連載 田中功起 質問する 12-5:遠藤水城さんへ3

第12回(ゲスト:遠藤水城)――アートの社会的な取り組みとそれによって生じる倫理的な問いについて

キュレーターの遠藤水城さんを迎えた往復書簡。田中さんの最終便は「可能性と不可能性の間の交渉」を自らに引き付けて考えつつ、この世界との向き合い方を再考します。

往復書簡 田中功起 目次

件名: 断片の寄せ集めによる中断と付与された余裕

遠藤水城さま

ずいぶん返事が遅れてしまいました。
この間、撮影とかプロポーザルとかが重なってまったく時間をとることができなかった。ぼくは正直、そんなに忙しいのが好きな方ではないし、最近はできるかぎり予定を減らしていて、ひとつのことにゆっくりと時間をかけたいと思っているけど。それでもいくつかの偶然と、ぼくの決断力のなさによって事態はまったく逆に動き、多くの仕事が重なり合う結果になってしまった。


ロンドンのウォーバーグ研究所の館内案内。

断ること

依頼を断るってことはなかなか難しい。その依頼主はどうしてもあなたが必要だと言う。そしてぼくがその展覧会にいかに必要かを説明し、そのテーマにいかにフィットしているのかを教えてくれる。ぼくもその内容を見て、確かに自分の現在の興味にも合致するし、そこで自分が重要な位置を占めるだろうことも理解できる。でもスケジュールの問題だけで依頼を断ることがここ一年ぐらいのあいだにいくつかあった。そして気付くと、それらの企画や展覧会は知らされることなくいつの間にか始まっていて、なんの問題もなく終わっていた。つまりそこに自分が参加するしないにかかわらずものごとは進んでいく。ひとりのアーティストが占める、その企画における必要性の度合いはそのぐらいなんだろうと思う。グループ展やシンポジウムや書籍などへの部分的な参加を考えるとき、それが現実である。自分が参加しなくともその企画はなくならない。それがひとりで行うものとの大きな違い。例えばそれが個展ならば、その依頼を受け入れれば行われるし、受け入れなければ行われない。もちろん別の誰かの個展が行われると考えれば、それも同じかもしれない。

自分が関わる関わらないに関係なくものごとが進むこと。これは一方でむなしいことかもしれない。なぜなら自分は必要ではない存在であるということの証でもあるから。でも同時にそれはぼくの気持ちを軽くする。ぼくはその世界に関係なく存在できるという証でもあるから。

できることとできないこと、の外

でもこのわずかに自由な感覚が、可能性と不可能性の交渉の場に対するアーティストの態度を決定づけると思う。美術館や展覧会というものが「できること」と「できないこと」の無限の交渉のヴァリエーションであるとすれば、いま計画されているひとつの展覧会がうまく行く行かない/参加するしないに関係なく、遅かれ早かれそうしたさまざまな展覧会のヴァリエーションはいつしかだれかによって実現されるだろう。現在の芸術の状況をマスプロダクション化したものとして捉えれば、まんざらそれはありえないことではない。無限の生産によって、ぼくやだれかの、ひとつの展覧会への参加は他のだれかと代替可能なんだろう。この考えに立つとき、美術館や展覧会をかならずしも優先的に考慮に入れない、という方法論を考えはじめることができる。その上で現在の文化状況をまとめあげる「プロダクティヴ」で「クリエイティヴ」であらねばならないという至上命令からも遠ざかること。生産や創造とは違う方法を模索する制作方法をあみ出すこと。

いや、もちろん、こんな回りくどい方法をとらなくても、アーティストたちは美術館や展覧会を前提にしないところで、「社会」と呼ばれる場所で、もうすでに以前から活動をつづけてきたよね。ぼくは、でも、こうした回り道をすることで、かろうじて自分の位置を確認しているんだ。この往復書簡の、その始まりからずっと同じ問いがぐるぐると渦巻いている。それは、ここでももう一度、リフレインされる。ぼくはずっと美術館という場所や、展覧会という前提の外に出て行こうとし、結果的にその地場から離れることができていない。

中断

外在的な要因によって中断させられるものについて考えている。例えば予定通りにものごとが進まず、時間が押し迫って、その制約によってものごとが終わらなかった場合。そのとき選択肢は二つ、周囲を説得して続けるか、予定していた時間で中断してしまうか。それにはふた通りの意味がある。説得は相手がいるものであり、時間的中断は自分がそれを受け入れることである。ぼくはおそらく基本的に何かを受け入れることでいままでの個人史をつくってきた。できることだけを行ってきたと言ってもいい。だから制約はそもそも受け入れるべきものであり、その制約によって工夫が生まれると思ってきた。これはいまでも変わらないけど、しかし、その限界も感じている。受け入れることと説得することを同時に行うことの必要性を感じている。

