線、模型、さらなる幻影 文/アヴィーク・セン

線、模型、さらなる幻影
文/アヴィーク・セン



Top: Lime Works (Factory Series) #30504 (1992). Bottom: Lime Works (Factory Series) #41408 (1994) Both: Courtesy of Taka Ishii Gallery

建築家達はいつも建築を完了させるために考え、働き続ける。だが建築が一歩現実に近づけば、我々はその分だけ何かを失っている。(中略)むしろこのパラドックスにこそ建築の建築たる所以が存在するのではないだろうか。
(伊東豊雄「アンダー・コンストラクション」『UNDER CONSTRUCTION』畠山直哉、伊東豊雄、建築資料研究社、2001年)

1960年代後半に発表された安部公房の『燃えつきた地図』はどこかカフカの小説を思わせる。その冒頭場面で、急勾配の坂道を私立探偵の運転する自動車がのぼっていく。ローラースケートを尻にしいた少年を危うく轢きかけ、アクセルをふかしてさらに坂を駆けのぼると、たちまち団地が現れ、彼は車を停める。“白く濁った空に、そのままつづいているような、白い直線の道”に沿って建物が並んでいる。

その両脇と歩道との間に、ちょうど膝くらいの高さの柵でかこまれた、枯芝の帯がつづいていて、その枯れ方が一様でないせいだろう、妙に遠近法が誇張され、じっさいには各階六戸、四階建ての棟が、左右にそれぞれ六棟ずつ並んでいるだけなのに、まるで模型にした無限大を見ているのような錯覚におそわれる。建物の、道に面した部分だけが白く塗られ、わきをくすんだ緑で殺した、その色分けが、さらに風景の幾何学的な特徴をきわだたせているのかもしれない。この通りを軸に、団地は大きく両翼をひろげ、奥行きよりもむしろ幅のほうが広いらしいのだが、採光のためだろう、たがい違いにずらして建ててあるので、左右の見透しは、ただ乳色の天蓋を支える、白い壁面があるだけだ。

消失の場面。人間はつかの間に現れては、希釈され、非現実的に見えはじめる。

見れば、けっこう、人通りもあるのだが、あまりにも焦点のはるかなこの風景の中では、人間のほうがかえって、架空の映像のようだ。もっとも、住み慣れてしまえば、立場は逆転してしまうのだろう。風景は、ますますはるかに、ほとんど存在しないほど透明になり、ネガから焼きつけられた画像のように、自分の姿だけが浮かび上る。自分で自分の見分けがつけば、それで沢山なのだ。そっくり同じ人生の整理棚が、何百世帯並んでいようと、いずれ自分の家族たちの肖像画をとりまく、ガラスの額縁にすぎないのだから……

無限に続く反復の幻影は、反復されているものを実在させるのではなく、消滅点らしきものへと向かわせる。建物が風景へと消えていくとき、この景色の中で、奇妙に相反するなにかが人間の存在に起こりはじめている。その景色は人間の存在に満たされている一方で、人間の存在を“消失点”へと縮小していく。この相反するなにかは、風景それ自体というよりむしろ、個人の視線が作り出している。

語り手である主人公は、目の前の消え行く光景を記録する。しかし、彼は自分自身がその消失と対照して、鮮明に浮かび上がることも知っている。この果てしなく続く団地の住民は、非人間的な分類システムへと消えていくようだが、語り手は見るという行為を通して、そこから’区別’された存在になっていく。彼が経験するのは単なる幻影ではなく、視覚的錯覚なのである。それは実空間における確固たる眼差しの存在を確言する。観察者は、人々が無へと縮小していく全体像における自身の存在を察知し、幻影というネガに対するポジとなる。安部の用いる写真的言語において、風景、建築、視覚、主観性は一体となっている。ものの見方や、見ることへ物質的形態を付与する方法、写真によって建築における人間と現実との矛盾した関係を探求していくためのメタファーがもたらされる。


Top: Still Life #039 (2001). Bottom: Still Life #109 (2001). Both: Courtesy of Taka Ishii Gallery

