Living in Evolution    文/東谷隆司


Stephen Wilks, Metamorphosis, 2010, Textiles, polyester, pulleys, textile inks, 180x900x150 cm 

「産業主義が古くからあるわれわれ自身のような国においてさえ,世の中の変化は心理学的にはついて行けないほどの速度で起る。私の生涯のうちに起ったことを考えて見られよ。子供の時は電話は目新しいもので,極めて珍しかった。アメリカヘの最初の訪問の時には自動車はただの一台も見かけなかった。私が飛行機を初めて見たのは三十九才の時であった。放送と映画は若い人たちの生活を,私の青年時代のそれと甚しく違ったものにしてしまった。公の生活について言えば,私が初めて政治的自覚をもった時には,グラッドストンとディズレーリーが,ヴィクトリア朝の堅実な地盤に立って,まだ相対時していた。英帝国は永遠の存在のように見え,イギリスの海上覇権を脅かすものなどは考えられもしなかった。この国は貴族的で裕福で,増々裕福になりつつあった。そして社会主義などというものは,不満分子で,評判のわるい外国人の少数の輩の,一時の気まぐれと見なされていたのであった」
バートランド・ラッセル(1)

 ある日、夜遅くまでの仕事を終えて自宅に帰ると、見知らぬ美少女がいた。なんでも、遠い未来からやってきたという。
 テレビアニメから抜け出してきたような容貌の彼女は、一見して人種、年齢は不明であったが、未来の大学で「古典美術」を研究しているらしい。彼女は卒業論文のリサーチのため、随分苦労して時間移動の許可をとり、何世紀も超えて21世紀の始めにやってきたそうだ。
 さて警察と病院、どちらに通報するべきか、あるいはここ数日の疲労でついに幻覚が現れたか…と思い悩む私に、彼女は矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。まぁ、仕事の息抜きに「自称未来人」の相手をするのも悪くない。ブログのネタにでもなるだろうと思い、「僕で力になれることがあれば」と彼女のインタビューに答えることにした。
 当然ながら、未来人である彼女が持っている我々の時代の美術への認識は、私のそれとは随分異なっていた。彼女の口から出てくるアーティストの名前を、ほとんど私は知らなかった。逆に私がこの時代に有名なアーティストの何人かを、彼女は知らなかった。考えてみれば無理もない。もし、ゴッホが生きている時代に、私が時間移動できたとしても、多くの美術関係者は、ゴッホを知らないか、あるいはさほど重要とは思ってなかっただろう。
 未来人との美術論議は、なかなか興味深いものであったが、残念ながらその詳細をここに書くことは出来ない。なぜなら、彼女が言ったことを我々の時代の人間が公表してしまうと歴史が変わってしまうので、彼女から厳重に口止めされているからである。彼女がそうやって、この時代で美術に関わっている人たちにインタビューを繰り返していると聞いて、なるほど、最近の知人の美術関係者が、「芸術の未来」について多くを語りたがらないのは、彼女が口止めしてまわっているからか、と納得がいった。

