連載 編集長対談9:椿昇(前編)

日本的アートとは:いまを生き抜くためのシステム作り

関西を拠点とし、世界を相手取って、ラディカルな視点で同時代の「裂け目」に対するアプローチを続ける作家。以前は高校で美術教師を務め、現在は美大でアート界でのサバイバル術を伝授する。日本的なアートとは? そして、日本的なアートの問題点とは?

構成:編集部

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逸脱することこそが我々日本人のセオリーです

小崎:椿さんの作品では伝統的な日本的イメージを持ったモチーフが取り入れられることはほとんどないのですが、グローバルであると同時に、非常に日本人としての個性を感じます。1989~90年にアメリカと日本で開催された『アゲインスト・ネイチャー』展に出展する前に、日本人がかつては自然への畏怖の念を抱きつつ、人工物をいかに創造するかというデリケートなスキルを持っていたのに、それを失ってしまったことへの怒りをキュレーターたちに語っています。椿さんの作品のコンセプトは、非常に複雑なレイヤーの中にあり、日本の現代社会への批判を込めて制作しているという理解でよいのでしょうか。


「Fresh Gasoline」1989年

椿:それは好意的な理解だと思います(笑)。もちろん19世紀までの日本美術は好きです。浄土教絵画や山岳信仰への理解もありますし、日本というものは何であったかということを考えるのも好きです。特に網野善彦さんの中世研究は重要なベースになっています。

やはりいまの日本の危機的な状況は、多様性を失っていることですね。大阪は典型的で、街をきれいにしましょうと言って、ホームレスやお弁当屋さんを通りから締め出そうとしている。どうして建物をきれいにして人を殺すようなことをするのか。こんな愚かなことをいままで日本人はやったことがなかった。

小崎:最近の都市開発も同じで、近世から最近まで、例えばオフィス街に隣り合わせとなって飲屋街があるというように、どんな大都市にも昼と夜の二面性があった。新しい街はそういうのがないからつまらないですよね。

椿:善人を演じることにみんな疲れていると思うんです。成績が良くて問題がないという学生は、自己表現していないということでしょ。自己表現をしたときに親や教師が「YES」と言ってあげることを積み重ねれば、創造性が出てくる。いちばん重要なのはバランスです。日本の文化の問題は何かを疎外してしまうところから発生している……。で、次の作品はこういうラインで考えているんです。マイケル・ジャクソンをテーマにした作品「Moon Walker」なんですが、最初に作り出したのが2006年ごろで、ムーンウォークに対するジョークとして実際に月と同じ重力の状態を作ろうと思った。特注のスーツにヘリウムのバルーンが付いていて、それを着ると浮くんです。


「Moon Walker」 2006年〜

小崎:そもそもなぜマイケルをテーマにして作品を作ろうと思ったんですか。

椿:マイケルの中に裂け目を感じたからです。古くはトマス・モアやロバート・オウエンなどがユートピア思想を唱えたけれど、20世紀のインテリの中ではユートピアやファンタジーは徹底的に排撃され、ユートピアは「ディストピア」だとも言われている。その生け贄になったのがエンタテインメント界のマイケル・ジャクソンだった。マイケルの少年への性的犯罪疑惑の裁判記録を見ると、マイケルが少年の家族にはめられ、恐喝され、裁判によってようやく無実が証明された過程がよくわかるんですが、世界中のメディアはそれまで徹底的にマイケルを叩いていた。ところがマイケルが死んだ途端、掌を返したように崇め奉る。それがメディアであり、そういう「メディアとは何か」というのがこの作品のテーマです。

小崎:僕が椿さんの作品を見て面白いなと思うのは、グローバリゼーションへの理想像みたいなものと、アンチグローバリゼーションというものが共存しているところですね。

椿:グローバリゼーションを短絡的にだめと言うのではなく、多様性の確保が可能かどうかを考えることが重要です。ある種の経済システムや、生態系を維持しようと思ったら、多様性がなければ続かない。だからサスティナビリティというのは、いかに多様なものを受け入れるかということに尽きると思う。実際、僕にとってのリアリティはいろいろなものが混在しているということなんです。

美術館やギャラリーとかコレクターとかは放っておいて、自分がそのとき最もリアルを感じるもの、ビビッドだと感じるものに対してどういう表現手法があるのか。それがこのときはマイケルであり、表現方法も多様な材料のひとつとして選択した。デジタルだけといった、狭めることはしない。日本的アートという話で言えば、江戸時代の画家、若冲もめちゃくちゃ描いているじゃないですか。

小崎:毎回違いますよね。

椿:毎回違う絵を描くというのはありだと思うし、日本的なアートの面白さはそこだと思う。欧米の一神教的考えからすると、あるセオリーを逸脱していると考えられるけれど、逸脱することこそが我々日本人のセオリーです。神仏習合にしても、アニミズム的なものと仏教的なもの、新しい外来の考え方をうまく接合し改変していくというのが、本来日本人が持っているやり方です。結論やゴールを決めること自体が自身を狭めていくと思います。

小崎:生物と一緒ですよね。常に変わっているからこそ生きているんであって、変わった先にゴールなんてない。あるとしたら死ぬことだけです。

椿:だから生命というもの自体がプロセスだけなんですよ。それと日本的なアートには気候風土の影響も大きいと思います。季節も移り変わるし、非常に感覚的なものが入り込む余地が多い。原理によって物事を動かすのではないエンジンが付いているのだから、そのエンジンと欧米的なものの考え方の良いところをハイブリッドにしていけばいいのであって、どっちが優れているかという話は止めたほうがいいと思う。

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2010年2月22日にDAY STUDIO★100(Vantan渋谷校)にて行われた対談を収録しました。

つばき・のぼる
1953年、京都生まれ。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科長。89年に当時の日本現代美術を紹介する『アゲインスト・ネイチャー ―80年代の日本美術』(サンフランシスコ近代美術館。その後、米国7都市と名古屋へ巡回)に参加。93年、ヴェネツィア・ビエンナーレ・アペルトに出展。『横浜トリエンナーレ2001』にて情報哲学者の室井尚との共作「インセクト・ワールド—飛蝗(バッタ)」を発表し大きな話題となる。04年、パレスチナ「アルカサバ・シアター」の舞台美術を担当。主な個展に『国連少年』(03年、水戸芸術館現代美術ギャラリー)、『椿昇 2004 – 2009: GOLD/WHITE/BLACK』(08年、京都国立近代美術館)など。出版物にDVD『椿昇 Radikal Monologue』(09年、オーラルヒストリーシリーズNo.1)、『アートを始めるまえにやっておくべきこと』(09年、光村推古書院)がある。2010年3月27日(土)に六本木ヒルズアリーナで開催される『六本木アートナイト』にて新作「ビフォア・フラワー」を発表する。

公式サイト:http://unboy.org/
ART iTブログ:椿昇

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