安部の小説に描かれたのは東京郊外の住宅開発である。一方、2001年に日本人写真家であり、文筆家でもある畠山直哉が、4ヶ月間ジープで移動しながら撮影した公営住宅はイギリス郊外のミルトン・キーンズに位置する。彼は大型の三脚にいささか時代遅れのカメラを取り付け、脚立に登り、3メートルの高さから住宅群を撮影したと記している。典型的なイギリスのニュータウンの中で、煩雑な機材に蛍光イエローのベストを着たアジア人顔の男は、完全なる外部者であった。畠山による20世紀後半の都市計画の成果の再配置には、複数の視覚言語が不穏に混ざり合っている。公営住宅を撮影した「Still Life」と題された作品は、芸術写真史家がいうところの“デッドパン”写真であり、その視覚の中立性や全体性といったものは、ドイツのベルント&ヒラ・ベッヒャーの産業建築写真にまで遡る。しかし、この作品の持つ静止性にはそれだけではなく、サイエンス・フィクションから得られたアイディアも注がれている。「Still Life」が収録された『Slow Glass』と題された本、そのタイトルはボブ・ショウの短編に登場する光の速度を遅らせるガラスをほのめかしている。そのガラスは過去の景色や出来事の記録を留めた異時間からの光を保存する。「Still Life」にて、高解像の映像で捉えられたミルトン・キーンズの住宅群は、「Slow Glass」では英国特有の霧雨を思わせる細かな雨粒で覆われたガラス越しに、色鮮やかに滲んだ色彩、光、形として捉えられている。雨の雫が前景で小さな鏡面を形成し、個々の雫がその中に小さな世界を映し出しているが、ガラスが邪魔となって、その世界へは近づけない。別の心理が制御する距離にわたしたちは翻弄されるが、写真とはこの距離をまたぐものではなく、この距離、この心理についてのものなのである。

「Slow Glass」と「Still Life」はともに、住宅やその地区における二種類の内省性や憂鬱を創り出している。「Slow Glass」は鑑賞者と住宅の間に静かな感情を挿し込み、「Still Life」は人間の不在が漂う住宅群を捉えている。光輝く午後の光はフェルメールの「デルフトの眺望」が持つ古典的な静けさを心にもたらし、さらには、ベッヒャー夫妻の作品が持つ荒涼感というよりも、『燃えつきた地図』の冒頭部に近い荒廃感が画面へと注ぎ込まれる。畠山にとって、これらの公営住宅を“still life(スティルライフ)”と見なすことは、それらを“nature morthe(ナチュールモルテ)”や“dead nature(デッドネイチャー)”といった死を連想させるものより、“still alive”や“quiet life(クワイエットライフ)”といった生を連想させるものとして考えることである。だが、この静けさは写真の持つ客観視する力に繋がっている。彼は文字通り“静止した事物”を意味する静物という“still life”の日本語訳を思い起こし、物として、これらの住宅の写真が彼に思い起こさせるのは、“卓上模型”である。


Slow Glass #035 (2001) Courtesy of Taka Ishii Gallery

アーティストが実際の建物を模型に見えるように撮影したり、模型を実際の建物に見えるように撮影したりすることにはどんな意味があるのだろう。畠山はそのどちらにおいても印象的な作品を残しており、多数の作品を通して、建築と写真について、とりわけ、その両者と人間の営み、思考、自然の力との関係について考察してきた。日本と中国にあるニューヨークのビル群の模型を撮影したふたつのシリーズが収録された写真集『Scales』(2007)では、幻影と批評、錯視と厳密な思考が一体となっている。見慣れた角度で撮影されたおなじみの摩天楼の白黒写真は、20世紀初頭のニューヨークの写真を連想させる。それらは平凡な現実に見えているのだが、次第に路上の人々に気付きはじめると、漠然とはしているものの、なにかがおかしいという印象が沸き上がってくる。そして、最後からひとつ手前の写真に辿り着くと、高層ビルの間にまるでキングコングやフランシスコ・デ・ゴヤに描かれた巨人のようにかがみ込む男を突然発見し、わたしたちのスケール感は完全に狂わされる。ここでようやく、これまで見てきたものが、建築と人間の模型であったことに気がつくのである。