 それにしても気になったのは、そもそも彼女はなぜ、私の生きている時代を研究対象にしたのかということだった。その疑問に対して彼女は、「あくまで個人的な解釈だけど」と前置きした上で、次のように答えてくれた。
 18世紀半ばから21世紀まで、人類の歴史において重要な革命が急速に進行しており、その間に起こる変化が、未来の人々の生活に決定的な影響を及ぼしている、ということだ。3世紀分をひとまとめにするとは、随分乱暴な話だが、少なくとも1000年以上先の未来から来たらしい彼女にとっては、そんなものなのだろう。私が、その「未来への影響」とは、良いものなのか、悪いものなのか? と聞くと、彼女は、たちまち悲しそうな顔をした。
「詳しく話すことは出来ないけど、当然良い面もあるけど……悪い面もあるわ。でも、あなたたちに考えて欲しいのは、私たち人間は、常に進化の中に生きている、ということなの」
「進化というと、生物学的な意味の?」
「いえ、むしろ人間の知的な面での進化について。でも、その知的な進化が、個々の生命に対しても大きく影響する。今、あなたが生きている時代は、その知的進化の革命が急速に進行している最中なの」
「それは、たとえば戦争のこと? 僕が知っているだけでも、歴史的に科学が戦争に応用されてきたのは、事実だけど、君の生きている時代までの間に、一体どんなことがあったの?」
「何があったかは絶対に言ってはいけない規則なの。でも、そうね、あなたたちと、私たちとでは、そもそも『戦争』の概念が違うから説明しづらいけど、戦争は続くわ。そして中には、戦争も進化の過程だと主張する人もいる」
「馬鹿馬鹿しい! 戦争を肯定する人間がいるって? 信じられないね」
「戦争を肯定する人間は、あなたたちの時代にもいるでしょう? 私が今言っている進化とは、単純に生命体の不可逆的な発達のことで、それ自体はいい意味でも悪い意味でもないのよ。そして人類は、知的生命体として進化を続けている。実際に、あなただって多くの戦争が行われた結果、そこに『あなた』として存在している、あるいは存在してなかったわけでしょ?」
 そのドライな物言いに唖然とする私に対して、彼女は話を変えたかったようで、私の部屋の書棚を見渡し、何冊かの本やCDを手にとった。
「これらは、私の時代でも古典としてよく知られている。アインシュタイン、ゲーデル、モーツァルト、ジミ・ヘンドリックス、彼らも人類の進化に貢献してきた人たちね。ヘンドリックスは、私の趣味じゃないけど、電気楽器の可能性を拡張した人として習ったわ。ゲーデルの理論は私たちの時代でも、よく応用されている」
「君はゲーデルの理論を理解してるの?」
 彼女は「小学校で習った」というと、目の前ですらすらと長い数式を書いて見せた。どうやら「不完全性定理」らしい。「らしい」というのは、私自身は、その本の1ページ目で早々と挫折し、以来、本棚の飾りにしかしてないからだ。アインシュタインの本も然りである。
「この人たちが、人類の進化に貢献できたことは、それ自体、本人たちにとっても、すごく幸せなことだったと思う。彼らのおかげで人類は、その後もさらに知的な進化をしたし、彼ら自身も自分が人類の概念に影響する貴重な発見をしたとき、ものすごく興奮したと思うのよ。そんな興奮を味わえる人は、滅多にいないわ。でも、彼らが生命体として幸福であったかどうかは、別にして考えなければならないと思う」
「どういうこと?」
「モーツアルト、ヘンドリックスも長生きはしなかったわよね。ゲーデルは晩年、ほとんど異常者扱いで悲しい最期を迎えたそうだし、アインシュタインは、原子爆弾の開発と直接関係がないにも関わらず、終生、科学が戦争に応用されることに悩まされていたと習った。そうだとしたら、彼らの人生は、その業績に比べて、あまりに不遇だわ」
「確かに僕の知ってる限りでも、彼らの場合は、そうかもしれない。でも、後世に残る偉大な発見や発明……つまり、君が言う、人類の進化に貢献した人たち全てが、そうだったとは言えないだろう?」
「もちろん、そうね。でもね、こういう言い方も出来ると思う。『人類』っていうのは、地球上でも、特に知的な進化を遂げた生命体のことよね。それは私の生きている時代でも、そう。人類より高等な知性をもった生命体は、まだ現れていない。でも、『人類』は、同時に、個別の人間の集合を言うのであって、しかも、それぞれの人間が、自我、つまり、自分たちがそれぞれ個別の生命体であることを知っている。要するに、それぞれの人たちが限られた自分の『人生』という時間を生きているわけよね。あなたも、私も、生きている時代は違っても、自分の人生を生きている、という意味では、同じ人間という存在でしょ?」
 同じ人間というには、彼女の顔つきや身体のプロポーションは、私の時代の人々とは、かけ離れて―――私が「美しい」と感じる方向に―――違っていたが、きっと何世紀の間に人間の外見も、ある一定の方向に進化したのだろう。我々の時代の人間の姿が数百年前の人々に比べてそうであるように。私は、そう自分を納得させて彼女の話に耳を傾けた。
「私たちは、個別の人生という時間軸を生きながら、同時に、人類の進化も経験しているの。そして、何人かの人たちは、その限られた人生の時間の中で、発明や発見、なにかを創造して新しい価値観を作ることで、人類の進化に貢献してきた。つまり、人生っていう単位と人類の進化という二つの時間軸は、お互いに交錯しあっているの」
「ふん、なるほどね」
「つまり、偉大な創造や発見は、人生と人類の進化が交錯する瞬間なの。そして、その瞬間は、その創造者や発見者に大きな興奮をもたらす。でも、その興奮を追い続けることは、リスクもともなうわ。一度、興奮を味わった人は、もっと大きな興奮を求める。これは、知的生命体としての『人類』の特性だと思うの。その特性は、何も、研究者や芸術家に限ったことじゃない。新しい何かを世の中に提供するために、自分の貴重な人生の時間を費やしながら最期まで実らなかったり、あるいは、その探求に没頭して、自分の人生を見失うこともある。そして、時には、新しい何かの登場によって、他人の生命や、人生の喜びを奪うことがある。人類の進化には、そんな犠牲もともなっているのよ」
彼女の生きている時代までの間に、人類の歴史において何があったが知らないが彼女の話しぶりは切実だった。
「君の言うことは、なんとなく分かるけど、この『現代』という時代に生きる僕は、どうすればいいのかな?」
 一瞬、「現代」という言葉に、キョトンとしていた彼女は、あ、そういう用語があったな、とでもいうような表情で向き直り、「あなたたちの時代に起こっていることは、私たちの時代と繋がっていることを忘れないでほしい」と告げると、彼女に許された制限時間がきたようで、さきほどまでの深刻な面持ちを笑顔にかえて、「今日はありがとうございました」と、そこそこに挨拶を済まし、一瞬にして、目の前から消えてしまった。
 私の方は、仕事の疲れと、「自称未来人」なる少女との会話で頭を消耗したせいか、突然睡魔に襲われた。翌朝目覚めると、机の上には、昨夜の少女が私の書棚から取り出した、科学、数学、現代思想、近代史など、買ってはあったが読んでなかった難解な本が積まれたままだった。
 夢だったのか、あるいは、仕事の疲れからの幻覚だったのか、しかし、それ以来私は、深夜アニメを見る時間を自粛する一方で、折に触れ、少女が私に話したことついて考えるようになった。
むしろ、彼女の言葉には、いくつか思い当たることがある。

