艾未未のことば17:誰もがみなアーティストでいい

誰もがみなアーティストでいい
翻訳 / 牧陽一
2010年10月 現象芸術センター講座*1
アーティストとの対話より*2

Q 艾先生、現代社会、特に中国社会に対するあなたの考えをお教えください。

艾未未(以下、AWW) 皆さんこんにちは。中国社会の北の方をみれば、私たちの社会は北朝鮮よりはちょっとは良さそうだが、でも、ずっといいとも言えない。北朝鮮では建国時の主席の孫の代を軍事委員会副主席に任命したが、私たちの国でも息子の代が副主席をやっているわけだから、大していいとは言えない。この状況は変化するだろうか。きっと良くなるはずだろう。今日、会場は若い人ばかりのようで、みんな相変わらず文化に関心を持っている。そのこと自体は抑えられない趨勢だ。いまは、軍隊に決定権がある時代じゃない。もしあるとしたら、それは退化と言えるだろう。私たちはやはり文明社会に向かっていくべきだ。

Q 今日来てくれたアーティストには若い人も多いようです。若い人に、あなたの考えを話してくれませんか?

AWW 中国なんて、いわば廃品回収所のようなものだ。若者も老人もこの廃品回収所にいるわけだから、そこには大した違いはない。主な原因は教育問題にある。教育の責任は誰にあるのか?誰にも明らかなことは、ここが酷い制約をもった国家であることだ、美学、倫理、哲学に関する公開討論もなく、過去100年、特にここ60数年は何の進歩も遂げていない。私たちは、中国経済が発展したと言うが、それは西側からの需要によるものだ。西側による中国の労働力の利用と、中国の豊かになりたいという渇望が結びついて、巨大な市場を造り出したのだ。若者はこうした社会のなか、インターネットが存在する時代のおかげで、まだ多少は希望を見出すことができる、だが、多くの人は依然としてファイアー・ウォール*3 の内側にあって、自由な表現を含む様々な情報ですら得ることができない。自由な表現の機会が得られれば、若い人が早く世界観を樹立する手助けができる、だが情報構造が十分に完全でなければ、その能力も、すべての行為も、制約を受けることになる。

Q 多くの人はあなたのことをやはりアーティストだと思っています、あなたがほかのアーティストに対して行う批判は、かなり多く、かなり激しいようですが、自分の批判態度についてどう考えますか?

AWW 私がアーティストに対してする批判は一種の自己批判でもある。アーティストは、まず表現に対する欲求があって、その次に表現方法を見つけ出さなければいけない。一種の形態、あるいは一種の言語を見つけ出してはじめて自己表現の欲求を実現できるのだ。体制による制約を受けるとき、自由な表現の権利を護ることこそ、まずアーティストが初めにやるべきである。アーティストはこの点で、農民や労働者よりはるかに自由な表現環境を必要とすべきだろう。私のアーティストへの批判というのは、アーティストの多くがこの問題に対して明確な態度を示さないということだ。

Q 今日来た人の中には微博(ウェイボー)*4 でこの会のことを知ったという人も少なくないようです。あなたはネット上のフォロアーをどう思っていますか。彼らのグループの構成を解っていますか?

AWW インターネットはとても抽象的な世界ではあるが、ひとつひとつの情報は個人を通して発せられるため、リアルで具体的な社会でもある。インターネットの最大の特徴はその自由にある。一個人がどんな地位にいようとも、どんな場所にいようとも別の個人とコミュニケーションができるのだ。コミュニケーションはこの時代の最も重要な特徴だ。最も基本的なコミュニケーションである男女間であれ家庭であれ、私たちがそこにある種の心残りを感じるのは、やはりそこにコミュニケーションの特殊性があるからだ。私はコミュニケーションをひどく渇望する人間で、一日平均8時間はインターネットを見ているほど、ネットを見ている時間がかなり長い。ひどいときには24時間もネットで過ごしている。私は、こうしたコミュニケーションの可能性を愛している。

Q あなたのブログが閉鎖され、続いてブログの文を収めた本が出版されました。*5 この現象についてどう思いますか?

