追悼-中原佑介 人間と物質のあいだに 文/南嶌宏(美術評論家)


写真提供: 兵庫県立美術館

戦後の現代美術界を牽引されてきた中原佑介先生の訃報に触れ、いまだにその死を受け止められないでいる。昨年の針生一郎先生の死に際しても、また先んじる東野芳明先生の死に際しても、毅然として感情的な表情を見せず、何かを懐かしんでも、そこには何も生まれない。終わるものは終わるのですというその態度に、私はその度に、むしろそこに抑え込まれた感情の深さを感じ取ってきただけに、まあ少しだけならとお許しをいただけるであろう、ひとつの小さな感情の吐露をもって、中原先生に対する追悼とさせていただきたい。

針生一郎、瀬木慎一という、若干の年長者の批評に対するアンチテーゼともいうべき、「創造のための批評」で美術評論家としてデビューする中原先生の批評的イデオロギーが、その後、形として姿を現すことになるのが、1970年の『東京ビエンナーレ」であった。GNP世界第2位に躍進し、驚異的な経済的高度成長を遂げる中、戦後の復興とその完成を象徴する大阪万国博覧会が開催されたこの年に、反万博運動ともおそらくどこかで連動していたに違いない、「人間と物質」をタイトルに掲げた、我が国で初めての本格的な国際美術展において、中原先生は国際同時性を証明するかのように、若きアルテ・ポーヴェラ、コンセプチュアルアート、ミニマルアート、そして、その後、「もの派」の名のもとで歴史化されていく一群のアーティストたちの、「臨場主義」的な視点においても、先駆的なプレゼンテーションを果たすことになる。しかし、当時の酷評とは異なり、時代を経て評価の高まるこの国際美術展に関して、中原先生が終生悔やまれていたことは、主催者の毎日新聞の意向で「人間と物質」と変更されたタイトルが、実は「人間と物質のあいだ」というものであり、そのひらがなという個々の分子によって表記された「あいだ」という、ある種の距離と空間を羽ばたかせる、理性的な闇に対する批評的言及が、ついぞ与えられなかったというものであった。

事実、現象を即物的に捉える言説はつねに明快であり、「あいだ」という曖昧なニュアンスを印象づける言葉は、意外な響きを与えるかもしれない。しかし、それはジェイムズ・ジョイスから引用された、極微の核なる「クォーク」の運動によって満ちゆく宇宙の謂いの如く、場と芸術的行為をつなぐ距離と空間の多感な感覚を、「切りはなすことのできない関係をもっていることの自覚」(中原佑介)とする覚醒の意識こそ、同時代の人間に内包された苦悩に対する、深い内省の態度の表れであったと言わねばならない。
『ナンセンスの美学』、『見ることの神話』、『ブランクーシ』、『1930年代のメキシコ メタローグ』など、そのどの著作も新鮮なテキストたり得ている。大人の世界ともいうべき、銀座の文壇バーにも何度か連れていって下さった。2011年3月3日。桃の節句に家族の皆さんに見守られ、静かに旅立たれた。享年79歳。もっともっと聞いておきたいことがあった。深い感謝とともに、ご冥福をお祈りいたします。

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