連載 田中功起 質問する 9-4:杉田敦さんから2

美術批評家の杉田敦さんと、「失敗」をキーワードに、自立・依存・協働などについて意見が交わされる今回の往復書簡。各々の視点の違いも浮かび上がる中、ここで杉田さんは「自主性・自主的」という言葉の主体を、今一度立ち止まって問いかけます。

往復書簡 田中功起 目次

件名:失敗は誰のものか?

田中さん

年を跨ぎましたね。引き続き、お願いします。ゴダール、ヴェトナム、夫婦と、アクロバティックな議論を引き受ける前に、少し恥ずかしい前置きをしておきます。マッシミリアーノの企画展は、最初に見たときから、僕にはどこかIKEAの巨大な倉庫のような印象で、そのためヴェネチアでも“palace”を“place”と誤読して、間違いを指摘されていました。けれども、また同じことをしてしまったようです。印象に縛られると、なかなか抜け出せないものなのかもしれません……。


不誠実な首相が神社に向かった夜、オモニは丁寧にテジモリ(豚の頭肉)をカットして微笑んだ。

実践する主体の姿

さて、本題に入りましょう。といっても、ゴダールに深入りするのは議論を曖昧にしてしまいそうなので、最初のヴェネチアの議論とゴダールを乱暴にまとめつつ応答してみることにします。そこには、2人の微妙な違いが横たわっているような気がします。

田中さんが指摘するように、ある状況からしかものを見ることができないということについてはあらためて同意します。けれども、だからといって俯瞰的な言及を規制するようなことがあってはならないのも同様です。問題は、俯瞰的、総括的に語ることが、そのまま客観的であるかのように捉えられてしまうことです。あるいはまた、そうした発言を繰り返すうちに、語る人自身がそう幻覚してしまうことでしょう。だからというわけではないのですが、ヴェネチアの印象を巡る僕たちの違いは、大きな問題ではないのかもしれない。単なる立脚点の違いに過ぎないかもしれないし、僕にとってそれは、そう捉えることで、僕自身の思考が活性化されていくように思えるというだけのことです。おそらく田中さんにとっても、ヴェネチアにドクメンタを重ね合わせることで、今後の活動の道筋を、より明確に描くことができそうだということなのではないでしょうか。

また、当然どちらも客観性や普遍性を謳うものなどではなく、そう理解したり発言したりすることで引き出される、次の段階の思考や行動こそを目的としている。もちろん、だからと言ってあらゆる判断を回避することができるというわけではありません。このやり取りもそうですが、討議するなかでそれは数々の判断を受けることになります。そしてまた、その後の実際の行動や思考についても、当然さまざまな角度から批判や検証を受けることになる。客観性や普遍性という抽象的なレヴェルでの真偽についての判定は、そもそも志向さえしてはいないけれども、より現実的な意味での種々の判断には常に晒されることになる。つまり、結局それは、それ自体ひとつの実践であろうとする理解や分析であるように思うのです。

この構図は、ゴダールを巡る事情とも通じているように思われます。けれども同時に、相違点もそこにある。企画の頓挫に対する判断を括弧に入れることで、それを利用することを可能にし、そのことによって、政治的であろうとする一群の映像のなかに、決定的な異物としての姿を現す。これは、映像のコンテンツとして出来事そのものに言及しようとするものとは異なり、ドキュメンテーション自体までを視野に入れているという意味において、田中さんが言うようにメタ的な地平を切り拓いていると受け取ることができます。けれども同時に、目標そのものに至ることができないという事態は、それが成功であろうが失敗であろうが、括弧に入れようが入れまいが、無惨にも暴露されていることも忘れることはできません。メタ的な地平の開拓よりは、僕はむしろここに、実践主体としての露出を見たいのです。

ここで、ブリオーによるアルチュセールの引用を想起してもいいでしょう。目の前の列車に飛び乗る。どこから来てどこに行くのか知っているものではなく、わからないものに飛び乗る。こうした実践に身を投じているものにとっては、たとえどのように惨めな状況に置かれていたとしても、自身の立っている場所と動こうとした意志だけは疑いようがない。そのような意味でのゴダール。もちろんここでも、それに続くヴェトナムに関連する実践について、あるいは『中国女』のことを考えれば、それに先行する実践についてもと言うべきかもしれませんが、常に、種々の判断に晒されることになるのは言うまでもありません。