AWW ブログが閉鎖されたのは驚くべきことではない。ブログが存在していた3年間に、私は2700以上の文を書いた。平均すると一日3篇だ。ブログが閉鎖された主な原因は、2008年の5・12四川汶川大地震以降に私が行った公民調査だ。四川汶川大地震によって、各個人が感情的に揺さぶられた。私はひとりのアーティストとしてどうすればいいのか判らなかった。私は煽情的な方法には慣れておらず、当時は一銭の金も寄付せず、ブログを書くのもやめた。多くの人に、こんな大事が起きたのになぜあなたが声を出さないのかと訊かれた。そこで、私は考えに考えて、被災地へ行った。一体全体何が起こったのかを見て、そして、私に何ができるのかを考えようと思った。まず、私は地震で亡くなった人たちがどんな人か知りたいと思った。彼らは誰なのか?私たちは廃墟から被災して亡くなった子供たちが運び出されるのを見た。幼稚園に上がったばかりの3歳の子から、あと数日で卒業だった19歳の高校生まで。「彼らは誰なのか」それを訊くのは大変な問題だった、こんなに大きな国家が、亡くなったのはどんな人なのかを私たちにはっきり言えないのだ。自然災害なのだから、私たちだって、どのように災害が生命を奪い去ったのかを知るべきだ。多くの若者が調査に参加したいと申し出てきた、私たちはまず、夜道を歩けますか?四川料理は大丈夫ですか?警察による拘禁が怖くはないですか、というようなアンケートを準備した、情熱だけではダメで、準備が必要だ。私たちは、四川省の警察当局に次のように言った、彼らボランティアを礼儀正しく扱うように。もし一人が捕まれば、私たちは代わりに10人派遣する、10人捕まれば100人になる。そうやって君らが全世界の人々を集めるわけにはいかないだろう、ということを理解してくれたのか、当局はいくらか紳士的ではあった。そうして、私たちは震災に遭った四川省の全ての村々を歩いた。それでも、30数人は警察に拘束された記録がある。そして、拘束のたびに調査した犠牲者の名簿は黒塗りにされ、録音は消され、録画テープは壊された。だが、1年以上かけたみんなの努力によって、公民調査では、5200名以上の生徒たちの名前を把握できた。名簿は彼らの誕生日、彼らが通った学校、彼らの保護者の名前を含んでいる。いま思い起こせばこれは確かに素晴らしい行動だった。これは、私の行動ではなく、ボランティアたちが深夜に辺鄙な山を歩き、ひとつひとつこれらの問いを訊き続けたことからできたのだ。同時に、私たちは毎日そうして集めた名簿をブログにアップしていった、ある時は一つか二つ、ある時には10数個、時には100を越した、これは政府に対する大きな圧力となった。震災後1年以上経つのになぜ政府は依然として正確な死亡者の数を公開できないのか、生徒たちの名簿を公表できないのか、それに反して、なんとひとりのアーティストがこんなに多くの人々を探し当て、こんなことを成し遂げたのだ、この圧力は彼らを怒らせるには十分だった。たった一秒で、私の3つのブログが同時に閉鎖された。閉鎖された後、私は微博(ウェイボー、マイクロブログ)に乗り換えた。微博は多くても140字を超えることができないので、私はずいぶん楽になった。微博に上げたまま粘って動かない私のせいなのか、アクセスが多すぎて、飯否という微博が遮断されてしまった。ただ、これは私の微博ばかりによるのではなく、当時、新疆ウイグル自治区で動乱があったからだ。ブログの文を集めた文集は広西のある出版社から出版した。デリケートな部分を削除して残った、100数篇のアートや建築に関する文章だ。

Q あなたはなぜドキュメンタリーを撮るのですか、公民調査同様に真相の究明なのでしょうか?

AWW 撮影と公民調査には何の関係もない。私は、ニューヨークにいたころ写真を撮るのが好きだった。することも無かったからね、でも、あの頃の生活はとても重要なのだ。何の目的が無くても、シャッターを切ることができるほど重要だった。当時、私のところに泊まった友人に、冷蔵庫を開けたらフィルム以外何にもなかった、と言われたこともある。ニューヨークにいたころに撮った写真は、北京に帰って、三影堂で展覧会をやったときに、はじめて現像した。*6 その写真を見たみたとき、まるで他人の撮った写真を見ているようだったよ。写真のなかの情報は大きく変わっている。撮った当時、その被写体の情報は少なかった。写真自体について忘れてからは、その写真が含有する情報が変容し、一枚の写真が記録したものはいわゆる真実ではなく、その真実は見たものとは違っている。時間がそれに変化を生じさせ、まるで、船の上から岸の景色を眺めるようだった。あの頃は、アンディー・ウォーホルの影響を受けていて、いろいろなものを撮って記録する習慣があった。ウォーホールも大量に写真を撮り、録音もたくさんしているよね。きっと習慣だろうね。

Q あなたのドキュメンタリー作品「老媽蹄花」*7「花好月圆」*8 は真相の探求を行なっているのですか?

