連載 田中功起 質問する 1-3:土屋誠一さんへ

第1回 展覧会という作法を乗り切るために(3)

土屋さんの第1信はこちら往復書簡 田中功起 目次

土屋誠一さま

お返事ありがとうございます。

ははは、そうですね、そもそもネット上ではプライベートなサイトとパブリックなものの差がないので「公開」の特権性がない。手紙というプライベートな営みだったものを、いわば無理矢理パブリックなものとして書籍化したからこそ「公開」される意味があった。はじめから「公開」を前提として交わされた疑似プライベート書簡っていうのはたしかにわざとらしい。もっともです。でもこのセミ・プライベート、セミ・パブリックな感じが、ちょうど良い距離感(単なる通常のメールのやりとりではないかすかな緊張感)をお互いに生み出すんじゃないかっていうのが、まあ、ぼくの意図するところです。

もう1点、ネット上では過去の記事がたいがいは残っているためしばらくたっても読むことができる。たとえばぼくが2004年に受けたインタビューが、略歴もそのままの形で残っていたりする。そのなかで、どうやらぼくは「芸術の山」という批評誌を立ち上げようと鋭意活動中となっている。いまとなってはそれがなんであったのか、ぼくの記憶も定かでないんですが、現在進行形として書かれているわけです。まるでパラレルワールドの自分がぼく自身の知らない活動をいまだにしているような、奇妙な感覚に襲われます。しかし、いまそれを見たひとは、「このぼく」が「この世界」で「その活動」をしていると思うでしょうけれども。このいわば過去も現在も同時に存在する世界では、ものごとはその場限りのものではなく(一見そのように見られがちですが)、もっと長期的なものとして扱うべきかもしれない、なんて思ってしまうのです。

また往復書簡という形式を擬似的に借りることによって、そこにはいわば「いま・ここ」の感覚が生まれます。いつ読んでもいままさにやりとりをしているように読める。半年後のひとにも、10年後のひとにも、はじめて読んだひとには原理的には同じです。おおげさに言えば、現在の問題を通して根本的な問題にアプローチするには、まあ、このような多少こそばゆいやりとりが有効なんじゃないかなって思ったんです。

言い訳はそのぐらいにして、ぼくはいま広州にいます。最近はあまり事前に準備しすぎずにその場で起きることに巻き込まれながら、どのように自分が対応していくのかってことに興味が移ってます。「on a day to day basis」というタイトル通り、まさにその日ぐらし、そのときそのときでアド・ホックなアイデアを見つけ出していく方法に決めたんですが、まあ、正直、かなり不安定で不安です。ってじつはそうやって言っているそばからMacBookが壊れて、不慣れなPCを駆使してこうして原稿を書くはめになって。映像の編集もPCでやらざるをえず……。

ええど、まず『アトミックサンシャイン』ですが、たぶんぼくが東京にいないときに開催されたのか、ぼくがもはやうといのか、正直、話題になっていたことさえも知りませんでした。ただ、渡辺真也さんには4年ぐらい前にお会いしたことがあって、NY展のころに案内のメールをもらっていたように記憶してます。アメリカの文化人層(が潜在的に持つ戦争への罪悪感)をターゲットとした(逆手に取った?)戦略的なアプローチだと思いました。憲法9条の存在を知らないアメリカ人はいるだろうし、まして日本に米軍基地があるということさえもじつはあまり知られていない。いま現在の日米の現実を、展覧会を通して伝え、議論をアメリカのなかに生み出すことには意味があると思います。展覧会そのものがどうかってことはまた別問題ですけど。

ステイトメントやその他のテキストを読む限りでは「戦後」って言葉がたくさん出てきますね。だけれども、日本の美術を「戦後」や戦争という観点から検証する展覧会がなかったかのような口ぶりにはちょっとひきます。椹木野衣さんの「日本ゼロ年」展や村上隆さんの「リトルボーイ」展という先行する展覧会があったわけだし、肯定・批判を別としても近過去が多少ないがしろにされているというか。とはいえ、ぼくはそもそもこの展覧会を見ていないので、あくまでステイトメントを検索して感じたことなので、的外れかもしれません。

とまあ、こんなふうに書きつないでも、これこそローカルな話題に対するローカルな返しですね。ただ、一方で、「ピクサー」などの圧倒的なポピュリズムに対する「コミュニケーション可能な言語」って実際にどういうものがありえるんだろうと。即座に思いつくのは、一般誌のように「3行で内容を即座に伝える」ような形式になるか、もはやローカルであることに居直るか、の二者択一です。圧倒的なわかりやすさか、わかるひとにはわかる的なあきらめか。もちろんその中間の言葉が必要なんでしょう。いや、だれしも中間の言葉を手探りしているのかもしれない。

たとえばぼくが可能性を感じるのは実践的で具体的な言葉です。この「質問する」も実際のところ、具体的にどうすればいいのか俺も知りたいって思いが出発点ですから。そんなわけで具体的な話を最後に振りたいんですが、そのまえに「歴史性のなさ」についても触れておきましょう。