アートの歴史が示唆しているのは、アーティストは絵や彫刻をその手で作らなくとも、表現をしなかったとしても、たとえ「考え」だけであったとしても、それがアートの実践でありうるということを証明してきたということだ。ボリス・グロイスがいうように、それは脱スキル化(de-skilled)の歴史だった。ならば展覧会という手法が脱スキル化されたらどうなるだろう。美術館という場が脱スキル化されたらどうなるだろう。それは日常との連続性ではなく、社会との連続性として捉えられるのかな。

余裕

この前、ART iTの英語版のインタビューや翻訳を担当しているアンドリュー・マークルと話したとき、アーティストには時間的な余裕が社会から与えられているのではないか、それについてどう思うか、と言われた。もしぼくたち、アーティストに考える余裕と時間が与えられているだとすれば、もしぼくたちがそうした社会の余剰を享受する立場にあるのだとすれば、ぼくたちにはそれにともなう責任のようなものがあるのかもしれない。でもそれはさまざまな立場において、それぞれに対処されるものだろうから、一概には言えない。それでも、ひとつだけ言えるとすれば、ここでできないことはここ以外のところでもできそうにない、ということ。ここでできさえすれば、よそでもできるだろう。ある表現がアートという守られた場所だからこそ許されているのだという批判があるが、むしろ政治的に自由な発言を含む表現がアートの現場でも許されなくなったのだとすれば、それはもっとひどいことが待ち受けている徴候なのだ。

ロサンゼルス

確かに晴れの日はずっとはつづかないのかもしれない。でも晴れがつづく場所が荒地だとは限らない。ロサンゼルスは年間で雨が降るのが1週間程度だと言う。実際にどうかはわからないけど、みんなそう言う。毎日が晴れで、悪天候はパソコンの画面を通してしか見ることができない。世界の各地の天候は荒れまくっていて、でもここでは過ごしやすい気温と青空が広がっている。ここでは天気予報が意味をなさない。天気は常に晴れ。曇りになる心配をする必要はない。ずっと晴れ。雨の日のロサンゼルスを経験したひとがいたらそれはむしろラッキーなこと。いまはどうして曽根裕さんがここで生活し制作をしているのかが分かる。なぜならここでは天候に左右されずに制作をすることができるから。そして遠藤くんがどうして曽根さんの展覧会を企画したのかも。ぼくがどうして曽根さんに影響を受け、その実践が気になるのかも。ぼくもこの場所で、この約7年間の生活の中で、自分の基礎を、その変化しない天候に合わせて改造してきた。そしてここは荒地ではない。晴れ続きで干からびているように見えるけれども気候に合った別の植生があって、多肉植物や野生の椰子の木が群生している。ここには別の豊かな環境がある。

ぼくは最初に、この世界は悪くなっている、とはしっかりとは書かなかった。それはぼくにはまだよく分からないと思っていたから。でも分からないといっているうちに、世界は取り返しがつかなくなっていくのかもしれない。取り返しがつかないものは、取り返しがつかなくなったあとにはじめて気づかされる。

ひとまずこれで遠藤くんとのやりとりは中断してしまう。本当はもっとだらだらと続けたい気もする、というか遠藤くんの返信をもっとたくさん読んでみたいと思う。まあでもそれはまた個人的に。手紙を公開でやりとりするのはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。

田中功起
2015年12月 水戸と新橋と広島と渋谷と羽田空港とロサンゼルスで、書き繋ぎながら

近況:現在水戸芸術館での個展に向けての制作中。展示は2/20からはじまります。

【今回の往復書簡ゲスト】
えんどう・みずき(インディペンデント・キュレーター)
1975年札幌市生まれ。京都市在住。国内外で数多くの展覧会を手がけ、地域におけるアートプロジェクトの企画・運営にも積極的に携わる。
2004年、九州大学比較社会文化研究学府博士後期課程満期退学。art space tetra(2004、福岡)、Future Prospects Art Space(2005、マニラ)、遊戯室(2007、水戸)などのアートスペースの設立に携わる。 2004-05年、日本財団APIフェローとしてフィリピンおよびインドネシアに滞在。05年、若手キュレーターに贈られる国際賞「Lorenzo Bonaldi Art Prize」を受賞。「シンガポールビエンナーレ2006」ネットワーキング・キュレーター。2007年、アジア文化基金フェローとして米国に滞在。同年より2010年まで茨城県が主催するアーカス・プロジェクトのディレクターを務める。2011年より「東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)」代表。他に「第四回福岡アジア美術トリエンナーレ」協力キュレーター(2009)、「CREAM ヨコハマ国際映像祭2009」キュレーター、国東半島芸術祭「希望の原理」展キュレーター。
主著に『アメリカまで』(とんつーレコード、2009)、『Perfect Moment』(月曜社、2011)、『陸の果て、自己への配慮』(PUB、2013)など。
http://haps-kyoto.com/

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