AWW 「老媽蹄花」を撮る前に、撮っていたのはずっと自分たちの作品の制作過程だった。『中国』*9 という本の前だ、すでに、中国の現状については、かなり多く記録していた、工場とか社会現象とかいろいろだ。だが、出口は見えなかった、ただ、記録することが重要だとはわかっていたが、将来どのように使うかはわからなかった。みんなも知っていることだが、私は基本的には中国で何の展覧会もやったことがないし、別の言葉で言えば、私の作品の全容を見せる機会がないとも言える。だからとても消極的に事柄を記録してきた。それは「老媽蹄花」も同様だ。私たちが四川省へ行ったのは浦志強弁護士*10 の委託を受けて譚作人*11 の証人になるためだった。譚作人も、私とは別に公民調査を行っていた。私たちは互いを知らなかったが、彼は私たちよりも早く調査を始めていた。だが、彼はすぐに逮捕され、国家政権転覆扇動罪で起訴されたのだった。これは譚作人の件で初めて耳にした罪名だ。浦志強に「彼は捕まってしまった。君も同じ調査をしているのだから、なぜ、彼の無罪を証明しに行かないのだ?」と言われ、私は、ぜひ彼のために無罪を証明したいと答えた。彼の無罪を証明するのに十分な資料を私が持っていたからだ。確かに、四川大地震でこんなにも多くの生徒たちが亡くなった原因は手抜き工事によるおから建築のせいで、それは疑いもないことだった。私たちはすべての行動を記録しなければいけないとは思っていたが、それまで、ドキュメンタリーを撮ろうとは思っていなかった。ただ、ちょっと記録をしておこうと思っただけだ。あの日の晩、私たちが旅館に着いたとき、入り口の前にはすでに国保(国家安全部)の覆面パトカーが停まっていた。私は彼らに近づいて話しかけた。「君たちは私に用か?」彼らは呆気にとられていた。まさか、自分たちが目を付けた者がまさか自らこっちにやってきてものを訊いてくるなんて思いもしなかったからだ。相手は私に「どうしてそんなことをする。そうするなら警察を呼ぶぞ」と言ったので、私は「早く呼べばいいだろう」と答えた。すると、彼らはすぐさま車を出して逃げていった。それを見て、私は、今夜はかなり面倒なことが起こるかもしれないと思った。30数人の警察官が、まるで映画によく出てくる麻薬の取り締まりをするかのように金属でドアのすべてを敲いて、皆を震え上がらせる。熟睡しているところをあんな暴力的な音で起こされるのだ。いくつものドアが蹴破られ、ドアが外れてぶら下がってしまう。やつらは大声で怒鳴って、ひとりひとりを懐中電灯で照らし出す。私は目を覚まして、無意識のうちに鞄のなかの録音スイッチをオンにした。記録が必要だと思った。110番に電話して、「いま、誰かが私の部屋に押し入ってきた」と伝えているときに、彼らがドアを蹴破って入ってきた。私はやつらと言い争った。そのうちの警察官がひどく怒って、私を殴った。彼が殴ったのは実に当たり前のことで、私も殴られても平気だった。カリフォルニアで買った派手なシャツが裂けて着られなくなってしまったのだが、それはちょっと残念だった。その後、頭がかなりクラクラした。彼らは私を部屋に閉じ込めて見張り、外に出さないようにした。彼らは、理由も何も言わないし、警察手帳も見せない。それからずっと、午後2時過ぎまで閉じ込められ、譚作人の法廷が終わる時間になって、やっと釈放された。何の説明もない。帰った後に、私はこのことをどう考えればいいのかと思った。私はただ録音をネットに上げるしかなかった、その後に映像も編集して、それもネットに上げたら、すごく盛り上がった。起きたばかりのことだったので、多くの人がもっと知りたいと望んでいた。だが、その後、それによって一本の映像作品が出来上がるとは当時は思いもしなかった。映像の編集はとても速くできたが、一番重要な部分は音声だけだ。なぜならその時、趙趙(ヂャオヂャオ)*12 がビデオを回さなかったからだ。私があとで、「なんで撮らなかったのだ?」と尋ねると、彼は「二人警察官がいたから、撮ったら没収されるじゃないですか」と答えた。私は「撮らなければ、無いのと同じじゃないか?」と言った。とにかくまず録画スイッチをオンにすることが、私の撮影にとって重要なことなのだ。あとで多くの弁護士が「艾先生、どうやってドキュメンタリーを撮れば良いのか教えてください」と、私に尋ねた。私は「ドキュメンタリーには三つの重要な条件がある、第一にカメラの撮影スイッチをオンにすること、第二にカメラの撮影スイッチをオンにすること、第三にそれを永遠にオフにしないことだ。」と答えた。撮らなければドキュメンタリーを撮るという行為自体が存在せず、オンにすれば撮ることになる。そこには良いも悪いもなく、撮っていないフィルム以外に、編集できないフィルムはありえない。多くの弁護士たちがカメラの撮影スイッチをオンにすれば、大いに役に立つし、いったい何が起こったのかをみんなが見定めることができる。実はこの世界はとても単純なものだ。世界全体がふたつの努力をしている。ひとつは真相の究明で、もうひとつは真相の隠蔽だ。進歩的な一面と呼ばれるもの、つまり、欧米やインターネットあるいは科学の発達などはすべて真相の究明だ。これらによって、さらに多く、速く、より広範囲に真相を分かち合うことができる。科学に関してであれ、倫理に関してであれ、すべてはこうした認識の速度を加速するためのものだ。一方、中国政府が行なっている努力のすべては真相の隠蔽のためだ。ある特殊な目的のために真相を隠蔽し、あるいは歪曲する。だからこの社会は必然的にいかなる創造力も、精神も、さらには希望さえない社会となるのだ。

Q あなたは三影堂*13 はじめ草場地の一連の建物を設計しました、人間と空間相互の交流関係をどのようにつくりだすのかお聞きしたいと思います。

AWW 実は、私はそれを建築とはみなしていない。ドキュメンタリーを撮るときにそれを映画とはみなしていないのと同様に、建築するとき、私たちはただ家を建てているにすぎない。人は皆、何が使い勝手が良くて、何が使い勝手が悪いのか知っている。私たちは使用という観点から考慮する。もちろん美学的な判断もある。しかし、使用すること自体が美学の一種だ、機能とは意味だ、機能が無ければ意味はない、この角度から見れば私のドキュメンタリーも建築も同じ基盤の上に完成する。環境と人間の間にある問題をどう捉えるかということは、媒介に過ぎず、かなり古典的な見方だ、いま私はそのようには認識していない、私こそが媒介であり、この媒介は自己の現状のプロセスを表現するだけだ、私はいまも絶え間なく自己分裂し変化している、もしこれが無ければ今の私も存在しない。

Q 譚作人は懲役5年の刑に処せられ、ノーベル賞を受賞したばかりの劉暁波*14 にも懲役が課せられました。あなたがこれまでのドキュメンタリーで扱ったことはすべて政治的にデリケートなものばかりです。楊佳事件*15 など、これらのことに直面するとき、あなたはどう折り合いをつけているのですか?どうやって自分を弁護するのですか?

