連載 田中功起 質問する 12-4:遠藤水城さんから2

第12回(ゲスト:遠藤水城)――アートの社会的な取り組みとそれによって生じる倫理的な問いについて

キュレーターの遠藤水城さんを迎えた往復書簡。アートにまつわる「荒地」や「可能性/不可能性」について、異なる立ち位置からの対話が続きます。

往復書簡 田中功起 目次

件名:風雨強かるべし

田中功起さま

返信ありがとう。
いまイスタンブールに来ています。ビエンナーレを滑り込みでみています。何人もの知り合いから「良かったよー」ないし「いいらしいよー」と言われ、最初のうちは「そうなん?ふーん。」と、そんなに国際派じゃないですよ僕は、と受け流していたのですが、さすがに気になったので思い立って来てしまいました。一人で黙々と見て回っています(つくづく思うのは、こういうときキュレーターの弟子みたいな人がいて、「師匠!次はあっちに行くと近いでやんす!」とか言ってくれるとほんとに助かるんだけど。僕も僕でみた作品の印象をバーっと話して、話しているうちに考えが進んで楽しくて、それはたぶんその弟子君にも勉強になるはずだ!などと自己評価高めの設定で夢想しています)。

結論から言うと、完全に予想通り、がゆえに、とても楽しんでいます。自己評価高めの設定を続けますが、この展示なら僕でもできる。だけれども、このキュレーションは僕にはできない。キュレーションには、作家・作品の選択やコンセプトの設定だけではなくて、その背後にあるダーティーワークのオーガナイズや高めるだけ高めた権力の適切な使用などが含まれていて、僕はまだこのレベルでそれをやらせてもらえるステージに立っていない。それをとても悔しく思います。


北海道新ひだか町真歌公園にあるシャクシャイン像

天気読み

バカルギエフのキュレーションを僕は勝手に「思考がかたちになるとき(ならないときも含む)」と呼んでいるのですが、基本的にはとても風通しが良く、それに触れると、僕らはなぜどうでもいい情報にいつも振り回されているのか、と反省とも自戒ともつかない念に襲われ、同時に、そうだよなー、こういうことだけやってればいいはずなんだよなー、と晴れ晴れとした気持ちになります。田中くんが書簡で触れていた、ロサンゼルスで二人で見た展覧会はHammer Museumの「Rachel Whiteread : Drawings」展ですね。あのコンクリートの人でしょ、くらいの認識しかないまま展覧会場に入ったのですが、生活空間と建築空間と象徴性をめぐる別の「遠近法」について考えている、という点と、素材そのものの可塑性と非可塑性と象徴性に対して視覚的とも触覚的とも言えない別の「触れ方」について考えている、という点がわかり、その射程の広さに感銘を受けたのでした。僕の「希望の原理」展もそのように捉えてもらえたのであれば、とても嬉しく思います。

つまるところ、展覧会とは晴れ晴れしいものであってほしい、と僕は思っています。Fine Artですから。ところが、このFineな状態に雲や靄がかかることがとても多い。僕のなかでは、「人間が情報に糸をつけて、操り人形のように情報君を動かしている」という絵柄が見えてしまったときに、とたんに雲がもくもくと湧いてきます。作家や、作品や、展覧会や、鑑賞をしている自分が、天気予報士のように思えてくる。晴れているという事実を離れて、天気はどうなっていくんだろうというふうに、天候の行方が人に帰っていく。そうなるともう、曇りになるとしか言えない。ずっと晴れのわけないじゃん、と人は思うから。しかし、本当にそうだろうか。毎日が晴れで、毎日が日曜日の地点にしかアートはないんじゃないだろうか。であるがゆえに、そこは人も植物もうまく生きられないから、荒地、ということだと思います。イッツファインだけどね。単なる事実として。

