連載 田中功起 質問する 10-6:小林晴夫さんから3

第10回(ゲスト:小林晴夫)——ぼくたちはいったい何に参加しているのだろうか

横浜で「芸術を発信する場」、blanClassのディレクターにして、アーティストの小林晴夫さんと「参加」をめぐり意見を交わす今回。対話をひとまず締めくくる小林さんの手紙では、「かたち」になりにくい「かたち」への想いが率直に綴られます。

往復書簡 田中功起 目次

件名:拡張できるのは「作品」だけではないはず

田中功起さま

ご返事遅くなってしまいました。
この10月でblanClassの活動が5周年です。それを機に本を出そうと作業に追われておりました。5年間を振り返って、眞島竜男さんとの対談集です。一般的な活動記録集ではなくて、5年という区切りだからこそできる、一発生け捕り作戦のつもりで始めましたが、これがなかなかの分量で、なんとか今月中に発行しようと不眠不休で頑張っていたのですが、結局発行日を延期することにしました。この「質問する」も含めて、いろいろと遅延してしまって、頭の中もグチャグチャなのですが、ひとまず本のことは忘れて、ご返事したいと思います。これで最後の返信になるので緊張します。

本の制作は、私にとって久しぶりの「かたち」のあるものづくりです。もちろんblanClassもある種の「かたち」があるので、つくっているといえばつくっているのですが、始めた当初からゲストへの自由度を極力高めるために、土曜日のLive Artはメソッドがほとんどありません。それゆえゲストに加重がかかるイベント運営になってしまうのですが、ひとつひとつのイベントはやはりゲストがつくりあげているので、私の方につくっている実感が乏しくなります。


5周年記念パーティーで活躍したモバイルキッチン(仮)

「箱入り芸術」と「箱入り作品」

田中さんによる「そもそも機能から外れたところにアートが機能する」という指摘は、もちろん理解しているつもりです。しかし同時に、そういわれ続けてきたアートというものに、なんともいえない自己矛盾を感じてきました。それはすでに一笑に付されたか、あるいは忘れられてしまった、アラン・カプロー(*1)を筆頭に問いかけられた「芸術(ART-art)」と「非芸術(non-art)」の線引きのいい加減さというものにつきるのですが…。つまり一旦それを「芸術(ART-art)」というジャンルに引き込んで「箱入り芸術」にしてしまえば、どんなものでも「芸術」として語り得るのですが、それはただ弁証法的に例えているだけの「箱入り作品」と化してしまう。そうすればたしかに「芸術」と「芸術外」の接続は絶たれて「無機能」な状態になる。それでもすべてのものを「芸術」にするわけではないから、やっぱり「芸術」でないものは、日毎に増えていくので、芸術とも名前のつけられない、なんだかわけのわからないものは、しかし芸術外のものとして、ただあるだけかもしれないし、なにかしら応用されて社会に根付くこともある。もしかすると、なかには芸術以上の存在として認識されるものもあるでしょう。ではそのときに「芸術」と呼ばれたものと、そう呼ばれなかったものの本質的な差とはなんなのだろう? というのがモヤモヤしているパラドックスなのです。

私が当面出した答えは「アート=機能しないもの」ではなくて、社会にまだ機能していない、あるいは機能し得ないものを発見、発明していくのがアートの役割なのではないか、というものです。そのときの「かたち」が必ずしも「作品」ではないということです。これはものとしての芸術への批判というより、どちらかというとアーティストという職業や立場への批判です。

アラン・カプローは1971年に書いたエッセー「芸術家廃業のすすめ」(*2)で、4つの合い言葉、「非芸術(non-art)」、「反芸術(Anti-art)」、「芸術(ART-art)」、「非芸術家(Un-Artist)」をあげて、前述のパラドックスからさらに展開した考えを述べています。まずはひとつ目の合い言葉「非芸術」は「束の間にしか存在せず、あるいはたぶん、単なる仮説としてのみ存在するものにすぎない。実際、そういう例がおおやけに提示されるや否や、それは自動的に芸術のひとつのタイプになるのである」ものとして語っています。つまり、誰かが日常や自然の中でどんな芸術よりも芸術的な経験として発見されるが、それを何らかのかたちで発表することで「芸術(ART-art)」のひとつのパターンとしてカウントされてしまう。あるいはふたつ目の合い言葉「反芸術(ダダ的な)」の変形として実践される、いわばアイロニーとして提示される「非芸術的な作品」というものが現れる。既存の制度やステージを前提に、それが「芸術(ART-art)」であるということをあらかじめ了解した上で、ある態度として示されているということらしい。その上でその「芸術(ART-art)」という3つ目にあげられる合い言葉は、厳粛でまじめなものとしての伝授されたものとして、芸術以外のものと線が引かれることで、そういうイメージが与えられているからこそ、どんな行為も「反芸術」的なものとして、「芸術(ART-art)」内に回収してしまう。そういうジレンマから逃れるためには、4つ目の合い言葉「非芸術家(Un-Artist)」として「芸術家」という職業を廃業すべきだと、結論づけています。

