崔在銀:「アショカの森」のボルヘス 文/南嶌宏


崔在銀「アショカの森」(2010)インスタレーション
撮影:武藤滋夫 提供:原美術館 *以下「Lucy」以外同様

アーティストの口から訪れたこともない街の名が、あたかもその街に住み、幾ばくかの人生の意味を引き受けることになる、その街での出来事を懐かしむように語られることがある。

たとえば横尾忠則がそうだ。その街の陰影の隅々までをも記憶に留め、そこでの自らの佇みの時間を述懐するにふさわしい、そのトポスの名はブエノスアイレス。我は彼の地に在り。そして、その横尾の揺るがない記憶の根拠こそ、ホルヘ・ルイス・ボルヘス。その名の響きそのものがひとつのジャンルであるかような、あるいはボルヘス自身が「まだ人間に示されていないひとつの原型、ホワイトヘッドの言葉を使えば〈永遠の客体〉が徐々にその姿を現しつつあるのかもしれない」と、『異端尋問』の「コウルリッジの夢」の最後を締めくくる暗示そのものの存在として、横尾忠則を引き返せない場所に誘う魔性の文学者。

もちろん、この魔性という呼称はボルヘスの『夢の本』の自身の序文を読めば理解されるものだ。「我々が特別に注意を払うにふさわしい夢のタイプがある。悪夢のことだ」。そう、横尾がボルヘスの魔性の夢をトレースするかのように、実際には訪れたことのない、否、「実際」などという言葉こそ、私たちの純粋経験を冒涜するものはないのだが、「ブエノスアイレス」を主題とする展覧会を実現させてしまうというように、私たちは悪魔の夢によって真実の場所へと誘われてきたのではなかったか。

事実、私たちが驚かされたのは、その展覧会に立ち会ったアルゼンチン全権大使ダニエル・アダン・ポルスキの言葉である。彼はブエノスアイレス——それはちょうど日本から見て地球の真裏にある——を想う想像力とは夢の創造力であり、そして、それは彼岸——死——を想う想像力、つまり、横尾忠則はボルヘス的霊性のアーティストであると言い切ったのだ。いうまでもなく、彼はボルヘスの熱烈なる読者であり、使徒というべき人間であった。彼はその展覧会だけでなく、横尾忠則自身に棲み込むボルヘスの霊性を直感したのだろう。

そして、その直感の的中は横尾が「泉鏡花文学賞」を受賞すことになる『ぶるうらんど』、そして最近作の『ポルト・リガトの館』といった禁煙の文学作品によって明らかになる。

舞台はスペイン、ブラジル、インド。しかし、マドリッドやサンパウロ、あるいはニューデリーといった大都市ではなく、それはポルト・リガト、パンタナール、そしてスリナガルという、資本化されない辺境のトポスをつなぐ霊性の旅であり、私たちはその旅の同伴者となって、次第に現実と非現実の溶け合い、可逆の時間に死生する横尾ワールドへと誘われることになる。

「ポルト・リガトの館」における、サルバドール・ダリをはじめとする死者たちとの黙示録的な会話。生と死の間を流れる不穏な比喩としての川を巡る「パンタナールへの道」。そしてヨーガのエロスに満ちた、生と死の転位を表す「スリナガルの蛇」。とりわけ「パンタナール」と「スリナガル」のように、最後に現実の死を配置し、生と死の転位を印象づける手法によって、より鮮明に霊性の存在を際立たせることに成功している。

これらはすべて死の側から世界を体感する霊性を獲得したエピソードとして、今日まで一貫する横尾芸術の本質を暗示し続けるものであるが、それ以上にボルヘスをして横尾に語らせた、麗しき悪夢というべき世界が開示されたともいえるのである。

そして、もうひとりのボルヘス。『七つの夜』。晩年のボルヘスの横顔、その半分を彼岸に引き渡したかのような、絶対の闇そのものの肖像として掲げたこの本に引き寄せられ、聴衆を前にその一節を母国語であるハングルで読み上げた、もうひとりのボルヘスがいる。