AWW 劉暁波のノーベル賞受賞は中国政府が彼に贈ったものだと言えるだろう。100万ドル以上の価値のある賞を贈ったばかりか、数百億の価値のある碑文まで贈ったのだ。この劉の受賞が中国社会に与える影響をないものにするために、中国政府は多大な労力を使った。どう折り合いをつけるのかについては、私の方はもうはっきり決まっている。もし祖国のことを思うのなら、監獄への道しかない。しかし、この道はなんて長いのだろう。私はこの道を狂奔するしかない。

Q 私たちの誰もが、中国人は中国人自身を抑圧している。革命以降、それが何度も繰り返されている、と言っています。この繰り返しをどうやったら止められるのでしょうか?

AWW これは方法論の問題だと思う。この政府は我々が選んだものだから、これは正しかったかもしれない。実際、どんな問題が起きたのだろうか。私たちがこの政府を選択したとき、おそらく政府を削除するキーが無かったのだ。もし、政府を更新できないとなると厄介なことになる。政府はウィルスと化す。従って、もう一度別の空間をつくるなどという過分な望みは抱けない。社会が進歩を望む場合、通常、西欧のいう文明であれば、次のような選択を行う、ひとつは科学の利用だ、科学は事柄を最も効率よく発生させ、同時に自己調整をし、更新をし、さらには批判のプロセスがある。科学的な角度から、民主主義という社会概念が現れる、民主とは社会が少数の個人的利益のためにコントロールされえないことを保証する。そして、すべての人が自分の選択に代価を払い、その責任を持つ。科学と民主主義は公民社会の発展において基本的な前提を保証するものだ。百年前の中国人はここまでは認識していた。これが徳先生(デモクラシー)と賽先生(サイエンス)だ。*16 しかし、今日に至るまで、依然として中国人は科学と民主を否定している民族だとみなされている。私たちは、科学と民主から離れられないのに、今日のこの中国社会では、そのふたつの存在はますます不可能なものとなってきている。

Q 今、この社会で素晴らしいものは何でしょうか?

A 中国人の苦痛に耐える力はとても強い。これはとても良い資質だ。この資質は中国でしか見ることができない。趙趙と文濤*17 は一昨日、保定で娘を車で轢き殺された父親と兄を取材した。映像のなかに映っている父親の姿を、音を消して見ると、二十歳の娘が今さっき轢き殺されたというのに、なんと笑顔を保っている。他のどんな民族がここまで進化しているだろうか。彼は極度の苦痛の状況であるにもかかわらず、それでも素朴で、心を揺さぶるような笑顔を浮かべているのだ。とても特殊な民族だ。

Q あなたはどのようにして自己の内心を強くし、自分に対する脅威を防いでいるのですか?正義ではない事柄についてはどうみていますか?例えば、みんな路上に出て日本を排斥しています。若い人が安易に排斥運動をすることをどうみますか?

A ちょっと老眼でよく見えないのだけど、ここに胡佳*18 の奥さんはいないよね。彼女は私が最も尊敬する女性だ。みんなドキュメンタリーに興味があるなら、『自由な街の囚人』を見てほしい。これは私が推薦する、もの凄いネット映像だ。これは胡佳さんが監獄に入れられる前の長い時間、監視され軟禁されていたとき、夫婦二人が完成した映像だ。私はこれが最も優れた映像だと思っている。映像の質も悪い、映像の持つ発展性も低いし、視野もとても狭い。だが、やはり人間が持つべき自由と快楽が、権力による規制を受け、さらにそれが酷くなると、身体的に傷害さえ受けるこの時代の苦境を訴えている。私は曾金燕に1,2回しか会ったことがないが、もしどうやって内心の恐怖を克服するかと問われれば、―胡佳の妻、曾金燕はとっても若く、私の経験ほどの経験もない。あの夫婦は皆さんと同じように経験が少ない、―だが彼女は揺るぎない信念を持っていると言うしかない。監獄のなかの日々は苦痛に満ちていて、受ける虐待は想像もできない。彼女の前で恐怖をどう克服するかを話す人としては、私はまだ自由な人間で、いつも国内外を飛び回っているし、あまり適していないだろう。

次の問題は抗議についてだが、一度、抗議ができればそれがだんだんと習慣になってくる。いつも路上へデモに出ていくことをみんなは望んでいる。毎回街へ出る度に、私たちが感情を持つものだということを証明できるからだ。第二次大戦のナチスは重大な罪を犯したが、ドイツは今日においてもとても深く反省しており、従って、この民族はその責任を負っていると理解できる。何の責任も負わないことや、何の感情も持たないこともよしとしない。だから如何なる方法にせよ、路上に出ていくことはいいことなのだ。

Q 現在の大学教育の制度はとても醜いものです。社会の多くの無様なものが大学のなかにもたらされています、あなたは、大学において何をなすべきで何をなすべきではないと思いますか?

AWW 長い間に渡り、改革開放が中国にもたらした最も大きい弊害は、学校教育の場に具体的に現れている。環境汚染も道徳腐敗もこれには及ばない。教育こそが後の世代に対して、人間の持つ楽しみを得る能力に傷を与え、それを剥奪した。これが中国の一党独裁による全体主義の最も大きな特徴だ。未来の生活において快楽を得るために、自分の知識と力を成長させていく能力を備えさせないように人々を制約したのだ。これが今日の教育体系の最大の特徴であり、教育が毎日与えるべき努力と同様に、廃品を製造していると言える。これがこの時代の最大の罪だ。

Q あなたはアーティストとして、もしくは別の立場であれば、どんな立場で公共事業に参入しますか?私たち若者はあなたの芸術理念に対する探求心も含め、あなたから何を学べばいいのでしょうか?

