特別寄稿:束芋の魅力 最高度の技術と偉大な情熱

束芋がダンス作品とコラボレーションしたのは、2006年、イスラエルのバットシェヴァ舞踊団の『FURO』が最初だった。依頼したのは「にっぽんの湯屋」を観て感動した同カンパニーの芸術監督。世界的な振付家が捉えた束芋作品の魅力とは?

文:オハッド・ナハリン(振付家)

4年ほど前、ニューヨークで初めて束芋の作品を見たとき、自分が見ているものがなんであるのか理解しようとか、評価すべき点がどこにあるのかなどとは考えもしなかった。僕は自分が恋に落ちてしまったとわかっていた!

こんなことは滅多にないが、束芋作品の場合はあっと言う間だった。いま思うにこの強力な反応は、束芋の作品が最高度の技術と偉大な情熱とを組み合わせたものであると認識したから、と説明できるだろう。優れたアートに必須の組み合わせだが、束芋のように徹底したものとなると圧倒的だ。

僕は彼女が創り出すドラマや我々に与える重層的なタスク、繊細さや華麗にしてささやかな身振りが大好きだ。抑制された表現から誇張された瞬間までを創り出す彼女の能力に学ぶところは大きい。彼女のユーモア感覚も好きだ。冗談を言うのではなく、ハートをくすぐる……そして、おわかりだろうが、自分自身のことも笑い飛ばす。構図もいいし、タイミングの感覚も素晴らしい。反復の使用は人間の価値をめぐるある種の旅だ。

会って仕事をともにすることで初めて、彼女と彼女の作品への正当な評価がもたらされた。とても頭が柔らかく、心が広く、前向きで励ましてくれる、夢のコラボレーターだ。ダンサーやスタッフを束芋の美術の中に導き入れたとき、僕は「調和」させようとはしなかった。所作や音楽や衣裳の選択とも「調和」させようとはしなかった。それが衝突だったのか融合だったのかはわからないが、そこからは何か新しいものが、存在することを想像もしなかった体験が生まれ出た。

同じ空間に、同じ時間に、自分たちの夢と最も個人的な身振りを貯蔵する共通の倉庫で出会っていた。国や民族や文化的な含意を超越した身振りだ。僕が束芋と接続しようとした場所は、感覚、反復、質感、ささやかな細部へのこだわり、全体性、セクシュアリティ、狂気、権力の濫用、愚行、構成とその諸要素間の緊張が出会う場所だったが、固有の地理性や境界はそこにはなかった。

ダンスインスタレーション『FURO』(2006年)
振付:オハッド・ナハリン
音楽:オハッド・フィショフ
ステージデザイン、映像:束芋

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Ohad Naharin
1952年、イスラエル生まれ。22歳のときにバットシェヴァ舞踊団にてダンスを始める。75年に渡米し、マーサ・グラハム舞踊団に入団。翌年、ジュリアード音楽院へ入学し、80年にニューヨークの平林和子スタジオで振付家としてデビューする。90年にバットシェヴァ舞踊団の芸術監督に任命され、『アナフェイズ(細胞分身)』『デカダンス』など数々の作品を制作。98年にフランス政府より「芸術文学部門騎士勲章」を授与され、2002年、04年にはNYのダンスパフォーマンス賞「ベッシー賞」を、05年には「イスラエル賞」ダンス部門賞を受賞した。ダンサーのために創出した「Gaga」と呼ばれる独自のメソッドは、イスラエルでは中高生などにも浸透している。

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