連載 田中功起 質問する 6-1:林卓行さんへ1

2011年7月14日
国内外で活躍する気鋭のアーティストが、アートをめぐる諸問題について友人知己と交わす往復書簡。ものづくりの現場で生まれる疑問を言葉にして、その言葉を他者へ投げ、投げ返される別の言葉を待つ……。第6回の相手は、美術理論・美術批評の林卓行さん。約3ヶ月の間にそれぞれ3通の手紙で「制作の予定調和を回避するために」と題して意見交換を行います。

件名:まずは前提の確認から



林卓行さま

お久しぶりです。
この企画に参加していただきありがとうございます。この「質問する」はもとはといえば、かつて関わった『芸術の山』という頓挫した批評誌の企画への個人的な落とし前でもあります。なので当時、同人として関わっていた林さんとこうしてやりとりができるのはとても感慨深いものがあります。


雨によって洗い流された汚れが壁面の装飾に合わせて、その流れを変えていく様。パズルのようで面白い。

さて、もう一年以上も前のことになりますが(ずっとそのあと考えつづけていたので一年も経ってしまっていることに気づかなかったのですが)、冨井大裕さんがCAMP(*1)の中で企画した、彫刻についてのレクチャーシリーズ(*2)があり、そこで林さんがゲストスピーカーとして「彫刻」概念と「オブジェ」概念をめぐって問題提起をしました。それをポッドキャストで聞きながら、いくつかの点でぼくも同じ問題を共有しているんだな、とあらためて思ったのです。それが今回のきっかけですが、まずはぼくなりにそのときに林さんが話した内容をふり返りつつ、本題に入っていこうと思います。


「〈オブジェ〉再論」が意味するもの、「造形」と「オブジェ」の違い

林さんはレクチャーの中で「彫刻」や「造形」という概念を使っていては、今の作家(例えば金氏徹平さんや冨井大裕さんなど)の特性を見失わせる、と話していました。つまり今の作家の作る立体作品を「彫刻」として見、そこに備わる「造形感覚」を通して読み解くことではこぼれ落ちてしまうことがある。だからまずは「彫刻」という考え方に頼らず、解体しなければならないのではないか。それに替わる概念として、1910年代に開発された「オブジェ」という概念が対置されます。「オブジェ」は最近の日本のアートの文脈ではあまり語られることがないが、むしろこれを踏まえることで見えてくることがあるのではないだろうか、というのが問題提起の骨子でした。

ではそもそも「彫刻」「造形」とはこの文脈の中でなにを指しているのでしょうか。林さんの上げたいくつかの例をもとにこのようにまとめることができます。

彫刻(あるいは造形という考え方):統一的なイメージに向かって、ある素材が造形感覚(色彩・ボリューム・バランス)によって操作された立体のあり方。

林さんはまず、藤枝晃雄さんの著作に特徴的な「造形」への批判的な態度を上げつつ、面白いかたち、きれいなかたち、まとまるかたちというのはある程度決まっていて、それに尺を合わせることによってできあがる作品、それが予定調和的であると指摘しています。このとき立体は、最終的にできあがる統一的なイメージのもとに構想され、造形感覚を駆使して制作される。カービング(削り取る)の手法を使った彫刻が例に上げられていましたが、まさにカービングによる彫刻は最終的なイメージを素材に投影せずには作り出すことができないものです。例えば木のかたまりを前にして「パンダ」を作るならば、その仕上がりの「パンダ」のイメージをもとにしないことには木を削り始めるわけにはいきません。「パンダ」を作ろうとして「飛行機」が削り出されることはこの場合ありえないわけです。その意味では安定したかたちが事前にイメージされ、そこに向かって素材に手が加えられていく。
では反対に「オブジェ」とはなんでしょうか。こちらも林さんの言葉をもとに整理すると以下のようになります。

オブジェ:ロジック/行為によって必然的に導かれたかたちを持つ立体のあり方(このとき素材は「むき出しの状態」にある)。

ここで念頭に置かれているのはデュシャンによって発明された「レディメイド」という考え方でした。便器が横倒しに置かれ、それが作品として展示会に出品された、というよく知られた出来事です。ただ、当時デュシャンと近しいところで活動していたシュルレアリスムによる「オブジェ」は、林さんはむしろ「造形」的であるとして退けています。マン・レイがわかりやすいですが、アイロンの底面に釘がついている、というような立体は「アイロンの機能不全」というイメージを単に予定調和的に表している立体作品にすぎないというわけです。