(ところで、太平洋戦争開戦の1941年12月8日から終戦後の1945年8月22日までの約三年八ヶ月のあいだ、日本に天気予報はありませんでした。天候が軍事機密になっていたからです。8月15日は真夏日だった、と人はいいます。そのときの「ただの事実としての晴れ」に僕は思いを馳せます。そして、玉音放送からラジオ天気予報再開までの1週間という時間に思いを馳せます。事実かどうかは問題ではなく、そのあいだ、荒地のうえは、ずっと晴れだったと僕は信じます。)

太陽は僕の敵

しかし、田中くんはその手前で立ち止まる。世界はすでに曇っているという。あるいは目まぐるしく天候が変化しているという。長期的に停滞する低気圧や象徴的に渦巻く台風への対処が必要だという。そうかもしれない。僕は晴れているところに移動するだけで死んでいけるけれども、生きなくてはいけないのかもしれない。前回を反省し、田中くんを親友であると信じて、その助言を受け入れ、これからこの書簡は悪天候を前提として話をすることにします。

四つの問いのうちで、問題としたかったのは4です。1から3は4に至るための準備のはずで、すでに準備は整ったように感じます。可能性と不可能性のあいだの交渉と配分についてどう考えるか。例えば、Chim↑Pomには可能性しかありません。字義通りに取ってもらって構わない。彼らには、可能性しかない。東京オリンピックにも可能性しかない。地域アートにも可能性しかない。可能性に対して、別のより良い(もしかしたら悪い)可能性を提案することが推奨される世の中なので、どう考えても事の次第はどんどん良く(あるいは悪く)なっていくに違いないのです(もはやどちらでも構わないはずです)。しかし、そもそも可能性と不可能性の交渉がすでに多数発生している状況の中で、可能性を選択しなければいけないことへの苛立ち、違和感、やるせなさのようなものをどうすればいいのでしょうか。

(北京オリンピックの開会式に際して、中国当局はヨウ化銀を空中に散布するために、ロケット1104発を市内21ヶ所から発射。会場に雨雲が到達する前に郊外で雨を降らせて雨雲を消滅させました。この人工降雨技術は50年代より世界中で研究されており、日本の場合は60年代後半に水源地付近で何度も実施されています。現在は、東京都が奥多摩にある小河内ダムにこの装置(ヨウ化銀とアセトンを混ぜたものを燃焼させ、その煙を煙突から放出するだけのもの)を保持しています。最近では2013年に使用されて話題になりました。ちなみに1986年のチェルノブイリ原発事故後、ソ連政府は空軍を出動させ、ベラルーシ上空で人工的に雨を降らせました。放射性物質を含んだ雲がモスクワへ向かっていたからです。)

I think weather! I think weather!

こんな書き方ばかりして申し訳ない。僕は、情報をまき散らして、この世界に雨を降らせるのが、本当に嫌なんだ。どこかに雨を降らせたうえで「ここは晴れている。僕は正しい。アートは正しい。」などと言うのに、もう疲れたんだ。そこまでいかなくとも、「雨が降っている」という事実の指摘が、いつのまにか「雨を降らせている」という行為に変わってしまうことがある。そんな不条理に対抗する方策が、僕にはまったくなくて、だからこんな文章になってしまう。

僕は、キュレーターを名乗っているわけだから、本当はもっと展覧会をしなくてはと思う。しかも、インディペンデント・キュレーターなのだから、自分からもっと積極的に機会を求めるべきだろうと思う。やらせてもらえれば、期待以上のことができる自信もある。でも、その手前で、なにか引っかかることがあるんだ。それは田中くんもわかっていると思う。田中くんと同じように、僕自身も条件反射的にことにあたっていくことができない現状がある。若い頃は、アートをやることで社会的に認められたい、社会に影響を与えたいと思っていたけれども、ある時点で僕はどうやってそれを止めるかを考えるようになってしまった。自分自身の欲望に対してもそうだけれども、そのような欲望を駆動するアートシステムに対してもそう思ったんだよ。でも、「止める」という行為は非生産的に思われてしまう。だから「生産的に止める」ということがあり得るのかどうかを考え始めてしまった。逆に言えば「前提としてのこの状態がすでに生産的である」をアートシステムの条件にできないだろうか、と勝手に想定して、その制度設計をキュレーションすること。僕にとって、美術館における可能性と不可能性の交渉はそこにしかない。そういう意味で、最近の田中くんの作品が「美術館化」している点、あるいは制度内制度を一時的に作り出している点に、僕はとても注目しています。