 現代―――それは我々が呼ぶ、「現代」という時間区分だが、ここ数年の社会状況、生活環境の劇的な変化は、「情報革命」、つまりインターネットの爆発的な普及と利便化である。
 現在のインターネット技術の元となったと考えられるのは、情報工学とコンピュータの分野で重要な役割を果たしたJ. C. R. リックリダー(1915- 1990)による1960年の論文”Man-Computer Symbiosis”に登場する”Time Sharing System”という理論である。1969年には、アメリカ国防総省のAdvanced Research Project Agency(ARPA)統制下の機関が、その理論を応用し、”ARPANET”を開発した。
同年秋からは、アメリカ国内の主要な大学機関の研究所が同様の理論・技術によって互いに接続し、1980年代には、それまでインターネットの技術的な中心的機関であったARPANETは、軍事技術を学術的な利用に提供し、やがて商用目的へと順次移行していく。
 そして1995年、ついにマイクロソフト社のWindows 95の登場によって、インターネットはパーソナルコンピューターによる一般個人の利用を可能とするものとなった。つまり、現在、当たり前のように我々が使っているインターネットの技術は、たかだか50年の歴史しかない。しかし、その短期間での急速な技術の発達には、学術研究に携わる人々、あるいは技術者が互いにその知識・技術を交換・公開するという”Open Source”、つまり、その基本的な理論となったリックリダーの論文のタイトルにもある”Share”の理念に基づくところが大きい。
 この”Share”という理念が技術面だけでなく、一般レベルの情報の”Share”を促したのは、2001年9月11日のアメリカ合衆国での同時多発テロ事件である。その後「対テロ戦争」としてアフガニスタン紛争が始まって以来、アメリカ合衆国の大手ネットワーク局の報道内容に疑問を持った大勢のアメリカ国内のブロガーは独自に信じうる情報ソースを求め、それを互いにShareし、意見を述べあった。
 我々をとりまくインターネット社会がここまで急速に一般化したのは、この約10年の出来事だ。つまり、ちょうど21世紀の始まりと時を同じくする。今、再び我々から携帯電話もインターネットも取り上げられてしまったら、まるで森の中に放り出されたような不安に襲われるだろう。つまり、情報革命は、技術的な革新だけでなく、人類その思考法、価値観に不可逆的な変化、すなわち「進化」をもたらしたのだ。
 この進化は、歴史、空間の捉え方に明らかな変化をもたらしている。
 例えば、フランスの思想家、都市計画研究家であるポール・ヴィリリオ (1932- )は、1998年の著作『情報化爆弾』で、次のように表現している。

1980年代になって、有限な時間の世界がはじまった。すべてのローカルタイムの流れが急に途絶えた。そして最近、とみに加速を増していた歴史が、ついにリアルタイムの壁にぶつかる。つまり、世界時間、普遍的時間の壁に。かつてはローカルタイムが歴史をつくってきたのだが、これからは、世界時間が全面的にそれにとってかわるだろう。(2)

