ニッポン国デザイン村:10

コスプレの闇

いまや国際語となった「コスプレ」。ディズニーやマーベルコミックスが世界の漫画・アニメ界を支配していた時代には、ほとんど存在しなかった「お気に入りのキャラクターになりきる」という作品とのつきあいかた――だってミッキーマウスやドナルドダックやスーパーマンのコスプレが、どれほどポピュラーだったろうか――を生み出したのは、日本の漫画やアニメが、アメリカン・コミックスとはまったく別種の力学を持ってきたからではないか。

アメリカには昔からSF関係のコンベンションなどで、『スタートレック』や『スターウォーズ』のキャラクターに扮装して雰囲気を盛り上げるマニアたちがいた。日本でも1970年代のコスプレ黎明期には、そうしたSFファンたちによる小規模なコスプレ・シーンがあり、またいっぽうでは1970年代からスタートした『コミケ』に代表される同人誌サークルでも、『ルパン3世』や『うる星やつら』のラムちゃんといった人気キャラクターに扮するファンたちが育っていった。

いまや世界をリードする日本のコスプレ・シーンはそうやって生まれ、成長していったわけだが、コスプレと言われて僕らが思い浮かべるのは、イベント会場やスタジオで撮影された彼ら”レイヤー”さんたちの、いわば舞台上の晴れ姿である。

お気に入りのゲームやアニメのキャラに身をやつし、ハレの場で、つかのまの異人格にひたる彼ら。カメラ小僧に取り囲まれてポーズを取っているときの、その近寄りがたいオーラと、お話聞かせてくださいと頼んだときの、すごくふつうの女の子や男の子っぽいしゃべりかた。その強烈なギャップがおもしろくて、僕は2007年から『プリンツ21』という小さな美術雑誌で、レイヤーさんの日常生活を覗き見させてもらう企画を続けている。

コスプレした姿は異様だったり異常だったりするけれど、ふだんはいったいどんな部屋に住んで、どんな服を着て、どんなこと考えてるんだろう。どんな生活からコスチューム・プレイという変身願望が生まれて、育まれるんだろう。

そんな好奇心からいままで30人以上のレイヤーさんたちにお願いして、部屋に招いてもらった。ふつう、レイヤーさんたちはイベント会場で写真を撮られることは大歓迎だが、私生活を見せるのは極端に嫌がるひとが多い。そんななかで、取材に応じてくれたレイヤーさんたちには感謝以外の言葉がないが、もう4年間も撮影を続けているうちに、少しずつ見えてきたこともある。

いままで撮影させてもらったレイヤーさんは高校生から40代まで、男性も女性もいる。そしてそのほとんどが、東京都心ではなく郊外に住んでいた。働きながら小さなアパートに住んでいるひともいたが、両親と同居しているひともすごく多かった。そういうひとたちはみんな両親と仲良かったし、コスプレという趣味も認めてもらっていて、そうして例外なく優しくて、シャイだった。

考えてみれば、ほんとうに変わった人間は仮装なんかする必要がない。”素”のままで充分、異世界に生きていられるから。なにかに変身したいひと、それは実のところ、すごくまっとうで常識的な人生を送ってる人なんじゃないだろうか。

きちんと学校や会社に通う。苦労しながら自活するよりも、両親と暮らしながら、自分の時間とお金を好きなことにぜんぶ使えるほうを選ぶ。素面で声高に自己を主張するのではなく、コスプレという「仮面」を身にまとうことによって、はじめて世間にさらせる自己を内に秘めた、そういう若者たち。

取材にあたって、彼らにはお気に入りのコスプレ姿と普段着と、2種類のポートレイトを、カメラ位置を動かさずに撮らせてもらってきた。できあがった画像の、普段着のほうを左右反転させて、コスプレ姿と並べて1枚の画像に結合させる。そうすると、左右対称の写真ができあがる。コスプレ・バージョンではなく、普段着バージョンを反転させるのは、「どっちが彼らのほんとうの姿なのか」という僕なりの問いかけだ。素面と仮面の自己のパノラマ。しかしどちらが素で、どちらが仮なのか・・・。

世間の大半はコスプレを、奇異なるヲタクの一現象としか見ていないだろう。でも「わたし腐女子ですから」とか、はにかみながら話してくれるレイヤーさんたちと接していると、そんな簡単に決めつけられるもんじゃないと思えてくる。

ヘヴィメタルが欧米におけるサバービア・カルチャーの象徴であるように、もしかしたらコスプレというのは、きわめて日本的なサバービア・カルチャーの発露なのかもしれない。



(上から) ろくと. かんだみのり. の(こ). ころころ猫. 廃児. ひっぷりー. きらら. エマ. 美礼. なぎさ. 開田あや,
みずくるみ

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