連載 田中功起 質問する 10-2:小林晴夫さんから1

今回の往復書簡のゲストは、横浜で「芸術を発信する場」を展開するblanClassのディレクターにして、アーティストの小林晴夫さん。田中さんからの「参加」をめぐる問いかけに、今回は小林さんが自身の背景も語りつつ応えます。

件名:「参加」するというよりも「立ち会う」とか、単に「居る」ということ

田中功起様

ご無沙汰しております。「質問する」の往復書簡、お引き受けする際にも、お返事に「ちょっと怖い」と書きましたが、1回目の質問を読んで、なおさら「ちょっと怖い」と思っております。というのも、blanClassの活動をどういう意図でやっているのか説明する場合に、軽率な言葉で誤解を招かないかと心配するからなのですが、案の定、なかなかヘビーな質問を頂いてから3週間、いろいろな言葉が頭の中をグルグルとまわっては消えていき、やっと締め切り日にワードを立ち上げました。とは言え、思っても見なかった機会、誤解を怖れず、お返事をしていきたいと思います。1回目の回答は自己紹介も兼ねるつもりで書いてみます。


横浜駅のそばに残る湿地帯の名残(2014.5.16)

まずは「参加型アート」について。

blanClassは横浜の住宅街という立地もあって、ゲストの方々には「ワンナイトで完結することならばどんなことでもいいけれど、最近なんとなく気になっているような、形にならないことでも、作品にならなくても構わないので、ほかの場所ではできないことをやってほしい」と出演依頼をしています。

そうしていくうち、たしかにblanClassでは「参加型」のイベントが増えてきました。もちろんすべてのイベントが「参加型」になったわけではありませんが、美術をバックグラウンドにものを考えているアーティストにとって、お客さんが入場料を払って目の前にいるという状況で「なにかをやる」ことに、慣れてなかったり、なかなかピンとこない人も多かったようで、まずは目の前の観客をどう位置づけるかが命題になったのかもしれません。

美術系の作家ばかりを呼んでいるわけではなく、そもそも自身が人前で何かやることを前提に制作をしてきたアーティストたちにとっては、観客や入場料のことはさほど大きな問題ではなかったように思います。その一方で、そうではない、特に美術系のアーティストたちのイベントに、観客を巻き込んだり、見るだけではない役割を持ってもらうような「参加型」が多く現れてきたのだと理解しています。

それから、これもやっているうちに気がついたことなのですが、多くのアーティストたちが作品や展覧会というかたちにはどうしても収まらない「考え」や「問題」を、そもそも抱えていたということです。そこには本人の作品や展覧会への思い込みもあるかもしれませんが、既存のアートフィールドに用意されているアウトプットには、いろいろと制約もあったり、自身の作品とは相性が悪いと思っていたり、作品化には至らなかったり、あるいは作品化しようとすら思っていなかったことをたくさん抱えていたわけです。

「作品化」という縛りを外しただけで、実に多様なアプローチが出てきました。当初はそれらをひっくるめてパフォーマンスと言ってしまおうかとも思ったのですが、言い切ってしまうと、また誤解を招くような気がして、実際に起こっている未分化なものを、できるだけそのまま受け取ってほしいという願いもあって、単に「Live Art」と言うようになりました。

ですから、blanClassに「参加型」が多くなったのは、アーティストたち自身も不確かな、そもそも作品になりにくかった「考え」や「問題」を試行するにあたって、状況をつくっていくしかなく、観客も含めた協力者なくしては実現し得なかった、という具合に必然的に出てきた方法だったと思うので、必ずしも「参加型アート」を意識しているわけではないのかもしれません。

「アート」にしても「作品」にしても、極端に不安定な概念なので、blanClassで起こっていることも、どんなに抵抗しても、結局は「作品」という言葉に回収されてしまうのかもしれません。それが結果論としての「作品」であるならば、それはしょうがないことでもあるし、未来にどのように語られているかは、ちょっとわからないので、あまり大げさなことは言わないようにします。

先ほどから、抵抗をしようとしている「作品」とは、いくつかの方向にエスカレートして観念化してしまった「作品」のことです。たとえば美術の制度下で価値づけをされてしまう「作品」のことや、観客やアーティストが前提として抱え込んでしまっている化け物みたいな「作品」に抵抗したいわけです。「作品」という概念が妙な方向に一人歩きしてしまうのは、それが「商品化」してしまうからに他なりません。これまでもこれからも、だれもがなんとか生きていかなければならないので、その1つの手段として「作品」を売ったり、考えていることを「作品化」していくことは、まだまだあきらめなくてもいいと思うのですが、「商品化」が前提になってしまった場合にミイラ取りがミイラになって、おかしなことが起こってしまうのでしょう。