デュシャンの操作というのは「アート」に対して「アートか、アートじゃないか」というカテゴリー・エラーを起こす言語的な操作であり、その目的のために「もの」が選ばれている。彼が「視覚的無関心」と言っていたように造形感覚によるかたちや色選びとは無関係に、アートのカテゴリーを曖昧にする目的のために「もの」が選らばれ、そして配置されたのでした。

林さんはドナルド・ジャッドを「彫刻でも絵画でもないもの」としてこのデュシャンの系譜に置き、さらにリチャード・セラやブルース・ナウマンを参照例に上げています。セラの例はとくにわかりやすいですが、例えば鉛を引きちぎった「Tearing Lead from 1:00 to 1:47」(1968)。これは引きちぎるという行為が必然的に導きだしたかたちがそのまま立体作品として展示されたものでした。タイトルもその行為の持続時間を示しています。行為を顕在化させた素材。素材がそのまま「むきだし」の状態にある作品。このとき素材は、アーティストのイメージを実現させるためのものではなく、あくまで行為の痕跡を見せるためのものとして使われています。


「〈オブジェ〉再論」が目指したこと、「完璧な恋人たち」

こうした〈オブジェ〉再読を前提として、問題は現在へと徐々に接続されます。次に林さんは、フェリックス・ゴンザレス=トレスの「Untitled (Perfect Lovers)」(1991)をキーとなる作品として取り上げました。
よく知られているように、この作品は二つの時計が隣同士に壁に掛けられ、その二つが同じく時を刻むようにセットされています。タイトルが示す感傷的な見方も可能ですが(「同じ時を刻もうとする完璧な恋人たち」)、このレクチャーではもう一つ別の読みが用意されていました。
この作品の中で「時計は別の文脈に置かれるのではなく、時計が時計本来の文脈にありながら私たちの知らない姿を現す」。つまり時計の持つ「時を刻む」という機能が、時計が隣同士にならびタイトルが付けられることで顕在化する。普段、ぼくらは時計を見るとき「時計」そのものを見ているのではなく、時間を確認していますよね。時計という物理的存在はそのときぼくらの前で透明です。時計とはそもそもなんであるのか、ということを忘れることで、その「時計」が提供する内容(いま・ここの時間)をぼくらは見ているわけです。しかし、この「Untitled (Perfect Lovers)」では、(おそらくこのタイトルにも導かれて)ぼくらは「時計の機能」に気づかされます。そうか、時計とは時を刻むものであったのだ、と。

この辺りから「オブジェ」は先の定義を少しずつ拡張し始めます。つまり言語や行為が導いてきたかたちから、むしろ「完璧な恋人たち」というタイトルと置き方によって導かれたむきだしの機能へ。いちおうこうして「オブジェ」は定式化されうるのかもしれません。

ここから先が本題です。林さんがレクチャーの中で最初のころに触れていた「造形」における「予定調和」の問題、ぼくはこの「予定調和」に「造形/オブジェ」をも含む、制作全般における回避すべき問題があると思っています。


予定調和の種類?

「予定調和」の種類を整理し、考えることで、林さんのレクチャーを再構成してみましょう。
まずひとつ目が「造形」にまつわる「予定調和」。これは、安定したかたちが事前にイメージされ、そこに向かって素材に手が加えられていくことで生じます。この場合、作品は破綻がなく、よくまとまっているけれども、それ以上のものではない。
では次に「オブジェ」には「予定調和」の契機がないのでしょうか。トム・フリードマンを例にしてみましょう。彼も、手を加えられた素材が必然的なかたちを結ぶところで作品が完成します。ここまでの文脈では彼の作品は「オブジェ」ですね。しかしこのトム・フリードマンの作品にも「予定調和」な部分があるように思うのです。
例えば彼の作品は決して展示できないスケールにはなりません。空間に収まる適度な量のサイズで制作されています。一見、「必然的な量」でできあがっているようにも思われますが、原理的にはその制作ははてしなくつづけることができ、そのとき作品は空間に収まり切らなくなる可能性がある。例えばスパゲッティを繋げたものなど、どこまで大きくしてもかまわないはずです。ここには美学的な判断、つまりある種の予定調和が潜んでいるように思われます。それは展覧会会場という空間的なスケールがある程度前提となっているということを意味します。

