連載 田中功起 質問する 8-4:西川美穂子さんから2

今回は『MOTアニュアル2012』展の企画者・西川さんとの往復書簡。このやりとり自体が、同展での田中功起出品作のひとつでもあります。多様な意見・評価が生まれたこの展覧会も、去る2月3日に終了。西川さんから田中さんへの2通目の手紙には、そうした反響をふまえつつ、改めてこのグループ展で目指したこと、また思いがけず見出した気付きが綴られました。

往復書簡 田中功起 目次


今回この往復書簡自体が『MOTアニュアル2012』展の田中功起・出展作品になります。

件名:タイムラインの風を横目に、踊り場で見る風景

田中功起様

『MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる』(以下『風桶展』)が始まって2ヶ月以上が経過し、やっとお返事ができる余裕ができました。いつものことですが、展覧会前はただひたすらオープンさせるために奔走し、始まってからも結局走り続けなければいけないことになってしまいます。すでに会期が終わりに近づいてきて、展覧会を見てくださった方、あるいはその断片を聞いた方からのいろいろな反応が出てきていますね。ツイッター等で鑑賞者の感想の一部を現在進行形に近い形で垣間見ることができるようになったのは、展覧会企画をする者にとっては大きな変化です。風桶展についての様々な「つぶやき」は、参加作家の一人である奥村雄樹さんによってtogetterにまとめられているので、とくに今回は様々な反応をある程度まとめて見ることができてています。奥村さんのやっていることは、風が吹いた後に起きている事象について追っていくという、じつに「風が吹けば桶屋が儲かる」的な行為ですね。

この展覧会自体がツイッター的と評されることもあります。ツイッターでは、直接の顔見知りだけでなく、知らない人のつぶやきに出会って自分とまったく同じことを考えている人も世の中にはいるのだと気づかされたり、知っている人が普段の会話では見せない心情を吐露するのを発見し、身近なものの意外な側面に驚いたりということが起こります。そのように、ツイッター上では人々の距離や関係性が伸縮自在に流動しているようにも見えます。そのあり様は、『風桶展』の作家たちがやっていることに似ているのかもしれません。しかし、私はこの展覧会が後に、ツイッター的な展覧会だったね、と一元的に総括されてしまわないように願っています。リツイートや他者の会話によって、それまで知らなかった人に出会い、フォロワーを増やしていけるのがツイッターの面白さですが、タイムラインは結局自らがつくったもので、その外側の世界(タイムライン上にない意見)の種類や量を把握するのが難しいものです。つぶやきは、人々のもっとあらたまった場所での発言に比べ、気軽で即時的な心情が見える点で、とても参考になります。ただ、あたりまえだけれど、それがすべてではない。

美術における優れた作品は、作家が複数の要素を編集し統合するにあたり、作家が意識的に選ばなかったものや、見落としているであろうこと、そのような欠落を内包するものだと思います。ツイッターのタイムラインと異なるのは、より独善的で意識的な作家の意志が反映した恣意的な物語であると同時に、タイムラインの外側の見えなさを自覚する内省を持っている点でしょう。『風桶展』に関するつぶやきを追いながら、企画者としてもっと反応していかなければと思いながら、それぞれの文脈の中に入り込んで対話していくにはツイッターはあまりにスピードが早く範囲が広いため難しいと感じました。この書簡にそれを反映させたいと思っていたのですが、流れゆくタイムラインの中の何について反応して書くべきなのかがわからなくなり、正直に言うとそのことに迷いながらお返事が遅くなってしまいました。

「意味が簡単には見えてこない」ことの意味

さて、前回の功起さんの書簡では、個別の作品が響き合い、総体として何かが見えてくるものとして考える点で、まさに私が理想とするグループ展のあり方が書かれていました。作品同士はそれぞれ異なる作家のもので、関係があるわけではないのだけれど、関わる部分を見つけることはできるかもしれないし、もしかしたら、関連が生まれるかもしれない。今回の『MOTアニュアル』は、そのような考え方で企画しました。功起さんの個展のタイトルで『Nothing related but something could be associated”』(イェルバ・ブエナ・センター・フォー・ジ・アーツ、サンフランシスコ、2010年)というのがありましたが、それに似ているかもしれません。

目に見える関係性やつながりがあると合理的な説明がしやすいもので、展覧会においても、美術と観客との「つながり」を強調すると開催意義を説明しやすいということはよくあります。しかし、そのようなつながりを追い求めると、その背景にある結び合えないものたちが取りこぼされていきます。伝わらなさやわかり合えなさ……そういったものも含めて、あらためてコミュニケーションについて考えたいと思い、今回の展覧会を企画しました。そもそも私たちはすべてを経験できないし記録することができません。その事実を安易なつながりのようなものでごまかさずに向き合いたいと考えたのです。功起さんとは、山手線でのトーク「ダイアローグ・トゥー・ザ・パブリック(JR山手線)」を中心に、美術館内に展示をしないという選択を含め、ご一緒に経験とは何かということを考える実験ができ、嬉しく思っています。

