田中功起 質問する 15-1:藤田直哉さんへ1

第15回(ゲスト:藤田直哉)― 展覧会の「公共性」はどこにあるのか

今回のゲストはSF・文芸評論や、「地域アート」をめぐる考察でも知られる藤田直哉さん。昨年のイベントにて、芸術祭をめぐる彼の新たな発言が気になった田中さんからの、最初の問いかけとは。

往復書簡 田中功起 目次


 

件名:「新しい公共性」について

 

藤田直哉さま

お久しぶりです。
2017年中にお送りしたいと思っていたんですが、年が明けてしまいました。


香港の建設現場に作られた仮設の祭壇

 

昨年、藤田さんがゲストとして参加したナディッフでのトーク「芸術祭の公共圏―敵対と居心地の悪さは超えられるか?」(*1)、とても興味深く聞きました。このトークは丹羽良徳さんの書籍の出版記念として企画されていたものです。なので当然、彼のアーティストとしての実践に話が集中したのでした。それはそれで気になる話もあったんですが、ぼくがこのトークに期待していたのは日本の芸術祭における「公共性」についての分析でした。それぞれの登壇者が、アーティストとして、批評家として、キュレーターとして、どのように展覧会の「公共性」を捉え、可能性や不可能性を批評的に見ているのか。ぼく自身の興味とも重なるので、考えるためのヒントをもらいたいと思って行ったのですが、残念ながらあまりそうした話にはなりませんでした。

 

芸術祭(展覧会)の「新しい公共性」

 

それでも藤田さんによる他の登壇者への応答は、なんとかテーマに引き戻そうとしていたように思いました。だからこそ、もう少しその先の話が聞きたくなったんですね。藤田さんは対話の中で何度か「新しい公共性」と言っていました。「乱立する芸術祭という場所にも『新しい公共性』が生じているのかもしれない」。そのような言い方だったと思います。以前の藤田さんによる問いかけからすると、そこにある種の変化を感じとりました。藤田さんはかつてこのように言っていました。日本各地で行われている芸術祭において前衛芸術が形骸化している。体制批判的であった美術がむしろ体制による地域活性化に利用されている。そうした社会的効用性とは別の、アート固有の「美学」はどこにいってしまったのか。

「ある意味で現代の美術とは、過去の革新的で前衛的なものが、同時代的な『叛逆』の大衆的な機運に支えられないまま、精神を失い、その形式だけが歴史の中に積み重ねられ、その廃墟の中で、かろうじて生き延びているのかもしれない」(*2)

地域系アートプロジェクトあるいは芸術祭、もしくは藤田さんの言葉で言えば「地域アート」を批判的に捉えたテキスト「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」では、地方の芸術祭の中で展開する現代アートの形骸化が辛辣に指摘されています。その後の書籍への再録と出版からしばらく時間が経って、状況はどう変わっているのでしょうか。もしくは藤田さんの目線はどう変わったのでしょうか。日本に帰ってきてから2年弱の間、結局ぼくは日本のそうした芸術祭の現状に興味が持てず、ほとんどフォローしてません。だから藤田さんが芸術祭の「新しい公共性」と言ったとき、ぼくには違和感がありました。あれだけ辛辣に見ていた藤田さんがむしろ芸術祭の可能性を口にしていると。何事でも現状を把握し、状況に巻き込まれて「内側」に入り込むと、一概に言えなくなる。「関係者」の物言いは歯切れが悪い。ぼくはそれをけっして悪いことだとは思わないけど、その歯切れの悪さをお構いなしに切ったのが藤田さんの先の批評でした。それは「関係者」からすると乱暴にも思えたけど、歓迎もされたわけです。

藤田さんは昨年のドクメンタもミュンスター彫刻プロジェクトも見ていますよね。北川フラムさんが越後妻有アートトリエンナーレをはじめようとしたときに、ミュンスターをモデルにしたことはよく知られています。京都で行われたパラソフィアも、そこに参加していた多くのアーティストが過去のミュンスターに参加していました。いわば日本の芸術祭のオリジンを見たわけです。ドクメンタは、オクウィ・エンヴェゾーが企画した2002年以降、より社会政治的な実践(の紹介)へとシフトし、現在のシーンに影響を与えています。日本のアート・シーンにおける近年のソーシャル・ターンも、そのひとつの残響だと思います。それらとの比較を通して感じたことも聞いてみたいところです(これもまた文脈が異なるので、単純な比較はできませんが)。もちろん単にいい悪いを言ってもしかたないので、むしろ「(新しい)公共性」をめぐってどのようなことが語られうるのか、気になります。

 

公共性について

 