崔在銀「幻想の裏面」(2010)カラー写真

現在、原美術館で『アショカの森』と題する個展を開催している崔在銀である。この展覧会は、マウリア王朝の三代目の王として、仏教への帰依によって、「法(ダルマ)の政治」を得、やがて王朝を不動の国家へと導いたアショカ王が、国民ひとりひとりに5本の樹、つまり、薬効のある樹、果実のなる樹、燃料になる樹、家を建てる樹、花を咲かせる樹を植え、それを森として見守ることを提唱したという故事に触発されて生み出されたものだ。

もちろん、その美しい故事に崔在銀の表したい世界があるわけではない。なぜなら、この展覧会は「樹」の姿を得ながらも、先験的に与えられた生の回復者であったアショカ王が仏陀の声を聴き、問答する、その霊的な重なりを得る深き時間そのものが主題となっているからである。

ボルヘスの『七つの夜』の中の第4話「仏教」。この講演録はもちろん「仏教」についてのボルヘスの知見が披歴されるものであるが、注意深く耳を傾けるならば、それは自我と時間に関わる繊細な意識に貫かれていることに驚かされる。

老い、病、死。ゴーダマ・シッダールタが仏陀となるその根本原因は、すべて克服できない時間の不可逆性に対する煩悶に起因するものであっという。しかし、仏陀はそれが「私」という不動たらんとする自我によって生じる苦悩であることを悟る。ボルヘスはここでピタゴラスを、プラトンを、ケルトの詩人タリージンを、プロティウスを、ショーペンハウアー、そしてその弟子ドイッセンを、ベルグソンを、ヒュームを、そしてアルゼンチンの哲学者マセドニア・フェルナンデスなどを引用しつつ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの‘I have been there before’、この「不意の光」という詩に語られる、転生の可能性の存在として象徴される自我を、その不動の時間に鮮やかに対峙してみせるのだ。


崔在銀「Forever and a Day」(2010)ビデオインスタレーション

崔在銀は時間は動かないという。それは今回の個展において、もっともダイナミックに表される映像作品「Forever and a day」に象徴されている。5つのスクリーンに映し出される、樹齢数百年の一本の大樹の姿。もちろん、「5つの樹の森」の故事にこだわるならば、それをその一本ずつの樹の肖像と見ることもできるだろう。しかし、私たちが不意なる墜落感を突きつけられるのは、その5つのスクリーンに映し出されるものが、最も遅い速度によって可視化された宇宙の、一瞬であり、かつ永遠という時間であり、しかも、それが可逆の、未来だけでなく過去にも同時に息づき、存在する時間の姿であることに、私たちの有限の生が打ち砕かれるからである。しかしまた、その私たちの小さき自我が、始まりも終わりもない霊的な円環の中に回収され、無数の死の繰り返し、つまり転生の可能性の存在となって解き放たれるのも、まさしくこの森においてなのである。

崔在銀は私たちを未知なる宇宙としての「アショカの森」に誘おうとするのではなく、ここが生き直しにも似た、私たちの生の先験的な記憶を回復する森であることを暗示する。


崔在銀「幻想の裏面」(2010)カラー写真

そして、その絶えざる途上というべき、開きつつ閉じ、閉じつつ開く、時間の旅人となった彼女の網膜に映し出された写真作品「幻想の裏面」。物質的存在としての宇宙を美しく溶かしたかのような、この新作の写真のシリーズにおいても、すべて実在の森を被写体にしながら、崔在銀は従来の写真の直角的な世界の切り取り方に、霊的な速度と角度を介入させ、時間的存在である森と人間の自我の対峙を、微かな時間の粒子による点描として表すのだ。そして、そこにタイトルとして付けられた暗示的な数字、もちろんそれは元来、撮影日、撮影時間を示すものでありながら、ここに浮上する光景が数霊的存在であることを示している。それはいったい何を起点として、そして、誰が支配してきた数字なのか。終わりなき「アショカの森」に去来する、何者かの記憶の光景。崔在銀はその光景に棲み込みながら、自らの存在を霊的な故郷に帰そうとするのである。

