27:脱色でも褪色でもなく — 森山大道の最新作カラー写真<2>

2012年7月19日
要点を整理しよう。

1)00年代後半からの森山大道の「記憶の写真」を辿ると、それらは森山写真が漸進的に変化した80年代を指している。先行する70年代に写真のモダニズムへ「さようなら」を告げた森山は、次の方向を見いだせぬまま、写真の歴史的起源(「写真とは何であったか」)へと回帰していき、それは過去の光をいまここで感じることであったとして、自らを『光と影』(82年)のなかへ没入させるスタイル(=「暗室のリアル」)に依拠していた。80年代とは、大道がそこから離脱し(*1)新たな写真原点からスタートし直す時期であった。そしてその変化のなかから、90年代『ヒステリック』3部作を経て、現在にまで続くスタイルが生まれてくるわけである。現在の森山写真がその時期を参照しているのは、それらが過去の「ヒステリック」とは異なる新たな道を、デジタルカラー写真という手段で進もうとしているからだと考えられる。

2)その漸進的な変化とは、光を/光に感じるフェティシズムから醒めて、素面の日常をそのまま切り取るスナップショットへの移行であった。

3)新しいカラーの特徴としては、a) かつての褪色カラー(光を/光に感じることの別の表現)からの離脱、そしてb) 画像をグラフィカルにする強いコントラスト(特に、画面を塗りつぶす黒)、画面の大胆な分割、ポスターや鏡の導入など、コラージュ的な画面構成が挙げられる。



画面を縦断するライン、看板によるコラージュ。
ここから4点すべて:森山大道「東京」 2012年
© Daido Moriyama / Courtesy of Taka Ishii Gallery and Office Daido



ニエプスの写真に写り込んだ=コラージュされた「窓外」。


人物を黒く塗りつぶしてしまうコントラスト。


新聞紙、ガラス、映り込みの風景(壁+背景)、写真家の影。極めて巧みな5層のレイヤーコラージュ。

以上を踏まえて2011年の『Color Photograph』、そして今年になって立て続けに出た2冊のカラー写真集『 記録21号』『カラー』を見れば、森山カラーは、耽美でエロティックなグレースケールとしての感・光・色から、即物的で乾いたカラー、すなわち、真夏の濃い影のようにコントラスト比を異常なほど上げ色の彩度を上げたデジタルカラーへと変化していることが分かる。まだ従来の「褪色」に退行している例外もあるが、多くのカラー作品には、80年代の断層通過後の写真(「仲治への旅」以降)に見られるような、あっけなく清々しい意味の真空がある。この真空を支えている要素こそ、コラージュ状画面と写真的記憶に他ならない。言いかえれば、写真を1つの深い意味へと誘うのではなく、次の写真へ、次の断片へと横に逸らし続ける動力である。画一化著しいデジタルカラーのカラフルな風景を、森山大道は、美しい白黒(光と影)へ脱色するのでもなく、光感して褪色させるのでもなく、コラージュと記憶の力によって、ただの、つまり有色の、雑景へと変換する — 表面的な分析としてはそう言っておけるだろう。しかし、なぜそこでコラージュが入ってくるのか?デジタルカラーとコラージュのあいだに、どんな関係があるというのか?

70年代末の森山大道は「写真とは何であったか」をニセフォール・ニエプスに見出した。80年代の変化を踏まえて、ニエプスと「光と影」の徴の下にあった80年代への別れの手紙が、90年の『サン・ルゥへの手紙』である。上記の特徴2)と3)を見ると、森山写真は(大道本人が、ではない)いまあらためて写真の過去を参照しているように思えてならない。本連載の松江泰治の項でも論じたが、デジタル写真とは、デジタル技術によってアナログ写真をなぞる写真ではなく、端的にアナログ=モダンな思考フレームに属さない写真のことである。そのとき、往々にしてデジタル写真は、そのフレームが発生する前後の写真の在り方を蘇らせる質を帯びる。言いかえれば、モダンなフレームが排除した、最初期の写真の本性(成立前)に結びつくとともに、そのフレーム自体の発生を、デジタル技術を知った現在の意識から再現する傾向(成立後)を持つのだ。森山大道のデジタル写真もまた、この意味で過去を再現しているように見えるのである。意外に聞こえるだろうが、実は「コラージュ」とは、スティーグリッツとエヴァンスに共通して ―もちろんその意味合いは異なっているが― 見られる写真の本質である。スティーグリッツの「The Key Set」(*2)を通覧してみよう。ピクトリアリズムから醒めて、日常をそのまま切り取る「スナップショット」への移行、オートクロームをコントロールして生じさせた褪色カラーから白黒の「キアロスクーロ」への離脱、そしてコラージュとしての画面構成・・・そこには、デジタル森山写真の特徴がそのまま見いだせるのである。



Alfred Stieglitz Katherine Stieglitz (ca.1910)
褪色のように調整されたオートクローム。Autochromeはその名の通り、そしてカラー写真は昔も今も自動的なプロセスなので、本来の発色はもっと鮮やかでバランスが取れている。



Alfred Stieglitz The Steerage (1907)
作家自身の写真観の確立と共に、スティーグリッツ自らがあとから見出し、その意味を理解したコラージュ状画面のスナッ プショット。



Alfred Stieglitz Fountain, photograph of sculpture by Marcel Duchamp (1917)
Succession Marcel Duchamp, Villiers-sous-Grez, France
© 2006 Marcel Duchamp / Artists Rights Society (ARS), New York / ADAGP, Paris / Succession Marcel Duchamp
デュシャンの「泉」を台座に載せ、ハートレイのペインティング(The Warriors)に合わせて撮影。


他にも、『A Snapshot, Paris』 (1911)では大胆な画面の分割が見られ、『291 – Picasso-Braque Exhibition』(1915)では棚に置かれたピカソとブラックのコラージュ作品に、アフリカの彫刻、スズメバチの巣、真鍮製の鉢など、異素材を組み合わせてコラージュとしている。これが本来の展覧会風景ではないことにも注目したい(The Key Set,Volume One, p. LV, Note 115参照)。

あるいはまた、スティーグリッツを嫌悪していたウォーカー・エヴァンスにも、そしてあるがままの清潔なドキュメンタリーというエヴァンス写真の一般的イメージとは異なって、看板や文字の「コラージュ」は頻出する。



Walker Evans Gas Station, Reedsville, West Virginia (1935)
フレーミングが、そのまま見事なレイヤーコラージュになっている例。



Walker Evans New Orleans street corner. Louisiana (1936)

かつてニエプスの「光と影」に回帰したように、森山写真はストレートフォトグラフィーの「コラージュ」に回帰しているのだろうか。そうも言えるだろう。しかし、そこに大道はさらに強いコントラストを加え、色彩をデジタルに調整するのである。(この項続く)



  1. この離脱に、記憶喪失から復活した中平卓馬との再会が大きく関与していることは、2006〜08年頃の森山写真の「記憶」が、中平の80年代作品を指し示していることから明らかである。この点については清水穣「ハワイへ/ハワイから」(『日々是写真』所収、現代思潮新社2009年)参照

  2. Sarah Greenough The Key Set Volume I & II. The Alfred Stieglitz Collection of Photographs, Harry N. Abrams (2002)



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