(1992年にフィリピンの国立文化センターで「Panahon ng Hapon」という展覧会が開催されました。これは1942年から1945年までの日本統治下における文化芸術をテーマとした、アーカイヴ的な展覧会でした。展覧会では、日本軍の文化部が現地の画家たちに強要した絵画作品と、現地の画家たちが日本軍の蛮行を告発した絵画作品が並置されました。日本当局は、フィリピン民族の自立を促すような題材を作品化することを求めましたが、画家たちは凡庸な風景画を描いてしまい(アメリカ統治下におけるエキゾチックな土産物としての風景画のクオリティが完全に失われてしまったのです)、あげくクリスマスの日の一家団欒などまで描いてしまいます。日本軍の蛮行の方は凄惨なもので、虐殺や拷問の状況が克明に描かれています(この端的な事実から、日本の「戦争画」の議論は極めてドメスティックなものだ、とまずは言っておきます)。さて、タイトルにあるPanahonは「時代」、Haponは「日本」という意味で、展覧会名は「日本の時代」です。panahonは、僕が好きなタガログ語の一つです。この言葉は時代(age)や時期(era)だけでなく、季節(season)という意味にもなり、機会(occasion)という概念も含んでいて、さらには天候(weather)という意味まで持っています。時代が天気である、という言語的事実。「そんな時代もあった」が「そういう季節だった」、「そんな天気だった」ということです。1942年から1945年のあいだの、フィリピンの天候について、僕は考えます。今日の午後が、どんな時代になるのか、と僕は考えます。)

遠藤水城
2015年10月末 イスタンブールにて

近況:HAPSではいつもいろいろやっています。ホームページをみてください。11月8日に「アートプロジェクトで789」で千葉正也さんとトーク。11月19日にAITのMADで「前人未到のアートを求めて – 合わせ技と実験」。12月4日にNorwichでArt in the Age of the Global Environmentというシンポジウムのパネル報告。この間、那覇に行ったり、森美術館に通いつめたり、十津川村に滞在したりする予定です。

【今回の往復書簡ゲスト】
えんどう・みずき(インディペンデント・キュレーター)
1975年札幌市生まれ。京都市在住。国内外で数多くの展覧会を手がけ、地域におけるアートプロジェクトの企画・運営にも積極的に携わる。
2004年、九州大学比較社会文化研究学府博士後期課程満期退学。art space tetra(2004、福岡)、Future Prospects Art Space(2005、マニラ)、遊戯室(2007、水戸)などのアートスペースの設立に携わる。 2004-05年、日本財団APIフェローとしてフィリピンおよびインドネシアに滞在。05年、若手キュレーターに贈られる国際賞「Lorenzo Bonaldi Art Prize」を受賞。「シンガポールビエンナーレ2006」ネットワーキング・キュレーター。2007年、アジア文化基金フェローとして米国に滞在。同年より2010年まで茨城県が主催するアーカス・プロジェクトのディレクターを務める。2011年より「東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)」代表。他に「第四回福岡アジア美術トリエンナーレ」協力キュレーター(2009)、「CREAM ヨコハマ国際映像祭2009」キュレーター、国東半島芸術祭「希望の原理」展キュレーター。
主著に『アメリカまで』(とんつーレコード、2009)、『Perfect Moment』(月曜社、2011)、『陸の果て、自己への配慮』(PUB、2013)など。
http://haps-kyoto.com/

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