音楽家の一柳慧さんが1959年にニューヨークで経験したというジョン・ケージによる『不確定性』という講演会の話を思い出します。それは90の物語が1分ずつ話されるレクチャーで、音楽から禅、キノコ狩りまで様々なトピックスがあったと言います。一つの話が1分間と決まっているから、話の長さによって言葉の速度も変わる。そして、傍らではデヴィッド・テュードアがケージの曲をレクチャーとはまるで無関係に淡々と演奏している。その音で、時にケージの語る言葉はかき消され、言葉の意味は後退していくという(*1)。レクチャーを聴きに来たのに内容が聴き取れないと怒る人もいたことでしょう。しかし、そのレクチャーはおそらく、言葉以上のことを伝えていたと思われます。

一柳氏は、「一度この状態を体験し、通過すると、以後、言葉の意味やウェイトが一変する。意味を追うことの無意味さに否応なく直面させられてしまうからである (*2)」と語り、次のケージの言葉を引用しています。「私の講演では、明瞭であることをつねに追い求めるにしても、さまざまな手を使って、意味が簡単には見えてこないようにした。あえてそうさせてもらったのは、出席しているあなた方を見くびったからではなく、自然が働いていると思われるあり方に敬意を表さんがためである。こういう見方によれば、われわれはみな平等である」(*3)

経験についての経験。それは言葉を超えて体得されるものであり、身体を通して伝えるべきものでしょう。経験における欠落について述べながら矛盾するようですが、『風桶展』でも、コンセプチュアルな側面(観念)のみならず、フィジカルな体験(何にどのように出会うのか)を味わっていただきたいと思っています。

境界の打壊でも逆転でもなく、地続きの地平上で

『風桶展』で功起さんは6つの作品を展覧会出品作としてリストにあげていますね。会期と場所を外れたこの往復書簡もそうですが、山手線でのトークやユーロスペースでの上映のように、美術館の外で行なったイヴェントでも、美術館で使用しているのと同じフォーマットのキャプションを付けています。リストやキャプションは、名付けられない行為を美術の文脈の中に落とし込み、かたちを与えるために重要な役割を担っていると思います。しかし、これらの名付けられない行為のうち一つについて、功起さんはそれをリスト化しませんでしたね。展示室2階の空間のことです(写真)。ここは展覧会の主な展示スペースである3階から、出口へ向かう途中にある踊り場のような場所です。「田中功起のスペース」としながら、何もなく、ただ電気が消されていて、多くの人は何も気づかず通り過ぎていきます。


東京都現代美術館 企画展示室2階 『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』展にて 田中功起展示スペース(タイトルなし)

しかし、バルコニーのように外側を見通せるこの場所からは、向かいの木場公園を望むことができます。時々、奥の手すりに手をかけ外を向いて立っている方がいて、そのシルエットがカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵のように見えることがあります。当初、功起さんがこの部屋に何も展示せず、ただ電気だけを消すとおっしゃった時には、このような景色は私には見えていませんでした。電気を点けたり消したりするマーティン・クリードの作品と一体何が違うのかしら、と思っていたくらいです。展覧会が始まってから初めて、電気の消されたこの場所の意味を捉えることができ、それがあることの美しさを感じるようになりました。『風桶展』を一周りした後にこの場所にたどり着く時、自然に遠景の公園が目に入り、いつもは気づかない風景を見ることになります。

その時、もはや「美術」だとか「作品」だとかいうことはあまり意味を持たなくなるように思われます。そこに元からあるものだけれど、立ち上がってくる景色。それが見えれば充分だと。内と外はその境界を打ち壊すものでも、逆転させるものでもなく、地続きの地平に見ることができるのではないでしょうか。作品リストに載せられていないこの場所は、会期が終わり、電気がつけられ、休憩場所や展示場所として使われるようになっても、そこから見える外側の風景は変わらずそこにあるのですね。図らずもこの往復書簡も会期後に続くことになりましたが、こうしてもう少し風と戯れることができることを嬉しく思います。

2013年2月 『風桶展』の「会期」がいったん終わる直前に
西川美穂子拝

  1. 一柳慧『音楽という営み』NTT出版、1998年

  2. 同書

  3. ジョン・ケージ『サイレンス』柿沼敏江訳、水声社、1996年

近況:『風桶展』の会期終わりに差し掛かり、参加作家から様々なイヴェントの提案を受け、嬉しい悲鳴をあげています。

※『MOTアニュアル2012 Making Situations, Editing Landscapes 風が吹けば桶屋が儲かる』展は、2013年2月3日まで、東京都現代美術館にて開催された。

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