思索と行動の全てが作品なのか 文/牧陽一

思索と行動の全てが作品なのか
文/牧陽一

2012年の9、10月、尖閣諸島(釣魚島)の問題が浮上した時、艾未未は「釣魚島が誰のものかよりも中国が誰のものかを考えろ」とツイッターで発言していたが、この時、私の脳裏を巡ったのは彼の作品「中国地図」だった。清朝の寺院の廃材である鉄梨木を材料に細密な組木によってできている。51×200×160cmという高さもそうだが、鉄梨木という堅く腐りにくい材料、この確固たる「中国」はやがて「作品自体に曖昧で異常な状態を備えさせて、人を笑わせるものになる」。果たして国境なるものは存在するのかと、懐疑的になってくる。やがて継ぎ接ぎの組木の痕跡から、中国に内在する混沌にさえ意識は至るだろう。例えば艾未未は2012年11月19日、「習近平への6つの要求[Artist Ai Weiwei’s six wishes for Xi Jinping – The Irish Times – Mon, Nov 19, 2012]」を発表している。「1、インターネットを自由化しなさい。2、芸術、表現を自由にしなさい。3、独立した裁判制度を確立し、公開裁判を実施しなさい。4、政府高官の資産を公開しなさい。5、少数民族に公正な対応をしなさい。6、異なる意見から学びなさい。」ここには現代中国の抱える問題の原因である政府の在り方が示されている。特に5の問題は焼身自殺が繰り返されるチベット問題を考えさせ、国境の無化さえイメージさせるだろう。

今回は『今日美術』の編集者のインタビューだから、いくらか美術に詳しい人なのだろう、インスタレーションだ、マルチメディアだと作品の変容を説明しようとするが、艾未未は意に介さない。結局方法は重要ではない。「私の作品は二種類に分けられる。ある作品はきわめて簡単で、いかなる人にもできる。鹿を指して馬だというような是非を転倒したもので、まあそれはそれだ。もう一種類は煩雑な方法を通じて、多くの時間と技術を使って完成させるもので、異なったタイプの手工芸家の技術、陶芸家もいれば木工芸家もいるし、他の工芸家もいる。両者にはかなりの違いがある。」ここで示された簡単な方法とは「漢代の壺を落とす」や「遠近法の研究」などに代表されるだろう。また後者は「ヒマワリの種」をはじめとした陶器作品や先の「中国地図」に代表される組木作品や「十二支の頭」など職人との共同作業だろう。

そして最終的には「私の従事したすべての事が、実はひとつの事なのだ」というように四川大地震後の公民調査、現在の脱税を巡る裁判、Psyの「江南スタイル」のパロディーである「草泥馬(ツァオニィマァ)スタイル」も一個の人間の思索と行動の全てが作品ということになるのだろう。艾未未は2012年11月23日、ガーディアン紙の質問に以下の様に答えている。「家を除いて、あなたの買ったものの中で一番高かったものはなんですか?―脱税をでっちあげる政府と戦うチャンスだ。そのために私は100元札の束で8メートル分(800万元)以上の人民元を払ったよ」。

艾未未のことば 5 「ナスはナスだ」

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