連載 田中功起 質問する 3-4:保坂健二朗さんから 2

件名:「見届けること」

田中さんの第2信はこちら往復書簡 田中功起 目次

日本はゴールデンウィークが終わったところです。LAにいる(あるいは日頃アーティストとして生活している)田中さんにはあまり関係ないかもしれませんが、勤め人である僕にとってはやはり貴重な機会、しかも展覧会が開くまで全然休めなかった! ということで3日間の完全オフを取り、熊野に行ってきました。
那智の瀧がすごかったです。「自然」が生み出したものなのに、完璧に「造られたもの」に(あるいはその逆にも)見える。理想的な美の形がそこにはある。画家たちが那智の瀧にトライしたくなる理由が少しだけわかりました。


川原を掘ると温泉が湧き出してくるので、それを川の水と割って入る、その名も川湯温泉@熊野

さて、このまま「自然」と「アート」の話を続けていくべきなのかもしれませんが、ここでは、ネット上の往復書簡という性格も考えて、テレビとアーカイヴのことに反応したいと思います。
僕は今、家にテレビをおいていません。正しく言うとアンテナ・ケーブルをつないでいないので、テレビ番組の受像機として機能していないんです。じゃあ僕の家に「メディア」と呼びうるものはいったいなにがあるのか、と思って見渡してみると、本、写真(スライド)、カセットテープ、VHS、CD、DVD、ICレコーダー、PC(あるいはインターネット)……いやはや、ないと思ったら結構ありますね。
こうやって挙げてみると、僕らの生活は、ライヴ+フロー的なメディアよりも、アーカイヴ+ストック的なメディアに囲まれているんだということがわかります。そこから逆説的に、テレビというものが、そのライヴ性ゆえにか、すごく影響力の強いメディアであることがわかります。さらに言うと、人間はライヴ性のあるメディアに「弱い」こともわかります。

田中さんは欽ちゃんやダウンタウンに言及する形で、「つくる」ことに観客が参加する構図や、つくることの極限はどういう意味を持つのかということを説明してくれましたよね。この説明を成立させているのはなにかを(テレビ的な)ライヴとアーカイヴの観点から考えてみると

① 「同世代には、ライヴな体験によって培われた共通の記憶がある」ということを前提にしうる
② この時代は、①においてもし記憶が共通していない場合でも、なんとかなってしまう

ということになるのかな。
 
実際には僕は欽ちゃんの芸人や素人に対する態度が好きではなかったし、高校の時分は日曜日の夜にほとんど家にいなかったので「ごっつええ感じ」を見ていませんでした。けれどYouTubeを見れば、田中さんがなにを言おうとしているのかへの理解に辿りつける。
 
動画の共有サイトであるYouTubeは、著作権や画質の問題はあれど、今や事実上、映像アーカイヴ的な役割を担っているわけですが、こうしたデジタル・アーカイヴは、今回のやりとりがまさにそうであるように、コミュニケーション自体を変更させる可能性を秘めています。共通の記憶を内在化していなくても、外在的にストックされている記録を参照すれば、コンビニエントに「記憶」を作成することができるわけですから。もちろん参照にかかる時間によってコミュニケーションにいささかのディレイが生じるけれども、成就させること自体が大事なのだから、それはあまり問題にはならない。ある意味、必ず遅れて届く「郵便」は、デジタル・アーカイヴの時代にこそふさわしいコミュニケーション・ツールかもしれません。
 
かつてミシェル・フーコーは『知の考古学』の中でアーカイヴ(アルシーヴ)に着目しましたが、メディア理論の研究者であるフリードリヒ・キトラーは、フーコーがなぜか文字情報以外のメディアを等閑視していることを指摘しています。文字という、シンボリックな体系からは漏れてしまうようなノイズを拾えるメディア、すなわち蓄音機(グラモフォン)や映像(フィルム)は、フーコーの時代にはすでに登場していたはずです。なのに、なぜ彼はそれを無視したのか。興味深い問題ですが、今はおいておくことにしましょう。
僕らが今直面し、コミュニケーションの在り方を変えようとしているデジタル・アーカイヴは、古文書館と訳されるかつてのそれとは決定的に異なります。音声、画像というノイズをも貪欲に取り込んでいくメディアが作成した「記録」の貯蔵庫からは、たとえきちんとナンバリングがされていたとしても、きっとカオス性がにじみ出てくることでしょう。あるいは、東浩紀が『クォンタム・ファミリーズ』で描き出したような、並行世界が生じてくるかもしれない。
 
そうした時代では、デーブ・スペクターが、あるいは田中功起が看破しているように、「つくる」ことの意味や意義が変わっていきます。ライヴ性を重視するテレビの時代では「つくる」と「見せる」と「見られる」ことの間に、連続性があったわけですよね。生放送であればリアルタイムでの連続性があったし、収録であっても、それ自体が無効になることはなかった。
 
しかしアーカイヴの時代にあっては、そこに断絶が生じます。「見られる」ことが、ともすれば永遠に先送りされてしまう。すると当然、「つくる+見せる」という行為が孤立する。いや、「見られる」ことの保証がないときに、「見せる」という言葉は正しいのかという疑問すら生じてきます。アーカイヴの時代には、「ごっつええ感じ」とは違うプロセスを辿りつつ「見せる」ことが無視されていくわけです。
 