ただ単にメディアとしてそれぞれの形式があるというのならば、それを通して中身を読むわけだから、本体はその中身、さまざまな状況のなかにある網の目上の1つのかたちにしかすぎないと思います。そういう文字通りの「作品」であれば、「Work」でも「Case」でも、差し支えはないと思うのです。

実のところ、私はそれ以上の感想は持ち合わせてはいないので、個人が発したなにかしらを、その個人が独占するという話も、制度にコントロールされるという話も、少し大げさに聞こえてしまうのです。政治と経済を中心に構成された社会では、確かに保守的な図式が制度に取って換わりますが、その図式にも、さらにいくつものレイヤーがあって、どこも交わりがないかのようにも見える。その状況を見て、そちら側を主流にも標準にも思えないということです。

参加する場について

こういうことを言うと、たいがい、だれかに怒られてしまうのですが、それはきっと私があるオルタナティブな、それもとてもローカルなアートの状況下で育ったことに関係があることなので、よく誤解を招きもするし、失言にも近い発言に聞こえるのかもしれません。

それは田中さんからも指摘のあった「Bゼミ」のことなのですが、父がはじめたこの「現代美術の学習システム」に、生まれてから2004年まで、公私に渡り、最後はディレクターとして関わっていたので、blanClassの活動に少なからず影響はあると思います。が、Bゼミを通して試行錯誤していたことを、Bゼミや教育を前提にはできなくなってしまった、というのが正確かもしれません。ステレオタイプとまでは言い切りませんが、「教育」でも「学習」でも、そういってしまったとたんに、なにかが機能不全を起こす感じがしていました。教えようにも、あるいは共に学ぼうにも、システムと講師と学生という関係がどこにも展開していかないといった感じでした。たぶん相互に「参加」しあう関係がつくり出せなかったのだと思います。

今からちょうど10年前にBゼミを閉めたのですが、今考えてみると、その頃、「現代美術」という言葉が死語になったように思います。唯一のオルタナティブな場としての自負は、世の中には届かなくなっていたようです。それと同時に、Bゼミに関わった何人かのアーティストたちによって、アートの場、教育の現場、学ぶこと、それぞれの実践が顕著に見えてきました。彼ら先輩たちの活動こそが「Bゼミ」のネクストだと悟り、私がBゼミを1人で背負い込まなくても、私なりの小さな仕事をすればよいのだと自覚もしました。

田中さんと知り合ったのは、お互いアーティストとしてでした。それもあってblanClassの活動に私の作家性を読み取るのかもしれません。ですが、その頃にはすでに私は「Bゼミ」の所長でもあって、ディレクションもしていました。たしかにどちらの仕事も、あまり頭の切り替えをしないままやっていたかもしれませんが、やはり「Bゼミ」もblanClassも作品ではないのです。なぜならばアーティストとして「作品」をつくろうとすると、私自身がこれまで抵抗してきた「作品」というステレオタイプ、「私」というどうしようもないお荷物に苛まれてしまうからです。

私自身も、そういうお荷物から解放されて、少しだけ自由になるためには、アーティストというアイデンティティーだけは残しておきながら、作品ではなくて、私以外の人に役に立つなにかをするということしか思いつきませんでした。アーティストとして「作品」をつくらないということは、「なにもしない」のと同じことですが、その「なにもしない」を積極的にしたいと考えました。

いろいろと矛盾するようですが、アーティスト以外のアイデンティティーを模索するのはあまりにも面倒くさかったですし、「作品をつくる」=「アーティスト」という定義には、もともと抵抗がありました。それより目の前にある、あるいは手の届かないようなところにある、諸々の問題を前に、アーティストとしての私はなにができるか? ということの方に頭が占領されているからです。そしてどんな状況下でもできることを、できるだけ長く続けたいとも思いました。

というわけで、アートとか、アーティストという不安定な概念と付合いながら、可能であるならば、ありとあらゆることを問題にしてもよい「場」をつくろうと考えたわけです。

「blanClass」というのは組織というには、あまりに脆弱です。ここから先は夢想だと思ってほしいのですが、私がイメージする「blanClass」は「場」であっても「システム」であっても構わないのですが、もう少し軽い「ラベル」のようなものに育ってくれればいいと思っています。「blanClass」がなにかを生産していくのではなく、いろいろな人がいろいろな使い方で使えるような「ラベル」です。できるだけ多くの人にその使い道を試してほしいと願っています。それは、なんのためにかというと、だれがなんのためになにをシェアするべきかを本気で考えるためです。

その意味も込めて最近「blanClass membership」を立ち上げました。うまくいくかはわかりませんが、とりあえず現状で最善のメンバーシップを提案できたと思います。

