連載 田中功起 質問する 7-6:片岡真実さんから3

田中さんが森美術館チーフ・キュレーターの片岡さんと、「日本とアジアのアート」を語る今回の往復書簡。締めくくりとなる片岡さんからの便りが届きました。前便での田中さんからの問い=ニコラ・ブリオーの『関係性の美学』に見られるようなアイデアと、アジア・コンテンポラリー・アートとの関係をどのように再考し得るか? について、片岡さんがその可能性を語ります。

往復書簡 田中功起 目次

件名:不可視の領域を意識しながら世界をみる

功起くんへ

いよいよこの往復書簡も最後ですね。この週末は北京のUCCAでニューヨークのICIと共同企画のCuratorial Intensiveというワークショップがあり、若い世代のキュレーターや世界各地のキュレーターと意見交換をする機会を得ました。パフォーマティビティ、非恒久性(impermanence)、一元論的な視点、アジア的シンクレティズム(習合)を起点に現代アートの今日的状況を考える提案を投げかけ、それに対する多様な反応を実感できたのは収穫でした。

5月に見てもらった「Phantoms of Asia」も含め、非物質的、非恒久的な領域への意識が高まると、可変的で流動的であることを前提にした世界が見えてくるような気がします。『光州ビエンナーレ2012』のテーマROUNDTABLEの下部層で私がサブテーマにしている「Transient Encounter(一時的な出会い)」も、仏教的概念の「諸行無常」がもとになっています。森羅万象が生成と消滅を繰り返すことを、ある型や状態に留めようとするために苦が生じるという考え方で、逆に、生成と消滅を前提として受容すると、その流動性への視点が生まれます。具体的には流動しながら均衡を保つエネルギー、あるいは変化がもたらす視覚的な影響、変化のなかの不変、さらには変化を前提とするがゆえに向けられる日々の一瞬、一瞬の出会いなどです。


韓国では医食同源だけでなく、色彩も五行思想に基づいているそうです。

また、非物質的で不可視の領域への意識は、仏教でいうところの「縁起」、万物が直接的な原因である「因」とそれを結果に導く間接的な「縁」、つまり「因縁」によって生じているという考え方にも興味深い関心を寄せさせてくれます。物質そのものではなく、物質をそうあらしめた時間的なプロセスや空間的な存在という不可視の領域が見えてくる。これはまた、あらゆる物が周囲との関係性のうえに成立しているという意識を覚醒させるものでもあります。

功起くんからの質問でもある、「リレーショナル・アート」「関係性の美学」をこうした視点から再考してみると、東洋の思想に古くからある不可視の領域への視点や縁起的な世界の捉え方は、リレーショナル・アートとも高い親和性があるように思えます。フランスの美術評論家ニコラ・ブリオーが理論化した「リレーショナル・アート」は、「美術の理論的地平を独自性や個人的な象徴空間という主張ではなく、人間相互のインタラクションとその社会的な文脈に置くもの」(*1)と捉えられていて、これはまさに「縁起」の考え方に通底しています。

観客参加を肯定することで作家の独占的な創造性が否定された、開かれた(オープンエンドな)アートの在り方は、ご存知のとおり世界中に大きなインパクトを与え、多文化主義が進み、あらゆるイズムやイデオロギーが成立しえなくなったような1990年代に、その状態を捉えた用語としても広く受け入れられました。ブリオーは20世紀が、18世紀から継承された穏当で合理的な概念による視点と、ダダ、シュルレアリスム、シチュアシオニストなど非合理性に基づいた自発性や解放という視点の二方向の間の葛藤にあったことを前提にもしています。

一方、20世紀の西洋の歴史を見ても、カール・ユング、ルドルフ・オットー、ミルチャ・エリアーデなど、不可視の領域について極めて示唆に富んだ思考を発展させた人たちは沢山います。そして、その背景に、東洋的な思想の影響が少なからず見られることも興味深いところです。

6月にロンドンに行ったとき、ヘイワード・ギャラリーで「Invisible: Art About the Unseen 1957-2012」という展覧会がちょうどオープンしました。企画した館長のラルフ・ルゴーフは、「不可視の美術史」の起点をイブ・クラインの1957年の展覧会「The Void(空虚)」に置いています。何もない空っぽのギャラリーをそのまま提示したクラインは、そこに彼の芸術的な感覚や、機智、欲望、叡智といった不可視の産物を注入したと言っているのですが、そのVoid(空)の概念への意識は、彼が1952年に日本に滞在し、講道館で柔道四段を取得するなど、禅の思想にも通じる空や虚無の概念の影響を受けたことと無関係ではないでしょう。そして、有名なパフォーマンス《空虚への跳躍》は1960年の作品です。

ジョン・ケージの「4分33秒」もまた、鈴木大拙との出会い無くしては生まれなかっただろうと、ケージの愛弟子の一柳慧は言っています。無音のなかに日常のさまざまな音を聞かせることも、不可視の領域への意識と通じています。