こうして二つの「予定調和」の分類が書き出せます。

予定調和1:統一的な完成のイメージが制作の前にある=造形感覚ベース
予定調和2:素材に対する行為がかたちを決める > 空間的なスケールが、展示空間という範囲を前提として考えられている場合がある=作品ベース(オブジェ)

「オブジェ」の中にも空間的スケールという「予定調和2」が隠れていたとして、もちろんこれが程度問題ならば範囲を拡大・縮小することで少しは問題を回避できるかもしれません。トム・フリードマンは会場の広さを意に介さず、会場を越え、街に広がり、国境を越える立体をつくればいいのかもしれない。もちろんそれは物理的には無理なので、ひとまずこのサイズにしている、というように好意的に見ることもできるでしょう。ただ「Untitled (Perfect Lovers)」のように空間的スケールを無関係にするという方向でもこの「予定調和2」を解消することができます。なぜなら「時計」は会場の広さとは無関係にある一定のサイズに決まっているものです(体育館の時計は大きいかもしれません。ならばこう言い換えましょう。「時計」は既に空間的なスケールとの関係を決められてしまっていて、それを変更すると普通の時計には見えなくなってしまう)。また仮に、時計を二つ以上並べた場合、作品タイトルが示すこの作品の肝とはずれてしまう。よって会場の広さ、その空間のサイズとは無関係にこの二つの並べられた時計は作品として存在します。

最後にさらにもうひとつの「予定調和」にも触れておきましょう。それは時間的なスケール、つまり展覧会の時間に関係します。展示には会期があり、通常、作品はその期間に収まるものとして作られます。プロジェクトは会期に合わせて行われ、会期の終了と共にそのプロジェクトは終わります。つまり作品が「会期」という時間を前提としてつくられているときがある。これもおそらくはもうひとつの「予定調和」でしょう。

予定調和3:状況・ルール・アイデアがかたちを決める > 時間的なスケールが、展覧会の期間を前提として考えられている場合がある=展覧会ベース

例えばここで吟味すべきアーティストは、フランシス・アリスやアローラ&カルサディージャなどの状況を扱うアーティストであり、ローマン・オンダックやニナ・バイエなどの時間を前提にしたパフォーマティブなプロジェクトを行う人たちですが、ちょっと一通目にしては詰め込みすぎましたので、これは次回にしましょう。

ぼくは今回、林さんの〈オブジェ〉再読のレクチャーを再考しながら、三つの予定調和にたどり着きました。どうやらアーティストは、(造形)感覚、(展示)空間、時間という三つによって制作行為を振り回されるようです。ぼくのこの理解、不十分な部分、誤解のある部分などあると思いますので、訂正していただいた上で議論を進められればと思います。

それではお返事楽しみにしております。

田中功起 2011年7月 台北より

  1. CAMPは不定期に行われる、トークやシンポジウム、勉強会などを企画しています。
    http://ca-mp.blogspot.com/

  2. 「《オブジェ》再論 」vol.1 林卓行キーノート(2010年4月24日)
    [前半] http://www.voiceblog.jp/kabegiwa/1139442.html
    [後半] http://www.voiceblog.jp/kabegiwa/1142596.html


近況:7月は『Trans Cool Tokyo』(台北市立美術館、9月25日まで)と『Invisibleness is Visibleness』(台北當代藝術館、9月4日まで)という二つのコレクション展に参加します。前者が東京都現代美術館の収蔵作品から、後者が日本人の個人コレクションを元にしている展示なので、いずれも日本のアーティストの作品がまとまって台北で紹介されます。
また『ヨコハマトリエンナーレ2011』のために一時帰国をするので、それに合わせて青山|目黒(東京)での個展『雪玉と石のあいだにある場所で』(7月16日〜8月20日)、森美術館(東京)でのアージェント・トーク(7月29日)、CAMP(7月25日)とComos TV(7月22日)でのトークもあります。最近の活動をまとめて見せる+話す機会なのでぜひいらしてください。


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