艾未未のことば 7 老いぼれた雄

老いぼれた雄
訳 / 牧陽一

このインタビューは雑誌『南方週末』2007年3月23日号に収録された呉虹飛による内容をもとにしています。

南方週末(以下NZ) 2007年に、カッセルで行なわれるドクメンタ12に参加する作品についてお話し下さい。

艾未未(以下AWW) 今年(2007年)6月カッセルのドクメンタ12に出品する私の作品は「1001の中国人を連れてドイツのカッセルに行って展覧会を見る」というものだ。ドクメンタは5年に一度行なわれる。いまちょうど組織しているところだ。その中の一部は、そのプロセスを撮影記録している。それは現状の記録で、プレート状の構成と移動が現れ、開放的な構造、多くの事件と関係性がその中から立ち現れてくる。

NZ 当初どうしてそんな作品を思い付いたのですか?

AWW 私は観念と現実との関係に関心がある。私は制作する作品には、一定の包含力と表現力があることを望んでいる。単に伝統的で物質化した表現方法ではない。この作品はその可能性を持つ。ドクメンタは国際的で先端的な現代アートの舞台だから、この時にこそ、この作品の特徴を示すことができるはずだ。それは今日の中国、中国と外部との関係であり、私たち群衆にチャンスを提供し、世界について思考させるだろう。

NZ この1001人の構成はどうなっていますか?

AWW 自由な構成だ。学生、農民、労働者、或いは無職の人、如何なる人でも中国のパスポートさえ持っていればいい。私はどんな職業でもどんな人でもかまわないと思う。

NZ 1979年第1回の『星星美術』展の時、あなたはキャンバスの上で創作を始めました。初めはどうしてこのような表現方法を選んだのですか?

AWW 当時は「キャンバス」なんて言わなかった。とても俗っぽい言い方だ。その頃、私は過去の表現方法にうんざりしていた。政治宣伝のための偽りの表現方法に飽き飽きしていて、新しい表現方法を探していた。個人の興味と情緒を表現ができる手法に関心を持ち始めた。

NZ 現代アートの現象と兆候の中で、あなたが参与したいと思うもの、参加しないと残念に思うようなものはありますか?

AWW 私には全くと言っていいほどそんなものはない。

NZ 今日までずっとそう思ったことがないのですか?

AWW なぜなら現代アートはひとつの党ではないし、ひとつの事件でもなくて、それは個々人の生活態度と生活方法であり、総括的な状態だ。個人は現代の方法で自分の立場を釈明し理解しなければならないと思う。

NZ あなたはどんな現代アート観を持っていますか?

AWW 現代アートは障害を克服し、問題を解決するための方法であり、哲学に代わって、科学では及ばない問題を補っている。科学は神の秘密を見つけようと企んでいる。芸術は主に人の感情に関わっていて、それは差異と人間性の過失をあらわにする。この過失は人をいっそう完全な人にし、人をただの神の一部ではないものにさせる。人は神の特殊な愛護と寵愛を得る。なぜなら人が芸術的特徴を持つためだ。それが私の面白く思うところだ。

NZ 現代アートが問題を解決するメカニズムとはどのようなものですか?

AWW それは常に反メカニズム的であり、反システム的だ。それは常に必然的な解答に対して懐疑的だ。科学の提供した論理と明確な道筋に疑念を抱く。だから芸術自体の魅力は自己矛盾でありその不可思議さだ。これらの特徴は生命の特徴であり、宇宙最大の神秘と連なっているのだ。たとえ私たちが科学に言及しても、最後の問題に出会う時、当惑するしかない。例えば「その外」のその外とは何か、「その後」のその後とは何か、「その前」のその前とは何か、それから?それからどうなるのか?これらの問題が見えた時、すべての人は呆然自失となる。アインシュタインであろうとホーキングであろうと。宗教に至っても。誰もが呆然となるのだ。これらの問題は問い詰めてはいけないのだ。

NZ あなたはこんなに多くの専門領域に関与していますが、様々な範疇で、あなたは自分のことを波を推すタイプだと思いますか、それとも波を起こすタイプだと思いますか?

AWW どれでもない。私こそが本物の「ごろつき」正真正銘の「ごろつき」だ。何にでも興味がある。そして何についても最終的で最も真実味のある結果や意味を得ることができないことを、私は知っている。それぞれ異なった段階で、幸運にも異なった物事の中に入り、私の反応がもっと明確であることを明晰であることを望んでいるとしか言えない。しかしどうであれ、私の努力の全てはとても稚拙で、つまらないものだ。

NZ どうしてそう思うのですか?

AWW 必然的なものだ。私たち誰もが血と肉であり、時間は限られ、条件も限られている。誰もが同じで、私たちはすべて散り去る一陣の風だ。

NZ あなたはとても前衛的ですね。社会のどういった弊害や問題が気に入らないのですか?

