連載 田中功起 質問する 13-3:菅原伸也さんへ2

第13回(ゲスト:菅原伸也)――現在の日本で共同体を再考することについて

菅原伸也さんとの往復書簡。田中さんの第二信は、「参加/不参加」から共同体を考えるという今回の出発点の是非を、自作にもふれつつ再考します。

往復書簡 田中功起 目次

件名:問いの剥奪、フィクショナルな集まり

菅原伸也さま

とても明晰なお返事ありがとうございます。
「参加」をめぐる問題が政治・経済を背景とする文脈の中でどう変化してきたのか、とても大きな見取り図が示されました。その続きを早く読みたいと思わせるものでしたが、こうしてぼくのせいでかなり遅れてしまいましたね。


ティルマンスによるBrexitについてのポスター。

前回、菅原さんはリアルタイムな出来事として熊本の震災にふれましたが、この返信を書いているいまは、ちょうどEU残留か離脱かをめぐる国民投票があり、離脱が決定し、そんな中、ぼくは現在ドイツにいて、このあとイギリス、そしてフランスへと移動します。EU内である種の均衡を保ってきた三つの大国の状況は今後どうなっていくのでしょうか。こちらで会ったカスパー・ケーニッヒは、EU内におけるフランスとドイツのまじめさに対してはイギリスのユーモアが必要だったって冗談めかして言っていました。ベルリンで乗ったタクシーでは運転手はBrexitを特集するBBCのニュースをかじりついて聞いていました。でもそこから聞こえてくる専門家の声は、現在の状況ではどんな可能性も考えられる、全くこの先が見通せない、と混乱したトーンでした。もちろん現在のEUは経済的な関係が中心にあるのかもしれないけど、そもそも第二次世界大戦後の世界の中で、もう一度異なる他者が共にいることを求めたひとつのモデルでもあったわけです。その象徴的なものが崩れたことで今後、人びとの感情に及ぼす影響がどのような結果を導くのか(EUを越えて、他の地域にも影響を与えると思うので)、気になるところです。

今回は共同体と参加をめぐる問題について、少し実体験のエピソードを続けます。

ストライキ

少し前、リバプールで、当時のサッチャー政権の政策を変えた数少ない社会運動のひとつスクール・スチューデント・ストライキ(11歳から16歳ぐらいの子供たちによるもの)に参加した人びとにインタビューをしました。現在彼ら、彼女たちは40代半ばから後半で、ちょうどその子供たちが当時の年齢ぐらいです。80年代、子供たちが直面したのは、職業経験を積むという名目(YTS、ユース・トレーニング・スキーム)で行われた、ある意味では政府による低賃金労働の推奨でした。このプログラムは子供たちがさまざまな職業経験をすることで将来の仕事に繋がることを目的としていましたが、実態は企業による若年労働者の搾取に繋がりかねないものであると認識されていたようです(もちろん一部の人びとはこのプログラムによってのちに繋がる職業経験の恩恵を受けたとも聞きました。特にITに関係するものはそうだったようです)。

このプログラムに「参加」することを拒否するために子供たちが行ったのが、教師たちにも支えられたストライキであり、デモでした。全国規模で行われたものでしたが、特にリバプールでは1万人ぐらいの子供たちが参加し、この行為はテレビも含めて取り上げられ、政府の方針に影響を与えます。炭鉱労働者や港湾労働者によるストライキが多数行われていた時代が終わろうとするなか、その時代の空気の中で育った子供たちによる政治的なアクションだった。ターゲットが明確であり、ストライキのような政治行動が現実の社会の中でまだ十分に機能していた。

ここでは、プログラムへの参加/不参加(政府による政策)とストライキへの参加/不参加(大衆による活動)がパラレルであり、対立する対称的な関係でした。でも現在は、菅原さんの指摘のように、個々人の問題へと上記のような政治的な立場が解消されてしまっている。現イギリス政府はWork ExperienceというYTSに似たプログラムを行っていますが、そのプログラムへの参加/不参加は個々人の能力、自らの「人的資本」への先行投資のための問題として捉えられ、不参加はそのまま個人の不利益に直結する。企業による若年労働者の搾取があろうがなかろうが、問題は個人の職業経験値を上げるかどうかにスライドし、それがそのままその個人の未来を決定してしまうかのような錯覚をもたらします。参加/不参加という内か外かの問題ではなく、個人の利益の多少に関係するため、「参加しない」ということはそもそも「抵抗」ではなく不利益でしかない。このなんとも逃げ場のない感覚。ネオリベラリズムによる「社会的包摂」の完成した姿が現実にあって、そもそもぼくたちは、そこから下りる、もしくは逃れることが可能なのでしょうか。

菅原さんは、その可能性のひとつとして共同体へと話を繋げようとしていました。しかし参加/不参加の枠組み自体を不問にしたのがこの「社会的包摂」という社会構造だとすれば、その枠組みの外を思考することもぼくたちの手の中にないのかもしれないとも思うのです。