AWW その問いは困ったな。君たちが私から何か学ぶことがあるとは思えないし、私の状況はいささか特殊だ。コピーできるオリジナルというわけでもない。私たちは、生活のなかで出くわす、小さな具体的な問題に対して、真剣に対処すべきだ。こうした小さな具体的な問題に対処するときに必要になるのが個人の判断だが、これらの判断は実は大きな問題とつながっていて、その意味で自身の倫理あるいは哲学と一致するのだ。だから、日常におけるとても小さな問題でも、もしも自身がいくらか機敏に反応するものがあれば、それが覚悟の始まりなのだ。それを続けてこそ、人生において重要な決定を下す必要に迫られたとき、自らの決定が大きく外れたものにはならなくなる。口での説明だけでは難しい。つまり、生活には基本的な資質が必要だとしか言えない。そこには真剣な行為をし、自分の観察能力や自己判断を高めることを含んでいるが、私にとって最も重要なことはいくらか反抗的であることかもしれない。何れにしても、どんなことにも自分の分析と判断が必要で、それは人間の成長に影響する要素だろうね。

Q いわゆるメインストリームに属する人にとって、あなたに対する見方は、あなたのツイッターのフォロアーとはまったく違うものかもしれません。このことは、あなたにどのような影響がありますか?

AWW ひとりの中国人として、私は苦境の真っただ中にいると思う。なぜなら私たちの社会が、成熟した価値評価を提供できないでいるからだ。この社会がもたらす価値評価のすべてに問題が存在している。だから、私はいっそう人格分裂が進み、側面ばかり羅列されて、さらに矛盾した状態が続いている。行為と思考さらに言語のすべてが分裂状態にある。

Q 今日の午前に「李剛門」*19 の映像を見ました。あなたは最近起こっているネットユーザーが自ら調べて真相を探求し、*20 事件を進展させていって、マイナス面のニュースが出てきたり、真相を偽装するものが出てきたりする現象をどう見ますか?

AWW 私はこのことについて承知していないので、あなたのいうその後の伸展というのが、一体全体真相なのか虚偽なのか、判断する方法がない。だが、ニュースを通じて、事件が発生してから多くの人が、真相でなくとも、さらに事件を伸展や増長させていくのが分かる。つまり、事件が伝播され、少なくとも多くの人に周知される可能性は存在する。この可能性の存在は、実際、メディアでは真相に近づくはたらきを起こす。裁判所がこれに依拠するはずはないが、大衆世論からみれば、それでも積極的なはたらきを起こし、やはり人々が心理的に理にかなっていると思う状態を表すことになる。

Q もし私たち若者が、自由のために何か自由な行動をし、投獄されたらどうしますか?

AWW それは若い人が一様に議論している問題だ。「艾先生、そういうのはもともとその可能性をもたない人間を扇動して、もっと悲惨な状態に陥らせることに等しいのではないのですか」とね。客観的に言えば、この政府もまるっきり理性がないというわけではない。ただ多くの悪い選択をしただけだ。このシステムには問題があるものの、実際はそう多くの人間が投獄されたわけではなく、投獄されるのは宝くじに当たるくらいの確率だろう。投獄されて話を少ししたら、たいていはすぐに釈放される。正直言って、中国にはそんなに多くの人を収容できる監獄もない。通常、刑事犯罪としてではなく捕まっている人も、思想犯と見なされて失踪している、もしくは投獄されている人も、それほど多くはない。アムネスティの統計によれば中国国内で1800人ぐらいだろう。この国においてこの数字は小さい。だから、皆がそういう目にあうだろうと思うような人でも一生投獄されはしないから心配する必要はない。

Q いち社会人として、あなたは闘士であり、みんなに敬慕されるに値します。ひとりのアーティストとして、艾先生の作品、特にインスタレーション作品はどれも模範的とも言えるものです。両者の関係はどのようなものなのですか。

AWW 私は自分自身が人権擁護する闘士などとは到底言えない。「人権」という言葉が持つ概念と含意はとても豊かで深いものだが、私が行っていることはその基本的なものにすぎない。例えば、私は地震によって誰が死んだのかと尋ねる。それは人権の基本的なものにさえ繋がってもおらず、結果的には私の脳の方がぶん殴られて地震状態におかれて、もうちょっとのところで命をもっていかれるところだった。そのせいで、みんなが「こいつはきっと人権擁護の闘士だ」などと言い出した。私はといえば、これまで『世界人権宣言』や『ゼロ八憲章』さえもしっかり読んでいないのに。これまで自分がこの仕事を負える人間だとは思ったこともない。私は一人の個人に、一人のアーティストに問うべき問題を問うたに過ぎない。何か事件が起きれば、私には私の主張がある。すべての人が、ある程度のことくらいは知っておくべきだ。俗な言い方をすれば、納税者として私たちが養っている警察が、夜中に人の家にやってきて人を連れ去り、手で庇った頭を殴りつけてどこか山の中や町外れに人を捨て去るなどという、下手なおとぎ話に出てくるような、現実にはあり得ない話が、オリンピックと万博の後の中国で実際に起きていることを知るべきだ。アメリカにいた頃の影響かもしれないが、私は周りで起きたことを記録する習慣を持っている。この点から言えば、私の作品には保守的な傾向があって、それがひどくなると自分の反抗的な個性に背くほどだ。

Q あなたが芸術活動をする際、海外からをも含む権力と資本のふたつは、良いあるいは悪い影響を含め、どのような影響を及ぼしますか?