ここで疑問が生じます。それでもなにかがつくられるとして(きっとつくられるでしょう)、そのとき「見る」行為はどうあればよいのか、という問いです。
僕は、このとき受容美学のモデルは通用しないと考えます。なぜならそこでは、「解釈」が、しかも「解釈の新しさ」が期待されているように思えるからです。あるいは、作品を媒介項にしてつくり手と観者が対峙している構図が気になり続けているのかもしれない。僕が思うに、作り手から作品は完全に分離するべきなんです。その時、逆説的に、作品とつくり手は完全に同化することになりますが、いずれにしても、美的体験という場にあるのは、「作者」「作品」「観者」という3つの要素ではなくて、「観者」と「作品(=作家)」のふたつだと考えたい。

じゃあその2者はどのような関係であるべきなのか。それを考えるときの手がかりとしたいのが、「ホスピタリティ」や「見届ける(witness)」という概念になります。
 
ホスピタリティの重要性に気づいたのは、モンセラートに引き続きにはなりますが、大学時代のことです。学生時代に僕は「ラ・ビスボッチャ」というイタリアンのレストランで4年弱働いていたんですね。最初の3年間は、夕方5時から真夜中まで週5日間働いていたので、勉強する暇なんてありませんでした(笑)。面接のとき、福島直樹さんという店長にお会いしました。「コート・ドール」というフレンチの名店でスー・シェフまで務められた人なんですが、そういう経歴も聞いていたので、「なぜここで働きたいの?」と聞かれたとき、僕は、本当はフレンチに入ってフォーマルなサービスを学びたかったんですと答えました。今思うと赤面ものですが、それを聞いた福島さんはにこやかに言われたんです。「君の言っているのは本当のサービスだろうか?」と。

彼の働く姿から、本当にいろいろ学びました。お客に喜んでもらうことと自分たちが喜ぶことを同じ地平において成立させなければ真のサービスとは呼べないんだということ。そして食事の席にもホストとゲストがあるように、お店とお客の間にもホストとゲストの関係を成立させられるんだということ。ホスピタリティの語源はラテン語の「hospes」になりますが、この語は主人と客人の双方の意味を含んでいます。「お客様は神様だ」というようなお店に(あるいは文化に)、真のホスピタリティは成立しない。主人と客人が相互に各々の立場を理解して振るまっている場においてはじめてホスピタリティというものは成立するわけです。

ホスピタリティと語源が同じ単語に「hospital」があります。医者と患者の関係がホストとゲストに置き換わるわけないと思えますが、そうでもないようなのです。
精神医学、医療人類学、文化精神医学のフィールドで知られるアーサー・クラインマンによれば、病気(disease)と病(illness)は違う。そして医療はこれまで、論理実証主義的にカテゴライズされた病気ばかりを扱ってきたが、今後は患者の語る病にもっと耳を傾けるべきだ、と提言します。そのとき導入されるのが「moral witness」という概念です。「道徳的に見届けること」とでも訳すべきでしょうか。病気だけに目を向けるのではなく、たとえ理路整然としていなくとも、患者の語りに耳を傾け、患者が物語を語ろうとする姿勢を、道徳的に見届ける。クラインマンは、治療というものをある種の共同作業として捉え直していきます。分析・解釈・判断よりもまず「見届けること」を重視しようとするその姿勢は、彼の精神科医としての経験と、そしてアジアにおける医療の調査に基づいているわけですが、美的体験における作品と観者の関係を考えるときにも、極めて示唆的です。
 
もちろん医療と芸術の世界には大きな隔たりがあります。医療の世界では、「見届ける」プロセスにおいて相手の変化(いわゆる治癒)を期待できるわけですが、芸術作品の場合にはそうしたわかりやすい変化はありません。しかし思うのは、その孤独にこそ、観者は耐えなければならないのではないでしょうか。ニーチェは『偶像の黄昏』の中で、「体系化への意志は、誠実さを欠く」というようなことを言っていますが、カオス的なアーカイヴの誕生に立ち会っている私たちにとって、「誠実に見届けること」は、きっとキーワードとなるでしょう。それに、そもそもアーカイヴの時代以前から、芸術においてノイズはつきものでしたよね。

ほさか・けんじろう(東京国立近代美術館研究員)
1976年生まれ。専門は近現代芸術およびフランシス・ベーコン。主な共著に『戦争と美術 1937-1945』『キュレーターになる アートを世に出す表現者』など。担当した企画展に『建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳』(東京国立近代美術館、2008年)、現在開催中の『建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション』(東京国立近代美術館、2010年4月29日〜8月8日)がある。

近況
『東京人』で書いていた展評が25回目をもって終了。なんでもモノクロページの構成自体が刷新されるとのことなのですが、美術雑誌以外が美術についてきちんと取りあげる場所が少なくなっていくような気がしてちょっぴり残念です。ということで、今抱えている連載は、もう5年近くやっている『すばる』(月刊)と、朝日新聞の「視線」(美術書の書評というかコラムで、担当がほぼ月1でまわってきます)のふたつになりました。

連載 往復書簡 田中功起 目次

質問する 3-1:保坂健二朗さんへ 1
質問する 3-2:保坂健二朗さんから 1
質問する 3-3:保坂健二朗さんへ 2

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