 ここでいう「リアルタイム」とは、電気信号によって、ひとつの出来事が世界のすべての地域で同時に経験されることである。つまり、それぞれの地域(ローカル)で起こった出来事を振り返り、多角的に検証されるべき「歴史」が、今、我々が共有する時間=「世界時間」に追いついてしまい、歴史そのものが均質化してしまっている。ヴィリリオのいう「1980年代」とは、今ほどのインターネット、携帯の爆発的な普及率のタイミングから考えると、やや先走っているが、ここで指摘されている「歴史が、ついにリアルタイムの壁にぶつかる」という現象は、”Twitter”などを考えれば理解しやすいかもしれない。”Twitter”のタイムラインでは、もはや、ローカルという空間性も、発信者の社会的ポジションも均質化され、常に人々の出来事や思考が「今 (Now)」として羅列され、Shareされる。
 だからといって、我々はインターネットの利便性やそれがもたらした過去の生活との変化に特異性について、最早さほどのインパクトを受けない。むしろ日常と化している。
 それと同じようなことは、18世紀の産業革命に言える。

 産業革命の先陣をきったのは、イギリスであり、おおむねその時期は、1760年代から1830年代と考えられている。現在では、その産業革命に先駆けて農業革命があったという認識が主流で、当時の工業の原動力となったのは、農業生産の形態の変化によって職を失い都市部に集まった労働者である。そこで重要なのは、例えばイギリスでは、農業革命、産業革命がもたらしたのが、単に製品の工業化だけでなく、労働者階級、中流階級、地主といった現在まで続く階級を生み出したことだ(さらに当時の植民地政策をも強化させている)。つまり、産業革命がもたらしたものは、産業製品による生活の変化だけでなく、社会システムの変化なのだ。
 その後、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本と、産業革命の波は広がったのだが、当のイギリスで「産業革命」なる言葉を広めたのは、その最初の工業形態の変化が一通りの落ち着きを見せた1840年代、エンゲルス (1828- 95)によってであり、学術用語として定着するきっかけとなったのは、1884年に出版されたイギリスの経済学者アーノルド・トインビー(1852-83)の遺稿集『イギリス産業革命史』Lectures on the Industry Revolution of 18th century in Englandによってである。つまり、産業革命は、その「革命」が進行している間ではなく、後から認識されたものであり、その「革命」は、市民社会の変化と密接に結びついている。現在では、その産業革命と市民社会の変化をもって、「近代」の幕開けと認識されているが、おそらく、その変化の真最中にいた人々は、そのことをさほど気にしてなかっただろう。むしろ、その産業革命がもたらした変化に驚愕したのは(冒頭に引用したラッセルの描写のように)、少し後の時代の人たちに違いない。
 そのことを思えば、今、「情報革命」というにふさわしい変化が起こっている私たちの時代は、18世紀の産業革命を後の人が「近代」の幕開けと設定したように、遠くない未来の人にとって「現代」よりも次の時代区分の始まりと認識される可能性は大きい。いや、少なくとも2001年の9月をもって、ある時代の幕開けと記録されることは、間違いないだろう。今、我々は、後に観測されるであろう、人類の進化過程の一部として重要な時間のうねりの中にいるのだ。
 無論、ここで気をつけなければいけないのは、「近代」、「現代」といった言葉が、時代区分の歴史用語であると同時に、文化的な区分をも意味することである。実際のところ、現在では「近代美術」、「現代美術」は、それぞれジャンル用語として機能している。我々が生きる時代にも「近代的」なものは、存在している。しかし、一方で、「現代美術」なる用語は、21世紀が開けて10年を経て、まだ有効なのだろうか?
 かつて数百年、あるいは数千年以上も昔の人類に比べ、我々はきっと知的な進化を遂げているだろう。一方で、その時代の人々が知っていたことを我々は忘れてしまっているに違いない(語義的には、何かを失うこともまた「進化」の一部である)。そう考えれば、遠い未来の人々は、きっと我々の知らないことを知っていて、我々の知っていることの一部を忘れてしまっているだろう。しかし、その進化の鍵を握っているのは、それぞれの時代を生きている人たちであり、我々もまた、その一員なのだ。つまり、我々は進化の中に生きている。そういった人類の進化という時間軸を考えたとき、人間一生分の時間にも近い、「近代」「現代」といった時間区分は、農業革命、産業革命、情報革命という3世紀に渡る進化の中では、さしたる意味をもたないのかもしれない・・・・・・

