連載 田中功起 質問する 1-4:土屋誠一さんから 2

第1回 展覧会という作法を乗り切るために(4)

田中さんの第2信はこちら往復書簡 田中功起 目次

田中功起様

散文的な日常をぼーっと送っているうちに、お返事がとても遅れてしまいました。いや、勿論、何もせずに遊んでいたわけではないのですが、田中さんの応答を拝読しながら、さて、どのように球を打ち返そうかと考えているうちに、なんとなく気詰まりになってしまったような次第。ネット時代の言論においては、こんなふうに思い悩んでいるうちに、どんどん取り残されてしまうのは承知していながらも(要は、そういうこと自体が気詰まりなのですが)、いや本当に、ゴチャゴチャ言っていないで脊髄反射的にツイートしまくったほうが良いのかもしれないのですが、どうもそのような環境に私自身、いまいち馴染めないままです。ただ、このような遅配(というか実際は、単に私が怠惰なだけなんですけど)は、美術においては相応しいようにも思います。


ツンデレに対する耐性が欠如しているらしく、今更ながら『空の境界』に激ハマリした34歳の冬。あらゆる意味で、我ながらどうかと思う。仕事しろよ。

と、このようにダラダラとモノローグ的前振りを連ねるのは嫌いではないのですが、『ART iT』編集部からの文字数要請もありますので、早速中身に入りましょう。この往復書簡は、「展覧会という作法を乗り切るために」ということをめぐってやりとりされています。そして田中さんは、そのような乗り切りのための「実践的で具体的な言葉」に可能性を見出しておられる。恐らく私は、実践的で具体的な言葉を返さなければならないのでしょうが、正直に言って、その問いに対しての回答を持ち合わせてはいないし、そもそも回答すること自体、あまり意味が無いと思うのです。最初に差し上げたお返事の際に、田中さんの問いに対して半ば回答を放棄したのは、そういった理由からです。

ではなぜ、私は「実践的で具体的な言葉」を無意味だと思い、回避するのか。それは、いくら言葉で「具体的」な「実践」を提案したところで、結局のところ空論を越えるものにはならないからです。少なくとも私は、美術批評の役割を、美術の現況に対する実践的かつ具体的な提案というところに見出していません。私自身、本当に関心があるのは、身も蓋もない言い方をしてしまえば、数としてはごく限られた作家や作品、そして、(私自身を含むところの)批評それ自体に対してのみに限定されます。だから、究極的には、美術界の状況がどうなっていようと私の知ったところではないし、なんなら美術業界自体が崩壊しても一向に困ることはない。と、このような言明が、いささかパフォーマティヴに過ぎることは承知していますが、そもそも批評それ自体が、それこそ美術作品と同様パフォーマティヴなものなのですから、美術作品のあり方に対する実践的で具体的な提言といったようなコンスタントな目論見に差し向ける必要はありませんし、そもそもそのような権能を持ち得るわけがないと思うのです。ただ、これでは話が終わってしまいますし、田中さんとのこの対話自体、無意味になってしまいますので、応答を試みてみます。せっかく田中さんが例に挙げてくださったので、私が2年ほど前に企画し、新宿のphotographers’ galleryで開催した、倉重光則さんの展覧会に即して、その「具体的」な「実践」について申し上げれば、一つの回答にはなるかもしれません。

まず、その展覧会において私は、1970年に倉重氏が制作したある作品に注目しました。その作品は、福岡県に所在する島で野外制作された仮設的なもので、現存はしていません。しかも、公開を前提とした作品ではないので、ほとんど誰も、その作品の「実物」を目にした人はいない。ではなぜ、その現存しない作品を私たちが「作品」として認識できるかと言えば、作品が制作された際に記録写真が撮られていて、倉重氏の作品集に、その図版が掲載されているからです(このような事態こそ、「歴史化」ということと密接につながりがあると思います)。

その現存しない作品に対して私は、その作品から導き出される様々なレヴェルにおいて、実践的な介入を試みました。まず、その1970年に作品が制作された場所を探し出し、2006年末に記録写真とほぼ同様のアングルで、再撮影を行う。このことは、現存しない作品を、しばしば「再制作」という方法で現実化してしまうことに対しての批判的介入であり、かつ、「作品」という客体よりも下位の表象レヴェルにある「記録写真」を、無理やり「作品」と同等の表象レヴェルにまで格上げする、という手続きです。しかしそこには、1970年という作品の成立起源からみると、35年ほどの時間的な遅延があり、唯一の作品として認識されず、不可避的な時間のズレが発生する。ここでは、1970年と2006年という二つの起源をもった、差異を含んだ同一である「かもしれない」作品が、複数成立することになる。つまり、作品の固有性(オリジナリティ)を、複数の潜在的可能性、複数のあり得たかもしれない時間=歴史に開いてしまう、ということです。これは言うまでもなく、唯一かつ一回的である、すなわち、時間的・空間的に限定された「展覧会」という形式に対しての批判を意図したものです。