自主的であることの問題

微妙な相違をうまく示せたかどうかわかりません。本当に微妙な違いなのですが、僕にとっては大きな意味があります。その上、僕はこのあと、田中さんの言う「自主的であること」について考えていこうとしているのですが、そこでの疑義を、自身もまた孕んでいるという気がかりな状況なのです。

日頃、言葉の成り立ちや本来の意味に言及することで、知性的だと自足してしまう姿勢を批判している身としては、これから書くことは気が引けるのですが、「自主的」の字義的な意味は、やはり前回触れたキテイが投げかけている個の在り方に対する疑問に抵触しています。自主的であるということは、何ものにも干渉されない個を想定しています。もちろん田中さんも、夫婦関係を引き合いに出すなど、完全に自立した個を想定していないことは明らかです。けれども、自主的であるということを強調すると、キテイが垣間見てしまった、依存によって編まれた逃れようのない網目を遠ざけているように感じられるのです。そうここまでくれば、直前の僕の議論も同じだということに気づくでしょう。実践主体……。僕は田中さん以上に自分自身の疑問を引き受けなくてはならない言葉を使っています。けれども、あえてもう少し、先に進んでみることにします。

田中さんの作品にもそうしたものがありますが、集団型作品(collective work)や参加型作品(participatory work) と呼ばれるものにおいて、自主性の問題は非常に重要です。作者としてクレジットされるアーティストの自主性、参加する集団を形成する個の自主性、また、それら相互の関係についても議論はできるでしょう。先に触れたように、言葉の意味に深く立ち入らなければ、自主的であるとは、強制されたり、干渉されたりすることのない、自由な状態を素朴かつ楽観的に信じるものです。けれども、あらゆる干渉から逃れた個があり、自発的に決定を下しているということはどうにも信じ難い。おそらくそれは、キテイが暗に仄めかしたこととも関係しています。自立した個は可能なのか……。もっとも、自立した個が、単に哲学的なディスクールの内部を飛び回っているだけなら問題はありません。やっかいなのは、それが、礎にされ、展開され、応用され、社会の基底に切除し難いかたちでこびりつき、種々の問題を引き起こしていることです。キテイが取り上げたのはケアを巡る問題でしたが、当然のことながら、他の利他的な行動や、それに関連する問題を想起することは難しくない。キテイさえが躊躇したことですが、この自立した個という、ひょっとすると幻想に過ぎないかもしれない主体の在り方は、さまざまな角度から検討されなければならないと思います。

それは手放すべきではないのか?

例えば、少し挑発的にこう問うことも可能かもしれません。田中さんのヴェネチアの作品は本当に自主的なものだったのか、と。もちろんそれは、田中さんの意志によって始められ、田中さんがいなければ実現することのなかったものです。けれども、それに先行する集団型の作品や参加型の作品、ブリオーの思考を導き出した関係性に基盤を置く作品、あるいは後にビショップが評価する、より意図的に社会構造に触れようとする作品などがあったことも事実であり、それらの作品によって自主的であるとされる部分のいくばくかが肩代わりされていたと考えることもできるかもしれない。あるいは、参加者についても、彼女や彼らは、本当に自主的だったのでしょうか。彼女や彼らの場合も、先行する種々の作品に参加した人々の存在があるからこそ参加したのであって、自主的とされるものはすでに先払いされてしまっていたのかもしれない。

僕はひとつの可能性を考えています。手がかりにしたのはモーリス・アルヴァックスという、第二次世界大戦末期にナチスの収容所で命を絶たれた社会学者の記憶論です(*1)。遺された草稿から編まれた本の中で展開される彼の記憶論は奇妙なものです。彼の挙げた例をかいつまんで紹介してみましょう。アルヴァックスが、友人の建築家や歴史家と連れ立ってロンドンの街を歩いているとき、友人たちはそれぞれ、さまざまなことを教えてくれたそうです。しかし、しばらくして同じ場所を、今度は独りで歩いているときにも、友人たちの言葉は相変わらずアルヴァックスとともにあり、彼らの知識や想いもまた、一種の記憶としてアルヴァックスの心の中にあったというのです。彼はそれを、集合的記憶という言葉で捉えようとします。アルヴァックスの記憶論にあらためて注目するようになったのは、アライダ・アスマンという歴史学者の、記憶による歴史の再考について考えていたときのことです(*2)。彼女はソフィ・カルやドクメンタ13でも注目を集めたジャネット・カーディフとジョージ・ミラーらを例に挙げながら、いわゆる大文字の歴史ではなく、共有され、まさに生きられている歴史を支えるものとして、人々の記憶に注目するべきではないかと考えます。その論旨が、あまりにもアルヴァックスの記憶論と同型なことに驚きました。