現代美術が「美術史」を切断することで作動してきたというのはよくわかります。つねに新しい立ち位置によってそれまでの「美術史」を無効にする。いわば脱美術史ってことが現代美術史だったわけですよね。だけれどもぼくはいまこの考え方にちょっとだけ違和感があります。というのも、むしろいまのアーティストは美術史にレファレンスを持つことにやっきになっているように見える。マリオ・ガルシア・トレスは作品の見た目が70年代だし、サム・デュラントなんてロバート・スミッソンを読み替えることをしばらく作品としてきたし。椹木さんも触れているようにカバコフの作品は「意味」にあふれていて、「歴史」が見え隠れする。美術史や歴史のコンテキストを織り込むことは常套手段になっているわけです。つまりテキストとして読み込まれるべき(「血なまぐさく」?「意味」のある?)「歴史」が背景に透けて見える。

だからこそ「歴史」がどうやらじゃまにみえるのかもしれませんよね?そこで大竹伸朗さんの「奇妙な清潔感」をともなった「軽さ」をもつ作品がある種のカウンターとして浮上するのかもしれません。

東京都現代美術館での大竹展は作品数の多さを謳ってましたが、ぼくにはなんだか少ないというか、すかすかに感じられたんです。ひとつひとつのシリーズがある極点に達する前に放置され、問題が解決されないままつぎに進んでしまう。でもこうして椹木さんのテキストを読むと、その理由が見えてきます。つまりそれは歴史(意味)のないうすっぺらな「ゴミ」を即物的に作品として見せているからこそ(「歴史」という重さに到達しちゃうことが避けられているため)すかすかだったのかもしれないんだな、と。そもそもぼくは大竹さんの作品にノスタルジックでメランコリックなものを勝手に思い描いていたんですが、むしろ全景から受ける印象は真逆であった。それは歴史を脱しているんじゃなく、そこには歴史がないんだと思います。

ぼくははじめ、展覧会という作法を乗り切るための具体案を美術史のなかに見いだせないのかと思っていたのでした。単純には、土屋さんが70年代の倉重光則さんの仕事について以前書いていたものを読んだので、これはなにか土屋さん自身の「いらだち」を解決するヒントをそこに見出しているのかなと思っていたんです。ぼくの振りが甘かったのか、まったく予想外の返しでしたが。同じような方途を、たとえば「The Play」の野外制作(というかイベント?)や「天地耕作」による私有地での「見せない美術」などにも見いだせるのかなとも。

ランド・アートって砂漠の真ん中とか、そもそも遠すぎてなかなか「見れない」ものだし、ドキュメントだけでわかるものなのかどうか。いや、わかるとかわからないとか見るとか見ないとかということを超越しているのかもしれませんが。上記のとくに「天地耕作」はそれを過剰におこなったわけですよね。長い営みを前提にしていたり、私有地で行われていたりとか。これらはいわば会期や場所という限定を無効にした上で、もういちど制作という営みを回復する行為と言えるかもしれません。それが多少ナイーブな対処法だったとしても。

逆にシステムの限定を外から無効にするのではなく、まずはシステムに乗った上で内から再考させる方途もありますよね。たとえば展覧会のなかでも回顧展っていわば個人の歴史を見せる機会です。声高に自分の存在価値を披露する場でもある。にもかかわらず「歴史」そのものを回避した、すかすかなものを見せるという行為は、いわば「回顧展」という作法を内部から破壊しているとも言えるかもしれない(もちろん大竹展のことです)。

だからぼくはここで土屋さんの振りにのって「歴史のなさ」ということを可能性のひとつとして考えるべきかもしれないとも思うのです。歴史がないということは単に即物的であるということです。そこには背景がない。

これを少し違った観点に持っていきたいので、小説を例に考えてみます。物語化された言葉には書き手のメッセージやコンテキストやもろもろが含まれています。これを細かく砕いていくと、単純な身もふたもない「アイデア」に行き着く。「愛し合うことを求めるが故に犬になった男女の話」とかいうように。これは原理的にはだれにでも見つけ出しうるものです。この「アイデア」というものは即物的で、厚みがまったくない。誰のものでもないともいえる。小説はネット社会になっても、書籍が売れなくなっても、青空文庫のように読める環境があれば基本的には生き残っていくものです。それはいまの言葉で言えば「コンテンツ」だからですね。だけれども「アイデア」にはその「読める」という環境さえも必要ないのかもしれない。「アイデア」はひとつの考えでしかなく場所を必要としない。これはつまり歴史に縛られていないということです。(まあ、しかしすぐに思いつく「コンセプチュアル・アート」(と一括りにはできないけれども)でも、展覧会を前提として編み出されているものがほとんどなので、単純にはそれを念頭から外してます)。そして「アイデア」という即物性はひとまず展覧会にも縛られていない。

具体的な話と言いながらかなり抽象的な話になってしまいましたが、次回の返信お待ちしてます!

2009年10月30日 広州より
田中功起

The Play
http://www.ne.jp/asahi/ike/mizu/p/index.htm

青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/

たなか・こうき(アーティスト)
1975 年生まれ。作品集に『Koki Tanaka Works 1997-2007』(Akio Nagasawa Publishing Office、2007年)、『The End of Summer: Koki Tanaka』(大和プレス、 赤々舎、2008年)。

近況:個展『on a day to day basis』vitamin creative space(広州。11/5から2/5/2010まで)がこの書簡が公開される頃にははじまります。
http://www.vitamincreativespace.com/

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