しかし、展覧会批判を行うためには、内在的な実践として行う必要がある。私は、記録写真から導き出された再撮影の写真を、元の記録写真と並べて、展覧会場に展示しました。これは、作品が要請する場所の限定(例えばギャラリー空間や野外空間)が、写真というメディアを媒介することによって、任意の場所に(つまりこの場合、福岡から新宿へと)転送されうるということを示したわけです。このことは、作品が定位される「場所」とは、一体いかなるところに設定され得るのか、ということに対しての撹乱でもあります。ここで「作品」として名指すことができる対象は、1970年に制作された「実物」なのか、それとも、当時に記録された写真なのか、あるいは、2006年に再撮影された、ここに展示されている写真なのか。ここからは、論理的に妥当とみなされることのできる、一つの回答を導き出すことができない。同時に、倉重氏にはこのような私が設定したコンテクストとは無関係に、完全に新作の、すなわち2007年という制作年を持つ作品を、同じギャラリーのもう一つの展示室で発表してもらいました。このことで、この展覧会のイニシアティヴを持つ者が、「倉重光則」という作家であるのか、あるいは、「土屋誠一」という批評家であるのか、決定が複数化される。これは、作家―キュレーター(ここでは批評家がその役割を果たしたわけですが)という職能によって分割された制度に対しての、批判的な介入です。

しかし、このような実践を、単に展覧会場だけで繰り広げるだけでは不十分になる。なぜなら、このような実践もまた、展覧会という形式を選択する限りにおいて、時間的・空間的な限定(つまり、展示場所と会期)に、たちどころに回収されてしまう。そこで、展覧会とは別のレヴェル、すなわち印刷物を発行することによって、そのような回収を回避することを試みました。通常、展覧会カタログは、作品ないし展覧会の従属物(つまり、先の記録写真と同様、表象のレヴェルが一段下位のもの)とみなされます。そこで、記録写真に基づいて再撮影にまで至るプロセス(作品の設置場所の同定からはじまり、撮影の実施に至るまで)を、いわば旅日記調のテクストに仕立てて、カタログのテクストとして収録しました。ここでは、展覧会カタログもまた、展覧会と位相を異にする、「作品」である、というわけです。

さらに、展覧会場に展示された客体にせよ、展覧会カタログにせよ、物質としての固体化を出るものではない。そこで、無時間的・非場所的・非物質的なレヴェルとして、ウェブサイト上でこの展覧会とカタログの製作を実施するにあたっての個人的な経緯と関心の所在、そしてそのコンセプトを、テクストで示すことを試みました。

つまり、このプロジェクト全体においては、「作品」が所在する三つの空間的位相が存在する。展覧会場、出版物、インターネット、と。しかし、これら三つの位相の全てを経験せよと、鑑賞者に対して必ずしも強制するものではない(というか、そのような強制は原理的に不可能です)。それぞれがそれぞれのレヴェルにおいて、鑑賞するに値するだけの質を保ちつつ、なおかつ、ゆるやかなリンクを互いに形成しているような状況になることを目指した、というわけです。このプロジェクト全体が差し向けているのは、時間・空間の問題、オーサーシップの問題、各種メディアを媒介した「作品」の表象レヴェルの問題、これらの問題に対して、ひとつの回答を与えるのではなく、かつ、問題の解決を無限に遅延させる戦略を取るのでもなく、複数の可能なる「作品」が異なる位相において生起し得るのであるということを、実践的かつ具体的に示す、ということでした。

この私の試みが、どこまで成功したのか、あるいはどのような具体的な効果があったのかは、「実践」者としては判断できませんし、恐らく以上で説明した私の目論見にも、綻びはあることでしょう。ただ、展覧会という形式のみに依ることのない、美術作品のあり方の一つのモデルケースにはなるのではなかろうかと、今、過去に自らがなしたことの記憶をたどりながら考えてみるに、そのように思わなくもありません。これもまた、ひとつの利用可能な「アイデア」であると思うからです。

しかし、結局のところ私が立ちもどってしまうのは、テクスト、あるいは言葉です。未分化な「アイデア」を、使用可能な「コンテンツ」に跳躍させるためには、やはりコミュニケーション可能な状態の言葉に置き換えられることが必要になるでしょう。そして、その言葉は、必ずしも展覧会というプラットフォームのみに依る必要はないはずです。恐らく、いま早急に必要なことは、作家であれ批評家であれ、単により多くを語ることであると、私は思っています。田中さんの「質問する」や、ポッドキャストの「言葉にする」は、思うに、そのような必要性に駆られての行動なのでしょうし、私も関わっている「美術犬」という活動も、そのひとつの現われであるように思います。いずれにしても、実践的かつ具体的な解決方法を性急に求めるのではなく、私たちは、ただ単に、具体的に実践していくことが必要なのでしょう。なぜなら、「アイデア」とは、具体的な行動に先立つのではなく、実践の後に到来するものであるはずですから。

2009年12月8日 首里城下より
土屋誠一

つちや・せいいち(美術批評家・沖縄県立芸術大学講師)
1975年生まれ。主な論考に、「写真史・68年」「デジタル・イメージ論」など。現代美術と言説との相関について考える運動体「美術犬(I.N.U.)」メンバー。

本文で挙げた倉重光則氏の展覧会については、photographers’ galleryのウェブサイトに記録がアップされています。(当該カタログも入手可)
http://www.pg-web.net/

美術犬(I.N.U.)
http://bijutsuken.cocolog-nifty.com/

近況:「美術犬(I.N.U.)」のシンポジウムを、12月27日(日)、府中市美術館で行います。「美術・社会・革命」(!)をテーマに、詩人の松井茂氏、Chim↑Pomの卯城竜太氏、美術犬メンバーの青山悟氏と私がパネリスト。無茶なテーマを掲げてしまい、不安な近頃。

連載 往復書簡 田中功起 目次

・質問する 1-3:土屋誠一さんへ
・質問する 1-2:土屋誠一さんから
・質問する 1-1:土屋誠一さんへ

Copyrighted Image