ブリオーが言う「人間相互のインタラクションとその社会的な文脈に置く」アートは、具体的には、リアム・ギリックやアンジェラ・ブロックなど空間的に鑑賞者を採り込むインスタレーション的な方向性と、リクリット・ティラヴァニに代表されるような鑑賞者のより能動的な作品への介入を求める方向性の双方を含んでいるように思います。後者はその後、より広義な解釈をされ、「リレーショナル・アート」という特定の用語ではなく、より一般的な「参加型アート(Participatory Art)」と称されるようになっていきます。

この「リレーショナル・アート」という用語が最初に使われたのは、1996年の「トラフィック展」(ボルドー現代美術館)のカタログでした。ただ、例えば日本の小沢剛が牛乳箱のなかに自分以外の作家の作品を入れて展示した《なすび画廊》は1993年、その根底にある概念としての「相談芸術」は1991年に既に提唱されています。また、島袋道浩がロンドンの地下鉄のなかで片方の眉毛を剃って欧州旅行に出かけた《眉毛の消去と出現》(1991年)、猿山で猿のための展覧会を開いた《贈り物》(1992年)など、彼も1990年代初頭から既に他者との関わるプロセスを作品にしています。

また、リクリット・ティラヴァニが最初にニューヨークのギャラリーで食べ物を振る舞った《パッタイ》は1990年、その次の《無題1992(フリー)》が1992年。つまり、物質としての作品や作家の特権的な独立性などに対するレジスタンス、あるいは日常の営みへの意識は当時世界各地で同時多発的に萌芽していて、ブリオーがそのことに気づいていたかどうかは別として、彼が評価されるべきなのは自分の周辺にいる作家たちの新しい表現から、それを言語化したこと、そしてそれが極めて広義な解釈の可能な定義であったために、その後多様な発展や解釈を可能にしたことだと思います。当然のことながら「関係性の美学」は西洋哲学と美術史の文脈で理論づけられているけれど、冒頭で既に触れたように、不可視の領域や非物質的、非恒常的な存在への意識はアジアの哲学や美術の文脈でも充分に説明が可能だと思っています。

ジョン・ケージ経由で禅に触れたアラン・カプロー(1927-2006)も、エンバイロメント、ハプニングといった概念を発展させつつ、最終的にはアクティビティと呼ぶ極めてパーソナルな関係性に基づいた行為を行った人です。1970年代後半には実際に日常的に禅の実践を行っていたようですが、実際に作品の形式的な要素を削り取り、ナンセンスとも取れる禅問答的な行為を通して日常的な瞬間に対する意識を高めていきました。

もの派について李禹煥が「出会い」といっているのも、異なる性質の物質が対峙したときに生まれる相互の関係性やエネルギーであり、それは空間的なリレーショナル・アートという解釈も可能でしょう。菅木志雄も、「あるものとまわりの状況の具体的な関連を断っていくことは、血と肉をわけるごとく、存在するものとその存在性を分離するに等しい」(*2) と言っていますが、ここでも同様に、周囲との関係性や状況を含んだトータルな存在に意識が向けられていることがわかります。

こうした不可視の領域を意識しながら世界を見ると、インスタレーションのような空間的な関係性としても、眼の前にある現実空間を越えて、死後の世界や異界へと連続するアジアの世界観は大いに探求の余地があるし、リクリット・ティラヴァニや小沢剛、島袋道浩のような観客の介在する作品や日々の営みを意識させる作品も、縁起的、禅的な文脈から理論化することが可能です。功起くんのローマのレジデンスのための図録にも、「どこからどこまでが何なのか―——関係性の系譜から見る田中功起」という論考を寄稿させてもらいましたが、そこでも、同様の試みをしています。

いずれにせよ、質問の回答というよりは、回答のための前提の整理に留まってしまいましたが、今後また別の機会にもう少し掘り下げられればと思っています。昨日から光州入りしています。6人のディレクター、90人以上のアーティスト、財団関係者などさまざまな意志や意向の関係性のなかで、均衡する地点、接続点を探す実践が3週間続きます。ただ、タイトルに書いたように、不可視の領域を意識しながら世界を見ると、状況を硬直させることなく、物事を動かして行けるような気がしています。まだまだ暑い日が続きますが、功起くんもお元気でお過ごし下さい。再会の機会を楽しみにしています。

片岡真実

  1. Nicolas Bourriaud, Relational Aesthetics, Les presses du reel, 1998 (English translation 2002), p.14

  2. 菅木志雄「思考の素状」、『Kishio Suga 1988 1968』、1996年(第2刷)、かねこ・あーとギャラリー刊

近況:「光州ビエンナーレ2012」の展示のための滞在は3週間。その後1週間だけ東京に戻って、再び3週間のアメリカ(ワシントンD.Cほか)と1週間のロンドン。今年は巡業の秋です。

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