艾未未のことば 12 アンディ・ウォーホルへの思い

アンディ・ウォーホルへの思い
(訳 / 宮本真左美)
『Warhol in China』2013年 Hatje Cantz Verlag 刊、序文より


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アンディ・ウォーホルは現代社会に最も影響を及ぼした人物の1人である。私は彼の作品に特別な愛着はないが、ウォーホルという人はすばらしいと思う。1980年代、私がニューヨークにたどり着いて最初に読んだ本が『The Philosophy of Andy Warhol (From A to B and Back Again)』*1であった。この本はユーモアとウィットに富んでいる。40年近くも経て新たに出現したツイッター・スタイルの文章の特徴に照らしあわせてみても、この1970年代半ばに書かれた彼の文章はまるでそのさきがけのようである。ウォーホルは、常に自分の対談を録音し、さらに映像を使って自分の生活体験を記録し、テレビや映画で発表した。様々な行動の軌跡から考えると、彼は確かに自身がいる時代を超越した。私には、彼が我々の目の前にある、生き抜いていくための状況を予測できたのかどうかはわからない。――その状況とは、プロレタリアの大衆がみな、先進科学技術のやり方に乗じて、日常生活のなかで夢を叶えるべきだということだ。

ウォーホルは、チェコスロバキアから移民としてアメリカ、ペンシルヴァニアに来た貧しい両親の元に生まれ、彼の人生は、金持ちになり名誉を得るという彼の切望を具現化したものとなった。彼自身が“アメリカン・ドリーム”のまさに化身であったのだ。機械による複製と反復を用い、行為と実践によって意味を削いでいくという彼の概念は示唆に富んでおり、現代アートの創作や言葉に関しても、ことのほか切実である。彼は名声やエンターテインメント、悲劇、死、愛、セクシャリティなどの問題に関して鋭い感覚を持っているだけではなく、彼の見解もまた短い言葉で急所をついている。本や雑誌、インタビュー、対談、映画を世の中に発表し、広める以外にも、彼はさらにさまざまなオープニングセレモニーに出席し、若者たちと交流し、パーティーに参加した。そういったなかで、セックスやドラッグにもかかわった。彼は、こういった様々な20世紀末の大都会の景色を作品を通じて織りなし、アメリカンアート特有の様相をも形作ったのだ。多くのカテゴリーにおいて、彼はまさに名実相伴う、リーダー的人物である。

アンディ・ウォーホルにとっては、80年代の中国への旅は大きな衝撃であった。中国は雄大な国であるけれども、当時の中国人は彼の名声について何も知らなかった。ウォーホルはかつてこう書いている。「東京で一番すてきなのは、マクドナルド。ストックホルムで一番すてきなのはマクドナルド。フィレンツェで一番すてきなのはマクドナルドだ。北京とモスクワには、すてきなものはまだ現れていない。」現在、200軒以上のマクドナルドが北京の隅々にまであるが、それでも北京は相変わらず美しい都市ではない。そしてこの都市は未だにウォーホルが傾倒し、礎石とした、共通の価値観を受け入れることが出来ていない。――その価値観とは、社会の公平や平等を実現し、ひとりひとりがみな、ある程度夢を成就させ、実現するチャンスがある社会を築くというものだ。中国における近年の発展の趨勢によって生み出された、日々を欲しいままに過ごしている人の成功は、往々にして他の人々が日々夢でうなされていることの上に成り立っている。これは、あらゆる現代アートの思潮とは逆行している。ひとりひとりが、どうすればよい考えを惜しみなく社会に還元できるのかということについて、アンディ・ウォーホルは最良の説明をした。

彼のほんとうの意義と価値は、生前にはまだ十分に認められていなかった。しかし今日の社会では、ウォーホルへの評価は日増しに高まっている。この現象は非常に喜ばしい。


*1 『The Philosophy of Andy Warhol (From A to B and Back Again)』、Harcourt Brace Jovanovich, 1975 (初版)(和訳『アンディ・ウォーホル ぼくの哲学』,落石八月月訳,新潮社,1998)

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