連載 田中功起 質問する 14-2:高橋瑞木さんから1

第14回(ゲスト:高橋瑞木)――社会的実践とコンテンポラリー・アート

キュレーターの高橋瑞木さんからの第一信。昨年から移り住んだ香港での体験も伝えつつ、今回のテーマに「アーティストの生き方の形式」という点から応答します。

往復書簡 田中功起 目次


 

田中功起さま

往復書簡へのお誘い、ありがとうございます。こちらこそご無沙汰しています。ロンドンでお目にかかったのが確か2015年の秋でしたね。そのときに、田中さんにとって作品制作と執筆、そしてトークはそれぞれどういう関係にあるのか尋ねました。この質問に田中さんが執筆やトークも作品制作と等価である、と答えてくれたことを覚えています。ヨーゼフ・ボイスやアンディ・ウォーホルも、自分の発言、一挙手一投足がコンセプトを顕在化させるフォームであることを自覚しつつ、さまざまなメディアを横断しながら活動しましたよね。田中さんもこの系譜にある、正しく現代のコンセプチュアルアーティストなのだなあ、と話をしながら思ったのでした。


アートバーゼル香港。元サッカー選手/現セレブの突然のアートフェア訪問に沸く人々。

 

香港に移住しました

 

私は昨年の春に水戸芸術館を退職し、今は香港のMILL6 Foundationという民間の財団で、2018年にオープンするアートセンターの開設準備に携わっています。こちらに移住したのが去年の4月なので、ちょうど1年が経ちました。MILL6は1960年代に建設された綿紡績の工場をリノベーションした複合施設の中にオープンするアートセンターです。私もこのプロジェクトに携わるまでまったくの無知だったのですが、今は世界有数の金融都市である香港の礎を築いたのは、第二次世界大戦後のプラスティックフラワー(日本ではその名もずばり、ホンコンフラワーと呼ばれていました)と紡績、テキスタイルや衣服の製造業だったそうです。日中戦争、それに続く共産党、国民党の紛争の際に、多くの資本家たちが香港に移住し、こうした軽工業を興し、財を築いたのです。

けれども中国共産党が改革開放路線を打ち出した後、香港の多くの工場は閉鎖され、本土へと戻っていきました。なぜなら本土の土地代と賃金は香港とは比べものにならないほど安価だったからです。昨年の末に、香港に残っていた最後の紡績工場も閉鎖され、いよいよ香港のテキスタイル産業は幕を閉じ、今ではその面影もほとんど残っていません。MILL6のプロジェクトはこうした短くも濃密な香港テキスタイル産業の物語を後世に伝えつつ、展覧会やワークショップを通してテキスタイルやファブリックを複数の視点で考察するためのプラットフォームになることを目指しています。私は香港の戦後史の専門家ではないし、ましてやテキスタイルのキュレーターでもありません。けれども綿という素材、あるいは綿製品を考えたときに、奴隷制や、植民地政策、貿易や絵画のキャンバスといったさまざまな連想が浮かんできます。また、いわゆるファインアートとクラフトのヒエラルキーなど、綿という素材を通して改めて見えてくる歴史や世界のあり方に、今は新たな挑戦を感じているところです。

 

特殊論≒宿命論?

 

勤務先の説明が長くなってしまいましたがご容赦を。さて、往復書簡のお返事に戻りたいと思います。田中さんの最初のお手紙にあった日本特殊論の捉え直しを日本人がおこなっても、それこそが日本特殊論になってしまうと思うので、避けるのは懸命だと思いました。アメリカにはアメリカの特殊性があるし、香港には香港の特殊性があります。そして今田中さんがベースにしている京都は日本の中でもとりわけ特殊として扱われている土地でしょうし(井上章一さんの『京都ぎらい』を、ロンドンで爆笑しながら読みました)、私が12年暮らした水戸も独特です。私個人としては、特殊論の問題は、その土地や国の問題の免罪符、あるいは方便としてそれが用いられることによって、ある種の呪詛にも似た宿命論の色を帯びてしまうことだと考えています。宿命論を覆すためには実証を重ねなくてはいけない。実証とそれを理解しようとする理性的な態度—簡単なようですが、今は当たり前の地動説も数百年前は宗教の前に屈服せざるをえなかったわけで、事実を受け入れようとしない心理的な障壁のほうがいつの時代も厄介です。

 

コンテンポラリー・アートの建前と実践

 

香港に移住して改めて思い知らされたのは、アートが産業であり、作品は金融商品だという側面でした。香港にはWhite CubeやPace、Gagosianといった大手のギャラリーの支店ありますが、これらのギャラリーの展覧会に行くと、かなりの割合で失望します。ロンドンやニューヨークの同ギャラリーを訪れた時と比較しても、この失望する確率はかなり高い。どうしてだろうと考えてみたところ、香港のコマーシャルギャラリーではオーディエンスに挑戦してくるような実験的な作品と出会うことが非常に少ないことに気がつきました。もっと率直に言ってしまえば、アートバーゼル香港の時期以外の大手ギャラリーでは、有名なアーティストのB級の作品が並んでいることが多い。作品の内容や質よりも、アーティストの名前で作品を売ろうとしていることがかなりあからさまです。もっとも私は、ギャラリーのむき出しの商売人魂にではなく、アート・ワールドの構造がこの状況を静かに肯定することで維持されているという現実に一抹のためらいを覚えているのかもしれません。田中さんも指摘しているように主な先進国でのアート・ワールドは市場に大きく依存していて、市場の貪欲さは非物質的な作品や本質的には相容れないはずの政治的アーティストとも机の下で手を組みながら拡大していきます。そこでは、政治的なマニフェストこそが最大のマーケティングツールになることすらあります。