AWW 実のところこの問題について私が話す必要はない。私たちが歴史を繙けば、多くのものが権力と資本によるものだとわかる。ルネッサンス時代、例えばダ・ヴィンチが描き上げた作品の他に、なぜさらなる画家や彫刻家による作品があるのか。芸術品と資本には従来、大きな関係がある。例えば商、周時代の玉と青銅器。歴史において、その筋道は鮮明だ。奴隷社会から封建社会、私たちがいま目にするいわゆる物質文明も含めて、過去の文化や文明の成果は全て権力と資本と強い関係を持っている。しかしこの関係は完全に対立するものではなく、良いものを生み出す可能性さえある。産業革命以降、権力と資本の現れ方はすでに変化し、個性と文学の時代が始まり、人類は古い構造から解放される可能性が出てきた。この個性という特徴そのものが権力であり、種の資本だ。こうした理解は容易に見出すことができる。もしあなたが成功しないのなら、それはあなたが成功する方法を見つけていないか、あなたがこの方面で成功するべきではないということを証明している。私には何かのために何かを作るということは絶対にありえない。不平不満を言っても何の意味もない。

Q 艾先生のおっしゃる権力と資本の意味はずいぶん深いですね。私は単にアーティストが、お金が無い場合はどうすればいいのかを尋ねたかっただけです。あなたは成功についてどう考えていますか。成功するとお金持ちになるのでしょうか?アーティストはどのような状態になったら成功したと言えるのでしょうか?アーティストは貧乏でもいい作品が作れるのでしょうか。

AWW あなたはアーティストと普通の人を区別している点がもう問題だ。どんな個人にも生活とお金の問題はある。誠実な労働を生存するためのものへと変換することは恥ずかしいことではないが、もしあなたにお金が無く、それでもアーティストだと思っているなら、それはとても恥ずかしいことだ。最初に考えることはアーティストになるか否かという問題ではなく、一個の人間としてどのように生きるかという問題だ。その次に何か得意なこと、あるいはほかの方法でお金に換えること、それはあなた自身の幸せの問題だ。

Q もし、すべての人が身近に発生したニュースやドキュメンタリーを撮ればこの社会は変わるのですか?

AWW もちろんだ。もし、誰もがビデオカメラを手に取れば、たとえ撮影をオンにしなくても、バッテリーがなくても、この社会はとっくに変わっている。

Q 人間はなぜ生きているのか、人が追及する芸術の方向がどこかなど、芸術家あるいは学者はいつも最も本質的な問題を見つけ出します。あなたの価値観および生活における本質とは何ですか。ご自分の生活とアートについてどのようにみていますか?

AWW 生活においては、いわゆる本質とそれに伴う目的は存在しない。ただ、私たちが苦境のなかにいるときにだけ、その価値が現れるのだ。問題に直面しない人には、生活の価値とその本質が解るはずがない。自分が出くわした問題に正面切って対峙したときに、その価値が顕在化するのだ。

Q あなたは生活と芸術を区別していますか?

AWW 芸術というのは別個の命題ではない。芸術が含意するものがあるとすれば、それは生活に対するひとつの解釈がそうだろう。例えばあなたが自分の趣味を他人に解ってほしいと思うこともそうだ。生活と芸術を分けるとなると、私はそもそも問いにどう答えていいのか解らない。

Q あなたは何か宗教を信仰していますか?もしそうならば、私たちにも少し分け与えてください。もし、信仰していなければどの宗教を信仰するのがいいと思いますか?

AWW この問題はちょっと難しい。私は宗教に対する深い信仰を持ち続けてはいるが、それは茫漠として、その方向が見えていない。どんな宗教を信仰するのが私の生命に対する悟りを満足させることができるのか解らないし、無知だから、具体的な宗教に対しては特に賛同もない。

Q ドキュメンタリーを撮るのとインスタレーション作品をつくるのと、どちらの方が好きですか?陶器のひまわりの種の作品が、*22 人々に影響を与えた、あるいは深く思索を促したことは別として、同じ金額でインスタレーション作品を作るよりはむしろ、もっと価値のあること、例えばそれは10の希望小学校を建てることなどがあったのではないでしょうか?*23

AWW 作品制作に大金を使うなら、なぜその金で希望小学校を建てないのかとよく人に訊かれるが、実はこの問いには解答はない。個人が自分のやりたいことをすることが、必ず正しいことでなければならないとは、私は思わない。それは功利主義的思考で、災難を引き起こし得る。みんなが同一の倫理基準を使うことが、災難を引き起こす基本的な条件となる。私がアーティストかどうかも、ドキュメンタリーを撮るか撮らないかも、私が好きでやっているわけではないし、どうでもいいことだ。こうした立場は特定の状況下で仕方なくやっているだけだ。それでも、こんなことができる人間は幸せだとは思うよ。


*1 通州宋庄小堡藝術園区にあるアートスペース、自主映画の上映も行われた。2010年から2014年までアート活動を展開。2015年9月15日閉鎖。

*2 テキストは艾未未『艾未未訪談集:尋找快樂的能力』(2013 大山文化出版社 ISBN: 978-988-16097-6-2 )「人人都可以藝術家」p337‐348

*3 政府によるインターネット規制。中国では、グーグルやフェイスブック、ツイッター、Youtubeなどには接続できない。

*4 中国国内のSNSマイクロブログ。

*5 2009年5月28日夜、艾未未の3つのブログが閉鎖された。2010年9月広西師範大学出版社から艾未未『此時此地』が刊行された。

*6 艾未未:纽约1983-1993展期:2009年1月2日至2009年4月18日2009年1月,三影堂摄影艺术中心
http://www.threeshadows.cn/Home/Show/look/id/64.html
「アイ・ウェイウェイは謝らない」監督アリソン・クレイマンはこの展覧会の撮影をきっかけに艾未未のドキュメンタリーを撮ることになった。

