連載 田中功起 質問する 12-2:遠藤水城さんから1

第12回(ゲスト:遠藤水城)――アートの社会的な取り組みとそれによって生じる倫理的な問いについて

今回はキュレーターの遠藤水城さんを迎えた往復書簡。アートの社会への影響、作家の倫理について問いを発した田中さんの第一信に、遠藤さんは旧知の間柄ならではの(?)返信で応えます。

往復書簡 田中功起 目次

件名:風雨強かるべし

田中功起さま

今回は往復書簡という企画に誘ってくれてありがとう。田中くんが書いた通り、パリで僕らが出会ってから約10年。あのとき僕がパリにいたのは、イタリアでの展覧会がオープンした後だったはずなので、そう考えると感慨深いものがあります。なぜなら、その展覧会は僕が初めて公的な機関で自分のプランを実現したもので、つまり田中くんと出会ったのはキュレーターとしてデビューした直後ということになるからです。なんか、お互い若くて、野心家で、ちょっとヨーロッパで通用した気になっていて、まじめで……。その日の夜に、田中くんのフラットに押しかけて、いろいろなことを語り合ったのもよく覚えています。


岡山県里庄町 仁科芳雄博士の生家前の看板

田中くんがLAに移動して日本にいない間、ぜひ見てほしかったのは、僕がキュレーションをした東京オペラシティアートギャラリーでの展覧会「曽根裕展 Perfect Moment」(2011)です。田中くんはカタログは読んでくれて、感想のメールをもらいましたね(そういうリアクションくれるの、ほんと嬉しいです)。それに田中くんも読んでくれた僕の本『陸の果て、自己への配慮』(2013)と田中くんもわざわざ見に来てくれた僕の展覧会「希望の原理」(2014)。この三つで、僕はほとんどすべての問いに、先に答えてしまったと感じています。一番早く荒地にたどり着いたもの勝ちだと思って、たどり着いたんだけど、おかしいなあ、虚しくて苦しいだけだった、というのが僕の現状です。なので、これからは普通にやっていこうと思っています。中原中也なら「喜び過ぎず悲しみ過ぎず、テンポ正しく握手をしましょう」とでも言うところですね。

目指し、死者も

田中くんからの二つの問いかけに直接答えることはしません。誰もが、自身の経験と思考によってそれなりの答えが得られるであろう問いであり、そして、その答えを音読してしまったならば、それがこの世界への(正確にはこの世界のなかにいる自分自身とその敵への)呪いになる、そういった類いの問いだと思います。むしろ、僕が答えたいのは、田中くんの二つの問いの背後にあった実際上の問い、事実田中くんがそこから思考を進めたであろうことがタイトルとして残存している問い、「そこで目指されている世界とはどのような世界なのだろうか」です。

この問題を倫理的にするために、問いをさらに以下のように展開してみます。「世界は目指されるべきだろうか」、「この世界とその世界を同じ世界と言い得るには、その間になにがあるのだろうか」、「実現されるべきビジョンと現実化するための方法を関係付ける規則とはなんだろうか」、「可能性と不可能性の間の交渉、その適切な配分を定める諸実践と、アートの役割は関係するだろうか」。

一言で言えばこれは、危機とユートピアをどう扱うのか、という問題です。危機の内部で不毛な二分法を打ち立てながらその都度正しい方を選んでいくことに、僕は興味がありません。なぜ内部にいなければならないのかが、そもそもわからない。その選択行為が危機の固定化を促進しているとしか思えない。ユートピアへの盲目的信用がロマンティックand/orニヒリスティックな実存を支えるメカニズムの反復にもうんざりです(悩み自慢大会するくらい暇なら黙って米でも作ればいいのに、と思います)。したがって、なすべきは危機に対処することでもユートピアを欲望することでもない、と僕は言いたいのです。危機とユートピアを同時に「あたりまえ」にすることについて考えなければなりません。リアリティが宿るのは、その「あたりまえ」の状況でしかないからです。そこには内部も外部もない。

以上が前提です。その上で僕は、先に展開した問いを、死んだ人と結びつけながら考えたい。死んだ人がまだ生きていることについて話したい。

反射的な反省性へのリアクション

日本の自殺者数が1998年に急増して3万人超、で、現在は横ばい状態とのことです。であれば、唐突ですが、僕は同時に日本社会における性交およびマスターベーション回数の変遷を厳密に知りたいと思います。この場合、性交とマスターベーションの定義をかなり広くして構わない。挿入行為を伴わないもの、射精やオルガスムに達しないもの、なんなら想像上のものも含めましょう。その上で、その数の推移を厳密に知りたい。やはり増えているんでしょうか。減っているんでしょうか。性行為が増えているのに自殺も増えているのでしょうか。性行為が減っているから自殺が増えているんでしょうか。増えているから増えている?減っているのに増えている? 因果関係はどうなってるんでしょうか。しかし、そもそも自殺は本当に増えたんでしょうか。想像上のものも統計に含めたら、むしろ次第に減っている気がしてきました。

