連載 清水穣 批評のフィールドワーク: 10
古屋誠一:開かれたメモワール (I)
1989年から断続的に発表されてきた連作写真集『Mémoires(メモワール)』が、今年5冊目をもって完結した。85年秋のある日の事件を起点として、古屋の25年にわたる「旅」は始まった。その事件は、彼を否応なく近代写真の最も本質的な「点」へと導き、彼のそれ以前の写真と、それ以降の写真の意味を全て変えた。それ故このシリーズは、事件の真実を解明しようとする独特のドキュメンタリーとして始められながらも、同時に、写真自体を問いただし、写真を読み続ける旅であるほかなかったのである。5冊のメモワールは、その旅のひとつひとつの道程であるとともに、写真を読むことそれ自体に対する、古屋の態度の変更をもドキュメントしている。

East Berlin, 1985
近代写真の本質的な「点」について、ジャック・デリダはあるインタビューで次のように語っている。
写真家の芸術がどのようなものであれ、つまりその現実への介入やスタイルがどのようなものであれ、あるひとつの点が存在します。その「点」においては、写真という行為は芸術的な行為ではなく、受動的に記録するだけです。そしてこの突き刺すような受動性が、死と関わりあう契機を表現しているでしょう。その受動性が、そこに存在し存在したある現実を、消えることのない「いま」のなかでつかみとる。[…] これが写真の美であり崇高でしょうが、同時に、写真の根本的に非芸術的な質なのです。つまり人は、根本的に意のままにならない経験に、ただ一度だけ生じたところのものに、一気にひきわたされます。そこで人は受動的に露出させられ、眼差しそのものも露出した事物に曝されます。厚みのないゼロ時間という時間のなか、露光時間のなか、つまり瞬間性という「点」へと切りつめられる時間のなかで。(J. デリダ『コピー、アーカイヴそして署名としての写真』1992年)(*1)
古屋誠一が「一気にひきわたされた」「ひとつの点」とは、「1985年10月7日12時半過ぎ」「Falkenberger Chaussee 13、東ベルリン」という日時と場所である。78年2月に知り合い、同年5月に結婚した妻のクリスティーネは、83年頃から神経を病み一進一退の治療を続けていたが、この日、突発的にアパートの9階から飛び降りて命を絶ってしまった。愛する者の自死というこの特異点によって、それ以前に撮られた古屋のあらゆる写真はその予兆と化し、それ以降のあらゆる写真はその残影となった。

Venice, 1985
「突き刺すような」点(=プンクトゥム)の予兆としての写真、突き刺された経験の「いま・ここ」での復活としての写真—— デリダが指摘するように、これは近代写真の本質的な骨格である。特異点が、時間的順序におかまいなく過去と現在を繋ぐ。古屋の場合、その点にクリスティーネという名前がついたのだ。89年の第一集『Mémoires 1978-1988』は、クリスティーネの自死という絶対的事実へ向けて、それ以前の写真とそれ以後の写真を編集したものである。テキストを寄せたひとりである、批評家のクリスティーヌ・フリジンゲリが明かしてくれるように、それらの写真は、本来まったく別の文脈で撮影されたシリーズであった〈『国境Staatsgrenze』(80-83)、『AMS』(80)、『視線の届く限り/Soweit das Auge reicht』(82-84)、『境界:ドイツ民主共和国の首都、東ベルリンから見たベルリンの壁/Limes - Bilder der Schutzmauer aus Berlin-Ost, Hauptstadt der DDR』(85-88)『都市のイメージ、東ベルリン/Stadtbilder Berlin-Ost』(85-87)〉。繰り返し登場するクリスティーネの肖像写真ですら、80年の古屋自身のメモに明らかなように、「1人の人間の生をドキュメントするという仕事」であり、「彼女を見て、撮影し、その写真を眺めることを通じて自分自身を見出す (*2)」という内容であった。さまざまな写真群が、もともと嵌めこまれていた文脈からはずされ、時間的順序にとらわれず、編集されている。『Aus den Fugen/アウス・デン・フーゲン(継ぎ目(フーゲ)から外れて)』(2007年、10年ヴァンジ彫刻庭園美術館での個展タイトル)とはこの事情を指している。しかし古屋の編集を貫いているのは、あの一つの特異点を、出来る限り明確に境界として画定しようという意志である。その意味で、そしてその意味でのみ、作家はきわめて求心的であり、一旦バラバラにされた写真群は一つの特異点に固く結びつけられる。つまり、この写真集は、写真の本質としての「点」へむかって写真を単数化=純化しようとするのだ。「クリスティーネ」は写真の単数化因子(singularizer)であった。
ところで、デリダは同じインタビューで、引用した箇所に先だって、写真のその「点」性を複数性へと裂開しようとしている。
[…] しかし、もしその「たった一度」、唯一の、最初で最後の撮影の時間が、すでにある異質な時を含むとき、それはひとつの延び拡がった、異なった持続を前提としています。数秒という時の断片のなかでも光は変化しうる、つまりその「最初の時」の分割可能性が関わってくるのです。被写体は、もはや単体のもの(simple)ではなく複合的なものとして現れるようになり、あの時あの場所の内部にさまざまな下位の出来事が形成され、いろいろな細部とミクロな変容が現れてきます。それらは、ありうべき結合や分離や再結合、つまり人為的操作を引きおこし、そういう操作は、写真のなかに奇跡の技術を見てきた現象学的な自然主義から決定的に離反する。奇跡の技術とは、その技術性自体を自己消去して、私たちに自然の純潔さ(virginité)、時間そのもの、人間の技術に先立っていて、変わりようもなく反復することも出来ない(in-itérable)知覚体験を与えるという意味です(あたかもそのようなものが前もって存在していたかのように)。[…]
でも、ある持続が存在するのだ、この持続はテクネー(techné)によって構成されるのだと仮定すれば、写真行為の総体は、テクネーの秩序に属しているとは言えないにせよ、少なくともテクネーの徴を帯びていることに反論の余地はありません。(*3)