市場がアート・ワールドを活性化させているのは確かです。しかし、その活性化によって得られた利益というのはどう再分配されているのでしょうか。香港のアート・シーンを見る限り、この市場先導のアート・ワールドと、1997年の香港返還後の一国二制度が支える民主主義の脆さに危機感を覚えながら社会的な問題に取り組んでいる香港の若いキュレーターやアーティストの間に接点を見いだすことは困難です。

市場先導型アート・ワールドを、グローバルな金融資本主義に由来すると考えるならば、これは田中さんのいうところの広範囲で普遍的な問題と接続するでしょう。そして香港の植民地時代の歴史、これからの民主主義のゆくえや、フィリピンやインドネシアから香港に来る出稼ぎ労働者の問題を扱うアーティストたちも、この世界を席巻する経済の仕組みとは無縁ではありません。事実として、このふたつは繋がっている。このふたつの間で引き裂かれているのは、事実に対して抵抗しようとしながら滑ってしまうコンテンポラリー・アートの実践なのではないでしょうか。

2015年のヴェネツィアビエンナーレで芸術監督のオクウィ・エンヴェゾーが掲げたテーマは「All the World’s Futures(すべての世界の未来)」で、セントラルパビリオンのステージでは『資本論』の朗読がなされ、アルセナーレの展示でも労働や人種、植民地問題を扱った作品が目立ちました。しかし、その一方でヴェルニサージュの期間には高級ホテルやレストラン、果ては島を借り切ってのパーティーが繰り広げられ、あちこちで無数のシャンパンのボトルが開かれていた。そこで一体どれほどの人がそのパーティーの準備や後始末をする低賃金の労働者や、路上でお土産を売る移民たちについて思いを馳せたでしょうか。パーティーを自粛せよというわけではありません。しかし、私にとってはこうしたコンテンポラリー・アートの現場でおこっている事実こそが建前と実践の引き裂かれであり、もっと厳しい言い方をするならば「偽善」と思われても仕方ないと考えるのです。

 

アーティストの生き方の形式(フォーム)

 

先日遅ればせながら香港で封切りされた遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙‐サイレンス‐』を鑑賞しました。江戸時代のキリシタン弾圧下の長崎に密航したポルトガル人司祭を主人公としたこの映画には、信仰の貫徹や罪の赦しといった宗教的な問題だけではなく、東西文化の衝突、主観的な正義のありかたについてなど、非常に多くのことを考えさせられました。映画のハイライトで、ポルトガル人の司祭に対して棄教を迫る通使(通訳)が踏み絵を差し出しながら「It is only a formality. What do formalities matter?(ほんの形だけのことだ。形などどうでもいいことではないか)」「Only go through with the exterior form of trampling.(形だけ踏めばよいことだ)」と迫ります。私は、ここで「formality」という言葉が使われていることが気にかかりました。ある意味ここで通使はリアリストです。心の底から棄教するかどうかはどうでもいい、形式として踏み絵を踏みさえすれば、司祭は現実的な苦しみからは解放されると語っています。

そう、高度資本主義社会において、コンテンポラリー・アートの実践もその網の目からは逃れることができず、トランプ政権に対して意義を唱えるアーティストやキュレーターたちも、おそらく自分たちの安定した生活全てを投げ打ってまで政権転倒を企みはしないでしょう。ならば彼らはすでに踏み絵を踏んでいるのでしょうか?政治的な実践をおこなうコンテンポラリー・アートでは、アーティストの生き方の形式も問われるべきなのか、そこまでを問うのは酷である、あるいはそのアーティストの作品、あるいはパーソナリティによると現実的にわりきるべきなのか、実際にアーティストである田中さんにこの問いを投げかけるのはあまりにナイーブでしょうか。

 

高橋 瑞木
2017年4月 香港にて

近況:3月末にMILL6共同ディレクターに就任(Chin Chin Teohとの2名体制)。
http://mill6.org.hk/press/2017/3/28/change-of-director-announcement
秋に企画したビデオアート展についてのレビューが『ArtAsiaPacific』最新号に掲載。
http://mill6.org.hk/press/2017/3/30/s8xc1mj2zzh8pmfgjtrte65m7yfmpy


【今回の往復書簡ゲスト】
たかはし・みずき(MILL6 Foundation 共同ディレクター)
ロンドン大学東洋アフリカ学学院MAを終了後、森美術館開設準備室、水戸芸術館現代美術センターで学芸員を務め、2016年4月から香港のMILL6 Foundation(2018年秋に開館予定)でシニアキュレーターとして勤務後、2017年3月末から共同ディレクター。主な国内外の企画として「Beuys in Japan ボイスがいた8日間」(2009年、水戸芸術館)、「新次元:マンガ表現の現在」(2010年)、「クワイエットアテンションズ:彼女からの出発」(2011年)、「高嶺格のクールジャパン」(2012年)、「拡張するファッション」(2013年)、「Ariadne`s Thread」(2016年)など。アジア、ヨーロッパでの執筆、講義も行っている。
MILL6 Foundation:http://mill6.org.hk/

 

往復書簡 田中功起 目次

 

Copyrighted Image