Fictive Community

もうひとつ確かめておきたいことがあります。ミュンスターでアーティストのスーチャン・キノシタさんとレバノン料理を食べているときに、水戸でのプロジェクトの話になりました。この「質問する」では、ぼく自身からはできるかぎり自作について触れないことを個人的なルールとしていますが、とても示唆的だったので書いてみます。彼女はもちろん展覧会は見ていません。あくまでもぼくの説明に対する反応です。彼女はこう言いました、あなたは人びとを集めて共同生活をして新しい共同体を作ろうとしたわけではない。むしろそれぞれの参加者は自分の属している共同体の問題を持ち寄るために集められた。だからそれはフィクショナルな共同体なんじゃないか。なるほど、そのように説明した方がわかりやすかったのもしれない、と思いました。フィクションとしての共同体。確かにそうかもしれません。

このフィクションとしての共同体という視点は、共同体の生成は時間のかかるものなのではないか、という批判への反論になります。水戸でのプロジェクトへの批判に6日間という期間の短さへの批判がいくつかありました。6日間程度で共同体なんて作れない、というものです。確かにそれはもっともらしい。実際、例えば地域共同体や民族共同体というものは土地や民族という長い時間の中で生成されてきたものを指すわけですから。でもぼくには時間的な長さや短さが問題であるとはどうしても思えなかったのです。ぼくは「一時的な共同体」と呼んでいましたが、それは暫定的なものであり、仮のものです。スーチャンがいうように、参加者がそれぞれの共同体を持ち寄っている、と考えたとき、一時的な共同体から見えてくるのはその複数の共同体の姿が垣間見られる場です。もちろんそれぞれが必ずしもひとつの共同体を代表しているわけではないから、その複数の共同体の姿はいびつで錯綜している。それをパブリックな場と言ってもいいし、小さな社会と言ってもいいけど、だからこそ一時的な共同体は結果的に「社会の縮図」のようなものであった。このとき時間の長さは問題にはなりません。共同体はすでに個々人の中にあり、それを持ち寄ったわけだから、短時間の中にその深度が折り込まれています。逆にいえば、もし水戸のプロジェクトがある程度の長い時間の中で行われ、本当に「共同体」を作り上げてしまったならば、個々人が持ち寄った別々の共同体たちの錯綜は、結局のところその新しくできあがったひとつの共同体の中での振る舞いの背後に隠されてしまったかもしれない。その場限りのフィクションであるからこそ、成り立つ行為も発話もあったと思います。

そういえば中島智さんにツイッターで指摘された「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」についての興味深い話があります。ミュンスターで見かけたミニコミ誌に「ゲマインシャフト」と書かれていて、それについてどういう意味かをたずねると、「Community(共同体)」であるという答えが返ってきました。では「ゲゼルシャフトは?」って聞くと「Society(社会)」であると。もちろんアカデミックには適切な英訳があるかもしれませんが、中島さんは、ぼくのプロジェクトは「ゲゼルシャフト」ではないか、と言っていたんですね。おそらくある種の目的を共有した集団という意味で。それが英語では「Society」であるとも言いうる、とわかったとき、とても納得がいきました。

例えばアガンベンが共同体の核に個人の属性が脱落した「なんであれかまわないもの」をもってくるとき、それはかぎりなくフィクションに近づきます。ぼくたちは自分が誰であるのかというラベルをすべて剥がすことはできません。日本人であり、男性であり、ヘテロセクシャルであり、っていう属性をすべて引きはがし、「なんであれかまわないもの」となることは、自らがそれを望んだとしても、なかなか難しい。ぼくらはいつも必ず何かしらの立場に決定されてしまう。「なんであれかまわないもの」として、自らのポジショナリティから解放されて存在することは、仮の場であればこそ可能かもしれない。仮の場であったとしても、それが実現したとすれば、それが象徴的な意味合いを帯び、かえって現実に作用するかもしれない。

外について

問いを戻しましょう。

ぼくは、菅原さんの前回の手紙の最後の議論の流れがまだつかめていません。参加する/しないの問いを立てたのは確かに「われわれ」でした。しかし、社会構造の中でそれが既に無効になっていた、とすれば問いを撤回し、別の角度から見ることができるのは果たして「われわれ」なのでしょうか。「外」がもはやないこの世界の中で、ネオリベラリズムがこの社会をベタッとすべて覆ってしまっているとすれば、ぼくたちはそもそも自ら問いを立てる権利も、それを撤回する権利も、奪われているのかもしれない。やっかいなのは、それを奪ったのはだれでもないということです。対象があればぼくたちは抵抗することができます。さて、どうすればいいのか。

いや、でもアガンベンの問いはむしろそれでも「外」という別の共同体を人びとの間に考えることなのかもしれません。

次回の返信を楽しみにしています。

田中功起
2016年7月 ミュンスター、リバプール、パリにて

近況:「Tell Me a Story: Locality and Narrative」(Rockbund Art Museum)とリバプール・ビエンナーレに参加しています。

【今回の往復書簡ゲスト】
すがわら・しんや(美術批評・理論)
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論修士課程修了。主な論文に「百瀬文論/分裂する空間」、「高橋大輔論/絵画と絵画でないもの」(ともに「北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILIー交錯する現在ー」展覧会カタログ)。

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