AWW 私はまず自分自身が気に入らない。次に私の周囲のすべての人が気に入らない。私の両親、家庭から社会まで、さらに国家をはじめ、いかなる権威も、私はすべて気に食わない。これら名目上の身分のすべてが、私にはとても疑わしい。これらの身分は整った道徳的倫理の基礎がない。人を感服させるほどの行動もない。酷くなれば人を戸惑わせるようなことも、快感を与える瞬間さえない。だから私は徹底的に気に食わないのだ。

NZ それではどのように調和するのですか?

AWW 私には調和する必要などない。どんな条件下に関わらず、あなたは呼吸することができる。窒息する前までは誰もが呼吸している。毒殺される前までは、空気がどんなに汚染されていようが、私たちは依然として生存している。この点で神の手配は素晴らしい。私たちはそう心配する必要はないのだ。

NZ 創作から流通、収蔵、批評に至る中国の現代アートのシステムは間違いなく不明瞭な状態にあると思いますが、あなたはどのようにこのシステムを評価しますか?

AWW 社会には当然そのシステムができて、不完全なものから十全なものまで、運行させ始める。だが私には全く関係がないと思う。なくても、私は変わらず生きていける。私が快適かどうかに関係はない。それは内在する状態、内心の快感あるいは悲しみであって、他人には決定できない。ひとつの民族、ひとつの国家でもいい、その品格とも関係ない。この国家のように、たとえ1000の博物館を建築しようが、200のオペラハウスを建てようが、臭いクソは臭いクソ、何にも変わりはしない。(注1)

NZ 現代アートが未来へと発展する原動力はどこにありますか?

AWW もし人々が積極的な生活をすれば、それは必然的に意外で思いもよらないものを生む。もし退廃的な生活をすれば、それは必然的に困惑を生む。もし或る人が新しい物事を経験しようと願えば、他人には止められない。

NZ あなたはこんなに多くのプロジェクトを行っています。あなたはみんなに何を伝えようとしているのですか?

AWW 私にはほとんど伝えるものがない。もし伝達するとすれば、これが可能だということだろう。多くの情況下で、私自身はとても戸惑っている。ひとつの行為を、あるいは事件を通じて、可能性を経験したい。経験と生活は分けることはできない。


installation view at the 55th Venice Biennale, international art exhibition, 2013

NZ あなたの行ってきたこれらのプロジェクトはどのように選択したのですか?

AWW これらのプロジェクトの大多数は退屈な時に選択したものだ。あるいは選択させられたものだ。誰もが数々のチャンスと挫折にぶつかるものだ。あまりこの問題を気にかける必要はない。個人の誰もが家族や、歴史と文化など継承する要素を身にまとっている。それが後日、彼の問題処理方法に、いかに影響していくか?それは詳細に見、仔細に体験すべきだ。この影響は、その他の事件あるいは異なった事務処理をする時にこそ顕在化する。文化とはウィルスが人の体に潜伏しているようなものだ。本物の発作が現れた時に初めて、ウィルスはその特徴を現して、やっとウィルスが浮かび上がるのだ。

NZ あなたはこんなに多くの分野に参与している。芸術、文化、建築、あなたにとってどれが面白いですか?

AWW どれも面白くないし、これまでも面白くはなかった。人々は遊ぶための十分な力がないし、僅かな特徴さえもない。

NZ 何が欠けているのだと思いますか?

AWW 欠けているのは「8つの名誉と8つの恥辱」だろうな。彼らは永い間政治思想訓練を受けていないから、思想が立ち後れているのだよ。

NZ あなたは自分がどんな人間だと思いますか?自分にどんなレッテルを貼りますか?

AWW まだ生きていて、依然として声を出すことができる、老いぼれた雄だ。


(注1)原文は该是抽大粉还是抽大粉だがchoudafenを同音で読みかえると 该是臭大粪还是臭大粪。

(注2)ここで艾未未は皮肉をこめてこの言葉を引用している。そのまま受け取ってはいけない。2006年3月4日胡錦濤が国民に提唱した道徳紀律の通称。正式名は「社会主義栄辱観」「8つのやるべきこと、8つのやってはいけないこと」アメリカでは「Hu Jintao’s Eight-Step Program」(胡錦濤の8段階プログラム)とも言われる。(国を愛することは名誉であり、国を害することは耻辱である。人民に奉仕することは名誉であり、人民に背くことは耻辱である。科学を敬うことは名誉であり、无知愚昧なことは耻辱である。勤労は名誉であり、楽ばかりするのは恥辱である。相助団結するのは名誉であり、己だけ得するのは恥辱である。誠実にすることは名誉であり、義理を忘れるのは恥辱である。道徳紀律を守るは名誉であり、不法乱紀するのは恥辱である。努力奮闘するのは名誉であり、傲奢淫楽するのは恥辱である。)

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