*7 《老媽蹄花》2009年,79分 四川省成都警察が証人を拘留し、司法手続きを暴力で妨害した記録。2011年11月 第一回陽光衛星TV中国語ドキュメンタリー陽光公民賞(陽光衛視華語紀錄片陽光公民獎)受賞
ドキュメンタリー作品「老媽蹄花」は艾未未工作室制作で、2009年8月12日、譚作人の国家政権転覆扇動罪に問われた裁判の審理の過程で、四川省成都警察が証人を拘留し、司法手続きを暴力で妨害したことを描いている。譚作人氏は512四川汶川大地震で死傷した生徒とおから建築問題を調査していたために起訴された。
原文:紀錄片《老妈蹄花》是艾未未工作室为2009年8月12日”谭作人煽动颠覆国家政权”案的审理过程中, 四川成都警方拘禁证人,暴力干扰司法程序而制作。 谭作人先生因为调查512汶川地震伤亡学生与豆腐渣工程问题被起诉

*8 《花好月圓》 2010年,126分 2010年に北京で起こった「厳打」(頭を覆って乱暴に殴る)@aiwwに関する作品。2010年夏、政府は反体制的な者に対する「厳打」行動を展開した。この期間、劉徳軍と劉沙沙はその活動と率直な意見のために政府の暴力に遭うことになった。彼らは別々に誘拐され、殴打され、遠い場所に捨てられた。この事件はネット上の関心を引き起こし、多くの人がことの真相はどうなのか問いただした。この作品では二人の被害者、目撃者、ネットのフォロアーにインタビューし、二つの殴打事件に対する違った視点を提供し、観衆を中国政府の「厳打」の残酷な真相に近付かせる。
原文:2010年夏天,中国政府对异议者开展严打行动。”花好月圆”纪录片是关于这个期间刘德军和刘沙沙的故事。他们的活动和直率的言论使他们遭到政府暴力。他们分别遭到绑架,殴打,然后被扔到一个遥远的地方。该事件在互联网引起了很大的关注,也有很多人质疑事情真相究竟如何。本纪录片采访了两位受害者、目击者及相关网友,对两次殴打提供了不同视角,使观众更接近中国政府”严打”的残酷真相。https://www.youtube.com/watch?v=7nZ7tty-ZiA

後に劉徳軍は国境なき記者団の申請したドイツペンクラブの亡命作家プログラム奨学金を受けて、香港からアイルランド、ドイツへと亡命した。2013年ニュルヘベルク在住。この記事には艾未未らが写った写真があるから、この亡命には艾が絡んでいるようだ。
流亡德国的中国异议人士刘德军
また劉沙沙は2015年に夫の楊匡とともにカナダに難民として受け入れられた。

*9 この時点で艾未未は《中国》という本を編集していたようだが、実物は未発表かと思われる。艾未未:我不想和谐CCTV.com 2009年08月13日 11:45:42 来源:中国网
和谐不掉 (2010-05-15 17:55:54)
http://blog.sina.com.cn/s/blog_538be1f10100it35.html

*10 浦志強(ほしきょう、プー・ヂィチアン1965年生)は中国の弁護士。64天安門事件ではハンガーストライキに参加した。当時の艾未未の弁護士。
2014年5月3日、六四天安門事件研究会に出席し、北京市公安局に拘束された。13日「騒動挑発」と「個人情報の不法取得」の両容疑で、正式に逮捕された。2015年12月14日の裁判で検察側は、浦志強が微博で共産党や政府のウイグル民族政策などを批判したことが、「民族の団結を破壊し、社会に悪影響を与えた」と主張。22日判決、懲役3年、執行猶予3年。弁護士資格を剝奪されたが、自ら弁護士事務所を開設した。

*11 譚作人(たんさくじん、タン・ズオレン1954年生)中国四川省成都市の人、2009年2月、「5.12生徒の記録」を起草し、四川汶川大地震で倒壊した小中学校校舎の調査を呼びかけた。2009年3月28日、以前に発表した64天安門事件に関する文が罪状となり、成都市公安に拘束される。2010年2月9日、国家政権転覆扇動罪で懲役5年、政治権利剥奪3年。2014年3月27日釈放。

*12 趙趙(ちょうちょう、ヂャオヂャオ)注目される新鋭アーティスト。1982年中国新疆生まれ、2003年新疆芸術学院美術系卒業。2010年ごろから中国や海外で美術展に参加。艾未未は最も信頼を寄せるスタッフでもある。2009年の監禁殴打事件では撮影係りを務めた。ドキュメンタリー「アイ・ウェイウェイは謝らない(Never Sorry)」終盤でカメラを抱きかかえて成都警察から守る姿は感動的でさえあった。

*13 北京市朝陽区草場地155号A 三影堂撮影芸術中心 榮榮&映里が2007年に創設。2015年には三影堂厦門撮影芸術中心も設立。http://www.threeshadows.cn/

*14 劉暁波(りゅう ぎょうは、リウ・シャオポー )1955年吉林省長春市生まれ吉林大学、北京師範大学で学ぶ。64天安門事件の際にはハンガーストライキに参加、学生運動の中心的存在として、戒厳部隊に学生たちの逃げ道を提供するように交渉した。合計4度投獄されるが、変わらず文章を発表し、天安門事件の学生の名誉回復、人権保障、民主化を訴え続ける。2008年に民主的立憲政治を求める零八憲章を起草して拘束され、2020年6月21日までの懲役刑の判決を受け服役中。2010年10月8日、劉暁波のノーベル平和賞受賞が発表された。