カプローのエッセーが40年以上も前に書かれているので、現状との齟齬も多少あるのですが、逆に現状とあまりかわらない問題を提起しているものとも感じます。そこで、「非芸術家(Un-Artist)」になることが、現在、必ず正しい答えかどうかは、私にはわかりません。なぜなら、そうした状況を十分に了解した上で、ゴダールが映画を、カニングハムがダンスを抱え込んだ姿勢にも共感を持つからです。あるいはカプローも指摘しているように、「芸術家」を廃業すべき人はかならず芸術を学んで、そこを拠点に考えた人であり、「非芸術家(Un-Artist)」になるということは、その立場や肩書きを転々と逃げ続けるような姿勢のことらしいので、自身の考えの呪縛から逃れるにしても、社会的な立場から自由になるにしても、とても難しいことのようにも思えます。blanClassの仕事に当てはめて考えるならば、ある種の形式と格闘しているアーティストや、現在の芸術を取り巻く環境にある、さまざまな問題を了解しつつ、ジレンマしているアーティストとの協働こそが意味があることのようにも思えます。

どちらにしても「芸術(ART-art)」に回収されない芸術はあると思っています。それはひとつひとつ、その場その場で現れては消えてしまうようなもののことです。誤解を恐れずに言うならば、それは、それを経験する人の頭の中で起こるものです。そういう経験はものとしての「作品」でも装置として引き起こすことが可能でしょうし、なんらかの「参加」によって誘引されるものでもあるのでしょう。バラバラに経験された個別な経験であるので、共有することは非常に難しいものですし、似たような経験をなかなか同じ経験だとは言いがたいものでもあります。つまりその芸術の経験というものは、そもそもパフォーマティブであり、かつインタラクティブなものだと言うことです。

私は、田中さんが言うようにコンテンポラリー・アートが「無機能」をのみ背負わされて継続した芸術だとは思っていません。きっと制度や市場においてはそうなのでしょう。だから一部の歴史はそう語り続けるでしょうが、もっと強かな思想も生き抜いていると思うからです。コンテンポラリー・アートは、例えばブラックマウンテン・カレッジが標榜したような「共存」への飽くなき挑戦から生まれた思想です(「共存」とは生易しいものではなく、当然ながら「対立」を前提にも手法にも据えている現状を受け入れる姿勢のことです)。そしてその思想から生まれた芸術のすべてが読み込まれているわけでもなく、制度にも市場にも歴史にも、未だに回収しきれない極めてローカルな事柄として、かろうじて記録されてきたか、あるいは記録すらされていないものとして現在の思想に引き継がれているはずです。

当然、ジャンル化された後のコンテンポラリー・アートという領域でも、そうした思想はひとつの主流として引き継がれてもいますが、「芸術(ART-art)」ではないものとして、認識されているものもたくさんあるはずです。そういうものには、応用的にまったく別のかたちで社会化されているものもあるでしょうし、そうでなくても、少なくとも「芸術(ART-art)」に宿命づけられるまじめさからは解放されているかもしれません。これもカプローの指摘ではありますが、「芸術(ART-art)」に所属するよりも前に、もっと広い枠組みに参加させられているというのが、現状なのではないでしょうか? そういう状況下ではジャンル化されたコンテンポラリー・アートもまじめなものとして回収される仕掛けになっていると思うのです。乱暴ないい方ですが、そういう現象は、なにも「芸術(ART-art)」に限った現象ではなくて、多くの商品が情報化されてしまった現在、機能とは切り離されたものが商品として流通しているわけです。だからとっくにコマーシャルが定着した社会(そちらはそちらでジレンマしているとも思いますが)においては、「無機能」が「芸術(ART-art)」の専売特許ではありません。もしかしたら、機能や役割を見直すことこそ芸術が今、担うべきことかもしれないと思うのです。

自己表現と自己実現をあきらめる

ですから、「かたち」や「つくる」こと、造形自体を否定しようと思ったことはなくて、せっかくつくった「かたち」あるものが単に「箱入りの作品」になってしまうことが、もったいないと考えているのです。これは自分が作品をつくると必ず苛まれてきた違和感です。それまでしてきた努力が「作品化」された途端に陳腐に思われてしまうのです。それは個人的なプロセスで感じてきたことなので、誰の仕事に対しても思うわけではないですし、自分の作品が陳腐なだけだったのでしょう。ただ若いころからBゼミでのディレクションと作品制作を両方やっていた私は、作品においてもディレクションと同じ方法をとってきたということもあり、その課程においてはほとんど同じことを積み重ねていたわけです。つまり最後のアウトプットのところだけが違うわけです。そして自分が「作品」と呼んだものに対してだけは、気持ちの悪い愛着と同時におかしな罪悪感を感じてしまうのです。