まずは本題に入る前に「公共性」(*3)をぼくなりに整理しておきたいと思います。
おそらく「公共」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、「公的な」という意味で、公共の福祉であるとか、公共施設(市役所や図書館、美術館など)だと思います。つまりある意味ではトップダウンによる、抑圧的な「公共性」です。「公共の利益」のために個人の自由はむしろ制限されなければならない。そうしたイメージですね。でも例えばぼくが「公共性」としてイメージするのはむしろ反対の状況です。広場(スクエア)に人びとが集まって自由な議論を行う、そういう場面です。ヨーロッパにおけるパブリック・スペースのイメージですね。近年のオキュパイ運動もそうだったろうし、パリのテロのあとに人びとが夜通しレピュブリック広場に集まったのもそうですね。おそらく日本語における「公共」にまつわるイメージと英語における「Public」におけるイメージがそもそも違うのでしょう。

「公共性」のイメージを「人びとが集まって自由な議論を行う」と書くと、ハーバーマスによる議論を思い出すかもしれません。齋藤純一によるまとめを借りればハーバーマスは「公共圏のあるべき姿を合意を形成していくための討議(ディスクルス)の空間としてとらえている」(*4)。「公共圏」に参加するものたちは「合理性」をよりどころとして批判と反省をくり返し合意にいたる、とされている。これは一面からみれば理想的な討議の状況でもあります。でもはたしてそれはそもそも「自由な議論」でしょうか。普段出会わない人びとがたまたま集まって議論をする。そのとき生じるのは「合理性」よりも「不合理」な対話かもしれません。現実の、パブリック・スペースでの議論は、「合意形成」よりもむしろ「不合意」へと至るでしょう。

ランシエールは「コンセンサス(合意)」を二つに区分します。ひとつ目をある種の統治のあり方として。「コンセンサスは、グローバルに共通化された世界を構築することにある。主として市場と利潤の法則によって構造化された世界を構築すること。それはまた、国家と超国家的な機関を結びつけ、超国家機関と国際金融機関を結びつける関係の諸形態を構築することである」(*5)。ふたつ目は感覚に関係するものとして。「コンセンサスとは、〈共〉的世界を必然が支配する世界として感覚的に構築することでもある」「コンセンサスがある世界とは、必然性に向き合う世界であり、可能なものや選択肢が存在せず、必然性を管理するましな方法を選ぶしかない世界です」(同上)。

つまり合理的な合意の先には、グローバル経済にすみずみまで満たされた均一化したショッピングモールのような世界があり、そこには偶然の逸脱が存在しないから、似たようなものの中からすこしだけマシなものを選ぶことしかできない。また後者の議論は「合意形成」を中心に据えた「民主主義」のあり方への批判でもあります。例えば「選挙」や「議会制民主主義」という制度によって導き出された結果は、民衆と政府の間に「合意」がとれたことを保証してしまう。このときぼくたちはポピュリズム政治による必然性の中に絡め取られる。もちろん公約をかかげたわけだからそれを遂行するのは当然かもしれない。でも選挙で承認をえたからといって、少数者の意見や不具合を議論せずに進めてしまっていいのだろうか。しかし選挙に基づく議会制民主主義はその「合意」を反故にはできない。

ここからはランシエールによる希望的なファンタジーかもしれないけれども、そうした「合意」に基づく世界を揺さぶるには「不合意」が必要であると言うわけです。ランシエールはそれを「政治」と定義する。彼にとって「政治」とは、通常ぼくたちが思い浮かべる意味とは別の実践として定義されます。「政治は、感性的世界に混乱を持ち込み、そこですべきこと、見るべきこと、計算すべきことの空間を描き直すことによって、分け前や当事者の配分を狂わせ」(*6)ることであると。「合意」による一定の感覚を共有した世界を揺るがすのは、そもそもその感覚を共有していない人びと、ある意味では非当事者(ランシエールの言葉で言えば「分け前なきものたち」)です。

当事者/非当事者という配分の感覚が共有されていない、混乱している空間の中で、本来ならば話すべきでない人びとが、「分け前」の配当からは最初からのぞかれている人びとが、気にせず語り出すような場所。ぼくはそうした空間をパブリック・スペースと呼び、それを「公共性」としてまずは考えたいと思っています。

ただここにはひとつ大きな問題があります。ランシエールも好んで使うようにそうした場では「不和」が生じるかもしれない。アートの文脈で言えばクレア・ビショップにならって「敵対性」と言ってもいい。空気を乱す、話すべきではないひとが自由に語り出す空間は、そうした敵対的な契機を含んでいる。公的な抑圧(不自由さ)の空気を破る「不合意」や「不和」は開放として働くでしょう。しかし、ヘイトスピーチのように、「敵対性」が他者の抑圧へと働くことには警戒しなければなりません。それは他者の自由を抑圧することになる。

 

公的であること

 

「公共性」のもう一方の軸、「公的」であることについても簡単にふれておきます。
杉本博司さんが書いた「国威発揚」(*7)というテキストがあります。「文化功労者」選出に際してのコメントで彼が使った「国威発揚」という言葉はSNS等を通して議論の的になりましたが、それを補強するための、あるいは誤解を解くためのものとしてそれは書かれています。杉本は昭和天皇による終戦の詔書の最後に書かれている言葉を以下のように解釈します。