*15 楊佳(ようか、ヤンジャー)1980年、北京生まれ。2007年上海への自転車旅行をしていたところ、警察に尋問され、派出所で6時間に渡って拘留、リンチを受ける。生殖機能を失ったという。2008年7月1日警察を襲撃し、警官6名死亡、3名けが、警備員1名がけが。2日後の3日には母親の王静梅が北京の警察に連行され、失踪、後に名前を変えられ精神病院で発見される。2008年11月26日、上海で死刑執行。

*16 1919年の54新文化運動のキーワード。「徳先生」とは、「德莫克拉西(Democracy)先生」のこと「賽先生」といは「賽因斯(Science)先生」のこと、この二つの近代思想が、中国の新しい時代をつくると陳独秀は言っている。また1989年の民主化運動でも「徳先生、您好!」という横断幕が登場した。

*17 2011年4月3日艾未未が失踪した時、フェイクスタジオの4人のスタッフも行方不明になった。文濤もその一人、ほかには会計係の胡明芬、デザイナーの劉正剛、張勁松。文濤は元体制側の新聞「環球時報」の記者。当時38歳、フリージャーナリスト。11年間スポーツ記者を勤めた後「環球時報」の記者となり、艾未未の記事を書いたことがきっかけで、アイの友人になる。そのために解雇された。獄中では椅子に手錠で縛られ、トイレも椅子を引きずって行ったのだという。2013年に当時の顛末を発表している。
艾未未获释回家,文涛等人仍无下落(图)
http://wqw2010.blogspot.jp/2011/06/blog-post_9587.html
文涛(前《环球时报》记者、与艾未未同时被拘留者)http://loveaiww.blogspot.jp/2011/06/blog-post_14.html
文涛:我曾在中国“消失”83天https://www.letscorp.net/archives/103425

*18 胡佳(こか、フー・ジア、1973年)は、中国の民主化運動家。別名胡嘉。中国では反体制活動家とされる。妻は同じく活動家の曾金燕(Zeng Jinyan)。中国の民主化運動、環境問題、エイズ問題について活動してきた。中国政府によって再三逮捕、自宅軟禁される。『自由城的囚徒(自由な街の囚人)』BOBO自由城という名のマンションに自宅軟禁されている胡佳が毎日監視に来る国家安全部の警察の様子や彼らの生活を記録したもの。(監督: 胡佳、曾金燕、中國、中英文字幕2007、31分)自由城的囚徒 PTS 台灣公共電視
https://www.youtube.com/watch?v=NBI4fCBYkgw

後に香港大学へ入学した曾金燕は2016年獨立中文筆會(Independent Chinese PEN Center)林昭記念賞を受賞した。現在香港大学博士候補生。2016年『中国女権―公民知識分子的誕生』香港城市大学出版社 を出版。インデペンデントドキュメンタリー研究会発起人。
王藏、曾金燕获独立中文笔会奖项2016-10-31
http://www.rfa.org/cantonese/news/award-10312016124224.html

*19 「李剛門」=河北大学飲酒運転ひき逃げ事件は、2010年10月16日、中国河北省保定市の河北大学構内で2名の女子学生,陳暁鳳(20)と張晶晶(19)が、李啓銘(22)による飲酒運転の黒のフォルクスワーゲン・パサートにひき逃げされ、陳暁鳳が死亡した。李啓銘は地元保定市北市区公安分局副局長の息子だった。李啓銘が言った傲慢な言葉「やれるものなら訴えてみろ、俺の親父は李剛だ!(有本事你们告去,我爸爸是李刚。)」が流行し、中国のインターネット上で大きな反響を呼んだ。
艾未未工作室は、亡くなった陳暁鳳の父、陳廣謙、兄の陳林を取材している。またこのページでは李剛、李啓銘親子が保定市内に所有するマンション5件を示し、価値が766万~844万人民元(約1億から1.2億円)であることなどを公表した。また河北大学党委員会書記、学長の王洪瑞の論文剽窃事件との関係、大学と公安の癒着を指摘している。なお王洪瑞は2016年9月に河北大学の党委員会書記、学長を罷免された。
艾未未工作室专访“我爸是李刚”车祸案受害人家属(视频)
http://www.360doc.com/content/10/1028/10/2406619_64665282.shtml

*20 いわゆる人肉検索のこと:ウィキペディアにもあるが「中国のインターネット上において行われている、多数の匿名人物間でやりとりを行いながら、検索エンジンによる検索と、人手による公開情報の検索との両者を駆使し、ある人物の名前や所属を特定したり、事件の真相を解明したりする活動」古畑康雄『「網民」の反乱 ネットは中国を変えるか?』『習近平時代のネット社会 「壁」と「微」の中国』ともに勉誠出版2012,2016に詳しい。

*21 *20を参照

*22 2010年10月、ロインドンのテート・モダン、タービン・ホールの床1000平方メートルに1億粒の陶器でできたひまわりの種を10センチの深さで敷き詰めた作品、種は1600人の景徳鎮の職人が2年半かけて手作りされた。

*23 中国の途上地域(貧困地域)に民間の寄付などの援助によって建築された学校。希望プロジェクトは1989年10月から実施され、2004年までの15年間で22億元、250万人以上の生徒、学生を援助した。1万校近くの希望小学を建築し、農村の小学校の2パーセントを占める。2300人の教師を養成した。管理部門は青少年発展基金会。

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