Graz, 1983
第1作から6年後に発表された『Mémoires 1995』(95)は、「クリスティーネ」という固い結び目を、解くことは出来ないにせよ、相対化しようという試みである。ヴィンタートゥール写真美術館(スイス)での個展カタログでもあったため、編集は古屋とキュレーターの協働作業となった。言いかえれば、作品を「妻の自殺」と結びついたドキュメントとしてではなく、たんに写真映像として見る視点が導入された。その結果、画面の色調や形式的特徴(夕暮れ時の黄色く濡れた光など)が共通する写真群が、「クリスティーネ」とは無関係に共鳴をおこしている。また、特異点の周りにいながらそれに拘束されていない存在、すなわち、古屋の写真が特異点の前後で変化せざるを得なかったようには、変化する必要のなかった存在としての「光明」(夫婦の息子)というモチーフに関連する作品が多く追加され、さらに、作風もテーマも異なるコソボ難民のシリーズが合わされた。
しかし、「クリスティーネ」をとりあえず括弧に括って、他者の視線で写真を写真自体として見なし、別のモチーフや別のテーマを添えたとしても、それはなるほど相対化ではあっても、特異点との本質的な対峙ではない。つまり、この写真集は、古屋誠一という写真家を一般的に紹介することを優先したために、最も重要だったはずの問題を先送りしているのである。それは作家本人にも自覚されていたであろう。クリスティーネに対する不当さを償うかのように、続く2冊の写真集『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』(97)と『Mémoires 1983』(2006)は、モチーフの上でも編集の上でも、徹底的にクリスティーネに焦点を絞っているからだ。そして、まさにこの特異点に集中することを通じて、古屋はデリダの言う「持続」を発見することとなる。(後編へ続く)

Schattendorf, 1981
写真提供(全て):ヴァンジ彫刻庭園美術館
古屋誠一 メモワールシリーズ
1989年『Mémoires 1978-1988』(カメラ・オーストリア)
1995年『Mémoires 1995』(スカロ、スイス)
1997年『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』(光琳社)
2006年『Mémoires 1983』(赤々舎)
2010年『Mémoires 1984-1987』(IZU PHOTO MUSEUM)
『古屋誠一 メモワール. 愛の復讐、共に離れて…』
2010年5月15日(土)〜7月19日(月)
東京都写真美術館
『古屋誠一展 Aus den Fugen/アウス・デン・フーゲン』
2010年5月21日(金)〜8月31日(火)
ヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡)
清水穣 批評のフィールドワーク 目次
1989年から断続的に発表されてきた連作写真集『Mémoires(メモワール)』が、今年5冊目をもって完結した。85年秋のある日の事件を起点として、古屋の25年にわたる「旅」は始まった。その事件は、彼を否応なく近代写真の最も本質的な「点」へと導き、彼のそれ以前の写真と、それ以降の写真の意味を全て変えた。それ故このシリーズは、事件の真実を解明しようとする独特のドキュメンタリーとして始められながらも、同時に、写真自体を問いただし、写真を読み続ける旅であるほかなかったのである。5冊のメモワールは、その旅のひとつひとつの道程であるとともに、写真を読むことそれ自体に対する、古屋の態度の変更をもドキュメントしている。