正しくなさ、と、恥じ入り、がアートには必要だと思うのです。賢明な田中くんなら既に気づいていると思いますが、日本の現代美術は「どうやって戦争以外で人を殺すか」派と「自殺者の救済に意味がないことをどう証明するか」派という二勢力の血みどろの戦いです。その戦いによって多くのアーティストが老衰で死んでいく。その戦争に加担しなかったのは、すぐ思いつくのは、宮前正樹さんと東谷隆司さんだけです。日本の現代美術のシステム化を身体化しえた二人、ということです。

あるいは、森美術館の一階下の360度東京ビュー部分は、投身自殺のメッカとして最高のポテンシャルを持った場所なんだけど、そこでは実際の投身自殺ができないわけで、本当は森美術館を訪れた全員が、展覧会を見た足でそのままあそこから飛び降りていると考える方が妥当だ、というふうに考えると、アートシステムは、とても恥ずかしいものです。死んだはずの人たちが、まだ生きている。繰り返しますが、無限の倫理の中には、すでに正しくなさと恥じ入りが混入している。そのことを忘れることの方が、倫理的には問題です。

常識について

とはいえ、田中くんの問題提起にも寄り添わなきゃですね。ACT UP, Group Material, Creative TimeとNato Thompson, Pedro Reyes, Walid Raad, Jeremy Dellerと、例示された名前たちを、ほぼリアルタイムで、当たり前のように感受し、それについて議論する、というのは欧米のアートシーン、とりわけ僕らが関わりを持つような公的なミッションを強く意識したキュレーター、批評家、アーティストたちのシーンでは、ごくごく普通のことです。この普通の環境が日本にないことを嘆く、ということを僕はあまりしないようにしてきましたが、田中くんの直球には直球で返すべきなのかもしれません。例えば僕は、HAPS(東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス)という団体の代表なんですが、日本のアート関係者から「それってAPG(*1)と関係あるの?」って聞かれたこと、一回もないです。アートの世界でもガラパゴス化が進行しつづけている。

人間主義がベースにある、欧米的な、健康なる知性は、いま日本に広がりつつあるウルトラ・ナショナリズムと相性が悪い。一見すると反-権力、反-政府でリベラルなのかなーと思いきや、その裏には過剰な自意識とコンプレックスがある!という男性的性格の持ち主のほぼ全員がウルトラ・ナショナリスティックな言説形成に加担しているとしか思えない、ひどい世の中です。それに巻き込まれないよう踏ん張ること自体を可視化する必要がある、と田中くんが判断している、と僕は理解しています。

最後に

田中くんからの書簡を読んで、最初に思ったことを最後に書きます。
どうした、田中くん。ちょっと前の左翼かぶれの文学青年か。思想と実生活論争とか芸術的価値論争みたいのを、いまやる必要があるということなの? ほんとうに? 僕らは、アートやってんだよ。アートをやる、というのは作品論とシステム論を同等に扱うことだよ。内容を反省することじゃなくて、形式を形式化して倫理化することだよ。

あるいは、こうも言える。無限の倫理は思考の対象ではなく、創造の基盤じゃないの? その上で、創造されたものだけが残るんだよ。創造されたものにしか興味ないから、未来だけが現実だから、僕らは非人間的な糞アート野郎なんだよ。いまさらいい人になれるわけないじゃん! 学級委員長みたいな話はいいから、また一緒に血みどろのスーツケースをぶん回して遊ぼうぜ。

2015年8月13日 道の駅ふじおやまにて


1. 編註:Artist Placement Groupは、1965年にBarbara Steveniによって発案され、翌年にアーティストたちが運営する組織としてロンドンで発足。アーティストの役割を、政治や商業を含むより広い社会的文脈のなかでとらえようとする活動を行った。

近況:ロベルト・ボラーニョ『2666』を読みながら、スーパーカブ110で京都から札幌に向かっています。1400kmで870頁なので、1頁ごとに1.6km進めば到着する計算です。

【今回の往復書簡ゲスト】
えんどう・みずき(インディペンデント・キュレーター)
1975年札幌市生まれ。京都市在住。国内外で数多くの展覧会を手がけ、地域におけるアートプロジェクトの企画・運営にも積極的に携わる。
2004年、九州大学比較社会文化研究学府博士後期課程満期退学。art space tetra(2004、福岡)、Future Prospects Art Space(2005、マニラ)、遊戯室(2007、水戸)などのアートスペースの設立に携わる。 2004-05年、日本財団APIフェローとしてフィリピンおよびインドネシアに滞在。05年、若手キュレーターに贈られる国際賞「Lorenzo Bonaldi Art Prize」を受賞。「シンガポールビエンナーレ2006」ネットワーキング・キュレーター。2007年、アジア文化基金フェローとして米国に滞在。同年より2010年まで茨城県が主催するアーカス・プロジェクトのディレクターを務める。2011年より「東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)」代表。他に「第四回福岡アジア美術トリエンナーレ」協力キュレーター(2009)、「CREAM ヨコハマ国際映像祭2009」キュレーター、国東半島芸術祭「希望の原理」展キュレーター。
主著に『アメリカまで』(とんつーレコード、2009)、『Perfect Moment』(月曜社、2011)、『陸の果て、自己への配慮』(PUB、2013)など。
http://haps-kyoto.com/

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