「終戦の詔書は、『(前略)誓って国体の精華を発揚して国際社会に遅れを取らずに復帰せよという国民に対しての命令形で終わる。私はこの『国体の精華』を発揚するという言葉が敗戦後の日本を導く基本方針として最後に述べられているのだと思う。」(同上)

そして彼は海外での長いアーティスト生活の中で「国体の精華」とも言える日本の古美術品を収集するようになり、それらによって美意識を養い、「私も能役者のように、国体の精華を体現する依り代として無意識のうちに私の体を差し出しているのではないかと、近頃思うようになった」(同上)らしい。

「私は日本の国の姿、すなわち国体とは何かを考えざるを得ない状況におかれてきた。私は孤軍奮闘して現代美術作家として作品を制作してきたのだが、自らも意識しないうちに、国体の精華を発揚せよという終戦の詔書が私を呪縛していることに最近になって気がついた。私は降伏命令のないままにジャングルを彷徨う一兵卒のように幸福だ。私は終戦の何かを未だに知らないでいる。」(同上)

政治的アイロニーと捉えることもできる、といちおう譲歩しておきます。いやむしろ、いわゆる表面的な右派的言説を一蹴して、真のナショナリストを表明したいのかもしれません。いわゆる右派政治家が明治期の日本を理想とすることとは違って杉本は大宝律令にまでさかのぼって天皇(制)を捉えているわけですから。あるいは中国語に自分の書籍が訳されることに際しては新たに序文を付け加え、日中戦争が講和していれば、太平洋戦争が回避され、孫文が語る「大アジア主義」へと向かえた可能性もあったのではないか、とも書いている。孫文による「大アジア主義」についての講演は、当時の日本を西洋並みの強さを持つと讃えつつも、批判する視点も有しているから、いわゆる「大東亜共栄圏」のような(日本がアジア諸国を欧米の侵略から解放するという戦争肯定の)建前としての「アジア主義」とは異なるわけだけれども。本文にはそうしたいくつかのツイスト/隠し味があることもわかるけど(「終戦」と「敗戦」を混ぜているのも意図的なのかもしれない)、それでもいまの社会情勢の中でこのテキストを発表することは、ナショナリズムを称揚すること以外にどんな意図があるのでしょう。

「公共性」をめぐる問いにおいては杉本が何度も書く「国体」がキーかもしれません。辞書を引けば「 天皇を倫理的・精神的・政治的中心とする国の在り方」と出てきますが、彼によれば「魂が肉体に包まれているように、国も肉体をもっている。それを国体と言う。国体とは我が国固有の概念で、天皇を中心とした秩序のことを指す」(同上)。「公共性」を「公的なもの」と捉える日本の文脈の元には「国体」があるのかもしれません。でもこれは余談ですね、おそらく。

初回から少し盛り込みすぎましたが、藤田さんの返信、楽しみにしています。

 

田中功起
2018年1月、京都にて

 

近況:香港とチューリッヒで発表するための二つの映像制作をしてます。


1. トーク「芸術祭の公共圏―敵対と居心地の悪さは超えられるか?」丹羽良徳、F.アツミ、藤田直哉、丸山美佳、2017年11月25日(土)、NADiff a/p/a/r/t(東京)にて。
2. 「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」『地域アート 美学/制度/日本』、堀之内出版、2016年、p. 39
3. 齋藤純一『公共性』(岩波書店、2000年)によれば「公共性」は三つに分類されます。1:公的(Official)、2:共通のもの(Common)、3:公開性(Open)。もちろんそれらは互いに関係し合っていて、からなずしも分かれているわけではないけれども。
4. 前掲書、p. 33
5. ジャック・ランシエール『平等の方法』(航思社、2014年)、pp. 280-281
6. ジャック・ランシエール『民主主義への憎悪』(インスクリプト、2008年)、p. 154
コンセンサスを乱調させる「政治」の本質として、ランシエールは「デモクラシー」を挙げています。ここでも彼はぼくたちの通常の言葉の定義を、プラトンを参照しつつ、読み替えます。デモクラシーとは「公共的存在となる条件を満たしてない人々が公共の事柄に口出しをすることを非難する侮蔑的呼称」(p. 148)であった。統治する者たちが「くじ引き」で偶然に選ばれてしまうような、統治する資格のない人びとによる無秩序な統治を指してプラトンは「デモクラシー」を批判した。しかしランシエールにとってはそうした統治せざるものが統治をする偶然性に開かれているからこそ、「デモクラシー」が重要であると言う。なぜならそれによって、そもそものはじめから「分け前」が与えられないはずの誰か、関係のない誰かが政治に「口を出す」可能性が生じるわけであるから。
7. 杉本博司「国威発揚」『新潮』2018年1月号、新潮社、pp. 239-245


【今回の往復書簡ゲスト】
ふじた・なおや(批評家)
1983年、札幌生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』(作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)、『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)、『東日本大震災後文学論』(南雲堂)など。

 

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