East Berlin, 1985
近代写真の本質的な「点」について、ジャック・デリダはあるインタビューで次のように語っている。
写真家の芸術がどのようなものであれ、つまりその現実への介入やスタイルがどのようなものであれ、あるひとつの点が存在します。その「点」においては、写真という行為は芸術的な行為ではなく、受動的に記録するだけです。そしてこの突き刺すような受動性が、死と関わりあう契機を表現しているでしょう。その受動性が、そこに存在し存在したある現実を、消えることのない「いま」のなかでつかみとる。[…] これが写真の美であり崇高でしょうが、同時に、写真の根本的に非芸術的な質なのです。つまり人は、根本的に意のままにならない経験に、ただ一度だけ生じたところのものに、一気にひきわたされます。そこで人は受動的に露出させられ、眼差しそのものも露出した事物に曝されます。厚みのないゼロ時間という時間のなか、露光時間のなか、つまり瞬間性という「点」へと切りつめられる時間のなかで。(J. デリダ『コピー、アーカイヴそして署名としての写真』1992年)(*1)
古屋誠一が「一気にひきわたされた」「ひとつの点」とは、「1985年10月7日12時半過ぎ」「Falkenberger Chaussee 13、東ベルリン」という日時と場所である。78年2月に知り合い、同年5月に結婚した妻のクリスティーネは、83年頃から神経を病み一進一退の治療を続けていたが、この日、突発的にアパートの9階から飛び降りて命を絶ってしまった。愛する者の自死というこの特異点によって、それ以前に撮られた古屋のあらゆる写真はその予兆と化し、それ以降のあらゆる写真はその残影となった。

Venice, 1985
「突き刺すような」点(=プンクトゥム)の予兆としての写真、突き刺された経験の「いま・ここ」での復活としての写真—— デリダが指摘するように、これは近代写真の本質的な骨格である。特異点が、時間的順序におかまいなく過去と現在を繋ぐ。古屋の場合、その点にクリスティーネという名前がついたのだ。89年の第一集『Mémoires 1978-1988』は、クリスティーネの自死という絶対的事実へ向けて、それ以前の写真とそれ以後の写真を編集したものである。テキストを寄せたひとりである、批評家のクリスティーヌ・フリジンゲリが明かしてくれるように、それらの写真は、本来まったく別の文脈で撮影されたシリーズであった〈『国境Staatsgrenze』(80-83)、『AMS』(80)、『視線の届く限り/Soweit das Auge reicht』(82-84)、『境界:ドイツ民主共和国の首都、東ベルリンから見たベルリンの壁/Limes - Bilder der Schutzmauer aus Berlin-Ost, Hauptstadt der DDR』(85-88)『都市のイメージ、東ベルリン/Stadtbilder Berlin-Ost』(85-87)〉。繰り返し登場するクリスティーネの肖像写真ですら、80年の古屋自身のメモに明らかなように、「1人の人間の生をドキュメントするという仕事」であり、「彼女を見て、撮影し、その写真を眺めることを通じて自分自身を見出す (*2)」という内容であった。さまざまな写真群が、もともと嵌めこまれていた文脈からはずされ、時間的順序にとらわれず、編集されている。『Aus den Fugen/アウス・デン・フーゲン(継ぎ目(フーゲ)から外れて)』(2007年、10年ヴァンジ彫刻庭園美術館での個展タイトル)とはこの事情を指している。しかし古屋の編集を貫いているのは、あの一つの特異点を、出来る限り明確に境界として画定しようという意志である。その意味で、そしてその意味でのみ、作家はきわめて求心的であり、一旦バラバラにされた写真群は一つの特異点に固く結びつけられる。つまり、この写真集は、写真の本質としての「点」へむかって写真を単数化=純化しようとするのだ。「クリスティーネ」は写真の単数化因子(singularizer)であった。
ところで、デリダは同じインタビューで、引用した箇所に先だって、写真のその「点」性を複数性へと裂開しようとしている。
[…] しかし、もしその「たった一度」、唯一の、最初で最後の撮影の時間が、すでにある異質な時を含むとき、それはひとつの延び拡がった、異なった持続を前提としています。数秒という時の断片のなかでも光は変化しうる、つまりその「最初の時」の分割可能性が関わってくるのです。被写体は、もはや単体のもの(simple)ではなく複合的なものとして現れるようになり、あの時あの場所の内部にさまざまな下位の出来事が形成され、いろいろな細部とミクロな変容が現れてきます。それらは、ありうべき結合や分離や再結合、つまり人為的操作を引きおこし、そういう操作は、写真のなかに奇跡の技術を見てきた現象学的な自然主義から決定的に離反する。奇跡の技術とは、その技術性自体を自己消去して、私たちに自然の純潔さ(virginité)、時間そのもの、人間の技術に先立っていて、変わりようもなく反復することも出来ない(in-itérable)知覚体験を与えるという意味です(あたかもそのようなものが前もって存在していたかのように)。[…]
でも、ある持続が存在するのだ、この持続はテクネー(techné)によって構成されるのだと仮定すれば、写真行為の総体は、テクネーの秩序に属しているとは言えないにせよ、少なくともテクネーの徴を帯びていることに反論の余地はありません。(*3)