これに続くカラー写真もニューヨークの摩天楼を写しているが、こちらは明らかに非現実的である。近距離から撮影されたこれらの写真には、空や人、その他、生活感やスケールが垣間見えるものがなにも写っていない。それらのイメージはフラットで、抽象模様を構成する線、色彩、形は子どもっぽいけれども、もの悲しく、詳細に見ると荒廃や脆さの兆候を露呈しているレゴの世界のようである。さらにページを捲っていくと、目眩がするほどの高さから空撮された東京の白黒写真が現れる。写真集に寄せられた文章をまったく読まないという選択肢もないことはないが、収録された文章を読むことで、この目眩は見せ掛けだということがわかる。これはまるで『リア王』の中で、エドガーが盲目の父親へ行なうドーヴァーの崖から見える海の狂言的な説明のようである。畠山のその“航空写真”は、実際には森ビルに展示された7.7×10.2mにおよぶ1/1000スケールの東京の都市模型の全景を斜めから写したものである。たとえその文章を読まなくとも、先のふたつのシリーズで既に頭の中に植え付けられた視覚への疑いによって、縮小、仰角、リアリズム、そうした地図作成や模型制作やデザインの手段が、われわれがまさに見ているもののたしからしさではなく、認識不能を引き起こす。

カナダ建築研究所の招待で、同研究所所蔵の建築模型を撮影した写真のアーカイブを調査した畠山は、『Scales』に寄せたエッセイを彼がしばしば子どものように抱く「なぜ、遠くの人は小さく見えるのか」というシンプルな問いからはじめている。この問いにひとりの成人した写真家として考えるとき、彼はどこか落ち着かないふたつの認識に行き当たる。まず、アートの本質として還元という絶対不可欠な要素があり、事物を表象することは、常にそのもののある側面を諦めるということである。例えば、大きさ、色彩、匂い、触知性や時間性。そうだとすれば、模型制作はほとんどアートの制作のメタファーとなり、模型の写真を撮ることは模型の模型を制作することなのではないだろうか。次に、デザインのデジタル化によって、デザインと建設の境界が揺らぎ、建築はその模型から完全に自由になりうるのではないだろうか。「巨大な模型それ自体が建物になるかのようだ」と建築家は写真家に言うが、その写真家は実際の建物を見た人が「この模型は巨大ですね」などと言うだろうかと疑問に思うだろう。


Left: New York / Tobu World Square #1303 (2003). Right: New York / Tobu World Square #0832 (2003). Both: Courtesy of Canadian Centre for Architecture, Montréal

それこそまさに、認識の相対的、主観的な質そのものが欠けた、今にも現実の境界から落ちそうな建築がなにか決定的なものを手放し、その極めて重要なものの不在が建築を人間の生活や時間から引き離された抽象へと連れていくような瞬間なのである。畠山の写真と文章には、亡霊という“諦念”、人間の精神、還元としての建築、建築と人間両者にとってのある種の喪失が残されている。この喪失を理解することとは、「なぜ、遠くの人は小さく見えるのか」というスケールの変化を理解することだけでなく、目を覚まし、無垢な視覚を失い、子どものような見方をしないということでもある。しかるに、『Scales』というタイトルのもじりの影や、写真集冒頭の孤独に横たわるコンクリート製の巨大なガリバーは、彼の周りの現実の木々、車、工場を奇妙なおもちゃのようなものへと縮減していく。拡大縮小のフェティッシュを作り出す世界で写真家以上に、スケールの生け贄となれる建築家やアーティストはいるのだろうか。

しかし、まさに建築が人間を縮減できるように、建築は人間によっても縮減され、喪失を前進へと変えていく。『Scales』が出版された年、畠山は神奈川県立近代美術館 鎌倉にて展覧会を開催し、建築に関する作品を出品している。彼はこの展覧会を『Draftsman’s Pencil』と名付け、同展カタログへ「線をなぞる」という文章を寄せている。ここでの展示において、模型制作や写真に不可避な還元は喪失ではないなにかとなっている。その都市と写真のイメージは、次第に複雑になっていく現実の線のウェブ、ドローイング、執筆、建造の組み合わせとして見られ、人間の想像力や心理、意志という活動へと直接繋がる写実的、肉体的な活動となる。写真や文筆の役割は、それぞれがそれぞれの無邪気にも誠実な鉛筆によって、都市の非人間化された線に意志作用や活力を取り戻させることである。

畠山は、“見ることの厳しさが極限”にまで達した死にゆく男の目に映る、都市の“人工的な線や面”の耐え難さを感じ、そして、原子力研究者から反核活動家へと転身した高木仁三郎が病床から窓の外を眺めていたことを思い出している。