ここでの問題は記憶ではありませんが、アルヴァックスの思い描いた構図は、他の、多数の人間による共有についても示唆に富んでいます。それは間主観性を思い浮かべなければならないほど強いものでなく、曖昧な集合のなかで、けれども確かに共有されているものとでも言えばいいでしょうか。つまり、結論を急げば、田中さんの作品は、むしろこうした集合的な判断によるもので、必ずしも自主的とは言えないのではないか、とあえて考えてみたいのです。もちろん、こうした命名には意味はなく、分節化を望んでいるわけでもありません。あらためて言うまでもないと思いますが、自主的という言葉や、あるいはキテイに倣えば、それが前提としているような自立した個が、種々の問題を孕んでいるのであれば、そうしたある意味ヒロイックな自己認識は手放してしまった方がよいのではないかということです。

責任は誰のものでもある?

先ほど挙げたアルチュセールの列車のたとえ話の場合も、思いあたるところはなくもありません。もしそれが独りでなく、同行者がいた場合、おそらくその飛び乗りは、短い時間のなかで交わされる仕草や目配せ、景気づけの号令などによって、一種の集合的な判断として実行に移されるはずです。さあ、あれに乗るぞ、行くぞ、いまだっ……、と。この例は、むしろ間主観性を想起した方がわかりやすいかもしれませんが、ひょっとすると独りの場合でさえ、どこかで見たという程度の記憶しかない、TVや映画のワンシーンが思い起こされているのかもしれません。あるいは、そうした経験のある人の話を、人づてや、メディアを介して知っていたということもあるでしょう。そうしたものまでもが、飛び乗ろうという判断に影響しているのだと考えるのは行き過ぎでしょうか。いずれにしても、そのような意味での集合的判断なのです。あるいは、語義矛盾を承知で言えば、集合的自主性。何やら言葉にすると全体主義的な感じですが、もちろんそのような意味ではなく、軟らかく薄い、それこそ強制などとはほど遠い連関のなかで形成されていく判断です。

こうした視点を考えてみたいのにはいくつか理由があります。そのひとつは、集合的な実践の責任は、主導したアーティストや直接的な参加者だけでなく、強弱はあるとしても、集合的判断を形成した全体に帰されるものではないかという疑問です。そのような場合に初めて、社会的な自省も可能になる。つまり、失敗は誰のものかということです。もちろん逆に、集団型の作品について言われる、クレジットの問題もここに関係してくるかもしれません。それらの活動や、社会的アート活動(socially engaged art)と呼ばれるものにおいて、小規模な組織や集団が、集団型の実践の主体として多くみられるのは、こうした意識を反映しているだけのことなのかもしれない。もちろん、この議論は、だとすればアーティストはそこで何をしていると言えるのかなど問題も多く含んでいます……。

でも、中途半端なところですが、そろそろ切り上げなくてはいけませんね。おそらくこのテキストがアップされる頃には、LAに戻られていることでしょう。今回は、あえて乱暴に書いた部分も多くありますが、関係や集合、参加というキーワードを巡る議論を、ブリオーやビショップの地平だけで終わらせたくないという思いからのものと理解していただけると思います。

杉田敦
2014年1月

1.  Maurice Halbwachs。「アルブヴァックス」などの表記もあるが、訳書(『集合的記憶』モーリス・アルヴァックス, 小関藤一郎訳, 行路社, 1989)に合わせた。
2. Aleida Assmann の『記憶のなかの歴史』(磯崎康太郎訳, 松籟社, 2011)などで展開されている。昨年末から、著者の呼びかけで、アーティストや学芸員、評論家、大学院生など10数名で勉強会が行われている。

近況:年末は、river bank のイヴェントのあと、友人に会いにソウルへ。カメギとノガリに感激。年明けは、基礎芸術のミーティングや group material の勉強会があり、月末には、久しぶりに京都在住のアーティスト、増本泰斗くんとのイヴェント”Picnic”が予定されています。あと、いくつか秘密の会合や打ち合わせが……。

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