それは単純にナイーブなエゴの問題かもしれません。というのもBゼミの仕事が忙しくなって作品がつくれなくなると、ディレクションの仕事で自分の稚拙なエゴを満たすような要素を入れてしまいがちになったからです。そういう企画は半ば無自覚に遂行されて、結果後悔するのですが…。若いころの私は稚拙なエゴを「アーティスト」という自意識に負わせることでバランスをとっていたのでしょう。それもBゼミを畳むことで破綻してしまいました。目的を「作品」だけに向かわせて奮い立たせるには至らなかったようです。

とはいえ私は「青色LED」や「IPS細胞」や「STAP細胞」や「facebook」や「iPhone」をつくれるわけでもなく、悩めば悩むほどに、芸術のことしか考えていない自分に出会ってしまいます。そこで、カプローの提唱(*3)ではありませんが、言ってみれば「非芸術家(Un-Artist)」みたいな生き方はできないか、その上個別な作品だけではなく芸術そのものを考えるという役割はないものかと、今の活動を始めたわけです。

立ち位置どころか立つ瀬がない

田中さんが今やっていること、これからやろうとしていることと、現在私がやっていることは近いかもしれませんし、遠いかもしれません。少なくとも同じではないでしょう。もちろん田中さんが私のように稚拙なエゴを表現する装置として、自身の作品やその拡張を捉えていないことは承知しています。そして前述のパラドックスを考えずに安易な答えとして「作品」をつくっているとも思っていません。なぜなら田中さんは、現状のアートを取り巻くそれぞれのフックを絶妙にあぶり出しては、確実にアプローチしている様に見て取れるからです。私は「芸術」を問題にはしているものの、「芸術」に回収されない、「かたち」になりにくい「かたち」を触ろうと作業しているつもりです。そのときに、どういうリテラシーも健忘症のように忘れて対峙するようにしているので、その正体は言葉にもなりにくく、自分でもなんだかよくもわからないので、外から見たら、なおさらなにをしているのかわからないでしょう。田中さんは立ち位置といいますが、立ちたくても、その瀬が見当たりません。

「参加」をめぐってやり取りをしてきましたが、blanClassにとっては「参加」は絶対に必要な条件です。その上で、「立ち会う」とか「出会う」といった、思考の現場として考えをめぐらせてきました。当然「作品」だって共有の場でもあります。それは常に開かれて、何度も読みなおすことができるはずだからです。どちらにしても単に閉じたコミュニティーでの経済活動を求めるだけでなく、もう少しは流動性のある活動のあり方、社会というものを身近に引き寄せて実践していくことが肝心なのではないでしょうか。とりあえずは…。

小林晴夫
2014年10月

1. アラン・カプロー「芸術家廃業のすすめ」(”The Education of the Un-Artist, Part 1”)、『美術手帖』1971年6月号
2, 3. 同上

近況:blanClassの本『This is not an archive(仮)』(眞島竜男/小林晴夫・BankART出版発行)を制作中です。年内には発行する予定です。12月20日(土)には田中功起さんが久しぶりにblanClassに出演します。タイトルは「不安定なタスク#13|持ち寄った服を交換する」です(詳細)。

【今回の往復書簡ゲスト】
こばやし・はるお(blanClassディレクター・アーティスト)
1968年神奈川県生まれ。1992年、現代美術の学習システム「Bゼミ」運営に参加。2001年~2004年の休業まで、所長として運営に携わる。2009年にblanClassを創立、芸術を発信する場として活動を始める。毎土曜のワンナイトイベント+公開インタビュー(Live Art)や、トークイベントなどを展開中。SNSなども活用しながら、その場で起こる「作品未満」の行為、発言、発信をオルタナティブに摸索する。作家として個展「Planning of Dance」(2000年、ギャラリー手、東京)、「雪 – snow」(2001年、ガレリエsol、東京)や、グループ展「SAPアートイング東京2001」(2001年、セゾンアートプログラム、東京)、パフォーマンス「小林 晴夫 & blanClass performers [Traffic on the table]」(2011年、新・港村blanClassブース、神奈川)などでの活動も行う。編著書に『Bゼミ〈新しい表現の学習〉の歴史』(2005年、BankART1929刊)がある。
http://blanclass.com/

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