 以上のような観点から、Living in Evolutionという展覧会は出発した。
 展覧会において、このテーマは、2重の意味を持っている。
ひとつは、まず美術作品そのものが、作家という一人の人生と、人類の進化が交差するポイントであるという考え方。美術は、文字や数式と違い、視覚的・造形的な要素で構成されている。それゆえに、言葉や数量化できない感動を与えることがあるだろう。もし作品を見て感動したとき、あるいは、感動ともいえない不思議な感覚に陥ったとき、それを言葉にできたならば、新しい概念が生まれるかもしれない。その概念が人類単位で共有されたら、それ自体が人類の知的な進化だ。そういう思いもあって、文字的、説明的な要素を含む作品は、あまり多く選ばれてないはずだ。
 もうひとつは、我々が「生きている」という時間軸や空間をどのくらいの単位で考えるか、ということ。多くの作品は、「生命」や「個人の生を超えた何か」に関わっている。それらの美術を目の前にして、自分もまた生命体であるという実感が持てるかどうか。そして、自分が生きていることが、古代から未来へと続く壮大な時間、あるいは「社会」や「自然」といった、個人を超えた大きな力とどんな関係にあるのか。
 進化という言葉に生物学的なことを連想する人もいるかもしれないが、「人類の知的な進化」、あるいは人間という個人の「人生」を超えた、長大な時間軸、として、とらえてもらえたら、と思っている。その上で、今、我々が生きている時間に起こっている様々な変化や我々の行動が、歴史や未来において、そのように作用するのかを考えるきっかけになれば、と考えている。

 展覧会を具体化するにあたっては、まず国内外で活躍する5人のキュレーターにアドヴァイザーとしての参加を要請し、また釜山在住のゲストキュレーターにも加わってもらい、彼らと個別にディスカッションを行った。作家、作品内容については、ディレクター自身の選出に加え、アドヴァイザー、ゲストキュレーター、その他の識者からの多数の推薦、意見をもとにリサーチを行い、最終的にはすべてディレクター自身の判断で決定し、出品依頼を行った。その要望に応えて参加してくれたアーティストの皆さん、そのアシスタント、テクニシャンの方々、関係者、そしてアドヴァイスを頂いた識者の皆さんに深く感謝したい。
 作品選択については、テーマはもちろん、感覚的なものを優先したが、しばらく「現代美術」の代名詞ともなっていた「ポストモダン的」なものには、一切執着しなかった(筆者自身は、「現代美術」なるジャンル用語と「ポストモダンアート」は、ほぼ同義だと考えている)。もうポストモダンの季節は終わっただろう。そもそも前述した通り、「現代美術」という言葉自体に疑問を持っている。それよりも、確実に同時代を生きている、あるいは生きていた人々が作り出したものに、なんらかのダイナミズムや、言葉に出来ないものを持ち帰ってもらえたら、展覧会に関わったものとして望外の喜びである。
・・・そして出来ることならば、この展覧会カタログが遠い未来まで残り、私にヒントを与えてくれた、あの少女の眼にとまることを願って。

[あずまやたかし/釜山ビエンナーレ2010芸術監督]

(1)バートランド・ラッセル「急速な時代の進歩、環境の変化」、『訳注ラッセル選』、佐山栄太郎(編)、南雲堂、1960年、pp.174-175
(2) ポール・ヴィリリオ『情報化爆弾』丸岡高弘(訳)、産業図書、1999年、p.151, Viriliol, Paul, The Information Bomb, trans: Chris Turner (London: Verso Books, 1990), p.117
(3) 「twitter」は、2006年7月にObvious社(現Twitter社)が開始した簡易投稿サイト。個々のユーザーが「ツイート」と呼称される短文を投稿し、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービスであり、広い意味でのSNSの1つといわれることもある。自分専用のサイト「ホーム」には自分の投稿とあらかじめ「フォロー」したユーザーの投稿が時系列順に表示され、それが「タイムライン」と呼ばれる。2008年頃から急速に利用者が増加しており、一般の利用者に加え、44代アメリカ大統領、バラク・オバマをはじめとする政治家、芸能人、大手企業重役など、各界の著名人も利用している。2009年1月15日、USエアウェイズ1549便がニューヨークのハドソン川に不時着水した航空事故では、たまたま目撃した近隣の市民がTwitterでいち早くその様子を発信し、リアルタイムで世界的な話題になったことが有名である。
(4) ただし、屋外の永久設置作品については、ビエンナーレ組織委員会全体の決定によって決定された。

この文章は2010年9月11日-11月20日まで釜山で行われている『釜山ビエンナーレ2010』のカタログのために執筆された文章(カタログ掲載は韓国語と英語のみ)の日本語原稿であり、ART iTへの掲載は芸術監督、東谷隆司氏のご好意により実現した。

釜山ビエンナーレ2010 公式ホームページ
http://2010.busanbiennale.org/eng/02/01.php


フォトレポート

釜山ビエンナーレ 2010 part 1
釜山ビエンナーレ 2010 part 2
釜山ビエンナーレ 2010 part 3
釜山ビエンナーレ 2010 part 4

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