuzuki.

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