Graz, 1983
第1作から6年後に発表された『Mémoires 1995』(95)は、「クリスティーネ」という固い結び目を、解くことは出来ないにせよ、相対化しようという試みである。ヴィンタートゥール写真美術館(スイス)での個展カタログでもあったため、編集は古屋とキュレーターの協働作業となった。言いかえれば、作品を「妻の自殺」と結びついたドキュメントとしてではなく、たんに写真映像として見る視点が導入された。その結果、画面の色調や形式的特徴(夕暮れ時の黄色く濡れた光など)が共通する写真群が、「クリスティーネ」とは無関係に共鳴をおこしている。また、特異点の周りにいながらそれに拘束されていない存在、すなわち、古屋の写真が特異点の前後で変化せざるを得なかったようには、変化する必要のなかった存在としての「光明」(夫婦の息子)というモチーフに関連する作品が多く追加され、さらに、作風もテーマも異なるコソボ難民のシリーズが合わされた。
しかし、「クリスティーネ」をとりあえず括弧に括って、他者の視線で写真を写真自体として見なし、別のモチーフや別のテーマを添えたとしても、それはなるほど相対化ではあっても、特異点との本質的な対峙ではない。つまり、この写真集は、古屋誠一という写真家を一般的に紹介することを優先したために、最も重要だったはずの問題を先送りしているのである。それは作家本人にも自覚されていたであろう。クリスティーネに対する不当さを償うかのように、続く2冊の写真集『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』(97)と『Mémoires 1983』(2006)は、モチーフの上でも編集の上でも、徹底的にクリスティーネに焦点を絞っているからだ。そして、まさにこの特異点に集中することを通じて、古屋はデリダの言う「持続」を発見することとなる。(後編へ続く)

Schattendorf, 1981
写真提供(全て):ヴァンジ彫刻庭園美術館
[出典] Jacques Derrida “Die Fortografie als Kopie, Archiv und Signatur” Im Gespräch mit Hubertus v. Amelunxen und Michael Wetzel. 1992. in Theorie der Fotografie IV 1980-1995. Schirmer/Mosel, 2000. p.283-284.
ちなみに、ヴィルフリート・スクライナーによれば、メモワールというタイトルは、最初のメモワールの前年に出版されたデリダの『Mémoires, pour Paul de Man』 (88) から採られた。詳細は以下参照。
[出典] Wilfried Skreiner ”Mémoires”(Seiichi Furuya, Mémoires 1978-1988, Edition Camera Austria / Neue Galerie am Landesmuseum Joannneum, Graz 1989. p.102)
[出典] Seiichi Furuya, Mémoires 1978-1988, Edition Camera Austria /Neue Galerie am Landesmuseum Joannneum, Graz 1989. p.94
同書。
古屋誠一 メモワールシリーズ
1989年『Mémoires 1978-1988』(カメラ・オーストリア)
1995年『Mémoires 1995』(スカロ、スイス)
1997年『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』(光琳社)
2006年『Mémoires 1983』(赤々舎)
2010年『Mémoires 1984-1987』(IZU PHOTO MUSEUM)
『古屋誠一 メモワール. 愛の復讐、共に離れて…』
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東京都写真美術館
『古屋誠一展 Aus den Fugen/アウス・デン・フーゲン』
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ヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡)
清水穣 批評のフィールドワーク 目次
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