答えになっているかぜんぜんわかりませんが、blanClassが作品であると、私自身やる気がなくなりかねないので困りますし、私以外の人たちにこそ機能してほしい試みなので、やっぱり作品であっては困るのです。

自己紹介ついでに、もうすこし自分の話をします。先述した通り、生まれ育ったお家の2階が「Bゼミ」だったこともあって、私はアートの領域に正面玄関から入った記憶がありません。劇場に入るのに裏口から入っていくようなリアリティーを持ってアートに接してきたということです。その場合、楽屋や裏方、観客も含めて、はじめて全体だと認識しているわけで、どこかを切り取って考えるのが非常に苦手で、設えられた表だけの風景とか、あるいは逆に裏方だけの自意識という視点が完全に欠落しています。その上、それぞれの役割も実に未分化な状態として受け入れているところがあります。

ちょっと脱線している気もしますが、私が育った環境下で出会ったアーティストたちも、現在の若いアーティスト同様、「作品化」できること以外にもそれぞれに個別で多様な「考え」や「問題」を抱えていました。そして同時にその時代の要請や定まることを知らない歴史や制度にジレンマを抱えてもいました。私はそういうアーティストたちとの対話も含めて「アート」を考えてきたので、どうしても形式で区切ったり、時代や世代で分けたり、アーティストと作品を別個のものとして語ったり、もっと言うとアートとアート以外の領域を分けてしまうことにも、おおよそ抵抗を感じます。

ですから私は四六時中なにかに「参加」している状態と言っていいかも知れません。ある場面だけを切り取って、そのときだけなにかに「参加」しているという自覚がほとんどないので、逆にいつも場違いな感じになってしまいがちです。「参加」というのも違うかもしれなくて「立ち会う」とか、「居る」の方が適切な気がします。

ずいぶん舌足らずな返答で申し訳ありませんが、これで一応すべての質問に答えたつもりです。

最後にヴィト・アコンチのインタビューを引用します。これは芸術係数の辻憲行さんがYOUTUBEの動画を翻訳したものの一部抜粋です。

小林晴夫
2014年5月18日

daily videos from The Wooster Group.
3つの質問に答えるヴィト・アコンチ[05.11.30]
https://www.youtube.com/watch?v=O21ktWO7-8Q
インタビューアー:リアナ・ザマン(Rehana Zaman)

Q: 芸術は教えることができるでしょうか?
Acconci: 子供たちに世界や人生の物事を教えることは、芸術的なものの見方を奪うのと同じだ。なにか別のやり方を試みようという考えを、抑えつけることになる。人が何かを教わることに必然性があるとは思えない。子供のころに体験したことを、思い出すだけでいい。

Q: 芸術はどこへ向かっているのでしょうか?
Acconci: 芸術は自らの解体に向かっていると思いたい。もはや芸術が独立した領域として存在する理由はない。芸術はむしろ、方法論のようなものに、行動のモードのようなものに、活動の手法のようなものに、あらゆる領域に関わるものになるべきだ。芸術とは、物事の条件を変更したとき、つまり物事をひっくり返したとき、なにが起こるかを見ることなのだ。芸術はほかのすべての領域と人生に求められるモードのことなのだ。
(以下略)

アップロード日: 2011/12/03
“Vito Acconci answers 3 questions [05.30.11]”に日本語字幕を付けました。翻訳は辻憲行 (twitterID=nori_1999)
芸術係数(‪http://gjks.org‬‬‬‬‬‬)
元の動画は https://www.youtube.com/watch?v=Z5VpFRUMBhY

近況:9月以降のスケジュールをそろそろ準備し始めてます。今年は秋に、ちょっと長めのワークショップをいくつか企画しようとしてます。

【今回の往復書簡ゲスト】
こばやし・はるお(blanClassディレクター・アーティスト)
1968年神奈川県生まれ。1992年、現代美術の学習システム「Bゼミ」運営に参加。2001年~2004年の休業まで、所長として運営に携わる。2009年にblanClassを創立、芸術を発信する場として活動を始める。毎土曜のワンナイトイベント+公開インタビュー(Live Art)や、トークイベントなどを展開中。SNSなども活用しながら、その場で起こる「作品未満」の行為、発言、発信をオルタナティブに摸索する。作家として個展「Planning of Dance」(2000年、ギャラリー手、東京)、「雪 – snow」(2001年、ガレリエsol、東京)や、グループ展「SAPアートイング東京2001」(2001年、セゾンアートプログラム、東京)、パフォーマンス「小林 晴夫 & blanClass performers [Traffic on the table]」(2011年、新・港村blanClassブース、神奈川)などでの活動も行う。編著書に『Bゼミ〈新しい表現の学習〉の歴史』(2005年、BankART1929刊)がある。
http://blanclass.com/

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