自我と時間。私はここで3年前の崔在銀のもうひとつの展覧会について触れなければならない要請に駆られる。それは今回の『アショカの森』へとつながる、2007年にソウルのロダン・ギャラリーで開催された『ルーシーの時間』という個展である。なぜなら、崔在銀が深く創造の宇宙の深部に身を置いて、人間を、そして芸術を考え抜いてきたか、彼女が満を持して明かそうとしたその個展にも、すでにボルヘスなる「永遠の客体」が秘かに棲み込んでいたからである。


Jae-Eun Choi, Lucy (2007), Han white marble, 239.5 x 246 x 291.4 cm. Courtesy the artist.

ルーシー。それは1974年11月30日、エチオピア北東部、アワッシュ川下流のハダール村で発見された、318万年前と推定されるアウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)に付けられた名前であった。ルーシーと名づけられたこの猿人の化石人骨は二足歩行の痕跡の残す、当時、人類最古の祖先と見なされた発見であり、そのルーシーなる女性名こそ、その歴史的な発掘調査の最中に、発掘隊が絶えず流し続けていた、ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」から取られたものであった。ルーシーはジョン・レノンの息子ジュリアンの実在の幼友達であり、その曲名は、もともとダイヤモンドを手にして空を飛んでいるルーシーを描いた、息子ジュリアンの絵のタイトルでもあった。その名曲はその後、世界初のコンセプト・アルバムといわれた「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の3曲目に組まれ、その頭文字が「L.S.D.」となることから、当時イギリスでは放送禁止とされたいわく付きの曲でもあったが、その名を与えられたルーシーが300万年も抱き締めてきたその時間に捧げようとした崔在銀の直感こそ、移ろうものこそ自我であり、その時間はつねに不動であるという、仏教から獲得したボルヘスの自我観、時間観と溶け合うものであったのだ。

図らずも、私は今回の崔在銀の霊的な個展『アショカの森』への賛辞として、ボルヘスがエマヌエル・スウェーデンボルグに捧げた詩を捧げることになった。それは、一輪の花の命を絶ち切る覚悟の上に創造される「いけばな」を通して、深き創造の世界に入った崔在銀が、その後、微生物、鉱物、化石といった自然科学の分野への旅を経て、再び「アショカの森」において、植物としての「樹」に湛えられる、存在の神秘への傾斜を深めたという事実が、スウェーデンボルグとボルヘスというふたつの「永遠の客体」を意識させることになったからである。

不動としての時間観。物質的な世界を超えた霊的世界の所産として、創造という行為を予め約束されていた位相へと帰還させようとした、そうした芸術家たちのありようは、まさしく自我をめぐる地獄ともいうべき、現代における私たちの生に対する無意識の危機感を照射する、抜き差しならない警句として、私たちに刺し込んでくるにちがいない。

それは横尾忠則、そして崔在銀だけでなく、晩年、失明することを「喜んだ」ボルヘスの歓喜の意味を、視覚芸術の限界として受け止めるならば、霊的世界、魔性の世界を静聴するために、私たちはもう一度、森に佇み直すべきときを迎えているといわざるを得ない。そして、 その小さな森がここにあるということなのだ。

南嶌 宏 国際美術評論家連盟理事、熊本市現代美術館長などを歴任後、女子美術大学教授に着任(芸術学部アート・デザイン学科アートプロデュース表現領域)。専門は、現代美術思想研究、旧共産主義圏の現代美術研究、「反近代論」研究、「反ミュージアム理論」研究など。2010年9月18日に原美術館「崔在銀 展―アショカの森―」展の関連イベントとして崔在銀と対談をした。

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