窓の枠、カーテンレール、平滑なガラス、壁と天井の合わせ目、向かいのビルのエッジと壁、そこに穿たれた規則的な窓、屋上の給水塔やアンテナ、宙を横切る電線など、人間の手によって引かれたそのような線が、疲れ切った彼の目には、たまらなく嫌なものに映る。そんな時、彼の目は、絶えず変化し続ける有機的な線や面、つまり樹木、草花、水、空をゆく雲や鳥、そして山並みなどを欲してやまないのだと。

死に行く高木が窓外に求めたあらゆるもの、水、空、山並みといった、死にゆく彼とともに絶えず変化する世界が、昨年12月まで開催されていた彼の最新個展『ナチュラル・ストーリーズ』(東京都写真美術館)の中心にあった。初期の建築に関する作品はまったく展示に含まれていなかったが、ある意味では、『ナチュラル・ストーリーズ』は建築のはじまりと終わりに関するものだった。実母と故郷を2011年の津波で失い、畠山の語る物語の‘自然’は、崇高かつ黙示的であり、なにか決定的なものを喚起する畏怖すべき美を帯びている。

この展覧会では、建設と解体としての建築の物語や、自然の制御不能な力に破壊される街という建築の物語は互いに切り離すことができない。畠山は1995年には既に東京を作り上げているものを産出する日本の石灰石鉱山に都市の成り立ちを求めていた。「Lime Works(ライム・ワークス)」では、人間が利用するために鉱山から石灰石を採取する発破を撮影することで、人工から自然へと、コンクリートが地質学的素材へと遡っていく物語を成している。同展覧会で畠山はこの作品へと立ち戻り、最後の部屋に配置している。その部屋は映写のために一定の間隔で暗くなり、爆破シーンがスローモーションで巨大な壁に投影される。しかし、この部屋に辿り着くまでの行程として、最初に山の写真がある。その多くはテリルやスラグの堆積によるもので、人工的な崇高なものの間を、注意深く見るならば、——崇高なるものを注意深く見るとは、それ自体が矛盾しているのだが——長く並んだ小さな家々が織りなす線が、自然の線と混ざり合うのを見つけるだろう。


Top: TWENTY-FOUR BLASTS 2011 (2011). Bottom: Installation view of “Natural Stories” at Tokyo Metropolitan Museum of Photography, 2011.Both: Courtesy of Tokyo Metropolitan Museum of Photography

続いて、スローモーションの壮大なカタストロフィーである建物の解体を記録した一連の写真が並んでいる。地上を写したそれらの写真から、地下へ、「Ciel Tombé(堕ちた天)」と題された作品へと移動する。「街や建築や僕たちの体を垂直に突き抜け、地中へと墜ちた。天は今では古代の地層となって、僕たちの暮らす街の下に広がっている」。「Ciel Tombé」は如何に天が堕ちたかを物語る。こうした地下の道のりを経て、わたしたちは展覧会の最深部、畠山が最新作を見せているところへと辿り着く。そこには、彼の故郷の津波による惨状を記録した写真が広くグリッド状に並んでいた。

古典的な抑制とともにこの物語が示すその自然を受け入れることで心を抑え、その部屋を後にする。次の部屋は突然暗くなり、時間軸に抵抗するように、眼の前で石灰石の爆破が音もなく投影されている。その映像の遅さがこの作品を静止画と動画の間に位置づける。この作品はモニュメンタルな大きさではあるが、人間によるモニュメントがどうしようもなくはかないものだと静かに主張している。

アヴィーク・セン
インドのコルカタの新聞「テレグラフ」のシニア・アシスタント・エディター。ジャダイプール大学とオックスフォード大学で英米文学を専攻し、オックスフォード大学のセント・ヒルダ・カレッジにて教鞭を執る。2009年、写真評論で ニューヨークにある国際写真センター(ICP)のインフィニティ賞を受賞している。

アヴィーク・セン 関連記事
私は誰なのか、私は何をするのか(2010/10/07)
志賀理江子(2011/12/28)

畠山直哉 関連記事
畠山直哉 インタビュー(2010/10/13)
おすすめ展覧会 畠山直哉『ナチュラル・ストーリーズ』@東京都写真美術館(2011/09/17)
フォトレポート 畠山直哉『ナチュラル・ストーリーズ』@東京都写真美術館(2011/10/07)

Copyrighted Image